第2話 『ルクスブルク邸』
「よくきたねユリウス君」
入室早々、豪華な装飾に彩られた応接用のソファーに腰かけたこの家の主、ルクスブルク伯に声をかけられた。
「お久しぶりですルクスブルク伯。ますますご健勝のようで何よりです。近々侯爵家に格上げとのお噂は既に聞き及んでいますよ」
心の中で恐怖は押し殺し、口元に笑みを浮かべながら相手と向かい合うようにソファーに座る。いままでならば正面になど座ることもできないが、いまは名前だけだが爵位を受け継いだ以上対等の伯爵同士。正面に座り、お互いを見据えあうことが許されている。そして、座ると同時にテーブル越しの戦いは始まるのだ。
「これはこれはユリウス君。失礼。コンレッタ伯と言うべきかな。君も十分一人前の貴族らしくなったね。そんな矢先にこの事態とは、君も苦労することになってしまったようだね」
優しい叔父さんとでも言うかのような柔和な笑みと優しい言葉。だが、その目だけは笑っていなかった。
「ええ、本当にですよ。それでですね、本日はそのことについてお話があって参りました」
こちらも相手の目をしっかりと見つめ返す。ここからが戦いの始まりだ。先に目を背け、言葉を詰まらせた方が負けだ。そしていま、負けることだけは許されない。せめて引き分けと思えるくらいに譲歩させたいところだ。
「ほう、そのことについてとは。まずは親交があると言えども他人である我が家を頼る前に親族を頼ってみてはいかがかね?」
「残念ながらすでに断られています。お家取り潰しが決まった瞬間には援助拒否が言い渡されたと父は言っていましたよ」
「それはなんとも......災難だったね.........。して、『お話』とは借金の肩代わりを願いたいということかな?」
どうやらこちらが願うことは借金の肩代わりだと思っているようだ。不敵な笑みのまま、その顔に獰猛な笑みを隠している。
「たしか500万ゴールドという話でしたかな?当然、当家にはその程度の貯えはありますがね、それをただで肩代わりするいうことには抵抗がありますな。それではお互いに面目が立ちませんからな」
そう言うと、立派に整えられた白い髭を左手でなでる。知っている。これはルクスブルク伯の癖だ。相手に要求するときのだ。
「先代のコンレッタ伯とは旧知の仲ですからな。当然助けさせていただきたい。しかしながら、こちらにも立場がある。そうですね、借金を肩代わりする代わりに領地を私に預けるというのはどうでしょうか?」
なるほど。そう来たか。確かに良い考えだ。こちらは借金を返済してもらえる。相手は領地を拡大できる。こちらは情けで助けられただけのところを交渉したかのように見せ、あちらは領地を横取りするだけのところをあたかも公平な交渉の結果のように見せられる。お互いの面目を保ちつつ、あちらが有利なように、そしてこちらが断れなくする。お互いに現状では最高の条件だろう。こちらが借金の肩代わりを望んでいたらの場合だが。
「お言葉ですがルクスブルク伯、私が望むのは借金の肩代わりではありません。ある場所へ行くための手はずを整えていただきたいのです」
「ほう、肩代わりではないと。では陛下へ直々(じきじき)に謝罪をするための場でもご所望ですかな?」
依然として相手の態度は変わらない。だが、こちらはまだ要件も伝えていない。ここまでの流れは相手が勝手に思っていただけのことだ。残念ながらまだ戦いはまだ始まっていなかったのだ。
「いえ、そうではありません。私が暗黒大陸へ行くための手はずを整えていただきたいのです」
こちらが未開拓の土地、暗黒大陸に行きたいなどというとは思っていなかったのだろう。さすがに驚いたような顔をしている。だが、そのおかげで相手の対応に一瞬の隙が生まれた。この隙を利用して一気にこちらの要求を告げさせてもらう。もしここで相手の発言を許してしまったのならば、いま度は向こうが条件を出してくる。そうなってしまったらこちらからの追加の要求をすればするほど失うものが増えることになってしまう。
「そして、大陸での管理権利をいただきたい」
こちらの要求はそれだけだ。この人は一人でこの国の海外戦略を担っている。国外で発生する権利はすべてこの人にあるといってもいい。そしていま、私はその権利の一つを欲しいと言っている。価値にすればいま抱えている借金の比ではないだろう。
「君はその言葉にどんな意味があるのか判って言っているのかね?その権利というのは君が抱える借金の比ではない価値を持っているのだぞ」
当然こちらも相手もその価値は知っている。そしてその権利が持つ可能性も。だからこそ交渉を持ち掛けたのだ。何としてもこの権利だけはもらって帰りたいものだ。
「こちらとしても、その権利を無償で頂きたいと言っているわけではありません。貸してほしいのです」
そこで言葉を切ると、いま度はこちらから条件を出す。
「私に暗黒大陸監査官としての立場と権利を貸し与えていただきたいのです。代わりにこちらは貴方を後見人にすることでコンレッタ伯爵家としての権利を貸し出しましょう。なに、先ほどと変わることなどほとんどありませんよ」
いまこちらが出した条件は、言ってしまえば相手から出された条件とほぼ同じものだ。こちらは名前だけになるが、完全な没落を回避するために。相手は領地を拡大するために。お互い目的はあれど、表面上は貸し合うことにする。そういったものだ。
違うのは俺の立場が助けてもらっただけの無能な貴族から暗黒大陸監査官になることだけ。ルクスブルク伯、さあどうする?
「ふっ。合格だよユリウス君。そちらの条件で話を通そうじゃないか」
え?なに?どうゆうこと?合格って、え?
正直何が起きた変わらない。誰か教えて?
「いまから一週間以内に準備を完了させよう。それでいいかい?」
えっと、つまり、俺の条件でよかったってこと?
「いやー、いまだから言うとね、君がもしこちらの条件に飛びついてきたら見捨てているところだったよ。うん。十分な成長も見られたことだしこれでもう大丈夫だろう」
どうやら彼は本気の交渉ではなくこちらを試していただけだったらしい。そんなわけで俺の暗黒大陸渡航は着々と進んでしまった。本当にこんなで大丈夫なの?