駿河湾のスルメ
私はスルメ。駿河湾のスルメ。
いや人間だけどね。比喩だよ、比喩。
伊豆で生きてる普通の人。
最近、この駿河湾でイカが取れるらしい。
イカ?イカって刺身がいいかな。
この時期はヤリイカだね。
そう今は冬だった。
味のしない空気。
私は迷っていた。スルメでいるべきか。
それとも回遊魚になるべきか。
人生って塩味。でも甘みがある。
私は漂っていたかった。
でも現実が目を逸らすなと突きつけてくる。
そう雨だ。
あの日も雨だった。
私が全てを失いそうになった日。
綱渡りで生きているな私。
噛みごたえのある人生だ。
でも私は決めた。
温泉を巡る。伊豆に生まれた。当たり前じゃん。
頭の中でまとまんないよ。
私の脳はくるくる回遊魚。
でも芯はしっかりある。そうスルメ。荒波には負けない。
こんなふうに過去を振り返っているのは理由がある。
私は人生を賭けた戦いをした。
そして負けた。だから温泉が必要だ。
理由はない。そうしたいからだ。
私は車に乗り込む。
初心者マークを2つつけた中古車。相棒だ。
修善寺へ行く。ここは温泉がある。
1200年前から知ってる。
目的は一つ。そう。温泉だ。
私は温泉が好きだ。いや好きだったかもしれない。
雨がフロントガラスを叩く。
駐車場に停める。緊張した。
あの場所をみる。まだ見れない。
歩く。歩く。歩く。
近づく。
雨が私を止める。
干からびた脳に打ち付ける。
顔を上げる。見つめる。
しょっぱい。甘い。なんでだろう。
崖を下る。止めない。止めたくない。
あった。
私がスルメになった場所、忘れられない場所。
そして、孤独になった場所。
名前を呼ぶ。静かに響く。
当たり前だ。当たり前のことだけど。
肘に血が滲む。
完




