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Ordinary Days  作者: 早瀬 薫
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第五章

 僕達の通う高校は国立大学に隣接していて、陸軍の師範学校の跡地に出来たものである。校庭の他に、中庭、裏庭があり、敷地面積はかなり広く恵まれた環境にあった。特に裏庭には種々の木々が立ち並び、小さな森を形成していた。まさに小鳥達の格好の塒である。今では使われてはいないものの、大理石で出来た円形の噴水が庭園の中心にあり、その昔、ここがいかに優美な憩いの場であったか容易に想像出来た。その噴水の回りには人が腰掛けるのに都合の良いサイズの幅の縁があり、外で読書したり弁当を食べたりするにはもってこいの場所だった。人間にとって居心地の良い場所というのは、動物にとっても居心地の良い場所らしく、裏庭を基点として校内にはいつも野良犬や野良猫が群雄割拠していた。彼らは別に授業の邪魔をする訳でも無いので、大抵の場合は見て見ぬふりされていたが、教室の中にまで入り込んで生徒と大騒ぎしている時は、さすがに先生達も「しっ、しっ」と声を張り上げ追い出している始末だった。

 ある日の放課後、校内で小夜子とすれ違った時、彼女の頬にかなり目立つ掻き傷があるのに気付いた。教室の掃除を済ませ、いつものように自転車で図書館に向かっていたら、また、いつものように小夜子に追い越されて、図書館の前で彼女と対峙するはめになった。だがしかし、今日も僕は、はらわたが煮えくり返りながらも、いかにもそんなことは大したことではないというフリをしてみせ、淡々と自転車を自転車置き場に整列させた。そして今日学校で見かけてすでに気付いていたというのに、たった今気付いたとでもいう風に、彼女の顔の傷をまじまじと見ながら言った。 

「お前、もしかしてあの子猫、追い掛け回したんだろ」

「違う、子猫じゃない。茶虎のボス」

「ばっかじゃないの?」

「だって、可愛いじゃん。学校中の野良猫の中で断トツのブサイクさが、私の琴線に触れるのよ。耳も尻尾も短くて、おまけに足も太くて短いでしょ。あんな気の毒な猫、彼くらいだよ。他のはもっとシュッとしてるよ。それに結構、私に懐いているよ」

「なのに引っ掻かれたわけ?」

「うん」

「懲りない奴だな。この間も野良犬に噛まれてたしな」

「あれは、ポチがお腹空きすぎて機嫌悪かったんだよ。いつもは私にお手してくれるんだから」

「お前、野良犬にお手を教えてるのか?」

「うん」

「呆れた奴だな。腹が空いて飢えまくってるときに、お手させられて、待てとか言われると、そりゃ誰だって噛みつきたくなるだろう。鎖で繋がれてるなら、身動き取れないだろうけど」

「あ、そっか」

「たまには野良犬の気持ちになって考えるべき」

「はぁ、確かに。それより、ねえ、あそこ見て。白犬がいるよ」

 小夜子が指さす方に目をやると、白い犬が図書館の裏手にあるカフェのゴミ置き場を物色していた。首輪を付けていないので、おそらくこの犬も野良犬らしい。

「可哀相に。こんな所にいると、保健所に持って行かれるかもな」

と言った途端、その野良犬がこちらを振り返り、と同時に二人で大爆笑した。その白い犬の顔にマジックで真っ黒な眉毛が書かれていたからである。それは、まるで犬版イモトアヤコの様相を呈していた。誰がこんな酷いことしたんだと言いつつ、白い顔に真っ黒な眉毛というあまりにもくっきりしたコントラストのせいで滑稽さが倍増し、二人とも笑いが止まらなかった。

「ねえ、この犬、学校に連れて行こうよ」

と小夜子が途方もないことを言った。

「え?」

「だから、このままじゃ可哀相だから」

 僕はまた、大きくため息を吐いたが、小夜子がこのまま引き下がる筈が無く、嫌がる白犬を自転車の籠に押し込み、学校まで運んでこっそり裏庭に放した。後日、その犬は、あろうことか僕達の教室に侵入していて、みんなに大笑いされた後、担任の横田先生に外に追い出されるはめになった。しかし、とりあえず、当分の間、保健所行きは免れたようだった。


 こんな風に僕と小夜子は毎日を過ごしていたのだが、別に二人とも意識してふざけているわけでもなんでもないのに、毎日何かといろんなことが起こり、いつも二人で笑い合うような日々を送っていた。僕自身は真面目に真剣に交際しているつもりだったのではあるけれど……。だから小夜子とは、他の女の子とは絶対にしないような、色々な物を交換し合った。それは、愛読書の小説だったり漫画だったりレンタルしたCDだったりした。彼女は僕と違ってかなりの読書量があるらしく、愛読書の著者がよしもとばななやドストエフスキーや落合信彦とジャンルが多岐に渡っていた。僕はといえば、藤沢周平や司馬遼太郎や主に時代小説が多い。漫画に関しては、僕はもっぱら少年漫画専門で、小夜子は少年漫画も少女漫画も読んだ。だから、僕は当初、小夜子に少女漫画を無理矢理押し付けられることに閉口していたのだが、返す時に毎回感想を訊かれるので、意を決して読んでみたら予想外に面白く、中には小夜子より僕のほうが嵌ってしまうようなものもあった。そんな時彼女は「だから言ったでしょ? 可愛い絵に騙されてはダメなんだよ。大事なのは中身なの」と得意気に僕に語った。音楽に関して小夜子は不案内らしく、クラッシックしか聴かないから貸さないと言い、僕から一方的にCDを彼女に貸すことが多かった。僕がクラッシックを聴く筈がないと思っているらしい。家には、父の溜め込んだロックのレコードが山ほどあったが、小夜子の家ではレコードプレーヤーというものはすでに無く、彼女の家にあるレコードも無用の長物であった。しかし、小夜子はレコードジャケット見たさに僕に「何でもいいから」と言ってはレコードを借りたがった。彼女はグラフィックデザイナーというものを目指しているらしく、レコードのジャケットは、大きさといいデザイン性といい、勉強にはもってこいの格好の素材だと言っては喜んだ。彼女はレコードのジャケットを毎回スキャンしファイルして保存していた。しかし、いくら父のレコードが山ほどあると言っても、そろそろ底を尽きかけていて、残るはヘビーメタルのみになってしまっていた。父の所有するヘビメタのレコードジャケットの図柄というと髑髏マークがほとんどで、中にはリアルに怖いものもあるので(内臓破裂人間とか)、「止めたほうがいいよ」と何度も忠告したのに、小夜子は頑として聞き入れなかった。仕方がないので持って行って彼女に見せると、彼女はジャケットを一目見た瞬間「ぎゃっ」と叫び、「なんでこんなもん持ってくるのよ!」と怒った。うちの姉もそうだが、なんでこうも女という奴は訳の分からん身勝手な生き物なのか、僕には皆目見当がつかないのだった。


第六章に続く

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