第101話 旅立ちの名を
纏っている魔力の光が霧散していくと、黒髪黒目の魔女の姿をした『日本人』に見える女性が姿を現した。女性はゆっくりとこちらに歩きながら話掛けて来る。
「よくやったと褒めてあげたいんだけど、最後にダンジョンの防衛機構に引っかかってしまったね、残念。けどそのお陰で私が話せたのだからこれは幸運と言う他無い。いやぁ誠に嬉しいな」
「……えーと」
「ああごめんね。彼と同じで私も久方振りの客人にテンションが上がっているんだ。周りのシステム達は私が抑えているから安心して欲しい。その左手首の紐を伝って彼が君を助けに来るし、大丈夫。君は帰れるよ」
「あの、貴方は誰なの?」
饒舌な口を一端閉じて貰って、こちらの質問を受けて貰うことにした。駄目だ、相手のペースに呑まれるとこちらが理解する前に話が進みそうな気がする。
「これは失敬。では自己紹介をしよう」
深々とお辞儀をしながら、魔女は告げた。
「私の名は苗・赤羽・セルベリカ。このダンジョンを作りし16人の魔女の内の1人にして、勇者の子孫だ。といっても魂だけの存在だがね」
此処に来て予想外の登場人物だね。まさかおじいさんが言っていた創造主の1人に会えるとはね。これは慎重に言葉を選んだ方が良いのかな……いや、けど聞きたい。
「……そう。私はアイドリー。聞きたい事が多々あるんだけど、それらを全部差し置いて1つ。あの20層のは?」
「私の傑作だ」
「ふざけんなッ!!死ぬかと思ったんだよッ!!?」
「ふはははは、ならばダンジョン製作者冥利に尽きるね……けどすまない、あれはそうせざるを得なかったんだ。どうしても、ね…………アイドリー、聖鎧を出してくれないかい?」
「え、ああ良いよ」
渋々と私が聖鎧を出すと、苗は嬉しそうにその鎧に触れた。愛おしい存在を労うかのように。
「そうか…戻れたんだね………よし、もう良いよ。仕舞って」
「良いの?」
「ああ、思い入れが深いだけなんだ。それを浄化してくれてありがとう。さて、では話を始めようか。その鎧も関係あるしね」
魔女は指を振って映像を流し始めた。それはかつであった時代。歴史の中に消えて行った人間達の軌跡。
「私を生んだ人は、勇者の妻にして『賢者』と呼ばれた人だった。当時の歴史の中では、勇者は一度の転移では数が少なくてね、魔王に対抗する為に子孫を残そうって話が多かったんだよ。それでって訳じゃないけど、2人はこの世界で愛し合い、私という子を成した。そして魔王と戦い……死んだんだ」
「負けたの?」
「いや、勝ったよ。他の勇者が止めを刺したからね。けど、そこで悲劇は起こった」
魔王が差されると、そこからドス黒い煙が噴出し、死んだ勇者の聖鎧に入っていくのが見えた。
「持ち主を失った聖鎧は、勇者以外の人間が悪用しない為に大抵の場合力を消失させるんだ。けど、その時聖鎧はまだ力を失っている最中だったみたいで、そこに魔王が乗り移った。魔王には呪い系のスキルがバンバンあったからね。まんまと聖鎧は凶悪な魔物として生まれ変わってしまったんだよ」
エルダーアーマーとなった聖鎧が、次々と勇者達を殺し、魔王の座っていた玉座の前に立ったまま停止する。映像がずーっと下がっていくと、ボロボロの王城、そして魔物だらけの街並みがあった。
「ここって……」
「元は国だった場所だよ。今はダンジョンになってるけどね」
「やっぱりそうなんだ……」
勇者が居なくなった世界で、呪われた聖鎧が残った。呪いを撒き散らし、全てを殺し尽くすまで止まらない哀れな鎧が。
「世界は大混乱さ。勇者が1人として帰ってこなかったんだからね。どこもかしこも魔物の被害で地獄絵図。けど、自分の父が残した聖鎧を、私はどうにかして救いたかったんだ。唯一の形見だしね……それで仲間と一緒に作り出した。『ダンジョン魔法』を」
「ダンジョンって自然物じゃないの?」
「そうだよ。ダンジョンは周囲の環境を吸い取って生成される突然変異型の『空間系』の魔物と言える存在なんだ。けど、それには必ず『ダンジョンコア』が存在する。普段は見えない場所にあるけど、探せば必ずあるんだ」
「そして、そのダンジョンコアを手に入れたんだ」と苗は言う。ダンジョンコアを使って、生成のプロセスを解き明かし、その機能を使って聖鎧をダンジョンの奥底に閉じこめたのだ。絶対に誰にも来られないようによ。表向きは普通のダンジョンを装って。
「20層は、普通の人間では絶対に通れないし、勇者でも『罠外し』のスキルを『EX』のランクで持っている人間が居なければ絶対に突破されない布陣だったんだ。なのに、まさか子供達を使ってあんな少人数で来るとは思わなかったよ。しかもその勢いのままノンストップで聖鎧を単独撃破。腹が痛くなるほど笑ったね」
「お、おう……じゃあ、何で貴方達は魔女なんて言われたの?」
「簡単なことさ。ダンジョンなんて本来は人間にとって害ある魔物なんだ。そんな物を作り出せば、『魔女』と呼ばれもする。実際は、ダンジョン運営の利権が欲しくて民衆を煽り、私達を排除しようとしたに過ぎない。私の仲間達は、幸せに逝けただろうか…それも心残りだな。私は、このダンジョンを管理する為に、人柱となってしまったからね」
……ん?管理?
「ちょっとちょっと、それってあのおじいさんの仕事じゃなかったの?」
そこで、苗は笑顔を無くし、表情が暗くなった。声のトーンも下がる。映像も消して、手を顔を覆る。懺悔のような声で苗は告げた。
「あの子か……あれは完全に予想外だったんだ。私達はダンジョンコアを媒体にして生まれる妖精が存在するなんて知らなかった。知らずに私が先に管理者になってしまったことにより不具合が生じ、中途半端に生まれてしまったんだよ。その所為でダンジョンコアから出ることが出来ず、誰にも干渉することの出来ない存在が誕生した」
それが彼女の最大の誤算、そしておじいさんの不幸の始まった理由か。
「けど、それならダンジョンコアの中で意志の疎通は出来なかったの?」
「言ったろ?私は最早魂だけの存在なんだ。こうして魔力の力を借りて今は形を作ることが出来たが、あの子が居た頃はそれすら出来なかった……歯痒かったよ。ひたすら冒険者達を見て必死に何かを学び取っていくあの子の姿を見ることしか出来なかったことに……だから今回のことは、なるべくしてなったんだと思う。救い出しに来たのが同じ種族の者だなんて、ロマンチックじゃないか。あの子はやっと解放されるんだ……」
本来の管理者として存在出来ると、苗は力無く、だが心底嬉しそうに笑った。
これが真実か。苦くて苦しくて悲劇しか無かった話の末路か。そうかい、なら……今度はこっちのターンで良いよねぇ?
「決めた。貴方も外に出す」
「……は?」
「もう話している間にこの空間の9割方は貴方から引き剥がしたよ」
「いつの間に……どうやってそんなことを?」
「妖精魔法に不可能は無いということだけは冥途の土産に覚えておくといいよ」
周りのシステムは全て掌握し、新しい核をぶち込んでおいた。ダンジョン妖精の在り方をそのままトレースし、スキルとして片っ端から嵌め込んだのだ。もう此処に魂を縛る枷は無い。
「……しかし」
戸惑う彼女が否定の言葉を吐く前に、私は言葉を被せて黙らせる。
「逃げ口上は言わせないし逃がさないよ。おじいさんに会って、ちゃんと話してあの世に居る仲間達の元に行きなよ。貴方だってこんな場所にずっと1人だったんだから。どちらか1人だけがハッピーエンドなんて私が許さない。そんなことを妖精は絶対に認めない。だから、」
左手首の紐から、光の手が出て私を掴んだ。私はもう片方の手を伸ばす。1人で何も出来ずに嘆き続けた、可哀想な魔女へと。
「来て、苗。最後にあの子へ、旅立つ為の名を与えて欲しい」
「…………はぁ、負けたよ。まったく、妖精とは凄いな……」
苗が私の手を取ると、私達の身体は、その紐の先へと引っ張られ、空間が光に潰されていった………
「出た、おじいさんッ!!」
「掴んで参りました。出しますぞッ!!!」
ダンジョンコアから姿を現したおじいさんは、突っ込んだままの手を思い切り引っ張り、私の親友が姿を現した。
「「「アイドリーッ!!」」」
「無事じゃったか主よッ!!」
皆が駆け寄ってきてアイドリーの安否を確認するけど、アイドリーはダンジョンコアから手を離さない。どうしたんだろう?
「アイドリー?」
「ああ、ごめんアリーナ。ちょっとこのお馬鹿さんを引き摺り出すから待ってて。ほら、恥ずかしがるなこのコミュ障。沢山の人の前に出るのが恥ずかしいとか今更言い出すんじゃない。さっきのマシンガントークはどうしたのさ?い・い・か・ら・出ろッ!!!」
アイドリーが無理やり引っ張ると、またキュポンッという音と供に、人間が1人ダンジョンコアから出て来た。おじいさんが一番狼狽えてるね。
「……創造主様?」
漸く落ち着いたね。私といつものアリーナと小さくなったレーベルはクタクタになったので、今はモーリスにソファーになって貰ってそこに座っていた。そして子供達には苗とおじいさんを円状に囲ませて座らせている。お互いが逃げないようにする為に。そこに美香が話しかけて来た。
「アイドリー、あの人もしかして日本人なの?」
「ハーフだってさ。父親がこの世界の人と結婚してたんだって」
「あら、ロマンチック」
好きねロマン。私も大好きだけど。さて、苗は何か凄いモジモジしながらおじいさんを見ている。さっきの話を全ておじいさんに聞かせたんだけど、おじいさんは落ち着いていた。
「……初めまして、と言うべきなのでしょうか?まさかすぐ近くに創造主様がおられるとは思いませんでしたが」
「それは、しょうがないさ……私だって君と話したかったのに、何も出来なかったんだから」
「はは、お恥ずかしいですな。若い頃は色々と試して馬鹿をやったものですから」
「けど、あんな状況下でコアの外に出る術を見つけただけでも、君は私なんかよりよっぽど凄いさ………本当に、ごめん。ごめんなさい……」
おじいさんはそれに応えず、苗の頭をゆっくりと撫で始めた。恐る恐る苗が顔を上げると、優しい笑みを浮かべたおじいさんが見ている。
「良いのです。多くの悩みの果てに貴方も命を捨ててまで世界を守ろうとした。その結果がなんであれ、正しいことをしたのだと、私は思います。お互い寂しい想いをしましたが、それを共有出来る相手がちゃんと居たという事実の方が、私には嬉しいのです。だから、そんな顔をしないでください。私は、貴方にありがとうを言いたいのですから」
「……そうか。なら私は、これまで尽くしてくれた君に。これから輝かしい未来を歩む君に贈り物がしたい。最初で最後の、生み出した親として」
「……謹んで、お受け取りいたします」
膝を折って頭を下げるおじいさんに、苗は頬に手を添えておじいさんの顔を持ち上げた。2人とも笑顔だった。
「君に名を与えよう。『クアッド』という名を。父の世界では『無垢』という意味らしい。そしてそこに私の母の性を加えなさい。君は今日この時より、『クアッド・セルベリカ』として生きるんだ。精一杯幸せを甘受し、幸福の道を歩み続けて欲しい……」
苗が、足元から消え始める。自身を構成していた魔力が切れ掛かっていた。アリーナがそこに魔力を足そうとしたけど、私はその手を抑えた。ごめんね……けど、
「満足して逝く人を、止めちゃいけないよ」
「……うん」
私はアリーナを肩に抱いて、その行く末を見守る。
おじいさんは、添えられた手を両手で包み、涙を流しながら言った。
「承りました。母よ、どうか安らかに……お眠りください」
「ああ……さらばだ、愛しき我が子よ」
首元まで消えかかった苗は、こちらを向いて、少しだけ頭を下げる。
「アイドリー。どうか、我が子を……クアッドを頼んだよ?」
「うん。絶対に後悔する人生は歩ませないと誓うよ。だから……ゆっくりお休み、苗」
「ああ……お休み……」
1万年を孤独に生きた勇者の子孫は、離れていながらも、短いながらもお互いに愛を感じ合えた存在に満足し、天に昇って行った…………