僕には君を幸せにすることは出来ない
僕には好きな人がいる。
幼馴染で僕の家の隣に住む紗夜である。彼女と僕の付き合いは長い。僕達の出会いは、両親がこの地にマイホームを購入したことから始まった。引っ越してきたのは、互いに三歳くらいの時だった。
昔の僕は、引っ込み思案な性格をしていて、誰かと会う度お母さんの膝の裏に隠れているような子供だった。
そんな僕に天真爛漫な眩い笑みを振りまいて、外の世界に連れ出してくれたのが紗夜だった。
紗夜に好意を抱いた時期を、明確に伝えることは難しい。気付いたら好きだった。気付いたら、ただ一緒にいたいと、そう思っていた。
小学校、中学校、そして高校。僕達は一緒の学校へ進学してきた。彼女のいない人生なんて、僕には考えられなかった。
いつからだったか。
毎朝、僕は隣にある紗夜の家の前で彼女を待つようになった。彼女とずっと一緒にいたいと思った。だから、通学の時間だって一緒にいたかった。
「行ってきます、お母さん」
今日も、いつも通り僕は彼女の家の前で紗夜を待っていた。
塀に寄りかかって体育座りで待って、ようやく出てきた彼女を見つけて、僕は嬉しくなって立ち上がった。
いつも通り。
いつも通り……僕は、彼女に声をかけた。
遅いよ、だとか。
待っていた、だとか。
そろそろ十年近く一緒に通学しているにも関わらず、それが当たり前だと思うような発言は意図的に避けていた。
この気持ちを悟られたくない。
それは、羞恥からか。もしくは、彼女が学校の人気者だったからか。
答えはわからない。
でも、多分それが僕の失敗だったんだろう。
「おはよう、紗夜」
僕は、いつも通り紗夜に声をかけた。
おはよう。
奇遇だね。
一緒に登校しよう。
それが、これまで……そしてこれからも変わらない、僕の朝一番の、紗夜にかける言葉だった。
紗夜は、スマホを弄りながら、僕の真横を横切った。
僕に一瞥することもなく。
僕に返事を返すわけでもなく。
僕に、何も言わずにその場を去っていったのだ。
……紗夜と口を聞けなくなって、どれくらいの月日が経っただろう。
家は隣同士。
学校は一緒。
所属するクラスだって一緒。
いつでも話すことが出来る環境のはずだった。
なのに、もう一ヶ月と少し、僕は紗夜と話すことが出来ずにいる。
僕から距離を置いたわけではない。
僕はいつも通り、毎日、彼女に声をかけ続けている。
でも、彼女はそんな僕の言葉に返事を返してくれない。
昔はそんなことは一度もなかった。
むしろ、彼女から引っ込み思案の僕に声をかけてくれた。
一緒に遊ぼ。ウチに泊まりに来なよ。これからもずっと一緒だよ。
そんな言葉を交わした回数は、数知れない。
契機は突然訪れた。
いいや、突然訪れたのかはわからない。
その時は、突然やってきたのだから。
突然……紗夜は、僕と口を聞いてくれなくなったのだから。
彼女と話せなくなってから、僕は何度も何度も彼女に尋ねた。
僕のどこかに不満でもあるの。
僕に直さなければならないところがあるの。
何度も何度も……時には感情的になって、彼女に問うた。
でも、彼女は僕に解をくれなかった。言葉もくれなかった。
悶々とした激情だけが募っていった。
拳を固めたが、痛みはなかった。
いつしか悟った。
彼女は僕のことが嫌いになったのだと。
彼女は、僕なんかと話したくなくなったのだと。
別々の未来を歩んでいくことになるだなんて、思ってもいなかった。
彼女とは、ずっと一緒にいれるとさえ思っていた。
でも、どうやらそんな僕の淡い夢は、突然終わりを告げてしまったようだった。
……だけど。
「待ってよ、紗夜」
僕は、僕なんかのことを嫌いになっただろう紗夜の後を追った。
紗夜は僕なんかと話したくない。
紗夜は僕を嫌っている。
わかっている。
だけど、諦めきれずに僕は彼女の後を追うのだ。
……実に、虚しい人生を送っている。
紗夜の後を追う時、僕に宿る感情は、虚無感。侘びしさ。そして、悲壮。それだけだった。
「そろそろ衣替えの季節だね。君はいつも、ギリギリまで衣替えをしなかった。いつか、衣替え期間が終わったのに夏服で登校して、先生に怒られていたね」
紗夜は、僕に返事をくれない。
「それでいて、どのタンスに入れたかわからないから探すの手伝ってって僕にせがむんだ。いつもは大人な君なのに、そういうところはズボラなんだ」
紗夜は、真横を歩く僕の方も見ず、スマホだけを見ている。
「でも、そんな時間も嫌いではなかったよ。本当だよ」
紗夜は……僕なんてまるでいないものと扱っているようだった。
一瞬、僕は本当にもうこの世にいないのではないかと錯覚を覚えた。すぐにかぶりを振った。そんなこと、あるはずがない。
あるはずがないんだ。
「……そう言えば、今日は土曜日だった。学校は休みの日だよ?」
ふと、僕は気付いた。
紗夜の返事は、相変わらずない。
「君、どこに出かけるの?」
「……あっ!」
まもなく駅に到着する時、僕はようやく今日紗夜がどこに行くのかを理解した。
駅のロータリーにある腐りかけの葉っぱが浮いた噴水の前に、僕の知っている人がいた。
彼は、僕と紗夜の同級生の新出君。
僕と、一番の男友達の……親友というやつだ。
そんな彼と、紗夜が、休みの日に二人きりで出会っている。
それは……これまでの僕の冷遇に対する答え合わせみたいなものだった。
急激に、体中から力が抜けていくのがわかった。
道路の真ん中、僕は立ちすくんだ。
車が僕の前を走り去っていく。
「新出君、おはよう」
僕にはしてくれない挨拶を、紗夜は新出君にした。
「待った?」
僕には見せてくれなくなった笑顔を、紗夜は新出君にした。
「じゃあ、行こうか」
僕の隣を歩いてくれなくなった紗夜は新出君の隣を歩き始めた。
談笑する二人を視界に捉え、僕は依然立ちすくんだままだった。
ただ、徐々に怒りがこみ上げた。
あんまりだ。
あんまりじゃないか。
紗夜がここまで僕に反応を示さなかったのは、今日、彼女と新出君が一緒にデートする光景を僕に見せるため。
彼女と新出君の恋仲を僕に見せつけるため。
僕の何が不満だったんだ。
僕の何が気に入らなかったんだ。
どうして、何も言ってくれないんだ。
君の頼みなら僕は、どんなことだって耐えられる。命だってかけられる。
……せめて。
せめて、教えてほしかった。
新出君と交際を始めた、と。
微笑みながら、幸せそうに、教えてほしかった。
そうしたら僕は……きっと、君を祝ってあげることが出来たんだ。
君は、僕から君の幸せを祝福する機会さえ奪うんだな。
……怒りが湧き上がっていたというのに、途端にそれは鎮火した。
少し考えて気付いたのだ。
僕は、彼女とずっと一緒にいたかった。
でも、それは正しくないのだ。
……僕が一番願うこと。
それは、彼女が永久に幸せであることなんだ。
今、彼女が新出君と幸せを築けているのなら、それで良い。
それで、良いじゃないか……。
自分を宥めるために吐き出した言い訳かもしれない。
でも、その言い訳が不思議と腑に落ちたから、僕はこれ以上紗夜と関わることをやめようと誓ったのだ。
僕が彼女から離れる。
それが、今の彼女の幸福。
それが、今僕が願う彼女の幸福。
急激な眠気に僕は襲われた。
理由はわからない。考える猶予もなかった。
ただ、目が覚めた時、僕はいつの間にか墓地にいた。見覚えのない墓地だ。
……まもなく思い出した。
違う。
僕は知っている。
僕は、この墓地を知っている。
ふらふらと、僕は墓地の中を徘徊した。
そして僕は見つけたのだ。
紗夜と新出君を、見つけたのだ。
紗夜の持つ大きな花束。
新出君が水をかける墓石。
悪いとは思いながら、僕は彼女らの後ろから彼女らが墓参りに来た人の名を見た。
紗夜が、花を供える。
新出君が、線香に火を灯す。
紗夜が、手を合わせる。
「……今日は新出君も来てくれたよ、悟郎」
紗夜は、この地に眠る僕に向けて、優しく微笑んだ。
今年の三月に書いてたやつを供養
三話分ストックあったのになんで連載化させなかったのか
まあこの作者のことだし話を広げることが出来なかったのだろう
ざーこ
評価、ブクマ、感想よろしくお願いします!!!