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3/11

3:彼女は何も語らなかった。

そして、ロンサムは一つの現実を知ります。

そして、彼が差し伸べた救いの手とは?


一挙3話公開第3弾です。

(すこし刺激的なシーンが書かれています)

【小改訂しました】

 残る一つの扉。その鍵を開け中へと入っていく。

 そこは想像していたよりも風通しはよく、天井の明り取りからの光もありそれほど不快な場所とは思えない。檻の作りも手前の部屋と同じであり、部屋の区割りは全て均等だった。

 ひとつ異なるのは皆等しくベッドが置かれていることだった。ベッドは簡素なものであり、病院やサナトリウムに置かれている物と同じものだった。

 そう、檻があるというだけで、まるで病室のような雰囲気がある。そして、その中からは強い怯えと警戒を漂わせた視線がこちらに向けられている。

 よく見れば、中に居るのは歳の頃から言えばマイセンの奴隷のミーシャと同等だろうか。10歳くらいから14歳くらいまでの女の子たちが幾人も居る。いわゆる児童奴隷と言うやつだ。


「酷いな」


 俺は思わずつぶやいた。

 あらゆるものが酷い。

 傷だらけの外見。怯えてやつれ切った表情。力無く寝そべるだけの無気力さ。中には明らかに怪我をして治療されている者も居る。その姿からは明らかにある言葉が浮かんでくる。


【虐待】


 そもそも、これほどの年若い子たちなら親元で育成されるべき存在のはずだ。児童奴隷はその確保手段が悪辣であり、大抵は成人の奴隷に無理やり子作りをさせて小さい時に引き離すという手段が取られる。あるいは、わかりやすい手段だが誘拐という方法もとられる事もある。戦争難民の孤児たちを騙して拉致するのも珍しくない。

 いずれにせよ、自分がどう言う境遇なのか理解し納得する暇もない間に奴隷として虐待され過酷な人生を強要される者が後を絶たない。俺たち貴族階級の人間でも児童奴隷だけは禁止すべきだと強く主張する良識派は増えつつある。俺はその主張の正当性を目の当たりにした気がした。

 俺の苦虫を潰したような表情に気づいたのだろう。オーストが弁明する。


「マイセン様が何をお感じになられているのかわかりますよ」

「そうか」

「ですが、私自身の名誉のために主張させていただきますが、この子たちを虐待したのは私ではありません」

「では誰が?」


 俺が疑問を問えばマイセンが言葉を補足する。


「それは俺から話そう」


 俺は振り向きマイセンを見るがその表情は真面目そのものだ。


「実はオースト氏のところに官憲からある奴隷引き取りの依頼があったんだ」

「奴隷の引き取り?」

「あぁ、そうだ」

「なんでそんな事が?」

「とある子爵の爵位を持った貴族が児童奴隷を多数買い集めて監禁している事が判ってな、司法当局が不当な奴隷虐待の事件として捜査し、貴族院議会も了承の上で逮捕・告発される事となった。だが、話はそれで終わらない」

「まだ酷い話に続きがあるのか」

「あぁ、残念ながらな」


 俺がそうつぶやきながら視線を檻の方へ向ければ、痩せこけた11歳くらいの少女が毛布を体に巻きつけて檻の隅で怯えていた。まるで他人を信用していないのだ。

 彼女のそのしぐさに、一体どれほどの酷い行為が行われていたのか想像すらつかない。そう思うとやり場のない怒りが胸の奥からいてくる。


「官憲と司法当局が家宅捜索し、奴隷虐待の事実を確認して、彼女たち児童奴隷を22名保護した。いずれも食肉用の牛馬よりも酷い有様だった」


 俺はそう聞かされてある事実を思い出した。


「まさか、ミーシャの左手の指って?」

「そのまさかの通りさ」


 俺の問いにマイセンが苦々しげに言う。


「その変態貴族は、ミーシャが反抗的だと言ってお仕置き名目で裁ちばさみで一本一本切り落としたそうだ」


 俺の体の中で全身の血が逆流するような錯覚を覚える。


「他の子も似たりよったりだが、もっとひどいのはその後だ」


 マイセンがため息混じりに言う。


「件の変態貴族を逮捕した司法当局だが、その後の児童奴隷たちの処遇に苦慮することとなった。何しろここまで大規模な児童奴隷虐待ははじめての事だ。これだけ大量に児童奴隷が保護されるのも前例がない。

 通常なら修道院や孤児院などに掛け合って引き取ってもらうんだが、司法当局の担当者は事件解決を丸投げした。児童奴隷たちの引き取りをオースト氏に依頼――と、言うより逮捕特権を散らつせて強要したんだ。22名の可哀想なこの子たちを置き去りにしてな。そこで氏がしかたなく引き取ったがそこで新たな問題が起きた」

「新たな問題?」


 俺が疑問を口にすれば、今度はオースト氏が語り始める。


「それは私がご説明しましょう」


 オースト氏が深刻そうに静かに語り始める。その話し方に事情の重さを感じずにはいられない。


「私共の業界には棚卸しというものがありましてね、3月末を境に在庫として抱えている奴隷たちの整理をしなければなりません」

「整理?」

「整理と言っても捨ててしまうわけではありません。保有している奴隷たちの評価額の総額を算出して税務局に申告するのです。そして、その総額に対して税金がから掛けられます。そのため通常なら、なるべく在庫を抱えないように売り切りして在庫調整をすることになります」

「一般的な商売人と同じだな」

「はい、安売りしたり形だけ売れたりしてなんとか課税額を下げるのです」


 氏の話す内容は普通の商売人となんら変わることは無かった。


「ですが、そういう重要な時期にこの子たちを抱える羽目になってしまい支払いの宛が皆目つかなくなってしまったのです」


 オースト氏が抱える問題、それは純粋に商売としての問題だった。


「在庫調整をしようにもこの子たちでは買い手はまずつきません。奴隷としての用途がそもそも無い。心身ともにここまで壊れてしまってはさせてやれる事が何も無い。そんなものを買い取らされても私にできる事はひとつしか無いのです」 

 

 苦しげに一気に語るオースト氏の言葉には自分自身だけではなく、児童奴隷の少女たちの行く末を案じ、何もできない自分自身へのいらだちも感じられた。


「その出来る事とは?」


 氏は一瞬目を瞑ると、意を決して答えた。


「廃棄処分です」


 衝撃的な一言だった。俺は問い返す事すらできなかった。


「奴隷としての登録を抹消して、専門の業者に譲り渡します。そうしてその後の処遇を委ねるのです」


 俺は怒りを抑えながら問いかけた。


「その後はどうなる?」

「多くは海外に売り飛ばされます。プランテーション農場の農奴、鉱山の採掘奴隷、しかしそれすら無理なら、外国航路の貨物船に乗せて船員の慰み物、最悪、医学研究の実験台と言うのも有る。いずれも人としてまともな扱いはされません」


 それはこの世の闇だった。

 世界が栄光で光り輝いているのは表だけの話で、裏はどす黒く汚れていた。俺は自分が貴族として気楽な暮らしをしている事に罪悪感を感じずには居られなかった。

 だが俺は最後にひとつだけどうしても気になる疑問を聞かずには居られなかった。


「でもひとつだけ聞きたい」

「はい」

「なぜ、棚卸しでこの子らを処分しなければならないのです? 税を納めて乗り切ることはできないのですか?」


 俺の問いによほど言いづらいのか氏は沈黙してしまう。代わりにマイセンが語り始めた。


「氏はすでにかなりの借財を抱えていてね。普通ならお前の言うとおり税金を支払ってそのまま保護することもできたんだが、今回に限ってはそれができないんだ。他の奴隷商人に助けを求めたらしいんだが、利益にならないという事で皆断られたらしい」

「どこも似たような状況ですから」

「社会的信用が無いからな。悪質な貴族に支払いを踏み倒されることなんて珍しくないんだ」

「そうか、それでこの子たちを買い取ってくれる人間を探していたと言う訳か」

「あぁ、そのとおりだ」


 俺は話を聴き終えてため息をついた。話の事情としてはよくわかる。しかし、情として容易には納得できる話ではなかった。

 どうするべきか、俺は思案に思案を重ねる必要にかられていた。

 その俺の表情から俺の心情を察したのだろう。マイセンが俺に一言語りかけてくる。


「ロンサム、考えるな」


 マイセンの言葉に俺は振り向く。


「思案するより、まずこの子たちを見てくれ。そして、何が必要かを感じてくれないか?」


 そう語るマイセンは檻の中でうずくまる少女たちを指し示していた。マイセンの手の先には10人の少女たち。それぞれがそれぞれに事情を抱えながらこの檻の中に閉じ込められている。だれも好き好んでここに閉じ込められているわけではないのだ。

 そう、まさに誰かが救いの手を差し伸べねばならないのだ。


「マイセン」

「なんだ?」

「この子たちの名前を教えてくれないか?」


 俺がそう告げると俺達の足は自然と檻の並びの一番端へと向いていた。そして、ひとつ目の檻の前に立つとマイセンは彼女たちの名を語り始めた。


 ひとつ目の檻に居たのは両足を毛布でくるんで見せようとしない白髪の女の子、色白なアルビノだ。


「彼女はカチューシャ、戦災孤児だ。両足は拷問で足首の骨を砕かれた。今では歩くことすらできない」


 カチューシャは俺達と目線が合うと健気にも微笑んで会釈してくる。

 次の檻には肌が黒く髪の毛が金色の神々しい雰囲気の野性的な美少女がいる。


「彼女はシヴァ、外国から誘拐されてきた。弟が一緒に居たそうだが件の子爵様に引き離されて売り飛ばされた」


 シヴァは家族と離されたことで心に傷を負っているのだろう。俺達が近づいても敵意を持った目を向けるだけで一言も発しない。

 さらにその次の檻は白人系の双子で赤毛をしていた。まだ幼さの残る顔立ちでこの場に居るだけである種の痛々しさすら感じさせる。


「この子たちはレイラとローラ、元々は3人姉妹の三つ子だ」

「三つ子? もう一人は?」

 

 俺が問えばマイセンは苦渋の表情で語り始める。


「自害した。変態趣味の連中に輪姦されて絶望して、自ら舌を噛んだ」


 レイラとローラは二人で固く抱きしめ合ったまま怯えて顔すら向けない。俺達が敵なのか味方なのか、それすらも区別がつかないほどに怯えきっている。

 その隣の檻の子は地面を這うようにして檻に近づいてきている。俺達の声を聞いて反応したのだ。黒髪でほっそりしたシルエットの東方人、黒髪に黒い瞳の可愛らしい子だ。俺は彼女のしぐさにある事に気づいた。


「オーストさん、この子もしかして目が見えないんじゃないんですか?」

「えぇ、そのとおりです」


 オーストは檻に近づいてその子の頭を撫でてやる。


「この子の名はホウリン、海を超えた向こうから買い付けられたそうです。目が見えないのは盲妹――モンマイと呼ばれて生まれてすぐに女奴隷として買い付けられて物心つく前に薬品で目を焼かれてしまうんです。東方のとある国にある闇社会の習慣です。言葉も通じない異国に連れてこられてこのありさまでは生きていくことすら困難でしょう」


 俺が檻に近づけばホウリンは檻のそばで俺の気配を察して微笑みかけてくる。どんな状況でも異性の心を和らげ楽しませることだけを躾けられて生きていたのだ。たとえ男に首を絞められても彼女なら、涙一つ見せないだろう。

 どんなに過酷な状況に置かれても苦しい表情一つ浮かべない彼女が健気であればあるほど、人間が彼女に科した欲望という名の業に怒りがこみ上げてくるのを抑えられなかった。


「この子の目に光が見えていたら、どんな世界が待っていただろう」


 オーストさんは答えなかった。俺の問いに答えられる言葉を彼は持ちあわせて居なかった。


 それから何人もの悲惨な境遇の子たちが続いた。


 褐色の肌の南洋系のマリサ、右半身に酷い火傷痕がある。焼かれた理由は推して知るべきだ。

 白い肌で青い目のクラリッサ、眼帯をしていて右目は面白半分にくり抜かれた。

 白人と黒人のハーフのマギー、外見上は異変はないが7歳で妊娠させられた。無論流産で医者の見立てでは妊娠は二度と出来ないそうだ。

 ホウリンと同じく海を越えてきたシズカ、船舶遭難の被害者で家族と死に別れ各地を転売されこの地に流されてきた。従順で聡明だったのが仇となり便利がられて何人もの男と性行為を強要されていた。

 俺達と同じ国の人種でやせ細った体のシャルロット、逃亡を図ったことで処罰され右足首を斧で切り落とされた。


 いずれもが奴隷として望まぬ人生を歩まされた子たちだった。何も彼女たちに責任はない。誰も彼女たちにこのような仕打ちをする権利は無いはずだ。もし、神が居てこの世界を見守っているというのならその神こそ盲ているかよほど馬鹿なのだろう。


 おれは思わず怒りを抑えきれずに大声で怒鳴ってしまった。


「司法は! 協会は! 貴族院は! 学会は! 貧救院は! 何もしてくれないのですか!?」


 俺の怒りを最もだと言う風にマイセンは頷きつつも俺を諌めてくる。


「落ち着け、子どもたちが怯える」


 その言葉のとおりだ、おれが突然怒鳴ったことで何人か部屋の隅へと逃れている。


「すまない」

「しかたない、俺もはじめてここの事を知った時には同じ行動をとった」

 

 俺は深呼吸をして改めて問う。


「しかし、なぜここのことを知った?」

「俺の親戚に結婚もせずに遊び暮らしている投資家気取りの従兄弟が一人いるだろう?」

「あぁ」


 思い出した。金鉱山投資で一山当てて財産を築いて、それ以来、一人で気ままに暮らしている奴が居る。スカしたヤツだが悪人ではないのは知っている。


「アイツは風俗奴隷を囲っているんだが、その兼ね合いでオースト氏とは懇意だった」

「そいつから紹介されたのか」

「そうだ。そもそも、風俗奴隷の女性たちは大抵は借金で首が回らなくなって奴隷商人に身売りした者がほとんどだ。娼館などに売り飛ばされて仕事をさせられるんだが、そいつは気に入った女奴隷を見つけると自分の館で一~二年暮らさせると借金をチャラにさせて身分開放して助けてやってるんだ」

「へぇ」

「まぁ、偽善家の道楽だって、そいつは言ってるけどな。そんな折にこの子たちをオースト氏が抱えたことを知って自分の知り合いや俺に相談してきた。できれば引き取って手伝ってくれないかってな」

「そう言うことだったのか」

「そうだ。その従兄弟もすでに二人引き取っている。俺もミーシャを引き取ってあそこまで回復させた」


 そこまで話を聞いてあることに気づいた。マイセンの家族だ。

 

「よくご家族が同意したな?」

「それか」


 マイセンは苦笑しつつ語る。


「はじめは猛反対されたよ。だが、この子たちの事情を繰り返し説明して、その元凶が俺達と同じ貴族階級の人間だったこと。このままではこの国は奴隷を世界中からかき集めるような国だと罵られることになる――って説得してようやく同意を取り付けた」

「大変だったな」

「あぁ、特に母上は終始猛反対だったからな。だがな」


 そこで表情を緩めるとマイセンは嬉しそうに語る。


「はじめは毛嫌いしていたんだが、だんだんミーシャが回復して周りに心を開くに連れて、ミーシャの素直な人柄がわかってもらえるようになった。母上も元々は女の子が欲しかった人だったから、ミーシャの事を許すまで時間はかからなかったよ」

「そうだったのか」

「あぁ、後は身分解放の手続きをとるだけだ。養子縁組とするか俺の婚約者とするかは親族会議をしているが、あと一ヶ月もしないうちにそのことも決まって身分解放の許可が降りるだろう」

「そうか――」


 そこまで話を聞いて、俺はすでに心を決めていた。これで何もせずに帰るほど俺は冷酷じゃない。だが、その前に伝えておかねばならないことがある。


「オーストさん」

「はい」


 オースト氏は俺に名を呼ばれて顔を上げる。


「ちなみにこの子たちの事はどうやって希望者に説明していますか?」

「それは、この部屋に招いて直接ですが」

「それでは無理です。この部屋に招く前にこの前の部屋でショックを受けて大抵は買う気を無くしてしまいます。何人か話を反故にされてませんか?」

「はい、そのとおりです」


 やはりそうだ。この人は奴隷商人の常識の枠から出れないでいる。それでは全ての子を売り切るのは不可能だ。


「やり方を変えましょう。この部屋ではなく先ほどの待合室で紹介するやり方に変えましょう。カチューシャやシャルロットの様に歩けない子は車いすで移動させましょう」

「はい、そう致します」

「それと、この子たちの身上書を作っていただきたい」

「身上書――ですか?」

「えぇ、そうです。名前、身体的特徴、経歴、売買上の条件、そして、何ができるか、どんな特徴があるか、一緒に暮らすことでどんな見返りがあるのか」

「見返り――」


 オースト氏は俺の言葉に意表を突かれたようだった。


「そうです。どんな子でもその子を買うことでなにか得られるものがあるはずです。例えば――」


 俺はホウリンの檻のところへと歩み寄る。


「この子は人を恨んでいない。敵意を持っていない。人に愛嬌を振りまき、人を癒やすことだけを考えている。これだけ酷い人生を歩まされているというのにその点においてはこの子は微塵も淀んでいない」


 俺の声を聞いたホウリンは、俺の言葉のニュアンスを感じたのか、両手を合わせると俺に何度も頭を下げていた。言葉が通じないのにも関わらずだ。やはりこの子は性根はとても純粋で聡明なのだ。


「初めの子のカチューシャも、歩けないと言う境遇なのに微笑むことを忘れていない。礼儀と礼節を忘れないとてもいい子だ。どんな子にもその子を助けて救い上げるための鍵はあるはずなんです。それをあなたの責任において人数分作成していただきたい。それを元に私も引き取り手を探すことにします」


 初歩的なことだったが、あまりに当然過ぎて、オースト氏も気づかなかったらしい。すぐさまに氏の表情に真剣さが増していくのがわかる。


「かしこまりました。今日中にでも人数分、作成致します」

「マイセン、お前もオーストさんに協力してやってくれ。彼だけでは気づかないこともあるかもしれん」

「分かった、協力しよう。しかし、身上書とは俺も気づかなかった。そう言うのがあれば紹介するのも楽になる」

「だろう? それにお前のあの説明では状況を理解するまで時間がかかりすぎる」

「おい!」


 それもまた当然だった。突拍子もない話し方をするコイツでは今回の事情を理解するまで時間がかかりすぎる。


「それと、少し寄付をしていきます。それを使ってこの子たちの衣装をもう少しきれいな物にしてあげて下さい。そして、できるだけ奴隷に見えないようにしてあげないと。それから檻に入れているのも、身の安全を図るためと説明するのを徹底してください」


 これもオースト氏が奴隷商人の考え方に囚われているがための失点だった。


「これは奴隷の引き取り手を見つける商売だとは考えない方がいい。孤児の引き取り手を探すようなものだ。孤児院でも養子縁組志望者に孤児を紹介するときは精一杯におめかしをさせてやるもんさ」

「はい、承知しました。すぐに手配致します」

「おねがいします。一刻も早くすべての子を助けてやらないと」


 伝えるべきことは伝えた。後は結果に向かって行動するだけだ。

 だが、俺はまだもう一人、残っていることに気づいた。


「マイセン」

「なんだ?」

「もうひとり居たな」


 並んだ檻の一番奥、ひっそりと静まり返った檻の中でベッドの上で微塵も動かない子が一人居る。


「あぁ、あの子か」


 俺達が会話をしているのにもかかわらず、その子は身じろぎひとつしなかった。


「オルガだな」

「えぇ、そうですね」


 オースト氏が深刻そうに相槌を打つ。


「どんな子なんだ?」


 俺はオルガの居る檻の前へと歩いて行く。そして檻の外から声をかけてみたが、何も反応は無かった。

 可愛らしい子だった。抜けるように白い肌。ブロンドの巻き毛で髪は腰のあたりまで長かった。折れてしまいそうなくらいに細い体だったが、絵画の中のニンフのように美術的な美しさがどことなく感じられる。その汚れた身なりを綺麗にしてやればもっと輝くはずだ。

 だが、オースト氏は残念そうに言う。


「ロンサム様。悪いことは言いません。この子はやめられたほうがいい」

「なぜです?」

「心が壊れています。話しかけても何をしても反応すらしない」


 俺はマイセンに説明を求めた。


「何があったんだ?」


 俺の問いにマイセンは言葉を選びながら静かに語った。


「オルガはある意味一番ひどい目に合わされた子だ。借金のかたに親子ともども売り飛ばされたんだが、例の子爵に買われた後に母親のほうが邪魔だと言って、この子の目の前で母親の首が撥ねられたんだ」

「え?!」


 俺は思わず驚きの声を上げた。

 

「それも子爵自らの手でな。実はその事が同じ変態趣味仲間のあいだで問題になり、もうついて行けないと仲間が手を引き始めた。その内、司法当局に密告が入って今回の告発。とうとう逮捕になったんだ」

「その子爵はどうなった?」

「爵位と貴族身分を剥奪、財産も没収。その上で離島に特赦無しの終生遠島となった。裁判を無効にしようと貴族連中にも働きかけたみたいだが、さすがに誰も協力しなかった」

「当然だな」

「あぁ――、ついでに言うと、家族や使用人達も事実を隠蔽していた事に加担したとして何らかの処分をくだされている。家系は断絶したそうだ」


 天網恢恢疎にして漏らさず――そんな異国のことわざを思い出さずには居られなかった。


「それでオルガのことだが。その母親の事があまりにもショックが大きすぎてな。言葉をなくし、一切の感情を現さなくなってしまった。食事も他人が毎日口に運んで食べさせてやってるんだ」


 俺は檻の格子越しにオルガを見つめていたが、不意に彼女が俺のことを見つめているような気がした。毛布をかぶり横たわっているばかりだったが、その毛布が少し動いて顔が俺の方を見ているように思えた。


「オーストさん」

「はい」

「彼女の檻を開けていただけませんか?」

「はい、承知しました」


 オースト氏は鍵を取り出すと、すぐにオルガの檻の鍵をあける。

 俺の意図をマイセンも察したのだろう。それ以上は俺を止めようとはしなかった。

 俺はオルガの入れられている檻の中へと入っていく。そして、オルガに歩み寄り、両膝をついて彼女の顔にそっと近づいてささやきかける。


「オルガ、聞こえるかい?」


 それまでまるで冬眠した虫のように微動だにしなかったオルガだった。だが、俺の声に彼女はわずかに顔を動かしてくる。俺はあきらめずになおも声をかける。


「オルガ、聞こえるなら顔を向けてくれ。君と話がしたい」


 そして、俺は彼女の毛布の端から覗いていた小さな手をとると握りしめる。冷えきった生気の無い手だったが生命の息吹は消えては居なかった。

 なおも反応は無いに等しかったが、それでも俺が手を握れば、オルガはわずかに握り返してきていた。


「手が動いたね? それじゃもう少し勇気を出して顔を向けてくれないか?」


 俺は諦めずにオルガに問いかけ続けた。可能性は全く無いわけじゃない。結果を信じてオルガの反応を待てば彼女はようやくにその顔をあげると俺の方へと視線を向けてきた。


「ありがとう。それじゃ俺が抱いて手伝うから体を起こしてくれるかい?」


 俺はオルガの体を抱き起こそうと右手を彼女の体の下に差し入れた。どれだけ痩せているのか、一切の重さを感じなかった。だが、そのことに驚くよりも俺はオルガの回復の可能性の方を案ずることで頭がいっぱいだった。

 右手で体を起こそうとするとオルガは抵抗を見せずに俺にその体を預けてくる。そして左手でその体に毛布をかけ直してやれば彼女は俺になおも体を寄せてきた。彼女は明らかに俺の存在に気づいている。

 今、オルガの顔のそばに俺の顔が位置している。そのオルガに俺はなおも語りかける。


「オルガ、怖かったよね、寂しかったよね。泣きたかったよね。でもできなかっただろう?」


 問いかけて、オルガからの反応を待てば。オルガはハッキリと頷いてみせた。マイセンとオースト氏の反応を伺えばふたりとも驚きの表情を見せている。あぁ、やはりそうだ。この子はまだ死んでいない。まだ生きている。ならばこの子に教えてやる事は一つだ。


「それでも一つだけ聞いてくれるかな?」


 俺は精一杯に優しく語りかけた。オルガはなおも頷く。そして、彼女は2つの視線を俺に向けてじっと見つめ返してくる。俺はオルガの髪をなでてやりながら優しく教え諭した。


「もう、君を怖がらせる人は居ないよ。君から大切なモノを奪った人はもう居ない。もう何処かに遠く行ってしまった。俺の名前はロンサムと言うんだ。これからは俺が君を大切にする。だから――」


 俺はオルガを強く抱きしめる。


「――泣いていいんだよ」


 力を込めすぎれば折れてしまいそうな細い体。その華奢で繊細な体のオルガは俺の言葉をじっと聞き入っていたが、そのうちその両手を伸ばして俺に抱きついてきた。そして、その小さな体を震わせながらすすり泣きを始めたのだ。

 俺は問いかける。


「俺と一緒に来るかい?」


 彼女は何も答えなかった。だが、オルガは俺の胸の中で確かにハッキリと頷いてみせたのだ。


時間を見ながら少しづつ執筆しています。

次話は今月後半か来月です。

(グラウザーを書きながらなので低ペースなのです)


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