未知との遭遇
────人間を保護した。保護、そう、これはあくまで保護なのよ。外の人間が幻想郷に馴染めるかどうか分からない、いきなり放り出せば妖怪の格好の餌になるだけ。だから、あくまでそうならないための。
……夜の帷が降りた部屋の中、布団の中で寝息を立てる少年の濡れた頬が大小変化する灯火に照らされちらついている。年は私と変わらないか、少し幼いくらいかしら? 頬に流れた綺麗な黒髪も私と同じ。普段目にすることのない他人の寝顔を相手に肘をつき時間も忘れてその姿を見守っていると、やがて僅かに開いた睫毛の奥から現れた黒い瞳孔が、微動もせずに見つめ続けていた天井からゆっくりとこちらを捉えた。
「え……」
まるで人形みたいだった唇からささやかな呟きが漏れる。その紛れもない生の証に思わず溢れた笑みを自覚しながら上体を起こし、怖がらせないよう息を落ち着かせると、まだぼんやりした様子の穏やかな瞳を優しく見つめ返し囁いた。
「おはよう。気分はどうかしら? 何か違和感や痛いところはある?」
「いや……」
「そう、ならよかったわ。詳しい話が必要でしょ? 動けそうなら、向こうでお茶でも飲みながらね」
今は閉じていた襖の奥を指さすと断りを入れず立ち上がり、視線を背負ったまま畳縁を越えて少しだけ開いたままにした居間からお茶の準備のため土間に続いた。見たところ外傷はなさそうだったし、訳もわからないからすぐに出てくるはず……と思ったら。急須と湯呑みを持っていく頃にはさっそく顔を覗かせ居間へと立ち尽くしていたその少年は、まるでお化けでも見たような表情をしてこちらを振り向いた。
「何立ってるの? 楽に座っててくれていいのに。これ、緑茶。飲める?」
「う、うん……ありがとう……」
ふうん、ちゃんとお礼は言えるんだ。礼儀正しい素直さにさっそく少しだけ好感度を上げながら、机を挟み向かい合って座り込んだ目の前の姿を改めてじっくりと眺めてみる。
指通りのいい横髪を肩ほどまで伸ばし、やや痩せ気味であどけなさの残る顔立ちをした童顔の少年。服装は里の人間としてはあまり見ない洋風なもので、境内に倒れていたことも鑑みるに恐らくは“外”の人間……外来人の一人だろう。
ということはつまり、“こちら”のことにはあまり詳しくないはず……。とはいえ確証も持てず、まずは擦り合わせも兼ねてこちらの情報を小出しにすると相手の出方を窺うためじっとその表情に目を光らせてみる。湯呑みに目配せたり、机を見つめたり、部屋をちらりと見上げたり……動揺や緊張といった負の感情が浮き彫りとなっている。どうやらそこまで肝の据わった性格ではないようだ。
「私は博麗霊夢、博麗神社の巫女をしているの。境内に倒れていた貴方を見つけて保護したんだけど……覚えてる?」
「え……倒れて……?」
「やっぱり覚えがないのね。いいわ、私が色々教えてあげるから、しっかり聞いてちょうだい。ここには貴方がいた場所とは異なる常識もたくさんあるから」
“柊木優”。そう名乗った少年はその印象に違わぬ素直さで私の話を大人しく聞き入れてくれ、予想通り妖怪や神とは無縁の生活をしてきたということから初めは驚きを隠せない様子だった。博麗神社の存在すらも知らず、表情や態度を見る限りでは嘘をついている様子もない。真剣な表情で姿勢を正していた優は半信半疑でありながらもひとまず私の説明を受け入れ頷いてくれて、最初の関門は超えられそうなその雰囲気に肩から力を抜くと密かに胸を撫で下ろす。
変に幻想郷についての知識があったり、話の通じないような人間だったら里の方へ適当に任せるつもりだったけど……まだ期待できそうで少し安心した。減り始めた水面に急須を傾けてあげながら、不安そうな表情をして俯いてしまった優へ至って自然に息づき予定通りの方向へと誘導する。
「外は危険だから、これからはうちで暮らしなさい。いい? 襲われたくないでしょ」
幻想郷には人を喰う妖怪もいて、信仰のために取り入ろうとする神もいる。そのどれもが何の能力もない人間よりも力を持つ者に違いなく、貴方に抗うだけの強さはないのだから。驚いたように丸くした瞳をゆっくりと上げてこちらを見た優は、しかし当然と言えば当然である困惑の奥に疑心さえも覗かせて口篭ってみせた。
「どうして……そんなに良く……してくれるの?」
────ああ、どうしてだなんて、そんなこと、決まっているというのに。
「人間を守るのが私の役目だから。あんたを守る理由は、あんたが人間だからよ、優」
すらすらと惜しげもなく口をつく真と虚勢の混濁に意図した微笑みの最中、笑みを含んだ私の声はいつになく浮ついていた。