第四章
僕が小夜子と仲良くなったのは、去年、初めて同じクラスになったからである。同じ中学出身だったのに中学では一度も同じクラスになったことがなかった。そういう経緯があって高校で同じクラスになっても半年くらいは喋りもしなかったが、席替えで隣同士になった時、近眼のくせに眼鏡を掛けていない彼女は、「黒板が見えづらいから」と言っては僕のノートを覗き込むようになった。
ある午後の化学の授業中、端から二番目の列とはいえ、いくらなんでも一番前の席で爆睡する訳にもいかず、眠いのを我慢してどうにか踏ん張っていた。化学の先生は、寝ている生徒を見つければチョークを飛ばすか「雑巾を口に突っ込むぞ」と生徒を脅す癖があるので、とにかく寝る訳にはいかなかった。脳ミソは寝ているが目は開いているという状態を五十分間なんとしてでも保たなければならない。授業は「金属の呈色反応」とやらをやっていた。先生は「いくら化学嫌いでもこれは面白いだろう」とでも言いたげに、何故花火がいろんな色になるのか、いつもより嬉々として説明していた。要するに、金属を燃やせばいろんな色の炎になるので、それを花火に利用しているというだけの話である。ちなみに銅が青緑色でカルシウムが橙色らしい。金は無色らしいが、さすがに金を燃やして試してみる強者はなかなかいないだろうとか、花火一発作るのに随分金がかかりそうだなとか、なるほどいつもと違って今日の授業は確かに面白いとか、でも黒板を書き写さなくても教科書にきちんと綺麗に書かれてあるではないかとか寝ながら考えていた。でも僕は、自分のためというより小夜子のために、真面目に必死にノートを取っていた。しかし、授業の終わりを知らせるチャイムが目覚まし代わりに鳴って目が覚め、ノートを見た時、そこには「呈色」ではなく「定食」という文字があった。我ながら呆れ果てたが、教科書にも「呈色」と書かれてあるので、まさか小夜子はそのまま僕のノートを写しはしないだろうと思ってノートを覗き込んだら、彼女のノートにも「定食」とあり、爆笑してしまった。小夜子はあっけに取られていたが、僕に指摘されてその事実に気付くと、二人で顔を見合って大笑いした。「お前、寝てたんだろう?」と言うと「あったり前じゃん」と彼女は答えた。その事件をきっかけに、僕と小夜子は急接近したのだった。
しかし実際のところ、小夜子は、僕にとって中学の頃から気になる存在だった。クラスは違ったが、中学校の校庭で、毎日のように僕は彼女と顔を合わせていた。僕はサッカー部、彼女はテニス部所属だった。けれども、僕と仲の良い迫田が小夜子のことを好きだと知っていたし、僕は、僕のことを好きだと告白してくれた雪菜と交際していた。迫田は小夜子に告白したらしいが、その後どうなったのか、中学時代、誰とも付き合っていないようだった。しかし、僕と雪菜の交際も時間が経つにつれ、自然消滅してしまっていた。高校生になって、迫田と僕は違う高校に進み、同じ高校に通う迫田と雪菜は交際し始め、僕は小夜子と交際し始めた。
中学の頃を考えると、非常にややこしいというか、みんなが片想いの四角関係だったような気もするが、ただ単に僕が気の多い奴だっただけかもしれない。小夜子が中学時代の自分の本心を明かさないので、その関係は謎に包まれたままだった。しかし、とりあえず、収まるところに収まった気がして、僕は迫田に気兼ねなく小夜子と付き合えることに満足していた。迫田には高校生になっても時々会うことがあり、彼は雪菜と自分が付き合っていることに罪悪感があるらしく、僕の顔を見るたびに「ごめんな」と言った。僕はといえば「いいよ」と言うしかなかった。自分で自分のことをズルイ奴だと思いつつ、変なプライドがあって、実は中学の時から小夜子が好きだったとは口が裂けても言えなかったのである。
第五章に続く




