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<手癖>  作者: c.monkey
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夢の箱庭

 それからというもの、優には一人で家から出ないよう口酸っぱく言い聞かせ、代わりに私がいる間は境内の掃除を頼むなど体を動かして日に当たらせた。優は素直で心優しく、大人しく待っているだけでなく私がいない間も家事を行っていてくれ、日暮に帰る頃には炊きたてのご飯と掃除のされた湯船が待っている。いやあ、住み込みで家事をやってくれるのなんて今までいなかったから、これは嬉しい誤算だったわ。誰かが作ってくれたご飯というのもまた格別だし。

 あうんやクラウンピース、その他博麗神社にやってくる面々が誤って接触しないよう気を遣っていたため、今のところ優が私以外の現地人と出会ったことはない。“外は危険である”ことを強調するなら余計な情報は与えるべきではないし、別段優を外に出さなければならない理由もなかったからだ。あの子はただ、変わらず私のそばにいてくれればそれでよかった。

 あの子にとって私は“危険な外界を隔離し面倒を見ている保護者”。そうであり続けなければ神社から見渡せる遠い喧騒に心惹かれて里へ降りたいと思ってしまうかもしれないし、案外友好的にも見える人ならざるものたちに触れてしまうかもしれない。……私の元から、離れていってしまうかもしれない。

 私は何よりそれが怖かった。他の何よりもそれを恐れていた。一体誰がどんな存在になってしまうか分からない、不安定なこの幻想郷の中で、唯一不変な存在を求めていた。心の拠り所となる無知なる存在を、この手の届く場所に置いておきたかったの。

「────優、もしかしたら今日、少し遅くなるかもしれなくて。またご飯炊いておいてくれる?」

「うん、わかった。すぐに出るの?」

 季節が進み、少しずつ弱まりつつある日差しの下へ身を晒し参道に箒をかけていた後ろ姿へ声をかけると、ぱっとこちらを振り向いた優は何の警戒もない軽やかさで私の元へ戻ってきた。その無邪気さにつられ思わず伸びた手で頭を撫でてあげれば、気恥ずかしそうに俯いた優は頭を守るように腕で遮って文句ありげに唇を尖らせてみせる。そのまるで子供みたいな仕草がいじらしくて、彼を連れてうちに戻るとそのまま後ろ手に外界との境界を閉ざす。

 “私のいない間は障子を開けない”のがここでのルール。優から受け取った箒を納戸に立てかけてから居間へ向かうと、優が室内にいることをしっかりと確認した上で手を振り、私はそうして秘匿した内側から外へと飛び立つ。

 ────思えば、あまりに順調な事の運びに過信してしまっていたのかもしれない。これまでの様子を見て、不信というリスクを買う可能性を天秤にかけるくらいなら信用に賭けようと。命を賭してまで外界への接触を望むような素振りを見せられることがなかったから、きっと今のままでも平気だろうなんて。この時の私はそんなお気楽のままに青空を泳ぎ紅白の帯をはためかせると、眼下に広がる隔離された人間の里へと足を降ろしていた。




─────────────────────




 水に浸かった笊を揚げると短く振り下ろすことで水気を切り、やがて集中を散らしてちらりと上げた視線で格子の奥に未だちらつく陽光の明るさを認めるなり、吸水を終えた米を炊かずに手放す優。濡れた手を拭きひっそりとした土間を抜けて居間を過ぎると、意を決したように深く肺を膨らませた彼は光を通す障子の細い組子を恐る恐る伸ばした指先で捉えた。

 あの日目を覚ましてからというもの、実感こそあまりなかったものの己がどこか異なる場所へと辿り着いてしまったことは自覚していた。山の上に聳えるその地形上遠方まで見下ろせる博麗神社から眺める風景には確かに見覚えもなく、尚且つ神社の巫女であるという博麗霊夢を名乗ったその少女は、一介の人間である優にとって対処不可能な危険を示唆する。

 曰く神社より外には数えきれぬ魑魅魍魎が跋扈し、不可思議にも重力に逆らう術を持つ霊夢でさえもそこに命の保障はないのだと。であるからこそ、優は尚のこと彼女のいない間を家に閉じ籠ったまま過ごし外界と断絶された生活を送ることを命じられてきたのだ。当初、そこに疑念を抱くことはなかった。しかし────

「でも、誰も訪ねてきたことなんかないし……」

 まるで己を納得させるかのような密かな呟きに指先へ込められた力が強まる。霊夢の許可を得て境内を動き回る間、あるいは彼女と共に家にいる間。優の目から見て彼女以外の人影が神社に現れたその瞬間を目撃した試しは一度たりともなかった。それは安心と共に僅かな余裕を生むことにも繋がり、等身大の実感を伴わぬ不定形な恐怖の威圧に、少なくとも優がそれを軽視し始めていたことは紛れもない事実であったのだ。

 翳りつつある陽光に以降の来客の可能性は低いと踏み、恐る恐るながらも擦った障子の隙間を開くと遂には屋内と外界との隔たりを自ら乱してみせる優。途端吹きつけた爽やかな風が全身を抱いて部屋に抜け、服を靡かせるその冷たさに思わず頬を緩ませ息づきながら一歩を踏み出すと、納戸へ向かうため縁側へと畳縁を越える────と。背後から響いた衣擦れの音に驚き振り向いたのは、二人同時のことであった。

「え────」

「な────」

 呆然と見開かれた優の視界は居間で湯呑みを持ち中腰に立ち上がった魔女帽の少女へと、エプロンドレスを着込んだ金髪の少女の視線は、今し方まで閉ざされていたはずの障子を“内側から”開いた見知らぬ少年へと向けられている。視線を合わせたままどちらともなく口を呆けた数秒の硬直の後、最初に声を上げたのは博麗神社を我が家の如く扱い寛いでいた魔法使いの少女、霧雨魔理沙だった。

「お前っ……いつからそこに? というかどうやって? 今の今まで部屋にはいなかったじゃないか」

「え……? い、いや、それはこっちの……だって、さっきから僕一人で……。その湯呑み。一体どこから?」

 互いに訳も分からぬまま、雑誌を放り騒がしく土間に向かった魔理沙の肩を超えて覗き見た優が目にしたもの、それは覚えもなく配置の変わった水場の様子であった。そしてそれは魔理沙も同じく、突然現れていながらも既に手のかけられた炊飯の準備にはただ狼狽える他なかったのだ。彼女が神社を訪れてからというもの、そこには確かに人為的な食事の気配など感じられなかったのだから。

 戸惑い瞬いた魔理沙の視線が背後に立つ優の姿を捉えたかと思うと、癖のない艶やかな髪から履かされた白い足袋の先までその全身をまるで訝しげに舐め回し、たじろいだ優へずいと鼻先を突き出す。限られた相手以外との久しい接触に無意識のうちから泳いだ目の動きを見逃さず、尚のこと深まった疑心の声音に優の肩は縮こまった。

「どうなってるんだ……? というか、お前見ない顔だな。飯の準備まで任されてるなんて、いつからここに?」

「え、えっと……大体もう……二週間は経った、かな」

「二週間!? 二週間も博麗神社に? そんなまさか……」

 声を荒げられびくりと体を震わせた優に嘘をついている様子が認められるか否かに関わらず、息づいた魔理沙が呆れるのも無理はなかった。確かに四六時中入り浸っているわけではないとはいえ、彼女は頻繁に博麗神社を訪れその生活圏に足を踏み入れる客人のうちの一人である。さほど広くもない屋内に邪魔をしていながら二週間もの間居候となる相手のその存在にすら気付かないなどということは、話を聞いた優からしてもよもやありえないことであったのだ。

 今日まで彼が感じていた真逆の静寂を切り裂き突然の荒波を立てた魔理沙はしかし、誰とも顔を合わせず秘匿されてきた優の存在こそが異質であるという。まるでそれは誰の目にも見えない幽霊のように、あるいは“神隠し”に遭ったことでその境界を跨いでしまった人間のように────。

「ただいまー」

 何の予兆もなくがらりと開かれたのは土間と外界とを隔てるガラスの引き戸。思わぬ来訪者と邂逅したまま訪れた日常の再会に、魔理沙の陰へ隠れていた優の肩が密かに跳ね上がる。疲れた様子で土間に踏み入った霊夢は顔を上げるなり見慣れたその姿を目にし、耳障りにガラスを揺らしながら息づいた。

「あら魔理沙。来てたの────」

 いつになくぶっきらぼうな言葉の続きは、しかし末尾まで発せられることなくすぐに打ち切られる。霊夢の視線に気付いた魔理沙が恐々としながらも横に退くと、口を半開きにしたまま目を開いた彼女は、そこに立つ“あるはずのない人影”に意識を向けたまま呼吸を止めていた。何の弊害もなく一身に視線を受け罰の悪そうに俯き竦められた肩の奥、その直線上に開いた障子の隙間からまるでその存在を主張するように木々が揺れている。

 途端一も二もなく跳ねるように靴を脱ぎ足音を踏み鳴らした霊夢は居間を横切り一息に木々を閉め出したかと思うと、そのまま足早に土間へ戻ってくるなり強引に掴んだ魔理沙の腕をガラス戸の奥へと追いやろうとする。突然のことに当然ながら抵抗する魔理沙であったが、その力は単なるお遊びとして抵抗できるほど余地の残されたものではなく、彼女の軽い体はあれよと言う間押し出され境内へと弾き返されてしまった。

「おいっ、何だよやめろって! 霊夢っ────」

 物言わぬまま、ぴしゃりと閉じられ立ち塞がる厚い隔たり。傾いた茜色に燃え上がる空の下、よろけながら砂利を踏み締めた魔理沙は消化不良に終わった胸の蟠りへ不満げに唇を尖らせると、帽子を被り直した後にもう一度勢いよくガラス戸を開け放った。つっかえはなく、霊夢が開いた時と同じように大きな音を立てながら境界は侵入者を受け入れる。

「どういうことなのか私にも説明っ────して、……あれっ?」

 勇ましい気概とは裏腹に語尾は窄み、波打ちながら砂利に伸びた魔理沙の影が一歩遅れて頭を掻く。もの寂しげな暗闇に包まれた冷ややかな土間は、今や彼女以外に何の気配もないもぬけの殻となっていた。




─────────────────────




「…………」

 ガラス戸に添えた手が震えている。知らずのうち荒くなっていた呼吸を整え、できる限り動揺が表に出ないよう深く息を吸いながら顔を上げると、私はまるで苦虫を噛み潰したような顔をして俯いていた優へと鼻先を振り向かせた。

「どうして開けたの?」

「……か……換気に……なると思って……それに、掃除くらいなら霊夢のいない間にもできると思って……」

 焦燥から返事を待たず膨れ上がり口をつきかけた鋭い叱責は、しかし萎縮した優の言葉と態度に冷や水を差され鎮まり返った脳裏によって肺の中に留められた。行き場のなくなった不快な感情は震えない喉元で溜め息に替えて吐き捨て、伸ばした手でその細い肩を包み掴むとあくまで冷静に、事実を以て諭す。

 突発的なことで、決して感情的にはならないで。だってまだ取り返しのつかないような段階じゃない。なりふり構わず突き進むのは、まだもう少し後でも構わない。伏せられた長い睫毛を見つめ心を落ち着かせながら努めて優しく穏やかに、私は僅かに息づいた。

「貴方は気がつかなかったかもしれないけど。あいつは普通の人間じゃないの。魔法が使えるのよ。その気になれば、あんたなんか簡単に殺せるくらいのね。もしも帰ってきて、あんたが殺されていたら……私はどうすればいいの?」

 確かに人間であることに違いはないけれど、魔理沙は人間でありながら魔法も使う。決して嘘じゃない。嘘はついてない。実行に移すかどうかはともかくとしてそれは事実ではあるし、最後の言葉に至っては紛れもない本心だったのだから。

 それは、その想像だけで優の姿が歪み、喉をつっかえさせた息苦しさに震えた声が上擦る程度には。そして、これでもまだ反抗しようと思うのなら、もう二度と自力で出られないように手を加えるための引き金を引いてしまえる程度には、決意と覚悟を伴ったものだったのだから。

「…………」

 運が良いのか、悪いのか。言葉を失いわなわなと唇を震わせながら私を見た優の肩を越え薄い背へと手を回すと、弱々しいその体を優しく抱きしめる。耳元で囁かれた少し掠れた謝罪の言葉に、どこまでも純粋な貴方に。……彼から見えない私の唇は自然と緩んでしまっていた。

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