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ノワール

作者: 塩生


 窓際の席に座って、苦いコーヒーをすすりながら新聞を眺める。

“東方での戦果大。敵軍、壊滅的損害を被る”、“党内一斉再編。これにより新体制に移行”、その他微妙な法改正と街で起こった小さな事件について。くだらない記事ばかりだ。

 安タバコの煙が充満している店内にはまばらに人がおり、彼らがぼそぼそと話す声が聞こえる。カウンターの上に取りつけられたテレビでは、見飽きた役者が聞き飽きたセリフを言いながら、跪いて涙を流している。

 前の席の男が帽子を被って立ち上がり、自分の腰をトントンと二回叩いた。私はそれを確認してふたたび新聞へ目を落とす。

 カランカランというドアベルの音がして、男は出て行った。席には傘が残されたままだった。



 

 暗く、じめじめとした通りを歩いている。人通りは少なくて静かだ。ときおり薄もやの中から車のライトが見え、そばを通り過ぎていく。通り過ぎるとまた静寂。私と男の、ピチャピチャという足音が建物に反射してむなしく響く。

 先を歩く男の背中がもやに見え隠れする。見失わないように一定の距離を保ってついていく。

 街のはずれまで来たところで、男は大通りをそれて裏路地に入った。私もそれに続く。

 建物と建物の間の細い道を進むと、ゴミ捨て場のような空間があり、男はそこに立っていた。

 私が来たのを見ると男は近づいてきて、フードの奥から私の目をじっと見つめてきた。

「持ってきたか?」

 白い息とともに短い言葉を吐き出し、男は口元を震わせた。

「ええ」

 答えて、私は持っていた傘を差し出す。

 それを見て、男は眉毛をつり上げてニヤッと口元を緩めた。

「おお、あんがとよ」

 そしてまた真剣な表情に戻り、

「で、アレは持ってきたのか?」

と、詰め寄って訊いてくる。

「これよ」

 そう言って、私は懐に手をしのばせ、銃を取り出した。

 男の目つきが鋭くなる。

「そいつは頼んでね―――」

 言い終わるより早く、眉間に銃口を向けて弾丸を放つ。

 うめき声すら上げる間もなく、男は人形のようにその場に倒れた。

 念のため胸にもう一発ぶち込んで、男の首元に指を当てる。

 完全に息絶えたことを確認して、ポケットから携帯を取り出した。

「回収班を向かわせて」

 そう告げて携帯を閉じ、はぁと白い息を吐く。

 手に付いた男の血をハンカチで拭いながら、私はその場を後にした。



 

 特等席に今日は先客がいた。階段をのぼったところにあるベンチで、ブロンド髪の男がタバコをふかしていた。

 私たちはお互いに気がついてしばらく見つめ合ったが、私が先に目をそらし、いつものように手すりに寄り掛かって景色を眺めた。

『本部』。煌々と輝く巨大な建造物。その光は私たちの元まで届くことはない。暗闇につつまれた街。

「暗いね」

 いつの間にかブロンド髪の男が隣にいて、話しかけてきた。

「明るいわ」

「君はいつもここに?」

「たまにね」

 男はふーっとタバコの煙を吐き出す。

「レンだ。よろしく」

 そう言って、手を差し出してきた。

 無視しようと思ったが、レンは手を引っ込める気配がない。

「はぁ……ハナよ。よろしく」

 私はため息交じりにそう言って、レンと握手を交わした。

 彼はニコリと微笑んで「よろしくね」ともう一度言った。

 よく見ると、レンは私と同じくらいの歳のようだった。

「あなたにタバコはまだ早いわ」

 そう言うと、レンは笑って、

「君だって、こんな夜遅くにふらふらしてちゃまずいだろう」

と、これ見よがしにタバコを咥えた。

 私は反応しないようにして、じっと夜の街を見つめる。

「僕がいて驚いた?」

「ええ、少し。あなたもよくここに?」

「僕もたまに」

「そう……」

『本部』に目を向ける。車両出入口から一台の大きなトラックが出てくるのが見えた。

「『彼ら』はどんな生活をしているんだろう」

『彼ら』とは『本部』で生活している人たちのことだ。

「さあ、考えたこともないわ」

「あの光に君は憧れないのか?」

「私はこの街の暗闇を気に入ってるの」

 その言葉を聞いて、レンは私の方を見た。

「そうか」

 そう呟いて、彼は短くなったタバコを落として、足ですりつぶした。

「じゃあ、外の世界のことは?」

 聞きなれない言葉に私は顔をしかめる。

「外の世界……?」

「うん、あの壁の向こうのこと」

 そう言って、レンは『本部』のはるか向こうを指差す。

 つられて目を向けて、『巨大な壁』のことを言っているのだと分かる。

「あなたは何か知ってるの?」

 そう問うて、私はレンの目を見る。

 私が見つめると、

「いや、何もしらないよ」

と、彼は鼻で笑った。

「でも、時々考えるんだ。あの向こうには何があるんだろう、人間がいるとしたらどんな生活をしているんだろう、ってね」

「それ、あまり言わないほうがいいわよ」

「分かってる。僕だって捕まりたくはないさ」

 腕時計を見ると、もうかなり遅い時間になっていた。帰らなければならない。

「そろそろ戻らないと。私はこれで」

 手すりを離れ、階段へ向かう。

「また会えるか?」

「きっとね」

 私は振り向いて、

「人を簡単に信用しないほうがいいわ。特にこの街では」

 そう言うと、レンは薄く微笑んでうなずいた。それを見て私も微笑み返し、階段を下りた。



 

 木でできた粗末な階段をのぼって部屋のドアを開けた。電気をつけると、何度か明滅して電球に明かりが灯る。その弱々しい光に照らされて、部屋中にホコリが舞っているのが分かる。ここのところ立て続けに仕事が入ったおかげで掃除できていない。

 コートを脱ぎ、壁にかけたところでドアの向こうから声がした。

「ハナ、戻ったのか?」

「ええ」

 私はベッドに座って答える。

「入るぞ」

 そう言って、部屋に入ってきたのは私の雇い主だ。シャワーを浴びた後なのか、バスローブを着ていて、だらしなく伸びた髭や髪は湿っている。この男の顔にはいつも生気が感じられず、全体的に不健康な印象だ。

「今日もうまくやったようだな」

 片手で乱暴にドアを閉めて、彼は言う。

「当然よ」

 私の返答を聞いて、彼は鼻で笑った。

「悪いが、明日もまた仕事だ」

「嫌よ。くだらない依頼はもうウンザリ。キリがないわ」

「ところが今回ばかりは断れない。『本部』の委員会から直々の依頼だ」

「えっ……?」

 驚きに言葉を失う。委員会とは、テレビでいつも流れてる猿芝居でクソ役者が崇め奉っている人たちのことだ。この街の、この国の支配層。

「なにがあったの?」

「まあ、これを見りゃ分かる」

 そう言って、数枚の紙を差し出した。

「標的のプロフィールだ」

 受け取って、ざっと目を通す。標的の名前、出身、生い立ちなどあらゆることが記載されている。

「今度はちと気を付けたほうがいい。いつものクスリでイカれてる奴やゴロツキどもとは違う」

 男性。十八歳。帝国出身。端正な顔立ち。

「……どうかしたか?」

 顔写真を見つめる私に、彼が聞いてくる。顔を上げて見ると、いぶかしげに目を細めている。

「同い年だわ」

 紙をベッドに放って、私は答える。彼をそれを聞いて、

「情でも湧いたか」

と、冗談を言う。

「ええ、若くして亡くなってしまうのを不憫に思うわ」

 そう言うと、彼はニヤリと口角を上げた。

「油断するな。死ぬのはお前のほうかもしれんぞ」

「……分かってる」

 その返事を聞くと、彼は軽くうなずき、部屋を出て行った。

 私は銃の点検をし、ナイフを軽く研いでから寝床についた。悲しみを感じることはなく、むしろ色々なことが腑に落ちてすっきりとした気分だった。

 

 

 

 レンは昨日会った時のようにベンチに座ってタバコをふかしていた。階段をのぼってくる私に気づくと、立ち上がって手を振った。

「また会ったね」

 笑顔で語りかけるレンに、私は無言でうなずいた。

「『たまに』じゃなかったの?」

 そう言いながら私のそばを通り過ぎ、彼は手すりにもたれかかる。私が答えずにいると、こちらを振り向いて首をかしげた。

「あなたがいると思って」

 答えて、懐に手をしのばせる。

「僕に会いに来てくれたのか、嬉し―――」

 その言葉をさえぎるように、銃を取り出して彼の頭に狙いをつける。

 レンは少し驚いたようにみえたが、

「なるほどね」

と言うと、手すり越しに見える景色に向き直り、またタバコを吸いはじめた。

「そのワルサーとはいつから一緒に?」

「小さい頃から」

「姉弟ってわけか」

「許嫁よ」

 引き金から指を離さないようにして、レンの動きに注意を集中させる。

「こいつと一生をともにするわ」

 そう言うとレンは声を出して笑った。

「外の世界にはそんな鉄クズなんかよりもいい男がたくさんいるさ」

「私は、ここで生きていくの」

「この国は腐ってる。やがて経済が立ち行かなくなって崩壊する」

「……あなたの目的は反乱分子を生むことなのね」

 少しの間があってレンは小さく白い息を吐き、

「気づかれるのが早かった。思ったよりこの国の支配層は優秀らしい」

と、ひとりごとのように呟いた。

「うすうす感づいていたわ。闇しか知らない街の住人が、この光景を見て『暗い』なんて言わない」

 その言葉を聞くと、レンは私の目をじっと見つめ、薄く微笑んでうなずいた。

 私もレンの目を見つめて軽くうなずき、彼の額めがけて弾丸を放った。

 

 銃声が響き、レンは倒れた。

 

 その向こうでは『本部』が明るく光っていた。



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