ー半暴走の果てー
グレゴリーは去り、一応の危機は去った。しかし、マリナの様子はおかしいままだ。
彼女が動かなくなり、轟音に満たされていた戦場は静寂へと移行する。先程とは打って変わって、風の音や木々のざわめきの音が支配していた。
「…………」
戦いは終わった。それなのに、手放しで喜ぶことはできない。
根拠はないが、嫌な予感。それは、大抵当たる。
「おい、大丈夫か」
リゼルはよろよろと立ち上がり、マリナに近づいていく。
彼女から感じる龍。それは治まっている。背後から見ている分には、ただの棒立ち。
が、正面はどうだろうか……
「ッ!」
予想通り。彼女の顔は引きつっており、瞳は龍のように鋭い色を残している。人間の瞳ではなく、龍の瞳。
戦いの最中に見せていた、半暴走状態と変わりないのだ。
龍力が落ち着いているのに、この状態。何が起きるか、本当に分からない。
(どうすればいい……)
こういう場合、どうするべきなのか。リゼルの経験で答えは出せなかった。
マリナの前で呆然としていることしかできない。
「……きゃ……めな……」
近づいて分かったが、なにやらブツブツ呟いている。口は閉じられることなく、絶え間なく動いている。
龍の瞳のまま、遠くを見つめている。首が伸び、視線は非常に高い。
両手の指は全て開き、過伸展している。指先まで力が入っている証拠だ。
彼女の声を聞き、リゼルは判断を下した。マリナの意思が残っているなら、可能性はある。
「……おい、しっかりしろ!」
リゼルは肩を掴む。その勢いで肩が前後し、首、髪が揺れる。
だが、マリナはそれに気付かないのか、つぶやきを止めない。
「……静め……静めなきゃ……」
やっと聞き取れた。
自身の中で、興奮している龍を鎮めようとしているらしい。彼女の努力で、今は表に影響は出ていないのか。
しかし、そのシーソーゲームにマリナは負けている様子。
(これは……)
彼女の呼吸が荒い。衣服の上からでも分かるほどに、体温も高い。
戦闘は終わったのに、彼女の中での戦いは終わっていない様子だ。
と、その瞬間。
バチン!と彼女の眼前で稲妻が弾けた。
解放される雷龍のオーラ。迸る稲妻。ダルトの再来だ。
「!!」
リゼルは咄嗟に距離を取り、戦闘態勢に入る。
「…………」
無意識に剣に手を添えるが、そこで止まる。
剣に視線を落とす。
(……刺激はさせない方が良い……か)
彼女は暴走状態の時、数え切れないほどに剣を向けられている。仕方なかったとはいえ、彼女から見れば、恐怖でしかなかったはずだ。
また、レイラの話を聞く限り、『敵意・悪意』を自動察知し、攻撃をしていたと。
その事情を知った上で、彼女にまた剣を向けるのは、ダルトの時と変わっていない。成長できていない。
すぐに考えなおし、剣から手を離す。龍力も発動させていない。
生身のまま、再度近づく。そして、両肩を持ち、マリナを揺らす。
雷龍のオーラや稲妻で手に激痛が走るが、関係ない。彼は声を張る。
「おい、聞こえるか!?戻ってこい!」
「……静めなきゃ……静めなきゃ……」
マリナは揺らされながらも同じ言葉を繰り替えす。
外ハネした髪が激しく右左に揺れる。
「おい、しっかりしろ、戻ってこい!終わったんだ!」
ふ、と前髪の隙間から、マリナと目が合う。その瞳は、すでに龍のそれだった。
その瞬間、龍の力が解放された。
「あぁぁぁぁぁぁあ!」
「くッ!!」
リゼルは吹き飛ばされ、木にぶつかる。その衝撃で、先ほど処置した傷が開いてしまった。
「ッツ……!!」
マリナはマリナで、龍力を解放したまま叫んでいる。
「あぁぁぁぁぁあ!!」
そのまま数十秒、龍力を解放しながら叫び続けた。
よくよく聞けば、彼女自身の声に、龍の咆哮が混ざっているのが分かった。
半暴走状態どころか、完全暴走状態一歩手前である。
「ぐ……」
耳を刺すような咆哮、傷口の痛みに耐えながら、リゼルは顔を上げる。
(ぼく……は……あ……あきらめない……)
ダルトで救えなかった心残り。
レイラに頼られなかった心残り。
彼女とレイズだけが見抜けた、マリナの心の悲鳴。
自分の強さに驕っていた愚かさ。
後悔が、頭の中を巡っては消えていく。
「マリ、ナ……待ってろ……」
リゼルは大して回復していない龍力を発動させる。
流石に、あの雷の中を突き進めるほど強くないからだ。が、極力『敵意・悪意』を混ぜないよう、クリアな龍力を心掛けている。
この龍は、マリナに向けるものではない。自分を守るためのもの。攻撃性はない、と。
そして、意を決し、雷の中へと歩を進める。
雷は落ちてこなかったが、相手の龍力オーラ・稲妻の範囲内に入る必要がある。
「……!!」
歩みを進めた瞬間、激痛が全てを支配した。
この程度の龍力では、あの龍力を防ぐことはできない。
だが、その中心にいる彼女は、もっと苦しいはずだ。
「ぁぁぁぁぁぁ……」
息が続かなかったのか、咆哮は尻すぼみとなっていく。
しかし、龍力は衰えない。
「く……!」
皮膚が焼かれ、身体が麻痺していく。
だが、リゼルは止まらない。
止める策があるわけではない。
止める力があるわけでもない。
完全に無策。
それでも、ここで力尽きるのは、自分が許せない。
同年代男性よりは華奢な身体。その身体を引きずり、進む。
一歩、一歩を確実に。
「…………」
そして、遂に放雷の中心部に到達するリゼル。
そこで、彼は再度肩を掴む。接触している自分の手の龍力は、ゼロに落とした。
自身の龍力オーラが消え、雷と稲妻の攻撃が直に刺さる。が、彼は手の龍力をゼロにしたまま、喉から声を押し出した。
「何、度でも……いう……戻って、こい……!!」
「ぁ……ぁ……」
「戻って……こい……おまえ……は……」
龍力による保護がない手から血が噴き出す。
ヤバい。本当に、ヤバい。しかし、手は離さない。
「マリナ……」
「ぁ……」
「じりきで、ッ……!ここまで……(進化したのは)マリナ……ライフォード……オマえ、だろうが……!」
伝えたかった全てのことは言えなかったが、彼女の名を心の底から口に乗せたリゼル。
「ぁ……あたしは……ッ」
その瞬間、マリナの龍力が糸が切れたよう切れた。
放雷も当然止まり、周囲に静寂が訪れる。
「ふ……よく、もどっ、た……」
マリナが戻った。
リゼルは心底安心し、気が抜ける。それと同時に全身の力が抜け、その場に倒れてしまう。
抉れた大地。荒れた木々や草花。騎士団員の血。転がっている人間たち。
激しい戦闘だったことを物語っている。
それでも、勝った。
完全勝利とはいかなかったが、この戦いを生き抜くことができた。
騎士団は、たった一人のエラー龍力者に感謝するだろう。
女王レイラを救い、騎士団員をも救った。
彼女を、エラー龍力者として毛嫌いする人間は、いなくなる。