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Ordinary Days  作者: 早瀬 薫
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第二章

 夏休みに手が届こうかという七月半ばの学校帰り、僕は受験勉強するために自転車でいつもの公立図書館へ向かっていた。高校受験の時と違って、姉と兄は遅くまで帰宅しなかったが、真剣に勉強する時は騒がしい家を離れて図書館で勉強するのが昔からの習慣だったので、この頃はいつもそうしていた。小夜子と約束している訳でも無いのに、何故か彼女はいつも僕の後ろから自転車でこっそり近付いては、図書館に着く直前で猛ダッシュをかけ僕を追い越し、涼しい顔で仁王立ちして僕を待ち受ける。図書館の前で毎回見ることになる彼女の得意気な顔は本当に毎回ムカつく。いつか仕返ししてやるぞと思うのだが、翌日になるといつもそんなことはすっかり忘れてまったく頭になく、ほとんど毎日同じ過ちを繰り返すのだった。そして勉強室の長机に僕が座ると同時に、小夜子は当たり前のように僕の隣にきっちり座った。


 図書館からの帰路、僕達はいつも自転車を歩いて押しながら、いろんなことを話した。

「しかし英語の宮本先生、上手いこと言うよね。微分積分を『微かに分かる、分かった積もり』って説明してたよね」

「まあな。アイツも数学、苦手だったんだろ」

「その後の石川啄木の話も滅茶苦茶。『本当はこいつは働いてないに決まっている。じっと手を見る暇があったら働け!』だって」

「見てきたのかよってくらい怒ってたな。男は、家族が飢え死にしそうなくらい困ってたら、歌なんぞ作っとらんと働くものだ、ってか」

「確かにそうかもしれないけど……」

 僕達は文系のクラスに所属していて、クラスメイトの三十五人中三十五人が、つまり全員が数学は不得手と言ってもいいくらいの学内での成績の悪さを誇っていた。しかし、文系科目の国語や英語や社会は成績が良く、学年トップの成績を取る者もいる。公立の進学校の特徴なのか、それともうちのクラスだけの特徴なのか、全科目の成績がバランスよく良いというより、不得手の科目があるものの、ずば抜けて成績の良い科目が一つや二つはあるといった個性的な生徒が多かった。

「しかし、宮本の奴、毎回、点を叫びながら答案返しするの、やめて欲しい!」

「いいじゃん、黎の苗字桧垣だから、出席番号先頭じゃないし、印象に残らないじゃん。相田君なんて、毎回毎回、一番最初に、『相田、三十点!』って大声で叫ばれて可哀相だよ。彼、国語はいつも九十点以上取るのにね。現国で九十点なんか取れるの、彼だけだよ」

「あいつ、現国に関しては天才的なもんがあるよな。それにしても、この間のは傑作!」

「そうだね。びっくりしたよ、ほんとに」

 二日前の英語の授業中、期末試験の答案が返ってきた時のことだ。今か今かと答案が返されるのをみんなは固唾を呑んで待っていたが、一番後ろに席を陣取っている馬鹿数人が「相田二十点、相田二十点」と小声で何度も囁き、周囲の笑いを誘っていた。その声を聞きつけた宮本先生は苦虫を潰したような顔をし、かなり長い間、点数を読み上げるのを躊躇していた。がしかし、一呼吸すると大声で、しかも最前列にいる生徒が耳を塞ぎたくなるくらいのいつも通りの爆音で、「相田、二十点!」と叫んだ。そのとたん、教室が揺れたかと思うくらいドッと笑いが起きた。馬鹿数人の予想はまさに大当たりしたのだった。


 僕が高校生であった当時、宮本先生はとにかく頑固ジジイで、しょっちゅう生徒とやりあっていた。ちょっとばかし不良っぽい生徒の仙波とは、授業中、ほとんど毎回言い争いをしていた。しかもその言い争いの内容が、「髪が汚い」とか「ペンケースが汚い」とか、おしまいには「教科書を斜めに机の上に置くな」とか、それが今やってる授業に何か関係があるのか?と思うようなどうでもいいことばっかりで、仙波も先生に向かって「うるせーっ!」と毎回口答えをしていた。それなのに、他の授業は休んでも英語の授業だけはきっちり出席している仙波を見ていると、周囲の者にはなんだか二人の関係が微笑ましくも思えていたのは否めない。しかし、それにしてもこの宮本先生は強烈だった。追試の日程が生徒にうまく伝わらず、追試者二十六人全員欠席するという事件があった時も、先生はその日の授業中、「言い分を言いたまえ」と生徒一人一人に発言させたことがあった。しかし、勿論言い分なんかある訳無く、「日程を間違えました」とある生徒が言った途端、「言い訳でなく言い分を言いたまえ!」と物凄い形相で怒り狂っていた。二十六人同じ問答をずっと繰り返していたが埒が明かず、追試者全員が廊下に立たされる羽目になってしまった。教室の中より廊下の方が賑やかなんて、この学校が始まって以来の前代未聞の珍事であった。全く訳が分からない。言い分と言い訳の歴然たる違いが彼の中では確立していたのだろうけれど……。「追試日は水曜日、と答案用紙に書いてくれていれば間違わなかったと思う」とでも言えば良かったんだろうか? あ、待てよ、多分、当然全員いると思って教室に行ったらもぬけの殻だったので、全員が結託してボイコットしたとでも思ったんだろうか……。そうだ、そうだ、絶対そうに決まっている! それであんなに頭に血が上ってたんだろうな。しかし、当時の僕は、そんなことまで気が回らず、本当になんて奴だと思っていた。思ってはいたが、そういう先生こそ後になって懐かしく思い出されるものだと思う。宮本先生は、来年には定年退職しなければならない五十九歳で、たぶん、この先生はこの頑固さのせいで、管理職になることも拒み続け、定年までずっと教壇に立ち続けたのだと思う。今も宮本先生の言葉で、一番印象深く残っているのは、「統計によると、定年退職して認知症になる確率が一番高い教師は、小中学校や大学ではなく高校の教師なのだそうである。君達みたいに活気のある若者に、毎日会えなくなって気落ちするからだと吾輩は考えている」というものだった。実は僕が高校を卒業して二年後、たまたま通りかかった予備校の前で、講師募集の張り紙をじっと眺めている宮本先生を偶然見かけることになるのであるが、先生にとって教師という職業はきっと生き甲斐だったに違いないと思うと、その光景を思い出す度に切ない思いで胸が一杯になるのだった。


第三章に続く

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