フリア
気付かぬうちに、背後を取られたレイラ。
背後を取った男は、嘲笑うような、呆れたような声で言う。
「バカな女だ。『この空気』の中、護衛もなしとはな」
「…………」
『この空気』とは、数日前から続いている『嫌な気配』のことか。
わざわざそのワードを使うということは、発生源はこの男か。それとも、この男の仲間……
「……いや、ストーカーはいんのか。これも聞いてたとおりだ」
「!?」
ちょっと待て。
(ストーカー!?聞いたとおり……?)
自分の癖を知っている、ということか。
レイラは悩みがピークに達すると、護衛も付けず、一人で出かけることがあった。
それは、城の人間や騎士団本部の人間が知っていることだ。当然、それを快く思っている者はいない。
国王の娘を一人でウロウロさせるなど、普通ではない。
しかも、これは『あの日』以前の話。以降も、それは変わらずだ。王都にいる時間が極端に少なくなったし、むしろ王都内を一人で出歩く方が安全だとの見方もあったが。
(ですが、こうして背後を取られている事実……)
変装しているし、人目も多いしで、マジで油断していた。
ストレスで判断能力が鈍っているらしい。
(いえ、そんなことより、ストーカーって……)
そうだ。様々な考えが浮かんでは消えていくが、まず脳の容量の多くを占めているのは、ストーカーという言葉である。
もう、それが気になり過ぎて、思考回路が鈍っている。
嫌な気配に紛れていた?でも、本当にストーカーなら、屋外構わずついてきそうなものだ。だが、外で気配を感じた記憶はないし、誰も何も言わなかった。
漠然とした気配ならばリゼルも何も言わないだろうが、ストーカーという「人間」がいるなら別だ。
彼をも欺くストーカー……?
別の意味でも嫌な汗が流れる。が、男は気にせず続ける。
「現国王のレイラだな」
「…………」
返答で声を出すのは良いのだろうか。
なるべく刺激しないようにするため、レイラは頷きで返答した。
「俺はグランズに用がある。どこにいる?」
「っ……」
レイラは首を横に振る。
以前として行方不明のままだ。
「……嘘をつくな。隠したって無駄だ」
背中に当てられている刃物が衣服を押す。緊張で汗の量が増える。
点在したそれらは合体し、頬を伝う。そして、乾いた大地を濡らしていく。
(本当に知らない……)
訳が分からない。少なくとも、自分は今でも行方不明だと思っている。
だが、生きているのかさえ不明だ。あの爆発の中心にいたのだから。
死体こそ出てこなかったが、期待している事実としては、それだけだ。
「死体が出ていない=生きている」の判断である。
レイラは首を横に振ることしかできない。
「往生際の悪いやつだ。お前を殺せば、グランズは出てくるかもな」
ぐぐ、と背中に感じる圧が強くなる。
心臓がうるさい。自分は死ぬのか。自分の死体を城に持って行ったとしても、グランズは見つからないはずだ。
つまり、意味のない死。
「……ち」
背中に感じる圧が感じられなくなる。ナイフが背中から離れたようだ。
「……お前に恨みはない。それに、あいつがいないのは本当らしいな。これも『あいつ』の言うとおりか」
「あいつ……?」
ナイフが背中から離れ、少し気が抜けたレイラは、ついその言葉に引っかかって声を出してしまう。
が、男はそれには答えず、声を張る。
「おい、そこの茂みにいる奴!出てこい」
「!!」
バレた。
護衛はいないが、監視はついている。レイラ自身はそれを拒んだが、彼は強くそれを願い出た。何なら、離れた位置から勝手に付いてくる、とも。そこまで言われてしまえば、彼女は折れるしかない。
レイラは目を閉じ、俯く。
(リゼル……)
草を踏みしめる音、木々をかき分ける音を立て、監視の任務に就いていたリゼルは現れた。
男の視線が逸れたスキに、レイラはその場を離れ、リゼルの脇に立つ。見す見す逃したのを考えると、自分は本当にターゲットではないらしい。
「貴様……」
レイラにナイフを突き付けていた男は、20歳くらいの若者だった。
真黒なジャケット、白いカッターシャツ、黒のパンツに、黒のブーツ。
髪も黒く、背中上半分くらいまで伸ばしていた。
「本部に連絡済みだ。諦めろ」
先ほど彼が手を出さなかったのは、出ていく速度と、ナイフが自分を刺す速度を天秤にかけ、手を出さない方が安全と判断したからだ。
「主がピンチでも出てこないんだな。シンプルにビビっちまったか?」
「黙れ。殺気を出してから言え」
「!」
レイラも不思議だった。
自分で言うのもアレだが、自分の命が危険にさらされた場合、彼は反射的に動きそうだ。
しかし、そうはならなかった。これは、リゼルは殺気を感じていなかったということ。
レイラ自身、嫌な気配をバチバチに感じているため、「殺す気がある」とビビっていたが、実際は違うらしい。
男は人差し指で額をかいた。わざとらしい演技が鼻につく。
「あ~らら。その辺の判別もできんのか。この『ストーカー』は」
速攻で判明したが、男の言うストーカーは、リゼルのことだった。
つまり、リゼルの情報も、相手に知られているということ。
「貴様の気配が雑なだけだ」
「あ、そ」
自分で振っておきながら、興味なさそうに言う。
場は緊迫しているが、この男だけ緊張感がない。騒いでいる・緊張しているのは周りだけ。
そんな空気感だ。
異様な雰囲気の男に、リゼルは臆さず質問をぶつけていく。
「……何が目的だ?」
「調べもの」
「何を調べていた」
「グランズの行方」
「!」
男は黙秘することなく、彼の質問に答えていく。嘘かも、と頭を過るが、それを確認する術はない。
彼の表情に、一切変化はない。監視役の人間に見つかったことも、今こうして情報を引き出されていることに対しても、無反応だ。
「……お前は、何者だ?」
「俺か?」
「他に誰がいる」
「本当に、俺か?」
リゼルは眉をピクリと動かす。
男が言う言葉を、そのまま受け取ってはいけない気がしたためだ。
案の定、男は追加で挑発した。
「騎士団のクセに、知らねぇのか?」
「「!!」」
これが意味するのは、シンプルに『犯罪者』なのか、『騎士団にとっての有名人』なのか、『国と敵対するグループ』なのか……
レイラもリゼルも騎士団歴は長いが、こんな特徴まみれの男、忘れる訳ないと思うのだが……
何も答えない二人を見て、男は大げさにため息をつく。
「……埒が明かねぇな。俺はフリアだ」
「フリア……」
やはり、聞き覚えがない。ファミリーネームも聞き出そうと思ったが、答えるだろうか。
知識不足故に、いつフリアが爆発するかも分からない。名前の話題からは外れら方が良いかもしれない。
そう判断したリゼルは、別の質問を投げかける。
「貴様、どこから来た?」
これほどまでの龍力者。
今までどこで鳴りを潜めていたのか。
ニィ、とフリアは嗤う。
「俺の名前も知らねぇくせに、これ以上意味があるのか?ボク?」
「ち……」
ボク、と子バカにされ、リゼルの顔が怒りで歪む。
表情の変化が少ない彼だが、明らかに怒っている。
「何なら、これも『騎士団なのに知らねぇのか?』って話だぜ。いや、騎士団だから知らねぇのか?」
「……?」
フリアの中で自己完結してしまいそうな流れ。
彼の名前も出身(?)も、騎士団なら常識という認識だったが、現実は違った。
寧ろ、騎士団だから知らない。これは、『四聖龍』の情報に近しい『何か』があるのか。
「あ~~、頑張ったボクにはもうちょっと言ってやるか。正確には、言うな、と言われてる」
割と素直に答えてきたと思ったが、何故そこだけ?
無意味な煽りなのか、騎士団の情報網が薄いのか。
無駄と思いながらも、リゼルは口を開く。
「……誰に?」
「ヒューズ」
これは答えるのか。ただ、案の定知らない名前だ。
彼がここで咄嗟に思い付いた名前の可能性も捨てきれない。あまり鵜呑みにはできないが、今までの応答からして、フリアの前では『ヒューズ』と名乗っているのは本当な気がする。
「さて、そろそろ俺は帰るか」
両手を頭の後ろで組み、何事もなかったかのように去ろうとするフリア。
当然、見過ごすわけにはいかない。
「……させると思うか?」
リゼルは剣を構える。
その瞬間、フリアと名乗る男の雰囲気が変わった。
去ろうとした足が止まり、少しだけ振り返る。そして、低い声で言い放つ。
「……できると思うか?」
その直後。
公園全体を包み込む殺気が放出された。
「「ッ!!」」
先ほどまでの漠然とした嫌な気配とは質が違う。龍力者でなくとも分かるだろう。
異様な空気に、子供たちは泣き出し、親たちは恐怖でその場でしゃがみ込み、震えだす。
生命の危険を察知したのか、鳥たちが一斉に飛び立った。
マズい。非常にマズい。
レイラは思わず叫ぶ。
「逃げて!!」
その声に人々はハッとし、周囲の人を引き連れて逃げていく。
公園に残されたのは、レイラ、リゼル、フリアの三人だけとなった。
殺気渦巻く空間の中、龍力者同士は睨み合う。




