第63話 モリアロとスビア
全てはノリの名の下に。
遠くから聞こえる少女の歌声に耳を貸しながら、モリアロは夕闇の空を見ていた。彼女は、自分の身体に目を向けるのが怖かった。今や両足と左腕を失った壊れた人形のような自分の身体。
右腕だけ生えている不格好な達磨だった。
「はぁ……」
これからどうするか、という生活のこともあったが。それ以上に彼女の頭から離れないものがあった。
「来年から、スビアに会えない……か」
勇者に言われた言葉が頭の中をグルグル回って離れてくれない。スビアとは武闘会で出会ってもう5年。毎年決勝戦のどこかで必ず当たっていた。その度にお互いが鍛え上げた1年の成果をぶつけ合い雌雄を決することが楽しかった。
スビアと戦う度に、来年どう彼と戦おう。どんな言葉を掛け合おう。そんなことを考えるようになっていた。
そして、今年の大会も彼と会えて嬉しかった。全身全霊で彼と戦い合えたことに心が躍ったのだ。
「…もう会えない……会えないのは…………嫌だ」
勝手に涙が流れ落ちた。残った右腕で布団を強く握り閉めてしまう。
「スビアに会えないのは……嫌だ…会いたいよ……」
戦えなくてもいい。無様でも構わない。スビアに会いたいと願ってしまった気持ちに嘘は付けなかった。それがどんな気持ちなのか彼女に向き合う勇気が無くても。今更気付いたところでもう遅いのだと。
「はは、無様だな。私は……こんな身体では、彼にも会いに行けないというのに…」
冒険者としても廃業は確実。王都に身内も居ない。残っているのは絶望だけだった。まだ魔法は使えるし、死んでしまった方が面倒がなくて良いかもしれないとさえ思い始めていた。
そこに、家のドアが叩かれる。
「ッ!!……誰だい?」
この時間帯は街の住人は皆祭りの方に行っている筈だと、少々警戒をしながらドアの向こうに問いかける。しかしてその声は、彼女が誰よりも求めていた人のものだった。
「……モリアロ、俺だ……スビアだ」
「……ふぇ?」
間抜けな顔をしていたに違いない。数分前の自分ならそう思ったことだろう。
私の今の恰好は、包帯と下着だけである………そう自覚した瞬間布団に潜った。
こんな姿を見られたらそれこそ死にたくなると思いながら。だが出ない訳にも行かない。彼がそこに居るのだから。
「す、すす、スビアッ!?待て、こ、こんな姿を君に見られる訳にはいかない!!し、暫し待つんだッ!!」
「え、あ、ああ……いや、大丈夫なのか?」
「大丈夫だッ!!2分、いや、1分待てッ!!」
顔を真っ赤にして、自分の服が入っているタンスまで行こうとするが、しかし片腕しか無い為にタンスを中々開けられず、こんなことすらまともに出来ない自分に違う意味で涙が流れ出てしまう。
「くそ…くそぉッ……スビアがそこに居るのに、私ってやつは……あっ」
後ろで、ドアの開いた音がした。靴が床を叩く音。近付いてきて、持ち上げられた。彼の温もりに包まれた私はそのまま動けなくなってしまう。
絞り出せる言葉は、自虐だけだった。
「……滑稽だろ?」
「服着るんだろ、手伝う……」
「……すまない、頼む」
かつての戦友に自分の世話をさせることが、私は何よりも恥ずかしかった。そしてこんな体をスビアに見られたことが、何より恨めしかった。だが、会えた嬉しさが全てを凌駕してしまい、そんなことはどうでも良くなっていた。
服を着させてベッドに戻してもらうと、スビアは2つの大小異なる袋を持って横に座る。思えば、こんなに落ち着いて対面するのは初めてかもしれない。
「武闘会の件で、お前が繰り上げ入賞したんだ。それで変わりに俺が受け取って持って来た。ほら」
小さい方の袋を渡され中を見ると、数百枚の金貨が入っていた。大きい方をスビアが見せると、中にはレブナント鉱石が。どちらも、冒険者なら喉から手が出る程欲しい物である。だがそれを見ても喜べる雰囲気にはお世辞にもなれなかった。
「そうか……だが、今の私には宝の持ち腐れでね。冒険者も廃業で、これからどうしようかと思っていたところなんだ」
「そう、か」
私の姿を再度見て、スビアは暗い顔になった。戦友がこんな姿になれば、誰でもそうなることだろう。
私も、もしスビアがこんな身体になっていたら……
「来年からは、君と顔を合わせることも無くなる。悲しいけどしょうがない。君も、こんな女に構う必要は無いんだぞ?来年に向けてまた精進して、また切磋琢磨出来る相手を探した方が生産的だと思うよ?」
自虐的に笑い、スビアを見ないようにして言う。布団の中にある右手は、痛い程握りしめていた。
本音は全て隠す。彼に迷わせないように、負担にならないように。
「ほら、用は済んだだろ?早く帰って祭りに参加すると良い。君も武闘会の参加者だ。行けば住民達から称賛を浴びて、食べ放題飲み放題だろ?」
「……確かにな」
そうだ。早く帰ってくれ。私の本音が溢れる前に。全ては固く握られ血すら流れる右手の中に押し込められた。
「……次は、俺の用件だ」
「……え?…あっ」
「そんなに手を握り締めるなよ。まったく」
唯一残った右手を両手で優しく包まれる。私は呆けた顔でスビアを見てしまった。
「モリアロ。俺はずっと、お前に会うかどうか迷っていた。お前はきっとその姿を俺に見られたくないんじゃないかと、俺は自惚れながら思っていた。お前を傷付けるぐらいなら、このまま永遠に会わない方が良かったんじゃないかとさえ考えていた」
そっと、右手を両手で包まれる。スビアの手の温もりが伝わって来る。
「だが、そんな馬鹿なことを延々と考えていた俺に、背中を押してくれた奴がいてな……それで、会いに来た。俺は、俺の意志を通した……お前に、会いたくて」
「ッ……!!……よ、余計なお世話、だ!!」
「そうかもしれない。いや、そうだろうと俺も思った。けどモリアロ。俺達は戦友だ。今も変わらずにだ。お前がどんな状態であろうとだ」
揺れる。
「俺はお前を放っておくことなんて出来ない。お前がこのまま俺の前から消えて行ってしまうなんて我慢出来ない。お前の顔を、笑顔を見られなくなるなんて嫌だ」
震える。
「モリアロ、お前がどうしても俺と戦友を止めたいと言うなら、俺はそれを受け入れる覚悟ある。だから答えて欲しい。俺の眼を見て……」
理性が本音の邪魔をする。行って欲しくない。離れて欲しくない。ずっと傍に居て欲しい。私と笑い、語らい合っていて欲しい。いっそ襲って欲しい。お願い、お願い、お願いッッ!!!!
「ああ、私は、君と…君とはもう、戦友には、なれないよ………スビア」
最後の意地で、全てを抑え込んだ。頬に一回でも触れられたら、もう少し押しが強かったら、一度でも否定されたら、多分容易く私は決壊するだろう。
しかし、耐えろ。今だけで良いから。
「……そうか、分かったよ」
スビアは、ゆっくりと立ち上がり、手を離す。
「分かった。なら、今日で戦友としての俺は、お前とお別れだ。今まで、楽しい戦いだったよ、モリアロ」
「……ああ」
スビアがドアに手を掛け、部屋の外に出る。ドアが……閉まる。私は手で口を抑えた。彼を呼び戻さないように。足音が聞こえなくなるまで。身体が震える、涙を耐えて、嗚咽を漏らさないように。
足音が、消えた。
「あぅ…ぁああ、あ~~~~~うぅ~~ッ……」
これでもう、スビアは私という負担を捨ててくれた。良いんだこれで。もう涙は止まらないけど、彼の顔は二度と見れないけれど、最後に感じた温もりはきっと忘れないから。私はそれで大丈夫だから。
だから「泣き虫なお前は、初めて見たぞ」……「ぅえ?」
窓の外から、スビアがこちらを覗いていた。大きな花束を持って。優しい笑みを浮かべて立っていた。
「な、なんで?」
「戦友じゃなくなったからな。そしたら俺達、ただの男と女だろ?」
「何を馬鹿なことを言っている?」みたいな顔をするんじゃない。君が何を言っているんだ。
「そしてモリアロ、俺はお前に一目惚れを、恋をしていたんだ。5年前初めて武闘会で会ったあの日から!!」
「ッ!?」
花束を持って近付いてくるスビア。椅子をどかし、片膝を付いて私の顔を見る。ああ、止めて。そんな優しい顔をされてしまったら、もう私は抗えなくなる。そんな素敵な青臭さを見せられたら、顔が羞恥で染まってしまう。
「お前が俺の負担になるというなら、俺は戦友を止めよう。だが、恋人であるなら、想い合う者同士なら、愛し合う者同士なら一緒に居ても良い筈だ」
花束を私の膝元に置いて、また手を握ってくれた。
涙が……壊れた蛇口のように溢れ出す。
「その涙を理由を教えてくれるか、モリアロ?」
想いの止め方など、もう忘れてしまった。
「……分からないよ。スビア…私は、ただ……ただ、諦めていたのに。なのに、頭の中は君と戦い合い、笑顔で語り合ったあの武闘会での思い出ばかりが甦るんだ。君の顔が、声が、今のこの温もりが、愛おしく感じてしまうんだ」
失って初めて気づく自分の心は、隠す場所もなく口から漏れ出て来る。
「好きだ……好きだよ、別れたくない。君と一緒に居たいんだ。武闘会なんてどうでも良い、君と居られるならなんだって構わない。この身体を君の所有物にされるなら喜んで差し出したって良いんだ。でなきゃ、私の涙は止まらない……あっ…」
抱きしめられた。頭を撫でられ、耳元に彼の吐息を感じる。凄い、凄いっ!!好きな人の温もりとは、こんなに幸福を感じてしまうのかッ!!
「俺もだ、モリアロ……2人で生きよう」
「……けど、私は。こんな体なんだ。君にばかり負担を掛けてしまうよ」
「知らん!!どうにでもなる!!!」
「そ、そんな安易では駄目だと思うんだが…」
戦闘でもそうだが、スビアは割りとノリで戦うところがある。それが日常面だとこうなるのか。ちょっと不安になってしまったが、私が主導すれは大丈夫だろう……何故が既に私は2人の暮らしを考え始めているんだろうか。
コンコンッと、本日2度目のノック音。ドアが独りでに開き、何かが入ってきた。スビアは一瞬で剣を引き抜き私の目の前に立つ。私は魔法をスタンバイしたが、
「あーもしもしお2人さん?」
それは、光を出して浮いている、人型の何かだった。ピンクの頭と、見覚えのある顔と声で、二人で顔を見合わせた。羽の生えた……小人?
「もしかして……アイドリー、なのか?」
「そうだよ~」
「確か、優勝者の人だったね。どうしてここに?というかその姿は……いや、野暮は言わない方が良いのかな?」
「そうしてくれると嬉しいかな」
「モリアロ、アイドリーが俺の背中を押してくれたんだ」
「そうなのかい?」
アイドリーはふよふよしながら私の前に降り立つ。その姿は非常に愛らしい。「まーねー」と言いながら頬をポリポリしている。
「で、えーと……良い雰囲気だったならごめんね?ちょっと朗報を持って来たんだけどさ」
「いや、君のお陰でこうなれたのだから野暮は言わないでくれ。それで朗報とは?」
「その身体、治してあげる」
「「…はい?」」
アイドリーはこちらに有無を言わさず、何かの魔法が発動した。
「モリアロッ!?」
「え、あ…え?」
訳も分からず、身体が光に包まれていく。しかしまるでぬるま湯の中にいるような感じがしてしまう。とても心地の良い……
「はい終わり~」
「「……」」
いつの間にか、感覚があった。左手、右足、左足。全ての感覚が虚像ではなく、実感としてあった。2本足で立てた。アホ面を晒してこちらを見ているスビアがなんだか面白い。
「じゃ、私はこれにて。これは秘密でよろしく~じゃっ」
そしてアイドリーは、その場でドロンとピンクの色の煙と供に消えてしまった……
「……奇跡が、暴風と一緒に来て全ての災厄を吹き飛ばしていったかのような、そんな感じだな」
「ああ……だけど」
私は、自分の腕でスビアを抱きしめる。この気持ちのまま彼を離さないように。私の心は既に決まっているのだから。
「確かに感じる。私は……君の隣で歩けるよ、スビア」
「……ああ、ああッ!こんなに嬉しいことはないッ!!」」
アイドリーには、いつかお礼をしないとだな……
一般人には『妖精』という存在は知れ渡っていません。不思議な小人さんです。