第118話 スパルタレディ
一体彼女に何があったんだろうかと、机の上に置かれた食器を見つめながら彼は思う。こんな筈ではなかった。彼女はもっと従順でおしとやかで、自分の全てを許してくれるそんな存在だと思っていたのに。
だが蓋を開けてみれば、恐怖に怯えることもなく、彼女は真っ向から対抗したのだ。
朝は食事のマナー、昼間はレーベルラッドの仕来り、教会での作法、教皇の仕事内容の把握、昼食を挟んだら教皇も一緒になり新しい聖書の改定、夜にまた食事のマナーとギッチギチのスケジュールとなっている。
剛谷はシエロを妻にするからには奴隷の首輪も付けられず、また婚姻には絶対必要だという押しの強さに負け、なんとか覚えようとするのだが……
「ほら、また違いますよ。そちらはまだです」
「うっ……巫女、様?こんなの夫婦になった後でも「は?」ひっ!」
「剛谷様。私達の婚姻式は即ち、世界を代表する勇者とその巫女の晴れの舞台なのです。当然各国も注目することになります。なのに肝心の剛谷様がその様な事ではまともな婚姻の儀すら行えません。結婚してはい終わりではないのです。マクゲイル枢機卿が式場の準備をしているのでしょうが、貴方は私とのこれからをどうお考えなのですか?」
「どうって……?」
「貴方が私の夫となるからには、次期教皇になるのですよ?当然聖書は全て覚えなければなりませんし、毎日の国民へのお言葉も考えなければなりません。仕事とて一つも疎かに出来ず、それが死ぬまで続くのです。それが『教皇』という立場になる人間の責務なのです。その覚悟が本当に貴方にあるのですか?」
思わず剛谷は呻いた。そんな覚悟は微塵も持っていない。仕事は全て他の者にやらせようと思っていたし、後の全ての事は枢機卿に任せ、自分はシエロと毎日甘い生活を過ごすのだと思っていたのだから。当然なんの準備もしていない。
何も言えずにいる剛谷に、シエロは呆れた顔になる。
「本当に私と結婚がしたいのですか?私とて数年すれば夫を婿として迎える覚悟を担う身ですが、その候補として挙げられていた方々は皆誠実で、この世界に骨を埋める覚悟を持つ人達でした。私の『神眼』のスキルはそれを判別出来ますから間違いはありません」
他の男達と比べられる屈辱に、剛谷がキレそうになるが、気持ちだけは負けてなるものかと。自分なり言葉を返す。
「確かに俺はそいつらより粗暴かもしんねぇけどよぉ……シエロちゃんを想っている気持ちは本物のつもりなんだぜッ!?疑うのかよッ!!そ、それに。妻は夫の言うことを聞くもんだろうがッ!!」
「夫を支えるのも妻の役目なのです。これから結婚する相手と言うならば、尚のこと私は言わねばなりません。でなければ周りが納得しないのです。貴方が何か一つミスを犯せば、笑われるのは国民全員なのですから。貴方は国の顔となる以上、全てに置いて完璧であろうとしなければならない。それは私と婚姻を結ぶ上で避けては通れない道です。拒否をすると言うならば、私も拒否せざるを得なくなります」
「んなっ……く、国がどうなっても良いのかよッ!!教皇も殺すぞッ!!」
「それでどうするのです?」
「……え?」
シエロの表情は変わらない。怒りも無く、哀れみも無く、ただ無表情を貫き、淡々と事実を叩き付ける。
「教皇を殺せば、私は悲しむでしょう。枕を涙で濡らすでしょう。しかしそれで終わりです。どんなに足掻いたところで私は『巫女』なのだから。やることは何も変わりません。次の時代への礎になるのが今の私の使命なのです。私に必要なのは、それを共に担ってくれる方なのです。……想いだけでは、愛だけでは足りないのです、剛谷様」
「う……くっ!!!」
止めの言葉に、剛谷は乱暴に部屋の扉を蹴っ飛ばし、出て行った。扉は粉々となり、廊下に残骸が広がる。しかしシエロは溜息を付くだけで、また静かにご飯を食べ始めた。
「んだよ……なんなんだよあの女ッ!!!くそッ!!くそぉッ!!!」
「おいおい、言い負かされたからって何も教皇の部屋まで来ないでくれないか。仕事の邪魔だよ?」
「黙れぇッ!!!」
何の反論も浮かばず、ただ逃げるだけしか出来なかった剛谷は教皇の部屋まで押し入り、部屋の隅っこで膝を抱えてた。
日ノ本はいつもとは違う剛谷を見てクスクスと笑う。それすらも癪に障ったのか、剛谷は怒鳴り散らして近くにあった椅子を思いっきり日ノ本に投げたが。
「おっと」
当たる直前、椅子は空中で細切れになり地面に落ちる。剣を抜く姿さえ見えなかったことに教皇は驚くが、身体は勝手に机に向き直り、また粛々と仕事を始める。
「まったく、癇癪なんて起こしていたら巫女さんの良き夫になれないだろう?君が望んだ君の地位なのだから、とっくに覚悟なんて決まっていると思っていたよ。僕には絶対、いや、勇者では多分朝比奈でも不可能なぐらい、彼女と歩む道は大変だからね」
今更そんなことを言い出す日ノ本を睨み付けるが、ここ3日、たったの3日で剛谷は分からされてしまっていた。単にシエロがスパルタだったということもあるが、レーベルラッドの上層とは、本来一般人が入れるような場所では無かったのだと。
「どうするんだい?今ならまだ止められるし、平和的にやり直せると思うよ?」
「……馬鹿言うな、処刑のこともあんだぞ。それに、国民は俺の味方なんだ。どう足掻いてもあの女は俺と結婚すんだよ……なら、多少痛めつけても良いよなぁ?妻の躾も夫の役目ってやつ……くひ」
「……そういうの、向こうの世界じゃ許されないの知ってるかい?」
「だいじょうぶ?いたくない?」
「ええ、問題はありません。魔法で痛みは完全にありませんでしたから」
「まさか暴力に手を出すとは思わなかったね……」
夜に戻って来た剛谷は、躾と称してシエロを殴った。勿論手加減はしているが、美少女を殴るとか遂にやってはいけない一線を超えてしまったね。半身の『妖精魔法』で衝撃を緩和したので違和感無い程度に誤魔化せるけど。
というか美少女を傷つけるとか。何人類の至宝に手あげてんの?愛で攻め落とすのが正解でしょうに。
「にしても、責めたねぇシエロ。追い詰め過ぎじゃない?」
「最後の1つだけ道を残す以外は、全てを潰さなければなりませんから。悪い事だとは思いますが、私も負ける訳にはいきません。最終的には『妖精教』まで繋げねばなりませんし」
「それはまた……まーだ諦めてないんだね」
「勿論です♪」
良い笑顔だ……まぁ、その顔が見られるなら良いさ。さて、今日はもう夜、明後日には婚姻式だ。
私も行動を開始する為に大聖堂の外に出る。行先は『聖鎧』のある城の塔。
「まっくろくろ~?」
「本当に聖剣の特性なのか、疑いたくなるよね~これは……」
美香達と同じように中に入ろうとしたけど、地面にはびっしりと『呪い』が設置されていた。『妖精の眼』で見ると床面が全部真っ黒になってるんだよね。壁もところどころ黒いし、手摺りにも満遍なく付いている。執拗だなぁ。
だがしかし、私達は妖精なのだ。飛べば全てスルー出来るのである。スイスイと上がっていき、部屋の前までさっさと到着ッ!!さて、ここからだね。扉にも大量の『呪い』が設置されているから。普通に手で開けることは出来ない。
「ということで妖精魔法の出番さね」
「さねッ!」
念動力のような感じで発動、2人の手で「うごけ~…うごけ~…」とワヤワヤやりながら鍵を開け、扉を開けて行く。ちなみに隣でやっていたアリーナのは真似です。可愛いです。
そして、遂に美香の『聖鎧』を発見した。
鎧の形は美香の身体にフィットしているようなフォルムだね。んー……胸の形卑猥じゃない?あれだと谷間丸見えだよ?けしからんな。持って帰ったら早速着替えて貰おう。そして録画水晶に保存しよう。
聖鎧は牢屋の中に掛け台と一緒に保管されていた。これまた牢屋も『呪い』だらけだったので念動力でワヤワヤと動かし……えぇ。
「聖鎧にも付いてんだね……んーどうしよっか?」
「せいけーん?」
「ああ、使ってみる?」
アリーナの提案により、聖剣を発動して斬ってみた。おぉ、『呪い』だけ斬れて霧散してくね。そのまま鎧に引っ付いている『呪い』を全て消すと、元の純白の鎧が姿を現した。
よっし、これで収納してミッションコンプリートだ。
「さぁたったと帰って渡してあげよう」
「ぷれぜんと~♪」
ということでご飯の差し入れついでに渡しに行った。美香は久しぶりに戻った聖鎧を天に掲げて感動の声を上げる。顔、顔がヤバい。
「おぉ~~~私の聖鎧、戻ってきたぁ~~~ッ!!」
「もう失くすんじゃないよ?」
「失くした訳じゃないもんッ!!」
美香は早速鎧を着こんでいき、本来の勇者の姿に戻った。具合を確かめているようだが、何か違和感があるようで怪訝な顔をする。
「どしたの?」
「いや……うん。何か、前よりも軽い……のかな?気のせいかもしれないけど。スキルも普通に『聖鎧』だし」
「多分美香が強くなったからじゃない?前と違ってステータスも遥かに上がってるんだし」
「かな?まぁいいや。ありがとうアイドリー、これでようやくちゃんと戦えるよ。具体的には剛谷をボコボコに出来るよ」
「ああそれについてなんだけど、ちょっと良い?」
「え?」
私はこれまでの剛谷の映像を美香に見せてみた。狂気に染まった姿、シエロとのやり取り、そして暴力を振るったシーン全てを。
「あ、あいつなんてこと……シエロは平気なの?」
「むしろやる気出してたよ。逃げ道ほとんど塞いでやるんだってさ」
「うわぁ……ねぇ、婚姻式当日に戦うんだよね?」
「そうだけど?」
「アイドリーはどう動く予定なの?」
「え……まぁいっか」
私はまだ誰にも言っていない計画を美香に話した。基本は武闘会でやったことと似ているけど、シエロの要望により今回は結末を変えている。
「………」
言い終わると、美香は黙って拳を握った。そこにどんな感情が入り混じっているかは分からないけど、納得するには困難なものだとは分かる。
「……はぁ、アイドリーはいつもハチャメチャだなぁ。わかったよ、私もその通りに動く。けど、少しは手加減してあげてね?」
「考えとく」
「考えるだけで終わらせる気でしょ!!」
っち、流石日本人。察しの文化国だ。それよりほら、アイドリーズには勝てたの?
「まったく……ほら、あの子で最後だよ。2人目は魔法主体だったから、最後はどっちもなのかな?」
「そうだね。一応リミットは明日の夜までだけど、ギリギリまでやる?」
「やるよ。多分、そんなに時間掛からないけど」
「……そう。ならこれ夜ご飯ね。夜は暖かくして寝るんだよ?」
「うん、ありがとう」
ということで私は宿屋に帰って来た。まだちっこいレーベルとアリーナがベッドでキャッキャしていたので、そこにウフフを加えに飛び込む。
「あ、クアッド。今日何してた?」
「レーベル殿と食べ歩きしてましたな」
「クアッドは凄かったぞ主よ。行く店全てが絶品だったのじゃッ!!」
「いつも通りなことで……」
「勇者ソバに勇者饅頭、勇者ピザに勇者肉じゃッ!!」
「待った、最後のだけおかしい」




