プロローグ1
――-何度目になるだろうか。
彼は頭の中でそう呟いた。
『全日本高校剣道大会』
インターハイとも呼ばれるこの舞台、彼はその決勝戦に臨もうとしている。
(今高3だから三度目か...)
彼にとってそれは別段特別な事ではない。
彼は蹲踞の状態で、最後の精神統一をし始めた。
刹那、主審が号令を発する。
蹲踞の姿勢から無駄のない動きで立ち上がり、ゆっくりと構える。
中段の構えと呼ばれるその構えは、まさに基本中の基本である。
が、その構えも彼が構えるとまた違って見える。いや、彼の構えは中段の構えであることに変わりはない。しかし、その構えも彼が構えると特別な何かを帯びるのだ。
彼は相手を見る。
高校生にしてはがっちりとした体つき、身長は190㎝はあるだろうか。
パンツ一丁でレスリングをしていそうだ。
彼には相手の力量をはかることができた。
いつからだったか、細かいことまではわからない。
ただ漠然と、どちらが強いかを感じ取ることはできたのだ。
――――この試合において、彼は圧倒的に相手よりも強い。
「ぃやあああああああああああああああああああああああああああああああ」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ」
先に相手が叫び、上段から一本に決めようとしてくる。
彼を強いと認めているからこそ、普通に戦っては勝てないと踏んだからこそ、あえて選んだと言えるだろう。しかし――――――。
(......甘いな)
彼は振り下ろされる剣先を自らの竹刀を上に向けるだけで抑える、そして......
「パァァアアアアアアン」
次の瞬間、彼は抜き胴による一本を取っていた。
その後も試合は一方的に続いた。相手は初めの作戦が失敗したため、普段通り挑んだ。
己の最も得意とする戦い方で。
しかし彼はそれに対し、なんら苦戦せずにもう一本を取った。
こうして、彼の高校生活最後のインターハイは有終の美を飾り終わった。
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「ふぅ...」
彼は表彰式を終え、ひとしきりインタビューに答えた後、帰路についていた。
三年間王者の座を守り抜いた彼は、肩の荷が下りたかのような、そんな安堵の息を漏らしたのではない。
「楽しい戦い」ができなかった。彼はそんな当たり前であるかのような事を半ば諦めているかのようなため息をついたのだ。
そんな感情を抱きながら、彼は独り、帰るのであった。
電車にて二度の乗り換えを済ませた後、駅から家まで一時間歩く。
遠いと思うかもしれないが、彼にとっては苦ではない。
結局家には着くのだから、ただすこしばかりおくれるだけなのだから、と。
そうしてようやく帰宅をし終えると、時計の針は既に夜の12をまわっていた。
彼には寝る前に必ずやる日課がある。
日本刀の手入れである。
模擬刀ではない本物の日本刀、彼が祖父より譲り受けたものである。
彼の祖父はまだ存命であるが、今はまだ関係のない話である。
手入れを終えた後、彼は床に就く。
風呂はどうした、と疑問に思う者もいるかもしれないが、彼の場合は朝に入浴する。
これは幼き頃より続けている、いわばルーティーンのようなものである。
理由らしい理由はあるにはある、しかし彼にとってその理由は後からついたおまけのようなものである。
「............ようやく一日が終わる」
恐らく今現在、この日の本で最も強い剣士であろう青年、武田刀冶は、消え入りそうな声を発し、眠るのであった......




