転生して16年。その腕は何度でも私を救う。
15歳になってからは、それまでの生活とは打って変わって、忙しさで目が回りそうだった。
デビューの日取りは陛下からのご命令により、王家主催のパーティーの日程でと、1年以上前から決まり、それに合わせたドレスだの靴だの装飾品だのの準備が始まり。
デビュー後の私の身の振り方についての入念な打ち合わせが必要と言われ、初期段階ではダリと、その後は普段お会いしないコーウェル家に連なる奥様方、更には妃殿下とまでお茶をする羽目になった。
デビュー前なのに、これほどハードなお方とのお茶会をするなんてと思ったが、それもこれも、私がパッチワークで収入を得るために必要な事だった。
私の刺繍やパッチワークは、元を辿れば陛下がファン第一号でいらっしゃった。それを通じての、妃殿下のお部屋へパッチワークが届いたのである。
その為、王家の皆様はこぞって私の作品の後押しをしてくださるとおっしゃるのである。
確かに、王家御用達ともなれば安泰だ。
それに、陛下は転生者のこうした独創的な技術をそれこそ積極的に取り入れたいと思っていらっしゃるのだとか。
デビューしてからしばらくは自分で作品を作り、依頼があれば売る形とし、技術を高く売るべきという事になったのだった。
そして、徐々にその技法を世に広めて欲しいと言われたが、私はできればこれらを孤児院の子供達に教えたいと陛下や妃殿下にはお伝えした。
デビューした令嬢や、貴婦人の仕事の一貫として、奉仕活動があると聞いている。寄付だけ行う家もあれば、刺繍や編み物を教え、道具を揃えるような家もあると。
今、ダリの所には私しか女性はいないから、最低限の寄付しか行っていないと…そう聞いた。であるなら、売り物は売り物として、私自身は価値ある一点物に集中し、技術を広めるのは、孤児院の子供達でも良いと思ったのだ。
それはいつか彼らの稼ぎになり、大人になった時の就職口にも繋がる。
幼い私が兄に言ったらしい、領民を守るのが貴族の役目 という物を、私も実践する年になったのだ。
お屋敷と王城の往復という生活は、以前と変わらないものだったけれど、刻一刻とその日が近づき、忙しさはいや増した。
合間に刺繍やレース編み、パッチワークなどしなければならない事もあって、本当に目まぐるしかった。
「はー久しぶりの予定のない日だぁー」
私は自室の庭で、椅子に深く座り深く息を吸って吐いた。
こんなにも連日人と会い、打ち合わせやお茶会をする日々ははじめてで、そろそろ爆発寸前だった。
もう今日は何もするものか!と、思うも、1人で庭にいると徐々に手持ちぶさたになってくる。
人というのは難儀なものだ。
30分程は意地で椅子に座ってぼんやりしていたが、結局ダメだった。気になる。時間があるのだ。それならば、少しでも針をさすべきな気がしてしまう。
「今日は何もしなくていい日じゃなかったか?」
お昼前、珍しくも私の部屋にダリがやって来て、私の仕事ぶりを見て大層笑った。
「ダリ、仕事は?」
「途中で陛下に帰されてな。」
「えっ病気!?」
「何でそうなる。」
「だって…」
「ドレスがひとまず出来上がったんだ、お前に見せてこいと追い出された。全く…ドレスなら夜でも良いだろうに。」
「そうね。夜でいいのに…ごめんね。ダリ」
どうも王家のみなさんは、私に甘くてダリに申し訳ない。
「試着してくるね。」
「あぁ、たのむ。」
けど、こうして帰ってきてくれるのは嬉しくて。自分勝手な私だ。
別室でコルセットとドレス、靴のセットを着せてもらい、鏡の前でチェックする。
髪型がこれでは様にならないかなと、毛先をいじっていると心得ていた侍女頭さんがすっと私の髪をサイドに結いあげ、片側だけに垂らす形にしてくれた。
「ありがとう。」
私は笑ってお礼をいうと、ダリのところへと急いで戻る。居間でゆっくりしていると聞き、そちらへと向かう。扉を開けば、ソファーに沈み込んでいる後頭部が見えた。
ふふふと忍び笑いと一緒に忍び足で近づき、こっそりと両手を伸ばした。目隠しをして驚かそうと思ったのだ。
けれど、私の手は届くことなく。
目の前で起こったことがよくわからなかった。
気づいたときには、ダリに両手を拘束されて、ソファーの背もたれに背中を反らす形で押さえつけられていた。
あまりの急な出来事に、目を丸くしてダリを見上げることしかできない。ダリも、ずいぶん驚いている。
「……」
「……」
しばしの沈黙の後、ふーーと、深いため息をつきながら、ダリはゆっくりと腕を離し、私を起こしてくれた。
「突然変な悪戯をしないでくれ。心臓に悪い。」
「私も、ダリがそんなに過剰に反応すると思っていなかったもので。すみません。」
ドレスと髪の乱れをチェックし、顔をあげると、ダリは気まずげな顔でそっぽを向いている。
「どうかしましたか?ダリ」
「いや、なんでも。」
「そうです?それよりドレスはどうでしょう?似合いますか?」
一歩二歩と後ろに下がって、ダリに背中も見せ、また正面を向く。
が、ダリはまたそっぽ向いててきちんとまっすぐ見てくれていない。
「いいんじゃないか。」
「ダリ、見てないじゃない。」
「見てる。」
「ちゃんと、見てください。」
言葉を重ねるとやっと、ダリはまっすぐ私に顔を向けた。
「似合うよ。お前にぴったりだ。」
「良かった。」
「髪型は…それで行くのか?」
「髪ですか?いえ、これは急遽上げていただいたんです。まだ髪型は決めてませんよ。」
「なら、髪は全部あげずに残った髪は下ろす形にしろ。」
「珍しい。こういうことは口を出さないタイプと思っていました。」
「普段なら、言わないが。今回は肩が出てるから…」
またそっぽを向くダリ。
肩…と、言われた自分の肩をそっと撫でる。両肩むき出しで、二の腕辺りだけ布があるので、うなじがきれいに見えるわよと、妃殿下一押しだったのだけれど…
「わかったわ。当日は髪を巻いてまとめてから下ろす形にするわ。」
「そうしろ。それに合わせた髪どめを用意しておく。ネックレスとイヤリングも。」
「至れり尽くせりね。」
「一生に一度の大事な日だからな。」
ダリにそういわれると、とてもくすぐったい。
楽しくなってきてふふふと笑うと、ダリは一度手を伸ばそうとしてやめてしまった。
「ダリ?」
「いや、綺麗にしているのが崩れるのはどうかと思っただけだ。」
「ちょっとくらい撫でてくれても大丈夫よ。すぐ着替えるのだし。」
「そうか。」
にこにこと見上げると。ダリは観念したように私の頭を2度、ポンポンとして微笑んだ。
「大人になるのはあっという間なんだな。」
「気が早いわ。」
「どうせ、すぐ当日になるさ。もうこんな事もできなくなる。」
私は笑顔で固まった。
ひどく、胸が痛い。
「寸法は直前でまた見るから良いが、デザインはこれで良さそうだな。何かあれば早い内に言うんだぞ。」
「え、えぇ。」
「じゃあ、仕事に戻るから。また夜に帰る。」
パタンと閉じる扉。
私は手を振ってその背を見送った。
ドレスを脱いで、髪を解いて、私は部屋に一人籠った。
なんでこんなに動揺しているのかと、自分でも不思議になる。
ダリはただ、大人の女性に、子供のような対応はできないと、そういっただけなのに。
ぐずぐずとなる胸を押さえ込もうと、クッションを抱き締め、ソファーの上で丸くなり小さな嗚咽を私はもらした。
ダリのいう通り、デビューの日はあっという間に来た。
相変わらず忙しくしていた私は、1週間前に針仕事禁止令を侍女頭さんに出され、全身…とりわけ、指先のお手入れを丹念にされた。
髪型は約束した通りの形にし、ダリが用意してくれたアクセサリーをつけ、全身が完成する。
むき出しだった鎖骨は、金属と石が放射状に広がるネックレスで綺麗に隠れている。イヤリングは髪に絡まないようにと大ぶりの石が一つだけ耳たぶに乗っている。
一つ一つを丁寧に整え終わると、私は部屋を出てダリの待っている玄関ホールへ向かった。2階からホールを見下ろせば、髪を整え、正装を着込んだ姿。
「ダリ」
声をけると、ダリは視線をあげ、目を大きく開いた後、それは柔らかく笑った。
「タータ…すごいな。」
すごい?と、疑問符を浮かべつつ、私は階段を降り、ダリの前に立つ。ヒールでいつもより少しだけダリとの距離が近い。
「とても綺麗だ。」
「ありがとう。」
「無事、この日が迎えられて良かった。」
「ダリのお陰だよ。」
「まぁ、緊張するだろうが、頑張れ。隣にいてやるから。」
「うん。よろしくね。」
私たちはいつもと違う距離で、腕を組み、屋敷を出た。
王家主催のパーティーは、当たり前だけど王城の一角で行われる。いつもの道行きだけど、馬車の停まる門はいつもと違う場所。
磨きあげられた床と、キラキラと光るシャンデリアに、笑いさざめく色とりどりの正装に身を包んだ人々。王家主催とあって、とても人数が多くていっそ意識を失いたいと何度も思ったが何とか踏ん張り、陛下のご紹介により、無事私は社交界デビューした。
挨拶は何度も練習した通りにできたし、にこりと微笑むことも忘れなかった。
壇上から下がり、ダリの手をとると、こっそりとダリが私に 頑張ったな。 と、耳打ちしてくれた。
そして、ダリとダンスをした後は挨拶周り。
基本はダリの知り合いや懇意にしているお家の方で、その方々を通して紹介される若い男女とそつなく言葉を交わし、会場を一周した頃にはぐったりだった。
「飲み物を取ってこよう。この控え室で待ってるといい。」
ダリが取りに行かなくてもと思いつつ、ありがたく私は部屋で待つことにした。
ヒールの靴って大変。あぁ、化粧と髪は大丈夫かな。
控え室の壁にかかっていた鏡をそっとのぞき込み、顔と髪をチェックし、イヤリングを落としてないかとか、ネックレスはねじれてないか等もよく見ておく。
と、背後に人が現れた。
「ダリ?」
振り返ると…
「え?…だれ?」
知らない青年が立っていた。青年は酷く厳しい形相で私を睨みつけており、私は怖くなって後ずさるが、当たり前だけどすぐに壁に踵がぶつかってしまう。
「お前…お前のせいで、僕は大変な目にあったというのに…お前は、王家という後ろ楯を得て華々しくデビューだと…」
「私のせい?あの、人違いでは?」
「忘れたとでもいう気か?俺たちは婚約者だろう?」
ダリ――もと婚約者のダリエスだ。
私は、口許をとっさにおさえ、身をすくめた。
「愚鈍なお前でも思い出せたか。タータ」
歪んだ笑いを口に引いて、ダリエスは私に大股に近づいてきた。逃げ場のない私はただ、壁づたいに横へと逃げたが無意味で、その手がきつく私の手を掴み、強引に部屋から私を引きずり出す。
どこへ連れて行こうというのか、何をしようというのか、何もわからずただただ恐怖で歯の根が合わず、声も出ず、できたのは非力な足で踏ん張って些細な抵抗を試みることだけ。
それが何一つ意味を持たないことなど、ただの少女の自分が一番よくわかっている。
あっという間に別の区画の廊下に引きずられ、ある扉の前で、ダリエスは意味ありげに下品な笑いを私に向けてきた。
「ここがどこかわからないみたいだな。」
「……」
「なんにも知らないタータ。教えてやるよ。ここは、パーティーでであった恋人のための部屋だよ。」
「!」
真っ青な顔を更に強ばらせる私にダリエスは満足そうににやにやと笑い、見下ろしてくる。
私を掴んでる手と逆の手が、扉を開く。
真っ暗な部屋が、絶望そのもののようにそこにぱっくりと口を開いて待ってるようで、張り付いた喉で必死に声を絞り出す。
「い…い、やっ…」
「逃がすかよ。お前の婚約者が誰だったか、よく思い出させてやるよ。」
再度引かれる腕。
私は、これまで以上に必死に抵抗を試みるも、怖くて怖くて手足がうまく動かない。何より、力の差が歴然で、ずるずると部屋へと引っ張りこまれていく。
嫌だ。こんなの嫌だ。
私を掴んでいる手。私は咄嗟にその手にしがみつき、噛みついた。
「なっ!」
ダリエスは咄嗟にその手を振り払い、私の腕を解放した。それに乗じて駆け出す私。
ヒールが邪魔で、脱ぎ捨て、スカートを持ち上げかける。
男性の足に勝てるはずはないとわかっている。わかっているけど、それでも、無抵抗のまま従うわけにはいかなかった。
何とか記憶を頼りにかける廊下。
すぐ後ろまで足音が迫ってくる。
怖い。怖い。怖い。
あの廊下を曲がった先の区画、あそこに戻らなきゃ。
必死に片手を伸ばし、角を曲がる直前。私の体は進行方向とは逆側に力が働き、ガクンと上体が揺れた。
二の腕を痛いほどに捕まれている。怖くて後ろを見ることができない。
「よくも僕の手に…」
絞り出される憎々しげな声。
もうだめだ。そう思った。
「そこのお前、うちの娘に何をしている?」
絶望に目の前が真っ暗になりそうだったところへ、ピンと張った声が響いた。
声は、私の目の前からで、信じられない思いで顔を上げれば、少しだけ乱れた正装姿のダリが目の前にいた。
「娘?これは、私の婚約者ですよ。」
「これ…?」
ダリの顔は無表情なのに、みるみるうちに見えない気迫のようなものが膨れ上がるのが感じられた。
「貴様、人の娘に失礼だとは思わないのか。その口を縫い合わせ、手足を潰して使い物にできなくしてやりたい程の暴言と、態度だな。」
と、私を抱き込みながら、ダリエスの手を私から引き剥がし、その手首をきつく握りしめるダリ。
ダリエスは途端悲鳴をあげ、離せと大声を上げる。どれ程の力で握りしめたのか。ダリの腕の中でその様子を暫し見ていたが、ダリがそっと私の頭を抱き込んできたから、私は周囲の様子がなにも見えなくなった。
その騒ぎを聞き付けた警備が、慌ただしくこちらへかけてくる音が聞こえ、恐らくは、ダリエスを引っ立てていったのだろう。
さわるな!やめろ!と、騒ぐ声が遠ざかり、ダリが、残る警備に簡単に事情を伝えると、詳しくはまた後日と警備へ言い残し、私をすいっと抱き上げたのだった。
次で最後。