祭事神前に獅子は舞う
テキ屋、という業種がある。
表向きは縁日などで露店を出したり、見せ物や芸で客を集める商売だが、一方で職にあぶれた者たちの斡旋も行っている。
この時代、知り合いや親戚の伝手もない人間が余所で食っていこうとすると日雇いで仕事をするほかなく、色々な事情で食い詰めた者は最終的に物乞いに身を落とすか、それが厭ならテキ屋を頼ることになる。
テキ屋は仕事を紹介し、代償として給料の何割かをピンハネしていく――というのは戦前から良く見られた風景であったが、大戦を経てテキ屋の仕事は大きく変貌していった。
星歴1951年、6月。
敷島皇国と西欧諸国との大戦が終わって、6年が過ぎた。
戦争に敗北し、無条件降伏した敷島皇国は敷島国と改名し、主要交戦国だったアメリクス合衆国の占領下に置かれた。
とはいえ、今年中には敷島国と西欧諸国との間で講和条約が結ばれ、主権は回復される見込みになっている。
終戦後の混乱から生じた社会の暗部も、時と共に消えていくだろう。
そんな終わりが見えているからこそ、最後に稼げるだけ稼ぎ、楽しめるだけ楽しもうとする輩もいる。
関西地方、逢阪市某所。
戦後の混乱期のドサクサに紛れ、旧敷島軍工廠跡の広大な土地は不法占拠された。
表向きは占領軍が土地を接収したことになっているが、実際は跡地に埋まる不発弾や危険物の処理を嫌って放置状態にあり、そこを浮浪者や日雇い労働者、密入国者やヤクザ者らが勝手にバラックを立て集落化。今や完全な治外法権のスラム街と化している。
人殺しをしても、このスラムに逃げ込めば警察は追ってこられないので犯罪者も大量に流入。殺人、強盗、拉致監禁、非合法の物品売買諸々の犯罪の温床と化し、この街での生存は3日が限度とされる。
外から入った分だけどんどん死んでいくので、人口はパンクしないというわけである。
逢阪のテキ屋は戦後の主権喪失と警察権力弱体化の隙を突いて、この界隈での酒の密造、酒場経営、詐欺、恐喝、金貸し、賭博、誘拐同然の女衒、偽装結婚、人身売買に薬物売買、更には犯罪者の保護及び高飛びの斡旋まで行う、凶悪な犯罪組織と化していた。
この世の地獄のごとき混沌の坩堝。
誰が名づけたものか、人はここを逢阪コマンチ村と呼んだ。
コマンチ村の一角、腐りかけの死体だか行き倒れの酔っ払いだかがはまった側溝と、生ゴミが累積した小山とハエの群れを越えると、小汚いトタン作りのバラックがある。
このバラックは見せ物小屋だ。
ここでは週に一度、ちょっとした催しが開かれる。
テキ屋が集めてきた食い詰め者たちによる殺人ショーである。
「ちくしょーーっ! ちくしょ~~っ!」
「やめろォ! こんなことはやめっ……ぶぅぅぅぅぅぅッ……」
涙を流しながら狂乱する半裸の男が、もう一人の男にナイフを突き立てた。
二人とも殺し合いがしたくてやっているわけではなかった。だが、殺さなければ殺される。この戦いを放棄すれば、試合場の横の檻に入った大熊が放たれて二人とも殺される。
「いいぞーーッ! ウジ虫―――ッ!」
「ケーーッ! つっかぇねぇゴミだなオイ!」
試合に賭けていた観客から罵声と歓声が同時に上がった。
審判役のヤクザ者が試合場に降りると、観客の前で敗者を乱暴に持ち上げた。
「勝負あり! そんじゃ恒例、負け犬野郎の処刑タイムといきますかぁ~~っ!」
敗者はナイフを胸に刺されながらも、まだ辛うじて息があった。
「やめて……やめてくれぇ……」
「やめるワケね~~だろ! あーーーーっ?」
試合場に直付けされた巨大な檻の一部が開く、その中で血に飢えた大熊が暴れ出した。
大熊は食事も水も与えられていない。食べられるのは、檻に投げ込まれる生餌のみ。
ヤクザ者が敗者を檻に投げ込むや、生きながらに解体される断末魔の悲鳴が轟く。
「ぎぃぇああああああああああああ!!」
悲鳴もまた、観客たちを興奮させる。賭けに負けた客も、これで鬱憤を晴らせるというわけだ。
殺人ショーを見下ろせるバラックの2階は座敷作りになっており、VIP用の特等席であった。
その特等席には、太ったアメリクス軍将校が半裸の女たちを侍らせている。
女たちは全員が敷島人。みな、一様に死んだ目をしている。もう眼下でどんな惨劇が起ころうとも何も感じない。
「ぶひょひょひょ……いいねェ~~。いいですねェ~~。今宵のショーも中々でしたヨ、ムフフフ~~」
将校が空のグラスを差し出すと、女の一人が無言でワインを注いだ。
「ワタシはねェ~~、敷島の猿どもは大嫌いなんですよねェ~~ッ。未開の野蛮なモンキーのくせに調子ぶっこいてワタシらに戦争ふっかけやがってよォォォォ~~ッ。おかげで、こんな湿っぽくて臭い極東のド田舎に赴任させられちまったァァァァァ~~ッ。本当にムカつきますねぇぇぇぇぇッ! ファック! ファック! ファック! でもねぇ、そんな野蛮な国でも好きなポイントが三つあるんですよ」
女の尻をなでながら、将校は膳に盛られた鮪の刺身を素手で摘まんで口に入れた。
「一つはこの、オサシミィィィィ……ッ! やつぱり肉は生に限るねェ~~ッ。二つ目は、敷島のガールたちィィィ~~ッ! ソゥキュートですネ~~ッ。こんなキュートなガールたちの心をヘシ折って、スリ潰して、どろりと濁った瞳の人形に変えてあげるのは気持ちイイ~~ンッッ!」
まだあどけなさの残る少女の髪を掴んでの、強引な接吻。
醜悪な将校のナメクジのごとき下が少女の柔らかい口内粘膜を蹂躙するも、少女は無表情のままそれを受け入れていた。
将校が舌を引き抜くと、刺身を食べたばかりの生臭い息と粘液が畳に飛び散った。
「ぬはぁ~~っ。そして三つ目~~っ! ワタシらは占領軍だから好き勝手できるってこと! でもねェ~~っ、お上が余計なことしやがるせいで占領は今年で終わりなんだよねェ~~ッ! フハッ、残念! だ・か・ら、今の内にた~~っぷり楽しんでおかなきゃねェ~~ッ!」
背後で座敷の襖が開く。
チンピラがセーラー服の女学生を連れてきた。女学生は後ろ手に縛られている。
「ミスターレイモンド。新しい娘を連れてきやした」
「N~~……ご苦労。下がってよろしい」
レイモンドと呼ばれた将校がアメリクスの紙幣をチップとして渡すと、チンピラは笑顔で手もみをしながら廊下に下がり、入れ違いに女学生の尻を蹴とばした。
「オラッ! とっとと入れや!」
「きゃあっ!」
座敷の畳に上に転がる女学生。
レイモンドはその髪の毛を掴み上げ、力づくで眼下の闘技場を見せた。
「ほぉ~~ら、分かるかねガ~~ル? あの端っこの檻で食われてるアレを見たまえ」
「なに……? なに……?」
「アレね、ユーのパパよ~~ん」
「えっ……? えっ……?」
訳が分からず混乱する女学生の反応が気に障ったのか、レイモンドは彼女の耳元で怒鳴った。
「だーかーらーよォ~~ッ! 仕事干されてにっちもさっちも行かなくなったテメーの親父は借金作って仕事欲しさにノコノコついてきてよォ~~ッ、ここで見せ物の殺し合いして負けて、無様にクマちゃんにモグモグ食われちまってんだよォォォォ~~ッ! 見りゃあ分かんだろうがこのスカタンがァァァ~~ッ!」
呆然と固まっていた女学生の目に、檻の中で口を真っ赤に染めた熊と、散乱する人体と思しき物体が入った。それで、全てが理解できてしまった。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「ハーッハッハッ―――ッ! よォ~~やく分かってくれたようで、ワタシ嬉しい~~ンッ!」
「こぉっ……この外道~~~ッ!」
「ゲドォー? オーゥ、ワタシ敷島語ワッカリマセーーン! ハハハハハハ~~ッ!」
スッとぼけた声でおどけながら、レイモンドは女学生を畳の上に組み敷いた。
「レッツ、ハードパーティ~~!」
「いやっ! いやぁぁぁぁぁっ!」
「いいねぇ~~っ! その儚く可憐な無駄な抵抗~~ッ! 敷島のメスに相応しい格好だよ。それにやはり、敷島のスクールガールのユニフォームは良い。実に良いッ! このユニフォームは我がアメリクスにも普及させたいねェ~~ッ。敷島で好きな物に今更ながらこれ追加ッ!」
「助けてっ! 誰か助けてぇ~~っ!」
首を振って必死に助けを求める女学生だが、周囲の女たちは誰も反応しない。
ある者は虚ろに宙を見るだけ。ある者は諦めに満ちた表情で視線を逸らす。そしてまたある者は自分と同じ地獄に新しい仲間が加わることを喜んでいるのか、はたまた悲しんでいるのか、どちらともつかぬ薄ら笑いを浮かべている。
「誰も助けちゃくれねぇよォ~~ッ! この女どもはもうただの可愛いお人形よ。それにここをどこだと思っとるんだ? クソド底辺のゴミ溜めスラムだろうがよォ~~ッ? ピンチに駆けつけてくれるナイト様なんていやしねぇ――」
不意に――聞き慣れない音がした。
金属がひしゃげて折れる音。戸や襖が砕かれる音。そして
「なんだぁーーッ! 貴様ァ――ッ!」
「どこの組の出入りじゃワレェェェェェェーーッ!」
チンピラたちの怒声と発砲音。直後、低い唸り声と軽い破裂音。
「はぅっ……」
「いぃぃ……」
それが何回も続く。最初は何人ものガラの悪い怒声が重なり合っていたが、次第に数が減って、やがて何も聞こえなくなった。
「なっ……なんだぁっ?」
レイモンドが異変に狼狽え、女学生から離れて身を起こした。
足音が、近づいてくる。
粗末な作りのバラックの廊下をぎしぎしと鳴らしながら、何者かが座敷に接近してくる。
危険を感じたレイモンドが懐のホルスターから拳銃を抜いたと同時に、座敷の襖が開いた。
「だっ……誰だお前ェァーーッ!」
レイモンドが叫ぶ。
問われた当人は何も答えなかった。
襖を開いたのは、敷島人の青年だった。無精髭が生え、薄汚れた衣服をまとい、一見するとくたびれた労働者のようだが、得体の知れない殺気を身にまとっている。
腐敗と怠惰に染まったレイモンドでも、目の前の青年に本能的な恐怖を覚えた。
関わるべきでない相手。忌避すべき存在。害を及ぼす天敵。そういったモノに対する原始的感情が、レイモンドをパニックに陥れた。
「おいッ、なんとか言えお前ェーーーッ! 殺されたいのかァ――――ッ!」
「質問……して良いか」
「えっ」
感情のこもらない青年の言葉。レイモンドは困惑した。
「あんた、ここで誰が死ぬのを見ていたんだ」
「だっ、誰だぁ……? そんなもん知るかっ! 勝手に集まって勝手に死ぬゴミクズどものことなんざ知るわけねぇだろぉがよぉぉぉ~~ッ!」
「そうかい」
「そもそも質問しとんのはテメーじゃなくこっちだがよ! 質問に質問で返すんじゃねぇよこのカボすがァァーーーーッ!」
勢いを取り戻したレイモンドはすかさず発砲。一切の躊躇はない。
しかし、次の瞬間には拳銃を持っていた腕が捻じれた状態で、外側に折れていた。
襖の外に立っていたはずの青年が目の前にいる。
僅かに遅れて、拳銃の発砲音と違う空烈音が聞こえた。
「はぃ……?」
「あんた、もう死んで良いぞ」
抑揚のない青年の声。
レイモンドは口を開こうとした。言葉を紡ごうとした。
『お前ェェ~~ッ! 誰に口効いとんのか分かってンのかこのボケザルがァァーーッ! モンキーの分際で将校に手を出したらどうなるか分かっとんのか! えーーーーッ!?』
いつものように権力を振りかざした言葉を武器として持ち出すつもりだったが、その機会は訪れなかった。
銃弾よりも早く、権力よりも強く、青年の掌底が腰のスイングと共にレイモンドの顔面に打ち込まれていた。
醜悪なる人豚の
「ぱぷあ!」
断末魔の声が弾けた。
劾応呼神流・旋風打ち。
音速を超える足運びと腰の回転運動に乗せて、掌底を敵に叩き込む技。その威力は容易に人体を破壊する。
スパン、という空烈音を響かせて、レイモンドの顎から上が消失。それは宙を舞って、大熊の檻の中に落ちていった。
二階の座敷の騒ぎとは別に、観客席から悲鳴が上がった。
「ガサ入れだァ――ッ! 占領軍のガサ入れだァーーッ!」
ホイッスルの甲高い音が耳をつんざき、MP(軍警察)が一斉に見せ物小屋に雪崩れ込んできた。
逃げ惑う観客と揉み合うMPたちの怒号が、見せ物小屋を崩さんばかりに揺らしている。
その喧騒の中、座敷の女たちは呆けた顔でへたり込み、女学生は恐怖と混乱に震えていた。
青年は一瞬、女学生に手を伸ばそうとしたが、逡巡の素振りを見せて動きを止めた。
「いや……止めだ止めだ。馬鹿馬鹿しい……くそったれ」
苦虫を噛み潰したように表情を歪めて、青年は座敷を飛び出した。
騒ぎに乗じて見せ物小屋から他のバラックへ屋根伝いに飛び移り、それを何度か繰り返して、コマンチ村から容易に脱出した。
脳裏にこびりつく女学生の姿と、かつて自分が捨ててきた少女の姿が被って、青年の前頭葉をチリチリと焼いた。あの妹のようだった少女は、あれくらいに成長しているのだろう。あの姉のようだった少女は、もうとっくに別の男と幸せになっているのだろう。
焦げるような頭痛がする。
「なにもかもくそったれだ……くそくそくそ……」
コマンチ村から火の手が上がった。何が原因なのかは分からない。気にも留めない。背を向けて、速足で逃げる。
青年は……南郷盛は、27歳になっていた。




