―暗い男―
クラストはその日のことを、何とか思い出しながら教えてくれた。
「念を押すようでアレだが、二週間も前の話だ。覚えている範囲で良いか」
「もちろんです。少しでも構いません」
「分かった。ここがおれの水汲み場ってのは話したな?で、あの日もここに通ったんだ。そこで、あいつに会った」
クラストは、日課の水汲みに出かけていた。
歩いて五分もかからない。道中の魔物はついでに倒す。
いつもの変わらない日常だった。
彼に会うまでは。
クラストが水辺に着くと、一人の(成人していそうな)男が水場の脇に座っていた。
男の前には、薪代わりの流木が置かれていた。
(珍しいな。人が来るとは)
男とも目が合い、お互いの存在を確認した。
「……そうだ。普段は人なんかこないから、そこは印象に残ってる。」
「そうなんですね」
「あぁ。けど、お互い用もない。会話なんかその時はなかったんだが……」
そう。初対面同士で、用もない。
コミュニケーションに自信がないわけではないが、初対面でずかずかと会話できる程能力は高くない。
「どっこいしょ……」
クラストは、いつも通りの水汲み作業を開始した。
桶からタンクに移すだけの単純作業。見ていなくてもできる。
そのため、実は少し気になっていた座っている男へと視線は向いていた。
最初は気付かなかったが、よく見れば大きなリュックにカバン数個。大荷物だ。
彼は流木に火を付け、焚火を始める。
旅路の休憩中なのか。こんな辺鄙な場所までご苦労さん。
クラストは視線は向いていながらも、黙々と作業を続けていた。
次に、彼はカバンを探っている。
「…………」
食事の用意でもするのか、と思っていたが、彼はカバンから数冊のノートを取り出した。
それを捲りながら後、目を細めて考え込む。
ページを捲るスピードは非常にゆっくりで、一ページ一ページ噛み締めているようにも見えた。
彼は一通りのノートに目を通していた。
普段なら「勉強熱心な若者だ」と気にも留めないのだが、彼の様子は「普通」じゃなかった。
とにかく、暗い。どことなく闇を感じる暗さだ。
笑えば好青年なのだろうが、彼は無表情でその作業に明け暮れていた。
そして、カバンから取り出した最後のノートが終わった。
次の瞬間、男はそれを破った。
「!!」
「くそ……」
流石に一気に数冊いくのは無理があったのか、悪態をつきながら、破る冊数を分けていた。
(おいおい、マジか……)
クラストは手を止め、そちらに気を取られてしまう。
破ったページの欠片を、全て焚火に突っ込んでいく男。
その間も無表情だ。心なしか寂しそうにも見えはするが、顔の筋肉はピクリとも動いていない。
ノートは、自分の勉学の記録。足跡。努力の結晶だ。
それを破り捨て、処分してしまうとは。
不要となって紙ゴミとして処分することはあっても、破いて焼き捨てるのは考えにくい。
(なぜ……だ……?)
お節介だと分かっていながらも、クラストは放っておけなかった。
紙ゴミに出せばいい。その方が、圧倒的に楽だし、環境に良い。
だが、その男はわざわざ薪を集め、燃やすという選択をした。
「なぁ、にーちゃん」
「…………」
再び男と目が合う。
改めて顔を見ると、真面目そうな顔だ。ノートを見てしまった先入観もあるが、頭が良さそうにも見える。
「それ……燃やしちまったのか……?」
クラストは屈み、風で火から逃れた切れ端を一枚拾った。
綺麗な字だ。赤ペンも使われており、丁寧に勉強した形跡がある。
これは……
「龍魂の資料だな」
「……僕には必要なくなったので」
男は無表情を崩し、笑いかける。しかし、無理して笑っているのがバレバレだ。
益々放っておけない。
「……何か、あったのか?」
龍魂の試験日は、まだまだ先だ。この時期に投げ出すのは珍しいが。
「いえ……別に……」
何もないのにノートは燃やさないだろう。
が、初対面だからだろうか。喋りにくいのも理解できる。
「おれはクラスト。お前は?」
「自分は……スレイと言います」
「その荷物……お前、もうどっか行っちまうんだろ」
「…………」
スレイは視線を荷物に移す。
龍魂の勉強を諦めた自分に残された荷物。部屋を引き払ったときに残った、最低限の荷物だ。
今の自分に必要なものは、これだけだ。
龍魂についての分厚い本は、勉強仲間にあげたり、図書館に寄付したりした。
ノートは、処分しようと思って持ってきていた。空になったカバンも、もう必要ない。
「えぇ、まぁ……」
「……だったら、話してくれ。俺はここの人間だ。どうせ二度と会うことはない。後腐れないだろ」
「え……」
「オッサンのお節介だよ。これでも、龍魂関連で心が折れた人間を山ほど見てる。ほっとけるか」
そこまで言うと、スレイの瞳から一筋の雫が流れた。
一人で抱え込んでいた人間の涙だ。そこに男女も年齢もない。
感情は、人間の表現なのだから。