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第48話 『おやこ』

フゥー……。

というわけで超ご無沙汰しております。赤鉄です。

5月中には二章が終わるといったな? アレは嘘だ。

てなわけで超久しぶりの更新となります! まだまだ拙いことこの上無いですが、少しでも楽しんでいただければと思います!


 暗闇の中、爛々と輝く双眸が開かれる。まるで爬虫類の如くぎょろりと鋭く縦に伸びるソレは、急速に飛来する向けられた殺意を正確に捉えていた。



「オォォォォォォラァ!!!!」



 烈吼一喝。荒ぶる気勢と共に、怨敵の住まう岩石で覆われた洞穴目掛け跳びかかりながら、フラァルはその豪腕を叩きつけた。


 ドゴォォォォオオオン!!!!


 岩石が粉々に粉砕される音とともに、一瞬にして洞穴の崩落が開始する。盛大に土煙を巻き上げながら敵を押し潰さんと尚も崩れ続ける洞穴から少し離れた場所に、回転しながらフラァルが軽やかに着地した。しかし、その姿は常の彼女のものではなかった。


 まず目を引くのは両手両足。それまで完全に人の姿を保っていた四肢は劇的な変化を遂げ、厚い体毛に覆われ、鋭く伸びる鉤爪。それらを持つ獣の事を、全ての生命はこう認識する。『狼』と。


 体毛に覆われている事を差し引いたとしても、尚一層太くなっていることが見て取れる彼女の四肢。それらから放たれる拳撃、繰り出される俊足がどれ程の威を持つかは、今の一撃をして推して知るべしというところだろう。


 およそ二百年振りに振るう全力に、自らの調子を確かめるようにコキコキと首をならすフラァル。彼女はルーンの母、ソニアに救われてからは平和の中で過ごしてきた。過ぎゆく年月の中で、彼女は激動に疲弊した身体を休ませるように、ただ静かに過ごしていた。


 ならば、彼女の牙は既にもがれてしまっていたか。答えはその全身に滾る、必殺を誓う研ぎ澄まされた殺意が雄弁に語っている。


 彼女は馬鹿ではない。自分がやろうとしていることをルーンが望まないことも、それが他の淫魔達を危険に晒す行為に他ならないことも理解していた。


 けれど、それでも止められなかった。自分も淫魔族の、村の皆のことも好きだ。こんな自分でも、何やかんやであの連中は良くしてくれたと、心の中で感謝し続けていた。


 だがそれでもやはり、自分はソニア様の従者で、お嬢様の――――。


『愚かな。ワーウルフの娘よ』


 崩れた洞穴から地響きのような声が届き、フラァルは神経だけを尖らせて、声の主を睨みつけながら鼻を鳴らす。


「ハッ。ノックしろってか? だったら扉くらい自前で用意しろってんだよ」

『ワシに敵わないという事は、二百年前に叩き込んでやったはずだが?』


 そう。二百年前も、彼女はソニアを守ろうと単身賢龍に挑み、そして敗れた。だが、当時とは話が違う。何せ、二百年前は『雲が掛かっていた』のだから。


「そうだな……。確かに、あんなのがアタシの全力だなんて思わせちまったってんなら悪かったな」


 ワーウルフ族は、ヴァンパイア族などのような種族共々夜間にこそ実力を発揮し、加えて月の満ち欠けによってそのステータスに影響を受ける。だが、ヴァンパイア族は月の満ち欠けの状況のみがステータスに影響するのに対し、ワーウルフ族はその月の『光』が必要だった。月の光を浴びていないワーウルフ族のステータスは、向上効果を受けられない。故に、当時の彼女は真の意味での全力では戦えなかった。


 しかし、今は違う。ほとんど雲も無く、この聖域には木々から生える葉による影が一切出来ていない。つまり――――。


「今日の空と、この場所でなら月の光は浴び放題だ。喜べクソジジイ。そんなに見てぇんなら見せてやるよ。お望み通り本当の『現実』ってやつをなぁ」


 パン、と拳を手のひらに打ち付けるフラァル。瓦礫の下で、彼女を見据えた賢龍の眼が光る。その眼が細められ、フラァルの今の力量に、ある程度の目星を付ける。そうして、賢龍がとった次の行動は――――。


『ならば、月の光を無くしてやれば良いだけのこと』


 言うが早いか、ボガン! と自らを押しつぶしていた瓦礫を粉砕しながら、賢龍がゴロゴロと転がっていく岩石の様に、半径五メートルに及ぼうかというその巨体を回転させながら高速で移動を始める。移動する先は、月の光の届かない森の中。


 実際に、その選択は定石通りだと言える。賢龍は月の光によって強化されたフラァルであっても、自分が倒すには問題ない程度の強化だと踏んでいた。しかし、だからといって相手にとって有利な場所で戦うなど生死を掛けた戦いの場であるならば愚の骨頂。故に、賢龍は戦略的撤退として逃亡を選んだ。実に合理的で、正しい選択だった。だが――――。



 彼の見立ては、本当に正確であったのだろうか。



「よぉ。散歩か?」

『!? ぬぅ!!』


 気づかぬ間に自分の行き先を先回りしていたフラァルに蹴り上げられ、数トンはあろうかという巨体が打ち上げられる。ついには先程フラァルの立っていた場所まで蹴り戻され、着地と同時に追撃していたフラァルによるかかと落としでその身体の半分ほどを地面に埋め込まれる形となり、その回転は停止せざるを得ない状況にまで追い込まれていた。


「さっすが賢龍名乗るだけあるなぁ? わざわざ蹴られに来るたぁお利口だ。褒めてやるよ」

『……解せぬな』


 賢龍の言葉と共に、球状の賢龍の身体が広げられ、中から現れたトカゲのような頭が現れる。それの持つ平たい口が瞬時に開かれ、凄まじい発光とともに中から直径一メートル程度の火球が三つ、連続的に放たれる。しかし、満月の光を得たフラァルの五感は今までの倍以上にまで研ぎ澄まされ、加えて敏捷ステータスにも大幅な向上が成されている。果たして、それらの火球はフラァルの踊るような足捌きにより、最低限の動作で全て躱され、彼女の遥か後方に着弾した。


 凄まじい爆発音と爆風。そして一瞬にして燃え広がる炎は、周囲の闇を焼きつくし、辺りを橙色に染め上げた。


 当たればフラァルでも無事では済まない。しかしフラァルは恐れない。今の自分であれば全てを避けきるだけの力と自信がある。故にフラァルはおどけた調子で肩を竦めた。


「オイオイ。テメェの住処だろうがよ。丸焼きにでもする気か? それとも腹いせに淫魔の森を地図から消そうってかよ?」

『フン。貴様に殺されるというのであれば、いずれにせよ変わらん事だろう?』

「よく分かってんじゃねぇか。やっぱ賢龍の名は伊達じゃねぇってか? ただの穀潰しかと思ってたが、悪かったよ」

『つくづく無礼な娘よ。しかし、やはり解せぬ』

「あ?」


 先程から続けざまに放たれる賢龍の言葉に、フラァルは苛立たしげな反応を見せた。


「んだよさっきからよぉ? 命乞いにしちゃあ随分と下手糞だな。相手苛立たせてどうすんだよ?」

『何。ワシには理解できなくてな。娘、貴様それだけの力を秘めていながら、何故自分より弱い者を助けようとする? それだけの力があれば、何処へでも行けよう。何故自ら首輪を繋がれる必要がある?』

「……くっだらねぇ事訊くんだな。んなこたぁなぁ……他人に訊いてる内は、一生わかんねぇよ!!!!」


 何の予備動作もなく、瞬時に賢龍との距離を詰めたフラァルの拳が再び炸裂する。賢龍は半分ほどその巨体を埋められたまま、地面を抉るようにして十メートル程の距離の後退を余儀なくされる。しかし、それほどまでの威力を秘めた一撃を見舞いながらも、傷一つ付かない賢龍の甲殻に、フラァルは忌々しげに舌打ちをする。


「まぁいい。冥土の土産にでも教えてやるよ。答えはな、『一宿一飯の恩義』ってヤツだよ」


 押し黙る賢龍に、フラァルは誇るように胸を張りながら、啖呵を切るように一歩一歩賢龍の元へと歩み寄る。いつか同じことを言っていた、何処か抜けた少年の顔を思い出して、全くその言葉通りだったとフラァルは小さく笑んだ。


「アタシは元々行き場なんて無かったんだよ。そんなアタシに、ソニア様は……いや、あの人だけじゃない……。村の連中も……何より『あの方』が、アタシの居場所をここに用意してくれた」

『……下らぬな』


 無造作に歩み寄るフラァルに、賢龍はその巨体を急速に回転させ、突進を試みる。一瞬にして常人には到底反応し得ないほどの豪速を得た賢龍は、さながら土石流のごとく、兵器と化したその巨体をフラァルにぶつけようとして――――。


『ぬぐ……!!』


 その勢いは、真正面から添えるようにして差し出された右腕によって、完全に殺されてしまっていた。その身を回転させようとするも、しかしフラァルの身体はピクリとも動かず、虚しく空転するのみだった。


「アタシはな、『助けられてばっか』なんだよ。だってのに、アタシは何も返せてねぇし、くれてやれてねぇんだよ……。恩知らずにも程があるってなこのことだな」

『ならば……貴様がしているこれは、その恩とやらに対して仇を返している事にはならぬのか? ワシを倒し、その後はどうする? 誰が貴様らを外敵から守る? 人類、魔種、神族のみならず、ヴォイドなる未知の敵まで現れた。貴様らの行路には敵しかおらぬ。ワシを殺せば、その先にあるのは確実な死だけだぞ?』


 命乞いのようにも聞こえるが、しかしそれもまた事実だ。淫魔は弱い。賢龍という守りを失えば、確かに淫魔も自分も滅ぶより他には無いのかもしれない。けれど――――。


「だったら……なんだってんだよ!!!!」


 球体の形状を解いた賢龍の前足が、フラァルを踏み潰さんと頭上より迫る。それを横薙ぎに裏拳で弾くと、隙だらけとなった脇腹目掛け、ハンマーのように賢龍の尻尾が振るわれる。ドシィッ! と低く重い音が鳴り響き、それが狙い過たず彼女の腹部に突き刺さる、が。


「守って貰えなきゃ? あぁ確かにそうだな……。アタシだって日によって力が変わるようなポンコツだし、お嬢様だってこの状況じゃおいそれと本気が出せねぇ。強い奴らに目ぇ付けられたら、終わりだ。けどなぁ、だから何なんだよ? アタシらが死ぬ? 淫魔族が滅びる? それが? お嬢様が幸せになっちゃいけねぇ理由として通るとでも思ってんのかアホンダラァ!!!!」


 確かに命中した。恐らくは肋骨が数本折れたであろう大衝撃に、口から滴る血も意に介さず叫ぶフラァル。そのままブォン、と。その尻尾を掴んだまま、その場で回転を始め、勢いを付けて放り投げると、追撃せんと地を蹴り砲弾のように肉薄する。そして、拳が砕けるまで決して止めはしないと、目にも留まらぬ速さで拳の連撃を賢龍の殻、その内の一点を目掛け、繰り出し続ける。


「二百年だ!! 二百年もあの方は……『あの子』はずっと不幸だったんだ!! 目の前で母親が死んで、未練が残ると死ぬのが怖くなるってんで、ずっと意味なく過ごそうとして!! それで報いが無ぇだと!? たったひとつのささやかな願いだって叶えられねぇだと!!?? 巫山戯んのも大概にしろやクソッタレ!!!!」

『報い? 願い? そんなものは命の前には瑣末なことだ。それに所詮はあの娘など貴様にとっては他人であろう? 何故怒る?』

「大事な誰かの幸せを願わねぇ奴が何処に居る!!!!????」


 連撃を止め、フラァルは賢龍の巨体を殴り飛ばす。更に加速を付けられた身体は、巨木に弾かれ落下を始める。フラァルは樹に着地するように脚をつけると、そのまま賢龍の弾かれた先へと跳躍する。


「アタシはソニア様じゃねぇし、資格もねぇからあの子の母親にはなれねぇ!!!! だけどな!!!! アタシはあの人の隣にずっといたんだ!!!! 誰よりも幸せになって欲しいって願い続けてきたんだ!!!! あの子に幸せが訪れるのが許されねぇのがあの子の運命だって言うんなら!!!!」


 フラァルが迫る。今まで見せたこともないような、怒っているのか泣いているのか判然としない険峻な顔つきで拳を固める。それは獲物を狩る時の肉食獣のような獰猛なものでもなく、他者を殺すと決めた時の冷徹な戦士の顔でもなく――――。



「そんな運命は、このアタシがぶっ壊してやる!!!!!!!!」



 振るわれた拳は過去最高の一撃。狙いは過たず連撃を加え続けた殻の一点。この身も砕けよと意志の力で無理矢理に限界を超えた一撃を繰り出して――――。


――――ピシッ。


 それまで傷一つ付かなかった殻に亀裂が走ると同時、賢龍の巨体は凄絶な勢いで流星のごとく吹き飛ばされながら泉に突っ込み、ドバァン!! と爆発めいた音と共に聖域一帯に泉の雨が吹き荒れた。


 雲一つない空模様の中発生した泉の驟雨に、周囲の炎はかき消される。もうもうと白煙が立ち上る中で、フラァルはその場に膝を突きながら殴りつけた腕を押さえる。


「づぁ……ってて。こりゃヒビ入った……どころじゃねぇな。ったくどんだけ硬ぇんだよ」


 使い物にならなくなった片腕に悪態を吐きながらも、しかしフラァルは達成感に満ちた顔で、小さく笑い声さえ漏らしていた。確かな手応えがあった。確実に仕留め、勝利してみせたと、フラァルは張り詰めていた神経の糸を急速に緩めながら勝利の余韻に浸り始める。だが――――。



『ふむ。実に惜しいな』



 それは愚行であったと、泉から響く声が、達成感にのぼせ気味だった頭に冷水を掛けるが如く、背筋さえ凍らせながら彼女に警鐘を鳴らす。


「づっ……チィ!!」


 しかし、既に遅かった。泉から伸びる赤黒い縄のようなものが伸ばされ、反応が遅れたフラァルは咄嗟に未だ自由が効く方の腕でガードした。縄のような物は彼女の腕に巻きつき、それと同時に泉の水を盛り上がらせながら、賢龍がその姿を表した。


 縄のような物の正体は賢龍の舌だった。口を大きく開きながら、賢龍は泉から這い上がると特にダメージを負った様子も見せずに彼女に語りかけた。


『見事。敵ながら、我が甲殻に傷を入れるとは恐れ入った。どうやら小娘、貴様の事を侮りすぎていたようだな』

「ハッ!! テメェの勝手だろ……! もっと侮ってとっととくたばりゃよかったものを……!!」


 流石に不味いと思ったか、フラァルは焦りながらも急速に頭を冷やし、冷静に状況を分析する。その末に、彼女は『問題ない』と判断を下した。疲労はあるが微々たるもの。腕は一本がたかだか『使いにくく』なっただけで、両腕共にまだまだ動かせる。両足も健在だ。まだまだ避けられるし、まだまだ追い立てられる。自分を拘束している奴の舌も、放り投げれば解く事ができる。この場において、自分の優勢は未だ揺るぎないと、彼女は一瞬にしてそう分析した。


『クク。口の減らぬ小娘だ。ますます気に入ったぞ。故に、忠告と提案をさせてはくれまいか』

「忠告だぁ?」


 賢龍は不敵な笑みを浮かべている。フラァルにとってそれは、あまりにも気味の悪いものだった。何故ならそれはどこからどう見ても、劣勢を強いられている者の浮かべる顔ではなく、勝利を確信した者が浮かべるものだったから。


 事実として、フラァルの分析は正しかった。現状生じているステータス差であれば、少なくとも賢龍に勝ちは無い。しかし、その場において重要な事を、『一体何が自分を押し上げているのか』を、フラァルは失念してしまっていた。



『どころでなぁ、小娘。月は見えているか(・・・・・・・・)?』

「なっ――――」


 その言葉とともに、賢龍の舌が引き寄せられる。今の彼女のステータスであれば、大した脅威にならないはずの力で。だが、フラァルは急に全身から力が抜け、いや、嵩増しされていた力が『元に戻り』、抗う術なく開かれた賢龍の口に引き寄せられ。



――――じゃくり。



「ぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!??」



 ギロチンの如く一息で閉じられた牙は、彼女の腕を確実に捉え、深々と突き刺さっていた。まるで噴水のように彼女の腕から血が噴き出る。しかしそうすることは容易かったろうに、賢龍は彼女の腕を噛みちぎるような真似をしなかった。代わりに、直ぐ様吐き出すと今度は宙を舞う彼女の大腿を、同じように深々とその牙を突き立てる。


「ぎぅぅぁぁぁぁあああああああああああ!!!!」


 玉散る絶叫が聖域内に木霊する。これで彼女がまともに動かせるのは無事な左足一本のみ。致命的な量の血を盛大に垂れ流すフラァルを、賢龍は愉悦に浸るように眼を細め、吐き出した。


『存外良い声で泣くではないか。よいぞ。その方がこちらとしてもやりがいがあるというもの』


 痛みを怒りで押し殺し、何があったのかと遅すぎる状況分析を再開し、そしてフラァルは見た。消化された火が燻り、立ち上った煙が月を遮っているのを。満月の月光は白煙によって大幅に遮断され、結果として自分は強化の恩恵の殆どを失った。事ここに至り、彼女はようやく賢龍の狙いが読めた。


「クソッタレが……狡賢いから賢龍ってかよ……笑い話にもなんねぇな……」

『フン、ワシが貴様の土俵で戦ってやる道理など、端から無かったというだけのこと。二百年、日和を見過ぎたせいで鈍ったか? 愚か者め』


 賢龍はフラァルを見下すように嘲笑する。戦闘とは、相手の意図を見抜けるか否かによって戦況が変わることはむしろ茶飯事だ。この場合、フラァルの目的が賢龍を殺害することであった事は誰にとっても明白であり、逆に賢龍がフラァルの力を削ぐことを目的としていたことを、彼女は見抜けなかった。その結果として、今や天秤は完全に賢龍に傾いていた。


『しかし、やはり惜しい。小娘、ワシに付く気は無いか?』

「……は、ぁ?」


 想定外を遥かに超え、突拍子もない賢龍からの言葉に、フラァルも思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。


『貴様の力は捨てるには惜しい。加え、貴様はワシと同じだ。その眼は死を知る目だ。地を知る目だ。故にワシと共に来い。ワシに忠誠を誓えば貴様が生きることをワシが許そう』

「本望……ねぇ……」


 フラァルは鼻で笑う。心底下らなさそうに吐き捨てる。


「あー。確かに本望とは程遠いな……。アタシは何一つできてねぇ。あの子は生きることができなかったが、アタシは勝手に生きてこなかった……」


 煙が晴れ、横たわるフラァルの身体に月の光が再び当たり始める。活力が漲ってくる。満身創痍の身体からは痛みが和らぎ、荒い呼吸静かに整い始める。しかし、それまでだ。如何に満月の光の加護を受けたとはいえ、ワーウルフ族の生命力、自然治癒能力が高いとはいえ、これだけの傷が動けるようになるまでは最低でも三日は掛かるだろう。そしてそれだけの時間は、今の彼女にはない。


「だから、生きてぇとは、思わなくもねぇな……そろそろよ……」

『ならば答えは決まっておろう?』

「あぁ。決まってるよ」


 フラァルは笑う。賢龍もまた笑う。今度は賢龍が、その意味を図り違えて――――。


「要るかそんなもん。アタシの生は、隣にあの子が居なきゃ何の意味もねぇんだよ」


 毅然と言い放つフラァル。それを聞き届け、賢龍の目がつまらなさそうに細められた。期待違いだったと、失望の眼を向けて、賢龍は最後の質問をフラァルに投げかける。


『では……ワシに尽くす気は無いと?』

「あぁ、それなぁ……」


 フラァルはわざとらしく考えこんで、一瞬だけ瞳を伏せる。広がる暗闇の中で、彼女は一体何を見たのか、懐かしむように微笑むと、犬歯を剥き出しにして賢龍目掛け中指を立てた。



「一昨日来やがれクソジジイ。アタシの忠誠が欲しけりゃ、三百年前に出直すこったな」

『残念だ。ならば死ね』



 賢龍は興味が失せたと、躊躇いなくその顎を彼女の頭蓋目掛けて突き進める。動けないフラァルは避けられず、彼女の死は今ここに確定事項となった。死が迫り、世界がスローモーションになる。これまで彼女が歩んできた記憶が走馬灯となって駆け巡り、そして最後に彼女が見たのは――――。



「チッ。なんでこう――――」



 お嬢様の顔ばっか浮かぶかなぁ。幸せすぎるぜド畜生。



 そして、フラァルは目を閉じた。目を閉じて、死を受け入れて。けれど――――。


『ぬっ!?』


 賢龍が驚愕したような声が、何故か『遥か遠く』から聞こえた気がした。ならば、自分は既に死んだ後で、今は地獄に引きずられていっている途中だとでも言うのだろうか? なら、地獄へ向かう船というのも、悪くない乗り心地だ。なんせ、あの子の体温があって、あの子の匂いがして、あの子に抱きしめられているような感触を味わえるのだから――――。



「もう。いい加減に起きて下さらない? 寝坊助さん?」

「は……へ……?」



 耳元で囁かれた間違えようもない声に、フラァルは慌てて目を開けた。そこにはよく見知った、もう会うことはできないと覚悟していた、彼女が愛した『フラァルの命(ルーン)』が、柔らかく微笑んでいた。


「え……お嬢様……え?」

「もう、そんなに呼ばなくても聞こえてますわよ。それとも、貴女には私が誰なのかまだ判断できないでいるのですか? まさか本当にまだ寝ぼけているというのですか?」


 その上品な笑い方に、仕草に、フラァルは目の前に居る彼女が紛れも無く自分が使えるべき主であることを確かに認識した。


 同時に、フラァルの顔面からは一気に血の気が引いていった。夥しい出血を強いられたからではない。己が守ると誓った彼女がここにいる。それはつまり、二百年前と同じ結末を、自分は再び踏むのだと思い込み、既に砕けた身体を何かから逃げるように起きあがらせようとする。


「嫌……いやだ……! 待って、アタシはまだ戦える……!! お嬢様は……貴女はまだ……!!」


 まだ幸せになっていないと、まだこれからじゃないかと。骨もほぼ砕けかけた腕で必死にルーンの腕を掴み、嫌々と弱々しく首を横に振る。満身創痍の身体となって尚己を守ろうとするフラァルを見つめ、ルーンはくしゃりとその顔を歪めると、崩壊寸前のその肢体を強く、丁寧に抱きしめた。


「もういい、良いのですフラァル。貴女だけが頑張る必要なんて、何処にもないのです。私が愚かだっただけなのです……。ごめんなさい……。私は貴女から多くの物を受け取っていたのに、肝心なものを受け止められていなかった……。私は自分を守ることばかりで、貴女に愛されていると自覚することができていなかった……」

「――――――」


 フラァルは絶句する。涙ながらに自分に縋り付くようにすすり泣き、懺悔するように告白した、ルーンのその言葉に。


「でも、フラァル。私、気付くことができましたの。本当はもっと『悪い子』になりたいって。『悪い子』になって、『わがまま』を言いたいって。けれど、それと一緒に『わがまま』を言う相手をちゃんと選べる、そんな『良い子』でありたいとも思っていますの。だから――――」


 ゆっくりと、抱きしめたルーンがフラァルから離れていく。やがて伏せ気味に向けていた顔を上げると、そこに浮かべられていたルーンの表情は――――。



「どうかお願い。貴女にわがままを……貴女を、『母』と呼ばせてください」



 何時だったか、絶対に守りぬくと決めた、屈託のない少女の笑顔がそこにはあった。



「――――ちっくしょ」


 視界がぼやける。色んな感情がごちゃ混ぜになって、外面だけは気丈に振る舞おうと思っていたけれど、そんなちっぽけなプライドは何の足しにもならなくて、涙はとめどなく溢れてきて――――。


 自分が『そう』なるなど、夢のまた夢だと思っていた。傲慢だとさえ思い、戒め続けてきた。けれど、愛する少女の時間は再び動き出し、そして同時に自分を『母』だと、そう言ってくれた。何と光栄な事か、何と幸せなことか。


「っんだよそれ……反則だろざっけんなよ……」

「なら、呼ばせてはくださらないの?」

「呼んでください……。ならせてください……なれるものならば……」

「なら呼びます。お母様以外に、『そう』呼べる人など貴女しか居ないのですから」


 そうして二人は、互いに堰き止めていた感情を吐露しあう。ポロポロと大粒の涙を止めどなく溢れさせながら、フラァルも、そしてルーンも、互いの熱を確かめ合うように、離すものかと抱きしめあう


「ごめん……ごめっ……なさっ……! アタシ、何も……何もできなかった……!」

「そんなことありません……。ありがとうお母様。いつも側に居てくれて……守ってくれて、愛してくれて……ありがとう……」


 二人は泣き続ける。自分達の時間だけが切り離されたかのような静寂の中で、互いに謝罪と、感謝の言葉を繰り返す。彼女たちは初めて、彼女たちの隠し続けてきた本音を、互いにぶつけあっていた。


 今や彼女たちを遮る壁など何処にも無く、あまりにも長い年月を経て、彼女たちは本当にあるべき『カタチ』を取り戻していた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「えー話やわー……」

「クルス……ハンカチ……」

「ねーよ……」


 彼女たちから少し離れた場所で、僕とクルスは揃っておんおんと咽び泣いていた。母娘としての形を、あるべき姿を取り戻せ、互いに抱きしめ合う彼女たちを見守りながら。


 しかし、その光景を喜ばしいものと捉える者も居れば、そう捉えない者もいる。例えば、僕らの『真隣』で巨体を佇ませる彼の様に。


『小僧、これはどういうことだ?』


 怒りを湛えた昏い声で、唸るように賢龍様が問いかける。脅すように、気迫で圧を掛けてくる賢龍様だったが、しかし僕は特に気負わず、いや、気負えずに返してしまった。目の前の光景は、それほどまで美しく、眩しいものだったから。


「どういうこと、と言われましても……」

『シラを切るつもりか? 貴様との取引は生気を差し出す代わりにロードノートの命を奪わないということだけであろうが。ならばあの女はどうしようと、ワシの勝手のはずだが?』

「そこまで分かって頂けているのであれば、話は早いですよ。単に『贄の儀』にフラァルさんも参加して頂きたいと」

『何だと?』


 僕の言葉に、ギロリと鋭い視線を向ける賢龍様。威嚇で返そうとするクルスを制して、努めて賢龍様より下手に出るよう、言葉を選びながら続ける。


「僕は生気というものがどういうものか、まだはっきりとは分かっていません。しかし、量があれば良いという話でないというのであれば安心して下さい。あくまで生気を放って頂くのはルーンさんからです。……こういうことであれば親……」

『何か言ったか?』

「い。いえ……なんでも……」


 僕の声にならないほどの小さなつぶやきに敏感に反応を示す賢龍様。僕は自分のどうしようも無いほどに膨らんでしまった性癖に辟易しかできず、しかしこの場においては何よりも可能性を持つ選択肢を生み出す事となってしまったことに誇るべきか否か悩みながら、複雑な心境に頬を掻いて誤魔化す。


 しかし、これからが本番だ。見れば、後から追いかけてきていた淫魔族の皆も荷車一杯に積み上げられたフィルストライトと共に、続々と駆けつけて来てくれている。先頭に立っていたラウゼルさんと小さく会釈をし合い、僕らも一歩前に出る。


『小僧、一体何を始めるつもりだ? まさか一族総出で離反でも――――』

「そんなことしませんよ。そんなことをしたって意味がありません」

『では何を――――』

「僕達の目的は、後にも先にもただ一つだけです」


 出来る限り自然に笑んで、涙ながらの抱擁を返し合う二人の元へ歩き出す。緊張で強張る『右手(クルス)』を一撫でし、彼女の、彼女たちの命運を背負って、僕もクルスとともに覚悟を決める。けれど、恐れはない。クルスがいる。皆いる。ルーンさんだって覚悟を決めてくれている。なら、何も恐れる必要なんて無い。だから僕は笑う。他愛のない緊張も不安も、必要ないと押し殺す。


「この村の契約、いえ、賢龍様と淫魔族の関係の維持。それも、より平和的に、より良好に。それだけです」


 誰も死んでほしくないし、誰も死なせたくはない。きっと誰もが抱くであろう当たり前で、酷く甘っちょろい願いのために、僕は右手を翳し、しゅるりと解けるようにクルスの本当の身体を露わにする。


「では、そろそろ始めましょうか」


 僕の声に、賢龍様は僅かに驚いたような顔を引き締め、ルーンさんは混乱して僕と彼女を交互に見るフラァルさんの肩に、安心させるように手を置いて立ち上がる。


 にこやかに歩み寄る彼女は、しゅるしゅると優しく絡みつくクルスの触手に身を任せ、目を瞑った。


「今夜限りの『宴』を――――」


 彼女たちの悲劇を、これまで限りにするために。


 僕はあくまで不敵に見えるように笑んで、高々と指を鳴らす。


 満月と煌めく星々が静観する中、宴のはじまりは今ここに宣言された。

ここまで読んで頂き、ありがとうござます!ブクマなどもありがとうございます!


時間を置いてから見返すと、結構考えなおさせる事が多いんですよね……(何とは言わない)

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