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Ordinary Days  作者: 早瀬 薫
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第十一章

 自転車を飛ばしてやっとのことで病院に着き、小夜子の病室を訪ねると、小夜子は僕の顔を見つけるなり「やぁ!」と言った。小夜子はやせ細り、こころなしか顔も目も黄色に染まり、黄疸の症状が出ているようだった。

「何が『やぁ!』だ、この嘘吐きめ!」

「ごめん。でも来てくれて嬉しいよ」

「なんで嘘吐いたんだよ」

「夏休み中に治ると思ったんだもん」

「じゃあ、もしかして、八月三日も入院中だったの?」

「……う、うん」

 僕は小夜子のその言葉を聞いて頭が真っ白になった。

「最悪! なんでちゃんと言わなかったんだ!」

「だから、直ぐ退院出来ると思ってたから……」

「あのカンカン照りの日、一日中外にいたんだぞ! いくらなんでも入院してる人間がやることじゃないだろ!」

 僕が凄い剣幕で怒ると小夜子は黙りこくった。暫くの間、気まずい時間が流れた。けれども、小夜子は急にニヤニヤしだし、僕を上目遣いで見上げて言った。

「いっつもポーカーフェイスの黎がそんなに怒るなんて、私はよっぽど心配されてるんだ」

 僕は彼女にそう言われて、急に照れくさくなって顔をぷいっと背けてしまった。しかし、小夜子はずっと笑い続けているので、お終いには僕も我慢できなくなって、一緒になって笑っていた。小夜子といると、なんでいつもこうなるのだろう? 気付いたときには、僕は彼女に完璧にコントロールされてしまっている。

 小夜子の顔を見ていると、以前より随分頬がこけているように思えた。そして、僕は彼女の目を観察するために顔を近付け、親指で彼女の両目の下を引き伸ばした。

「やっぱり、黄色い。しんどいの?」

「うん、実は最近じゃコップを持つのもしんどい」

「そんなに?」

「……」

「肝炎なんでしょ?」

「うん、B型肝炎だって」

「じゃあ治るじゃん」

「じゃないと困る。私、死にたくないもん」

「死ぬもんか」

「でも、このまま治らなくて死ぬかも。そういう場合もあるんだって」

「誰がそんなこと言ったんだ」

「パソコンで調べた」

「だから、ネットなんかするな。疲れるだろ」

「ネットしないと退屈で死んじゃう」

「しょうがない奴だな。そんな暇あるなら寝てろ」

 小夜子は僕に「小舅か!」と言って、アカンベーした。僕はそんな小夜子を無視して、病院に向かう途中、スーパーで買ってきたハウス蜜柑と葡萄を袋から取り出した。小夜子と一緒に食べるつもりだった。

「男のくせに気が利くね」

 小夜子は口いっぱいに蜜柑を頬張りながら言った。

「お前よりな。蜜柑と葡萄だと包丁使わなくていいだろ。お前にぴったりだと思って」

「それはどうも」

「でも、なんで肝炎になったの?」

「うーん、小学二年生で交通事故に遭って足を複雑骨折したんだけどね、その時、手術になって輸血して貰ったんだよ。もしかしたら、それが原因かもしれない」

「ええ!?」

「ええって、言ってなかったっけ?」

「うん」

「そういうこと」

「お前、馬鹿だと思ってたけど、正真正銘の馬鹿だったんだな」

「馬鹿で結構、馬鹿万歳!」

「どうせ横断歩道を渡らずに、急に飛び出したりしたんだろ?」

「大当たり!」

 そう言って笑っている小夜子を見て、僕は呆気に取られていた。

「でもね、そっちじゃなくて、もしかしたらこれが原因かもしれない」

 そう言って小夜子は髪をかき上げ、耳たぶのピアスの穴を僕に見せた。最近クラスの女子の間で、ピアスの穴を空けるのが流行っていると弥生が言っていたのを僕は思い出していた。小夜子はギャル系女子の弥生に比べるとどう考えても晩熟の地味系女子で、きっと話を合わせるために無理してピアスの穴を空けたに違いなかった。そのピアスの穴を得意気に見せている小夜子を見ていると、さっきよりも怒りが沸々と湧き上がってきた。

「お前、阿保か! ピアスなんて、してもしなくても同じだよ。それで病気貰ったんなら、大損じゃんか!」

 小夜子は、男はお洒落女子に興味があるものだから、僕もきっと喜ぶと思っていたのだろうか、暫く口をぽかんと空けて僕の顔を見つめていた。しかし、すぐに気を取り直すと「今度は阿保か。ああ、うるさい。乙女心が全然分かってないね」と言った。

「ああ分からん、分からん」

「ほんとにやな奴だ」

「なら帰るよ」

「帰れ、帰れ」

「……また、メールするから」

「……」

「メールするから」

「……うん」

 そんなやり取りをして病室から出ようとすると、小夜子は「あ、あの……」と弱々しく僕の背中に呼びかけた。

「飛び出したのはね、三毛猫が道路の真ん中で立ち往生してたからなんだ」

 僕はふっと笑って言った。

「そんなことだろうと思ったよ」

 

 それから一月経っても小夜子は退院出来なかった。十月になり、体育祭が近付いていた。僕達の高校の行事は、六月に行われる文化祭よりも体育祭のほうが派手である。クラス対抗仮装大会をはじめ、大盆踊り大会、そして体育祭の最後に行われるフォークダンス。特に三年生にとって最後の学校行事の総まとめになるフォークダンスは、感慨深いものがあるのである。

 この頃は、病室を訪れると小夜子は弱音を吐いた。「体育祭に参加するためにあの学校に入ったのに」とか「フォークダンス踊れないなら生きてる意味が無い」と言った。その度に僕は、女はそんなくだらないことで学校を決めたりするものなのかと内心驚きながらも、「たかが体育祭ぐらい」とか「命より大切なものは無い」と言って励ました。

 小夜子のいない教室は妙にガランとしている。いる筈の席に彼女が一人いないだけで、なんでこうも殺風景に感じられるんだろうか? 小夜子と仲の良い弥生達も、小夜子のために仮装行列の衣装を作り始めている。僕はと言えば、放課後になるとさっさと教室を後にした。あんな陰気くさい病院で、一人で頑張っている小夜子のことを思うと、笑いながら仮装道具を作っている友人達と楽しく作業するなんて耐えられなかった。学校が引けると、僕は小夜子の病室へ直行した。そこで毎日一時間、彼女と一緒に勉強した。たまに、小夜子は僕をモデルにしてデッサンしたりした。その後、僕は図書館で一人で勉強し、午後七時になると帰宅した。


第十二章に続く

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