古いもの、新しいもの
そういえば、今度私の通っていた小学校の校舎が取り壊されるらしい。
全校生徒が30人程度しかいなかった小学校。卒業してから何年も経ったが、少子化の影響で全校生徒はどんどん減っていたらしく、廃校寸前だったという。
学校を取り壊した後には、どうやらマンションが建つとのことであった。
なるほど、土地の有効活用である。
自分が幼い頃の六年間を過ごした校舎がなくなるという話を聞いた私は、「ああ、そうなんだ」としか思わなかった。
特に小学校には深い思い入れもなかったし、思い出の教室や場所があるわけでもない。言ってしまえば、春になったから雪だるまが溶けてしまったような、自然現象のようなイメージだった。
でも、その話を電話で私に教えてくれた母親は違った。
「あんた達のせっかくの思い出の場所を取り壊すなんて、なんて非常識なのかしら」
と、言っていた。
聞くところによると、私たちの代を含めるその小学校の出身者たちが校舎を保存する運動を行っているらしい。「私たちの思い出の場所を壊すなんて許せない」と、賛同する者に署名を集めているそうだ。
そういうわけで、進学を機に地元を離れていた私にこの報せが届いたというわけである。つまり、母親は私にもその署名に参加しろ、ということが言いたいらしい。
「とりあえずあんたが参加するって言うなら代わりに私が書いておくから。どうする?」
私はその問いにイエスで答えた。
正直な話、その小学校の校舎がなくなったとしても私には何の問題はないのだ。と同時に、その校舎があったとしても私に何の問題もない。ただここで断ってしまうと、その弁明の方が面倒と思えたのでそうしたのだ。
「わかったわよ。じゃあ書いておくからね。それとたまには帰ってきなさいよ」
私は次の長期休暇での帰省を約束し、電話を切った。
なぜみんなはわざわざ署名を集めてまで小学校の校舎を残したがるのだろうか。私には今ひとつ理解できなかった。
頭の中でひとしきり考えた後に、私は再び電話をかけることにした。
それは母親にではない。
今の時間は夜中の11時。彼女はまだ起きているだろうか。そして今から会うことを快諾してくれるだろうか。
そんな不安を抱きながら、私は彼女の電話番号をプッシュした。
家の近くにある24時間営業のファミレス。人も従業員もまばらだった。
ここは私と彼女が二人で会うスポット。いつもはもう少し早い時間から会うのだが、今回は私が急に呼びつけた形だったので、こんな遅い時間になってしまった。
夜ご飯をすでに食べ終えていた私は、いつも通りドリンクバーを単品で頼んだ後、ホットコーヒーをカップに注ぐと、彼女の到着を待った。
五分ほど待つと、彼女が到着した。
「こんばんは、待たせてすまなかったね。いや、でも呼びつけられたのは僕の方だから、このぐらい待たせるのは許容範囲かな?」
そう言って彼女は私の向かいの席に座った。
彼女は私の大学での友達だ。
同じサークルに属している、という以外の接点はないが、家が近いこともありよく二人で帰ったり、お互いの家に行ったりをしている。
彼女とは様々な話をする。何か話のタネになりそうなことがあると、どちらともなくここに誘う。今回も話のタネができたので、彼女を呼びつけたのだ。
店員を呼んで、彼女はドリンクバーを単品で頼んだ。
いったん席を離れた彼女が帰ってくると、グラスにはメロンソーダが注がれていた。それをストローで一すすりすると、彼女から話を切り出してくれた。
「では早速、今回はどんな話なのかな?キミの話を聞かせてくれ」
「ええ、わかったわ」
私はそう言って、私が彼女に話したいことを話し始めた。
「建物のことなんだけど」
「ほう、建物」
彼女が相槌を打つ。
「ええ、たとえば古すぎる建物ってあるでしょう?平安時代に建てられたものとか。そういうものを残しておいてみんなでありがたがるってのはよくある話だと思うの」
「まあ、全国どこの観光地でもそれは行われているね。神社とかお寺とか」
「それって、何か意味あるのかしら」
私はここで一呼吸おいた。
彼女の顔を伺うと、特に変化は見られない。
私は続けた。
「今の時代ではそんな昔の建物より優れたものはいくらでもあるわ。強度も見た目も優れているものは。なのにどうしてそんな古い建物を保存しているのかしら。わざわざ修繕などをして」
そう、これが私の今回の謎。
保存することについてはなんとなくわかる。長い年月を乗り越えたその建物をみんなで讃えていると考えれば理解可能だ。でもわざわざ当時のままを保存するためにそこに修理の手を加えるのは正しいのだろうか。
多分その建物はなるべく長い期間耐えられるように当時は造られたのだろう。だとしたのならそこに手を加えるべきなのは現代での最高峰の手段であり、木造建築などはやめて鉄筋コンクリートにするほうが合理的である。というか、その方が多分長持ちするのではないだろうか。
「ふぅん」
黙って聞いてくれていた彼女は、そう息をついた。
「なるほどね。古いものと新しいもの、か」
彼女はうんうん、と頷いた。
「僕の拙い知識で思考すると……確かに難しい問題だね、それは。その点を説明しようとするのはとても大変なことだ。でも」
彼女はにやりと笑って、
「答えは出せる」
そう言った。
「たとえば五重の塔などが修復されるのは金になるからだ。そのまま朽ち果てさせてしまうと、観光客が来なくなるからね。さらに言ってしまえば、朽ち果てさせると周囲が危ないからね。安全確保という面では最低限の補修は必要なんじゃないかな」
「でも、それでは観光客が本当に見たい五重の塔ではなく、21世紀の手が加えられた改造版の五重の塔を見ることになるわ。それは本当に満足できるものなのかしら」
私は再び疑問をぶつける。私の中では、改造版の五重塔は、ありがたがる価値はないものであると結論付けていた。
彼女は少し考えていた。そして、
「すこし話が脱線するけどいいかな?」
と切り出した。
「たとえば雑誌である飲食店が掲載されたとするよね?そうするとそのお店に客が押し寄せる。そしてその雑誌にそのお店の味が絶賛されていたとすると、その押し寄せた客は10人中9人は必ず絶賛するだろう。みんなが言うとおり。まぁもちろん残りの一人みたいな天の邪鬼な奴もいるだろうがね。でもほとんどの人は絶賛するだろう。だってそのお店は美味しいことになってるんだから。世間一般的に」
まぁ、否定はしない。
「そう、客は世間と同じ感想をもちたいと思いたい。それと同じだよ、建物も」
彼女は言った。
「昔からある建物はすごい。それだけでいいんだ、どんなに補修されていようとも。観光客はそんなものがそこにあったという事実で楽しんでいるというわけだ。言ってしまえば、正直建物なんかなくったって彼らはそこに思いを馳せるわけさ。四次元的にね」
そう言って彼女は目の前のメロンソーダからのびるストローに口をつけた。緑色の液体が、グラスのなかでシュワシュワとはじける。
つまり彼女の言い分では改修しようとしまいと、そこにあったという事実が重要であるということになる。
「じゃあ、あなたは建物を改修する意味はあまりない、と考えているということ?」
「うーん、いや僕はそう考えているわけではないのだけれどもね」
彼女は考えながら言った。
「”テセウスの船”の話を知っているかな」
テセウスの船?聞いたことが無い。
「これはただの思考実験というか、まぁあまり深く考える必要のないものなんだがね。ある岸に船が座礁した。その船は全く動けず、どんどん朽ち果てていったので、部品が壊れていったところはどんどん交換されていった。そのうちに全ての部品が交換されたのだが……果たしてこの船は元の船なのだろうかね」
それはどうなんだろう。パーツが全部変わってしまっていたのなら、物質的には元の船ではないと思う。でも修理しているのはそのテセウスの船なんだから、そう考えると元の船であるということになる。
「さぁ……。わからないけど、元の船なんじゃないのかしら」
「うん。ちなみにこの話を説明しようとするとアリストテレスの四元説の説明をしなければならないのだけれども……それは省こう。でもとりあえずその船は元の船であるという感覚は間違っていない」
そこで私は、彼女が言いたいことが何となくわかった。
つまり、どんなに建物に改修が加えられようと、それがもとのものであったことには代わりはない、ということが言いたいのだろう。修理する人は元の建物を修理しようとしている。それは物質的には元の建物ではないけど、さっきのように考えれば修理したあとも変わらない建物のはずだ。
彼女は再びにやりと笑った。
「なんだか、わかったようだね。簡単に言うと人は見たいものをみているということさ。見ているものが見たいものと近ければ、見たいものと認識しているわけで……だれもそんな高尚なことを考えて観光しているわけではないのさ。多分ね」
そう言って彼女は残りのメロンソーダを一気に飲み干すと、立ち上がりドリンクバーに向かった。
戻ってきた彼女のグラスには、再びメロンソーダが注がれていた。
「で、僕の疑問も聞いてもらってもいいかい?」
なんだろう、彼女の疑問とは。
「ええ、どうぞ」
「どうしてキミはこんなことを考えたんだい?なにかきっかけでもあったように思えるけれども」
私がこの疑問を持ったきっかけは……。
「とくに大きな理由はないのだけれども、古い建物を残すことにどんな意味があるのか、私以外の意見を聞きたかっただけ、かしら」
「なるほど。ではキミの考えを聞かせてもらってもいいかな。僕も個人的にすごく気になる」
私は、自分が考えていることを話すことにした。
「古い建物も新しい建物……いや、建物に限らず全てのものはどちらも必要だと思うわ。温故知新という言葉があるでしょう。古いことから新しいことを学ぶ。それが私たちの仕事でしょう?結局は古いものは新しいものの礎になるという重要な役目があるから、それを果たすためには残すのは理にかなっているわ。でも」
と私は息をつく。
「私はなにも、そんな無理して古いものを残す必要はないと思うの。ただそれだけ」
そう、残すことに意味があるのではない。残っているものから学ぶことに意味がある。そう考えた。
考えてみれば古い物を残すなんて合理的ではない。古くて無益なものは捨ててしまい、新しくて有益なものをたくさん増やすべきなのだ。
でも本当はそうじゃないのだろうと思う。
合理的な事だけをするのが人間じゃないのだ。そんな不合理は、本当は必要なものであるのだろう。
そこに至るまでの過程を無視して、なんでもかんでも古い物は残そうという結論にいたること。それこそがいけないことなんじゃないかな、と思う。
私はそこまでは口に出さなかった。きっと彼女なら、今の私の言葉でそこまでの内容を察してくれると思ったから。
「ふぅん……」
彼女はそう呟いて、何も言わなかった。でもその彼女の表情はいつも私の話を理解したときの表情で、きっとわかってくれたのだろうと思った。
そんな彼女をみて、私は満足した。
結局話は止まらず、私たちは様々な話をした。
ふと時間を確認すると、午前4時を少し過ぎたくらいであった。私たちがここに来た時にはまばらにいた客もいなくなっていた。
客は私たちだけだった。
「おや、もうこんな時間か」
彼女も時間が気になったのだろう。自分の携帯電話を見ながらそう言った。
「そろそろ僕はお暇しようかな。明日も講義があるしね。キミはどうする?」
「そうね。私はもう少しここにいるわ。いろいろ考えたいこともあるし」
そうか、じゃあおやすみ、とあくびをしながら彼女は自分の分の代金だけをおいて帰って行った。
残された私は一人で悶々と考えていた。さっきまでの彼女との会話で、私は満足できたのだろうか。
よくわからなかった
ただ、これからも私自身のスタンスは変わることはない、変える必要がないということはわかった。と思う。
半年後。
私の通っていた小学校が取り壊されることとなった。
あんなに署名を集めていたのに、卒業生一丸になって保存するように努力していたらしいのに。
あっけないことだ。壊すなんて一瞬だろうと思う。
どうやら取り壊しの日に卒業生が集まって同窓会をやるらしい。母親から、今度はそのことを知らせる連絡がきたが、今度はノーを返した。
そんな壊れていくものにみんなで集まってどうしたいのだろう。壊れるなら壊れさせてしまえばいいのに。
ふと、私は押し入れの中の昔のアルバムを探した。最近小学校時代の話をよくされるから、なんだか気になって見てみたくなったのだ。
「たしかこのへんにあるはずなのだけれど」
アルバムは押し入れの奥にしまってあったダンボールの中の一番下に入っており、長年開かれていないためホコリだらけであった。
ページをめくると小学校時代の私がいた。たぶん小学校の正門の前で取った写真だろう。ランドセルを背負った私が、今より少し若い両親に挟まれて写っている。
その写真には肝心の校舎は写っていなかった。
私はその写真をみてパタリとアルバムを閉じた。そしてアルバムを再びダンボールの一番下に戻したのだった。
多分もう二度と見ないのだろうと思いながら、私は押し入れの一番奥にダンボールをしまいこんだ。
お読み頂きありがとうございました。
羽栗明日です。
今回は少し趣向を変えて書いてみました。というのも、私は以前はこんな趣向で物語を書いていたのです。
拙作の「自転車」も実は同様の趣向でありまして、同時期に書いていたプロットを今回作品にしてみた形になります。
新しいものと古いもの。両方が存在することは不可能です、古いものを壊さずに新しいものはできない。でも古いものって壊しづらいですよね。そんなアンビバレントを、みんなは日々感じてるのではないでしょうか。
コメントなどいただければ幸いです。