第26話:地平線の先、どこまでも雨はつづいて
「えっと、どうして僕に?」
アニマは起き上がろうと体を動かすが衝撃で一時的に頭を打ったのだろう、力が入らず起き上がれないでいた。はたと見れば長い髪が泥水に塗れて、褐色と水色が拮抗している。一方で相変わらずローブは濡れてさえおらず、それは却ってアニマに対する冒涜のように感じた。
「異世界から来たホーマ・・・いや"ニンギン"は私たちには知り得ない高度な知識と、高邁な意志を持っていたと聞きます。あなたならアライテルの凶行にも終止符がうてるかもしれません。」
ーニンゲンな。もはやニンジンと言いたいのかと思うよ。1人でもニンギン、なんつって・・・ちがうな。
笑う気力もないや・・・。
ぐるぐるとする視界に負けじと何度も瞬きして立ち上がる。ネティマスはこちらを一瞥したものの、敵意を見せることなく俯いたまま、祈りのような姿勢をとっていた。
「アニマさん、アニマさん、大丈夫ですか?僕は・・・治癒魔法が使えません・・・から、チュビヒゲも・・・いないし・・・なにか、なにかあったら・・・どうすれば・・・。」
(モ・・・シ? タイラ・・・さん・・・ですね。大丈夫ですか?)
う つ伏せから、起き上がろうとするアニマはさながら貞子のような絵面だ。決定的に違うのは、泥の茶色に蝕まれているとはいえ、透き通った青色の髪、震える肩、そして気遣うような優しい黄金の瞳だった。落ちているメガネーー僕の黒縁メガネだーーをアニマに差し出す。思い出すように受け取ったアニマに僕はそっと手を伸ばして、起き上がれないでいるアニマを支えるように屈んだ。
(・・・大丈夫です。)
アニマは手で僕を制すると、自力で起き上がろうとし・・・ふたたびよろけた。今度は無言でアニマの腕を掴み、肩を貸すようにアニマを支える。アニマは申し訳なさそうな顔をして俯いた。僕はそれを見届けてからネティマスの方を見やる。彼は黙って、先ほどの姿勢のままこちらを見つめていた。僕は念話を送った。
(ひとつ教えてほしいことがあります。キメラは・・・アライテルの下にいるキメラは幸せになれますか?)
「それは一体ー」
僕はとっさにおでこを人差指で指して、念話での会話を要求した。
(”幸せ”という言葉の意味合いがわかりませんが、それは彼のキメラたちがどうなるか?ということでしょうか?それとも、もしもアライテルを殺せばどうなるか?ということでしょうか?)
アニマの息遣いが聞こえる。震える肩の頼りなさや、汚れた髪に漂う見窄らしさは僕の目にはどこか暗示的に映る。
(僕が知りたいのは・・・アニマは、アライテルの下で彼女は、幸せになれるのか、ということです。)
(それを私に聞く意味は計りかねますが、キメラはアライテルにとっては”人形”でしかありません。逃げる”個体”は漏れ無く殺されます。見せしめに、殊更残酷に。多くのキメラは服従を誓い、そこに喜びを感じる者も少なくないと聞きますが。それが幸せかはわかりません。)
ーそうか、アライテルがいる限り、アニマは、アニマは・・・・
・・・
「幸せになれない。」
アニマと、ネティマスが同時にキョトンとした目でこちらを見る。今の一言は伝える意志を持たない、自分へあてたものだったから通じなかったのだと確信する。
ーアニマの幸せを僕が決めるなんてのはおこがましい考えだとは思う。だけど、だけどあまりにも、あまりにも違ってる。このままでは、こんな状態では・・・。
僕はアニマの肩を支えるのとはべつの手で、アニマの手を握った。自分でもキザったらしいと思う。でもそんなことより大事なことがあるとおもった。
(アニマさん、1つ訊いていいですか?)
(・・・モシ?)
(僕がアライテルを・・・いや、アライテルが居なくなったら、アニマさんはどうしますか?)
僕はとても真剣にアニマを見つめた。彼女も僕の目を真剣に見つめた。これまでの旅の間、彼女は僕の質問に対して心を決めかねていた。それは1つにアライテルの存在があまりに強大で、ひどく恐ろしかったからに違いない。だけどもしもその先に行けるのだとしたら。僕が連れて行けるのだとしたら・・・。
(・・・モシ・・聞いていました。主様は、決して・・・断じて誰にも、殺せません。あまりにもあまりにも・・・・・・・。)
僕の心が少しだけ揺れるのを感じる。そもそも、僕にできることになんて限りがある。そもそも、どうにもならないかもしれない。そもそも、そもそも・・・。
ーそれでも、例え無理でも・・・
「アニマさん、アニマさんは幸せになりたいですか?」
「モシ・・・」
アニマが僕に口で話しかける。その声はいつも通り渋く落ち着いていて、だけど少しだけ震えていた。
「なりたいです。美味しいものをもっと。美しいものをもっと。歌や踊りや知らない生き物をもっと・・・今はそう思います。」
かすかにアニマの手に力が入るのを感じた。それを感じて僕は手をぎゅっと握りかえした。
ー冷たい・・・。
元から冷たい手から、雨が体温を奪ったのだろうけど、冷たくても泥にまみれてもアニマは生きようとしている。出来ることなら、このままずっと握って温めてあげられたらいいのにと思う。美味しいものも、美しいものも一緒に見れたらいいのにと思う。なあ、それがなにか変なことなのか?それを望むことは、過ぎたことなのか?アライテルから自由にすることは、叶わない望みなのか?この胸の痛さは、理不尽な弱肉強食は、黙って噛み締めるしかないのか?
ー・・・違うだろう!
「ネティマスさん。」
「・・・ご返事をば。」
「僕は・・・彼女を自由にしたい。そのために、いつかは、アライテルはどうしても倒さねばいけないと思います。何が出来るのかはわかりませんが、アライテルを倒すために強力します。だからどうか・・・協力させてください。」
ネティマスはより一層、深くお辞儀をして口を動かした。
アニマには、僕の”言葉”は理解されていないはずだ。事実、僕を見つめて首を傾げている。どうせ僕にはこの世界での目的も柵もない。安直でも僕のしたいことをしよう。およそ無謀でも、馬鹿げていても、偽善でも、今までの僕ができなかったことでも。
「La sonĝisto」
ーこの世界の言葉だ。解釈が間に合わなかった。アニマに何か言ったのか??
(えっと、念話は途切れていない・・・ですよね?)
「ええ、""夢を見る者"、この世界に転移し、魔法と文明を齎したものはそのように呼ばれています。彼は、ディアブルもホーマも、そして人外と呼ばれた全ての種族に愛を持っていたといわれています。当時、魔法の研究で偶然に生まれてしまったキメラ達にもです。」
ーん?僕がアニマに好意を抱いているのは地球人だから、って言いたいのか?これは、その・・・クールジャパンの”せい”だとおもうけど・・・。そもそも、自分で言うのは変だけど、俗にいう下心ってやつなんじゃないだろうか?アニマさんかわいいよ??
何かを察したのか、アニマが僕の腕を引き寄せた。
(タイラさんが何を考えているのかはわかりませんが、これ以上迷惑をかけるつもりはありません。この世界で、無用に危険な目にあう必要なんてないのですよ?)
ー無用・・・か・・・・。出会って数日の他人に気遣われるのが鬱陶しいというのなら、僕もこんなことは言わないけど、多分そうじゃないと思うんだよなあ。だから、きっと、まったく、アニマも分からず屋に違いないんだろうな。
「僕はアニマさんに笑ってほしいんですよ。それは決して無用なんかじゃない。流されるように生きてきた僕にとって、この感情はなによりも主体的です。つまり・・・その、僕にとってとても大事なことなんです。」
ーそれに、アライテルはこの世界にとってあまりに危険すぎる存在のはずだ。
「モシ・・・ですが・・・。」
アニマが歯切れの悪い反応をする。その後の沈黙の中を雨の音だけだざあざあと響いた。
・・・
雨の音を遮るかのように木を揺するような音が響いた。鳴り止まぬうちに、風とともに響くのは聞きなれた翼の音だった。大きくしなった翼が僕とアニマを雨からそっと隠した。
{バサッ}
「お二人とも、ここで雨に打たれていては体に触ります。せめて近くの遺跡まで移動しましょう。今後の話もありますし。」
「グルルル・・・」
ードラコの様子は防具のほつれを除けば、出会った時と変わらぬようだ。これがいわゆる加護の力か?
「さあ、2人とも乗ってください。私の友、サジャーロなら3人くらいは余裕で運べますので。」
ーおお、これはありがたい。一度でいいから龍に乗ってみたかった。・・・なにかひっかかかるような・・・。んー・・・。まあいいか。まずはチュビヒゲの墓も作ってやらないと。
「少し待っていただけますか?遺体はないですけどチュビヒゲの墓を作りたくて。」
「”ハカ”?ですか?」
「ええ。」
ーありがとうチュビヒゲ・・・お前の助けがなければ、僕は自分の意志も固まらぬまま本当にただの客死をとでるところだった。ネティマスと仲間になることも、アニマの幸福を願うこともなかった。親愛なるチュビヒゲ・・・。この世界でできた初めての友達として、お前のことを決して忘れないよ。
路傍の石はどれも小ぶりなものが多く、積むのにはあまりに寂しく思えた。僕はネティマスに頼んで、土の属性魔法で小さな台形型に地面を盛って貰った。近くの枝で表面に”RIP.”とだけ書き添えて。きっとすぐにこの雨で流されてしまう。それは僕への気休めでしかないと心のうちではわかっていた。
「タイラ殿、私たちの文化ではこのような形のモニュメントを作ることはありません。ホーマたちであれ魔物たちであれ、死体は数日のうちに魔力として分散し、後には魔石だけが残るからです。」
ー個人的にはそのルールが自分にも適用されるのかが気になるところだけど・・・。
「ですが同じように不自然に盛られた大地や、人工的な構造物がいくつか残っています。なるほど”ハカ”と呼ばれるものだったのですね。」
アニマはチュビヒゲの墓の前に立つと、僕に倣って手を合わせた。無言のまま数秒が流れる。
気づけば雨がほんの少しだけ弱くなっていた。僕は傍に落ちていたドロまみれの麻の袋を拾ってネティマスを見た。
ーこれだけずぶ濡れじゃ、パンももう食えないかもな。
「あ、おまたせしました。行きましょう。」
ネティマスは先にドラコーーサジャーロと言う名前らしいーーに乗り四つん這いのような姿にさせると、こちらに手を伸ばしていた。アニマが最初にのると、サジャーロは鼻息を荒くして足踏みをしたものの、すぐに調子を取り戻して漆黒の瞳をこちらを向けた。
ーお前も早くしろということか。頼もしいドラコだよなあ。かっこいいしなあ、いいなあ。
「おじゃましまー」
「グウッ・・・」
「どうした?サジャーロ?」
ーえっと、いま明らかに苦しそうな声だしたよね。やっぱり3人は無理なんじゃないのか?
{バサッ バサッ}
「・・・。」
{バサッ バサッ}
「・・・。」
{バサッ・・・・}
「フシュー・・・フシュー・・・」
「・・・申し訳無いのですが、重量オーバーのようです。やはりチキウのニンギンは・・・特殊ですね。」
ーうーん、そう言えば僕の体重、ドラコよりも重かったような・・・。
こうして僕は空を飛ぶことを諦め、徒歩で追いかけることになった。
なんかふとツバサの日本国編を思い出した。