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第38話 背負いし宿命

いやもう、ブクマしてくださり、読んでくださりありがとうございます……そして遅れてしまい、申し訳ありません……。ちょっと嬉しすぎて床を転げまわっておりました。


勘の良い方はお気付きと思いますが、嘘です。ごめんなさい。枕を濡らしていただけです。

「おお……おほー……」

「どう? 気持ちいい?」

「いい。すごく」


 寝室に通された後、僕はまず端末で時刻の確認をした。現在時刻は二十一時を回った頃。早寝早起きが鉄則である冒険者にしても、寝るにはまだ少し早い気がする時間だ。


 それにしてもこの端末、ここまで来る途中にやはり電池は何処かしらのタイミングで回復した。それに加えて何となく綺麗になっている気もする。つい、で持ってきてしまった代物だが、クルスに次いで僕にとっても摩訶不思議な代物になってしまっていた。今度ニアに訊いてみよう。もしかしたら、彼女が何か細工でもしてくれたのかもしれない。


 今日は珍しくクルスもお疲れのようで、端末をせがまず少しだけ体を出してふかふかのベッドの上にぐでっと横になってしまった。眠気も来ないし、とりあえず僕はクルスの本日の活躍を労う意味でも、マッサージ――とは言ってもほとんどつまむ程度だが――をしてあげていた。大した力は入れていないが、ぷにょんという質感が返ってくるまでに軟化したクルスの体にとっては、この程度の刺激であっても十分に心地がいいらしい。


 しかし、改めて部屋を見渡してみると、あてがわれた部屋というのが一人用にしては大きすぎるほどに広々としていた。定番とさえ言える割ったり破いたりしたら臓器をいくつ売り払えば足りるかどうかわからない調度品もあり、慣れない環境に内心ビクビクさえしていた。それでも、近頃は魔種やらの外敵対策で地面に潜りクルスに覆ってもらって睡眠をとっていた環境に比べるまでもなく、涙が出るほど快適な環境ではあった。


 そういえば、クルスについてまた新たに判明したことが一つある。クルスは睡眠時間を必要とし、その間は起きても一瞬だけだが、寝る直前の状態を維持して睡眠をとることができるようだった。お陰で硬化されたクルス製の繭を寝袋代わりにして、僕は安全に眠る事ができていた。けれど、その中では膝を抱えるようにして寝ていたため、なけなしの『睡眠適正』アビリティで寝るには困らなかったが、やはり横になって寝れると言うのは、人間としてもとても有り難かった。


 と、そんなことをしていると、ドアの方から慎ましやかなノックの音が聞こえてきた。僕はクルスと顔を見合わせ、フラァルさんが何か言いに来たのかなと思い、やや上ずった声で返事をした。


「あ、開いてますよ」

『では、失礼しますね』


 思いがけない声の主に、僕は「へっ?」と間の抜けた声を上げた。するとゆっくりとドアが開けられ、そこからリューネイジュさんが入ってきた。それも、結構いろいろな場所がスケスケな、童貞な僕にとっては凄まじくキワドイネグリジェ姿で。


「リュッ、リュリュ……」

「しーっ。フラァルには内緒で来たので、お静かにお願いしますね」


 冗談めかして、口に立てた人差し指を当てながら首を傾けるリューネイジュさん。その笑顔はあらゆる男を骨抜きにしてしまいそうなほどの破壊力、いや貫通力を秘めていたが、僕にとってこの状況は骨抜きにされているどころでは無く、骨を余すこと無く溶かされそうでさえあった。


「あらぁ? お顔が紅いですわよカイト?」

「すすっ!! すびばじぇ!!」

「うふふ。ごめんなさいね、こんな端たない格好で」

「とととんでもござらぬ!! 大変に麗しゅう候……!!」

「カイト、二文字の方じゃねーのかよ?」

「お黙り全身隠喩野郎!!」

「んだとー!? やんのか!?」

「やらないよ!! 僕が負けるからね!!」


 売り言葉に買い言葉でちょっとした喧嘩に発展したものの、別に本気ではない。それはクルスも同じなので、互いにふざけた感じで睨み合う。それを横で見ていたリューネイジュさんは、くすくすと可笑しそうに笑うと、秀麗な切れ長の目を細めた。


「仲が宜しいですわね、貴方達は本当に」

「え……あ! すみません! 今椅子持ってきま……」


 リューネイジュさんのことを失念していた僕は、ベッドから立ち上がると部屋の隅に置いてある椅子を取りに行こうと立ち上がろうとした。寸前、するりと空を縫うように自然な動作で歩み寄ったリューネイジュさんが、僕の肩を押さえながら右隣に腰掛け、艶やかに微笑むとその身を寄せてきた。


「いっ……!!??」

「ほぇ!!??」

「うふふ、椅子など不要です。勿論、ご迷惑で無ければ、ですが」


 リューネイジュさんの殺人的なまでの美貌と、漂ってくる仄かな花のような蠱惑的な香り、そして色艶のある声。更にはそれが耳元で囁かれるものだから、自然と吐息が耳に掛かってくすぐったい。それだけで僕もクルスも色々と噴火寸前で、僕は顔と右腕が真っ赤になるという奇妙な状態に陥っていた。


 ただ、それだけでも十分に壊れてしまいそうだというのに、リューネイジュさんは驚異的なまでに成熟した禁断の果実をわざとらしく押し当ててくる上、その立派な赤黒い翼で僕らを包むように逃げ場を無くしてくる。なるほど、アダムとイブが口にしたのも頷ける。こんなの、抗いようもない。僕らは今まさに、原罪の当事者達と限りなく共鳴している事を実感していた。


「あのあのあのあの……!!」

「ダメよー……同意もなくダメなのよー……。一方的なのはイヤなのよー……」


 慌てふためく僕はともかく、クルスまで妙にしおらしくなり、顔を覆ってくねくねと首を振り回していた。クルス、キミもか同士め。


 そんな僕らが面白いのか、リューネイジュさんはくすりと笑うと、更にたわわを押し当て、ほぼゼロ距離までその口を僕の耳元に近づけ、そして大人の色香のある声で、脳髄まで痺れさせるように、囁いた。



「お嫌い、ですか?」

「「大変に幸福であります!!」」

「あら、嬉しい♪」



 言いながら、リューネイジュさんも僕の、と言うかクルスを掴んでいた腕を離し、今度は小悪魔のように映る、純朴な笑顔で楽しそうに言った。なるほど、確かに淫魔だ。夢をありがとう。


 彼女の大人の刺激から解放された僕らは、ぜぇぜぇと息を切らしながらベッドに倒れ込んだ。


「……クルス……何で触手固くしてるの……」

「……カイトの真似ー」

「クルスゥ!!!!!! 誤解を招くようなことするんじゃありません!!!!!!」

「あらあら♪」


 かなりギリギリのことを言うクルスに、やはり愉快げに僕らを見守るリューネイジュさん。結局彼女がこの部屋にきてから落ち着くまでに、結構な時間を要した。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「はぁ……それで、一体どうしたんですか? リューネイジュさん」


 どっと疲労感に襲われながら、ようやくなぜ彼女がこの部屋にやってきたのか、その訳を訊ねる事ができていた。するとリューネイジュさんは、んー、と何かを考える仕草を取りながら、僕を見た。


「そうですね、その事の前にまず一つお願いが」

「は、はぁ……お願いですか……」


 未だ軽度のグロッキー状態にあるクルスを撫でながら、身構えるように眉をハの字に歪める。


「そんなに大したことではありませんわ。ただ、呼び名としていちいちリューネイジュと言うのはお手間かと思いまして。なので、私の呼び名を考えてくださいませんか?」

「は、はい!? えと、それはつまり……」


 渾名を考えろということだろうか? しかし、そういうのはもっと親しい間柄にしてもらうとか、そういうのが基本なんじゃないだろうか? もし僕やクルスがそうであるのならば嬉しいが、少なくとも僕がリューネイジュさんと親しくなれた要素が見当たらない。


 うんうんと唸る僕を見て、リューネイジュさんは心配そうにこちらを見てきた。


「もしかして、お嫌ですか?」

「い、いえ! そんなことはないんですけど……その、僕なんかでいいんですか? その、もう少し親しい人にやってもらったほうが」

「この村の者達は皆、私のことをお嬢様としか呼んでくれませんの。勿論、そう呼んでくれるのも喜ばしいのですけれど、できればもっと『らしい』呼び名が欲しいのです。私の憧れでもありますので」


 言って、眩しい物を見るように、リューネイジュさんは僕の膝の上でぐったりとするクルスに目をやる。その眼差しをなぜか、僕はとても羨ましそうにしていると、そう見てしまっていた。


 僕はどこか釈然としないながらも、結局は「僕で良ければ」と引き受ける事にした。しかし渾名か……。全然そんな経験がないから、上手くいくかわからない。匡也くんや雪姫ちゃんのことは普通に名前で呼んでいたし、こっちに来てからだって渾名なんて考えたことはない。強いて言えば、クルスの名を考えたくらいだろうか。


 貧弱な語彙と、国語力を回し、色々と案を出していく。隣にはワクワクするように僕の声を待ちわびるリューネイジュさん。この顔、曇らせる訳にはいかない。


 リュー……安直すぎるか。ネイ? ネイ……。ネイさん……。おネイさん? 却下だ。面白く無い上に笑いを誘っているような渾名が妙にムカつく。うーん、魔法使い……、魔法……、呪文、言葉……。


 そんなこんなで、唸ること約一分、僕はふと思いついて、そんなことを口走っていた。


「ルーン……」

「――――え?」


 そう呟いた瞬間、リューネイジュさんから笑顔が消えた。けれど、そこに浮かべられていたのは嫌悪などといった感情ではなく、懐かしむような、驚いたような、そんな表情だった。


「あ、えっと……ちょっと訛らせたっていうのと、他にも理由があったんですけど……ダメ、でしょうか?」

「えぇ……えぇ! ルーンですわね。とても気に入りました! ふふ、ふふふっ!」


 一拍遅れて反応を示したリューネイジュさんは、それが大層気に入ったと言わんばかりに、子供のような無邪気な笑顔で僕の手を握ったり、自分の手を抱きしめるように縮こまりながら、可憐に何度も笑ってみせた。


「では以後ルーンと、お呼びくださいな、カイト、クルス。……ルーン、ふふっ」


 そして最後に一度、噛みしめるようにその名を呟き、またも楽しげに笑うリューネイジュさん、もといルーンさんなのであった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 それから、ルーンさんは僕やクルスの事を訊ねてきた。聞けば、生まれてから外に出たことが一度もなく、森から外の世界というものを知らないらしい。僕はそれならばと端末を取り出すと、クルスと共に撮ったこの世界の景色やらを見せようとして、誤って僕の世界の景色を見せてしまった。高層ビルとかが映っている写真だ。当然のごとくルーンさんは「これは何ですの!?」と驚愕していたので、僕はまぁいいかと、あまり口外はしないことを約束し、自分が異世界からゼニアグラスに連れてこられた『英雄候補』であることを伝えた。それに関しても、ルーンさんは大層驚いたが、クルスのような不思議極まりない触手が一緒にいるということで、彼女なりに納得はしてくれたようだった。


 そうして、色々な写真を見せていくと、とある写真に強く興味を示した。


「カイト、この大きな水の貯まりって、もしかして『海』ですか?」

「はい、そうですよ」

「まぁ! これが海!」


 言うと、食い入るようにこちらに身を寄せてきたので僕は彼女に端末を手渡す。ルーンさんはそっとそれを受け取ると、嘆息しながら海を見つめた。


「これが海、ですか……」


 そこに写っていたのは、以前匡也くんと雪姫ちゃんと一緒に僕達真月一家で旅行に行った時の写真だ。夏に、海水浴のために行ったのだが、思ったよりも海水が濁ってるとかなんとかで、妹の玲が文句を言っていたのも覚えている。玲も、元気にしているといいけれど……。


「多分ですけど、この世界の海は、もっと広くて、もっと綺麗だと思いますよ」

「まぁ! これよりも!?」

「えぇ。僕もまだ見てないから、多分ですけどね」

「凄いですわね……。本当に……外には知らないことがいっぱい。お母様の言っていた通り……」


 懐かしむように、画面の中の海ではないどこかを見るルーンさん。


「ですねぇ。僕にとっても不思議がいっぱいですし、この世界はいいところですよ。連れて来てくれたニアには、感謝しか無いです。ちょっと世話を焼かされる事もあるんですけどね」

「あらあら。ふふ」


 ニアが聞いたら確実に怒られそうな、神様に対して軽く罰当たりなことを言ってしまう僕に、ルーンさんは可笑しそうに口元を抑えて笑う。そんな彼女の反応に気を良くして、僕は何の気なしに続く言葉を漏らしてしまった。


「だからルーンさんも出ましょうよ。外に。この森も、この村ももちろんいいところですけど、一度も外に出ないなんて、勿体無いと思いますよ」


 さんざん引きこもっておいて、どの口が言うんだと謗りを受けそうではあるが、この世界は色んな物があって、実際に僕もこういう形で外に出れたことに感謝と喜びを覚えている。だからこそ、この口でそう言わせてもらいたいのだ。


 けれど、僕の言葉に、ルーンさんは申し訳無さそうにしながら、小さく首を振った。


「残念ながら、それは出来そうもありません。少なくとも、今は」

「出来ないって……どうして」

「そう、ですわね。お礼も兼ねて、貴方にならお話してもいいでしょう」


 言うと、ルーンさんは僕の方を向いて、そっと左目を隠した眼帯を取り外す。それと同時に、クルスもそちらの方を見た。


 そこには、右の金色の瞳とはまた別の、血で出来た宝石のような真紅の瞳が輝いていた。不思議な瞳で、常に瞳孔へ向けて光が流れていくような輝きを放っていて、それらも相まって僕は瞳に吸い込まれてしまいそうな、そんな錯覚すら懐いていた。



「まず、私、いえ、私達ロードノート家は、普通の淫魔の血筋ではありません。ヴァンパイアという強力な力を秘めた魔種との混血、それがロードノート家です」



 そんな僕に、ルーンさんは畏まった様子で、この屋敷の『当主』としての顔つきで、綴るように語りだした。彼女の素性と、彼女達がこれまで歩んできた道のりを――――。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 私達は、力の弱い魔種でした。身を守る術は貧弱で、外敵に晒されれば無事では済みませんでした。私達は人類、魔種、時には神族に追い立てられその数を減らしながら、千年ほど前、この地に辿り着き、そして出会った『賢龍』様と契約を交わしたのです。『賢龍』様が生きながらえる為の『贄』を差し出す代わりに、『賢龍』様は我らを守護してくださるという契約を。


 賢龍様は確かにその契約を守ってくださいました。ですが、十年に一人という間隔で淫魔族を『贄』を差し出していた我らは、徐々にではありますが、やはりその数を確実に減らしていきました。淫魔族は、他の魔種に比べても繁殖能力はさほど高くはない上、追われる身となった以上はその手法も厄介極まりない方法となってしまい、繁殖が難しくなってしまっていたが為です。


 このままでは何れ滅ぶと、分かってはいたのです。けれど、逆らえば賢龍様に力のない我々が殺されてるか、あるいは逃げ出せたとしても外の世界で滅ぼされてしまうのは自明。遅いか早いかの違いだったのです。私達は、結局従うしかありませんでした。


 そうして、百年が過ぎた頃です。とある魔種とまぐわった淫魔が、一人の子を為しました。その子は、本来淫魔の証である金眼ではなく、紅の眼を片方に宿していました。ヴァンパイア特有の、鮮血のような美しい紅の瞳を。


 その子は、通常の淫魔とは比べ物にならないほどの力を持って生まれていました。そして、それを見た賢龍様が仰ったのです。『その血筋の者を三百年に一人、贄として差し出せ』と。それが私達ロードノートの血族。つまりは、私達はこの村のため、命を捧げる義務を負った者なのです。故に、私達の身にこの村以外での自由はない。逃げようとすれば、私は民達を見殺しにする事になってしまう。私達に自由が許されるのは、血筋を絶やさないため、子を成すために外に出る、贄となる期日から十年前となってからの一年間のみ。それ以外は、他の淫魔達と同じようにこの村で生き、この村で死ぬ。それが私たちに課せられた宿命なのです。そうやって、私の先代、母もこの村を守るために、その命を若くして散らしました。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「と、そういう訳でして私に外に出ることは許されないのです。少なくとも今はまだ。だからこうして外のお話を聞かせて頂いたと、そういう次第ですわ」

「…………」


 声は出せなかった。掛けるべき言葉も見つからず、僕は俯くことしか出来ない。何だそれ、巫山戯るなよそんなの悲しすぎるじゃないか。憤りにも似た感情が、胸の内に渦を巻く。けれどそれは、千年にも渡って守られてきた契約。そんな堅すぎる鎖に雁字搦めにされたルーンさんに、差し伸べられる手も、彼女を引っ張り上げるだけの力も、僕には無い。無力な僕には何も――――。


「まぁまぁ、そも絶対に出られないということではないのです。今は出られないというだけで、後二十年もすれば私も子を成すために外に出られるのですから。それより、ここにも写っている方々は、カイトのご家族ですか?」


 僕が沈んだ様子を見せていると、話を逸らそうとルーンさんがそんなことを訊ねてきた。そうだ、ルーンさんはここから出られない訳ではないのだ。そんな事実を言い訳がましく自己否定を繰り返す頭に言い聞かせて、気を取り直して彼女の方に少し詰め寄る。


「あぁ、はい。こっちがお父さんで、こっちがお母さん。こっちの気の強そうな女の子が妹で、ちょっと困った顔をしている女の子と、笑っている男の子が僕の幼馴染です」

「? そういえば他の絵でもそうでしたが、この箱の中にカイトが写っている絵がありませんね。カイトはこの中に入らないのですか?」

「え? ぁーはは……皆を撮るのが楽しくて、つい忘れちゃうんですよねぇ……アハハ」


 思い返せば、毎回そうだった。旅行なり何処かへ出掛けると、本音は僕も入りたいのだけれど、何となく気後れしてしまっていたことと、皆の楽しそうな顔を撮れるのが楽しすぎてつい「まぁいいか」と流してしまっていたのだ。


 それを聞くなり、ルーンさんは釈然としない表情を浮かべながらも、苦笑する僕を見て釣られたように苦笑する。


「貴方がそれでいいのなら、それで。けれど、ご両親にもっと甘えてもいいと、私はそう思いますわ」

「あはは、十分甘えさせてもらってますよ……。そういえば、ルーンさんのお父さんは……?」


 彼女の母親はもうこの世には居ないと言っていた。けれど、父親はどうなんだ? 生け贄の責を負っていたのはロードノート家の淫魔。ならば、外で子を作ったとなれば父親は生きているのではと思い、しかしルーンさんは弱々しく首を横に振るのみだった。


「何もわかりません。ただ、母からは『素敵な人』ということと、『娘である私を愛してくれていた』という事以外は聞かされてませんの……。フラァルなら何か知っていると思うのだけれど、母や父の事を訊いてもはぐらかされてしまって」


 困ったような笑むルーンさん。すらっと伸びる裸足が、寂しそうに宙を踊る。


「でも大丈夫ですわ。いつかは話してくれると、そう信じていますから」

「そう、ですね。いつかきっと話してくれますよ」


 何の根拠もなく、僕はただ話を合わせる。いや、きっとフラァルさんは、そんな大事なことなら話してくれると思う。今なぜ話さないのかは不明だが、いつかは必ず。


「ふぅ。今日はありがとうございました、カイト、クルス。そろそろお暇させて頂きますね」


 言って、ルーンさんはゆっくりと立ち上がり、やはり礼儀正しく一礼をした。


「あ……いえ、なんかすみません……変に重たい感じにしちゃって……」

「ふふ、気にしていませんよ。こんなに楽しい時間は初めてでした。私の部屋はこの部屋の丁度真上にありますので、何かあれば来てくださって結構ですからね」

「あ、あはは……おやすみなさい」

「おやすみなー」

「はい、おやすみなさい」


 僕と、まだ少し気怠そうなクルスが手を振り、ルーンさんはにこやかに退室していった。


 なんか変に疲れてしまった。それに、疲れた体は正直なもので、身を包むように沈むベッドに身を委ねると、今しがたあんな会話をしたばかりだというのにもう眠気を催してくる。もう寝ようと、ベッドに横になろうとした時、クルスがドアの方をじっと見つめていることに気付いた。


「……クルス、気になる?」

「んあ? んー……」


 僕が尋ねたのは彼女のこと。はっきりせずに呻いているだけではあるが、恐らくは図星だろう。けれど、何をすればいいのかわからない、そんなところだろうか。そう見当をつけた僕は、尚もドアを見つめるクルスに一つ提案をして、眠りにつくことにした。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「ふぅ……」


 夜風に当たりながら、揺れる髪をルーンはそっと押さえる。物憂げな視線の先にあったのは、一つの『描晶石』によって映しだされた、一枚の絵だった。そこには、幼い頃のルーンと、彼女の母親と思しき女性の姿、その隣には寄り添うように優しげなほほ笑みを浮かべるフラァルの姿があった。


「なーに見てんだ?」

「あら? クルス?」


窓枠の下から顔をぬっと覗かせたクルスに、本心ではそれなりに驚いていたのだがおくびにも出さず、唐突な来訪を歓迎した。


「どうされましたの? カイトは?」

「カイトは寝た。疲れたーって。まぁあいつばっか歩いてたし、まともなところで寝れてないし、大目に見てやってくれよ」

「うふふ、お優しいですね」


 にゅるりと体を伸ばして、促されるまま彼女の隣に移動するクルス。そして、映しだされていた一枚の絵を覗きこむようにして、クルスが興味を示した。


「それ誰だ?」

「ソニア・M・ロードノート。私の自慢のお母様ですわ。貴方達と話していたら、思い出してしまいまして」

「そっか。どんな人だったんだ?」

「どんな……ふーむ……」


 記憶の扉を開きながら、考えこむルーン。やがて、昔日を懐かしむように穏やかに、ルーンは語り始めた。


「あまり覚えてませんし、自分の事をあまり語らない人でしたので詳しくは……。けれど、不思議な人だったという事は覚えています。いつも笑っているような人で、あとフラァルが居てくれるのに自ら調理場によく立っていた覚えがあります。実は私も、そんなお母様の影響か、お台所に立つのは好きなんですよ」

「あー、それで……。もしかして晩メシのスープ作ったのって、ルーンか?」

「え、えぇ。そうですけれど……よく分かりましたね?」


 驚きを見せるルーンに、クルスはふふんと胸を張る。


「一つだけ味の付け方が違ったからなー。カイトも気付いてんじゃねぇかな?」

「あら、お恥ずかしい……。感想は、伺っても?」

「んー、ちょい上品すぎかな」

「むむ……、精進いたしますわ……」

「でも」

「?」

「ウマかった。メチャクチャ」

「…………それは作った甲斐があったというものですわね」


 クルスの飾らない本心に、ルーンは良かったと、やんわりと手を握りこむ。クルスがそういう嘘を言わない。先程の感想からもそれは窺える。そして、だからこそその一言は彼女にとって何よりの励みになった。


「んでんで? 他にはねーの?」

「他に……ですか? そうですわねぇ……。たまに、お母様とフラァルと私で奥の湖にある小屋に出掛けた事くらいでしょうか? 後はお母様はあまり外に出た時の話をしてくださいませんでしたわね。ただ、『海は美しい』ということくらいしか聞かせてくださいませんでした。それに、常日頃から様々な事を学ぶよう言われましたわね。魔法のこと、武術のこと。歴史、文化、この世界の三大種族についてなど、とにかく色々。時間はあるのだから、と。耳が痛くなるくらい言い聞かされてきましたので、よく覚えていますわ」

「――――そっか」


 淡白に言って、クルスは何も言わず村の上方に僅かにできた木々の隙間から、輝く月をじっと見つめる。それはまるで、月すら超えて、その先の遥か遠くを見つめるような、不思議な眼をしていた。


「それで、何かお話があったのでは?」

「いやー、ルーンさ、これでいいのかなーって」

「……といいますと?」


 クルスの質問の意図が読めないと、ルーンはその微笑を崩して彼の横顔を見る。顔といえる部位が無いので、表情を機微を読むのは骨だが、何となく声色からしても不満そうであるという察しはついていた。


「いやさー、ルーンってもう少ししたら『ニエ』って奴になるんだろ?」

「そう、ですね。その前に一度、一年ほどの猶予が与えられますが」

「いーのかよ?」

「覚悟は出来ていますわ」

「そうじゃねーよ」

「……とおっしゃいますと?」


 クルスの言葉に、ルーンは困惑したように眉根を潜める。


「覚悟云々じゃなくてよ、ルーン自身はどうしたいわけよ。なきゃならないじゃなくて何が良いんだよ?」

「……それは…………」

「因みに言うとな、あいつ、カイトってけっこーなバカだぜ?」


 言い淀むルーンに、唐突にそんな話を始めるクルス。ルーンは沈みかけた顔から一転して、未知のものを見たような眼で彼を見る。


「いろんなことを学んだって事は、『寄生』ってのも知ってるだろ? 魔種が人類にやったらどうなるか」

「……えぇ」

「オレ様、ちゃんと言ったんだぜ? 『寄生』したら死ぬぞーってさ。それでもさ、アイツ迷わず『やる』って言ったんだ。確かにあのまま行けば俺たち共倒れだったし、状況がそうさせたって言われたらなんも言い返せねーけどさ。でも思うんだわ。アイツ、多分そういう状況にならなくたって、『寄生しろ』ってオレ様に言ったと思う。ホントバカなんだわ。人の話なんて聞きゃしねー。けど、それがすっげー嬉しくて、だからオレ様は信頼してる。アイツの事、他の誰より。多分、こっから先もずーっと」

「……なぜ、彼のことをそこまで?」

「ん? んー……」


 クルスはカイトを全面的に信頼すると言った。けれど、その根源がわからないと、ルーンは問いかける。クルスが馬鹿ではない事など、ルーンはとうに見抜いている。だからこそ、そんな彼が彼の半身とも言える人間を信頼する、その理由がとてつもなく気になった。


 そんなクルスはというと、ぽりぽりと目玉をかき、恥ずかしそうに体を赤らめた。


「そーだなー。オレ様のこと、友達って言ってくれたしなー」

「友達……ですか?」

「おー。最初に話しかけようとした奴なんて、普通に殺しに来ようとしたし、それが人類と魔種の『普通』だと思ってたんだけどなー。だけどアイツは友達なんて言ってよ。聞いて驚け? 寄生するっつった時な? アイツはオレ様と『友達』だから成功する、なんて言ったんだぜ? 笑えるだろ? それ以外にも、オレ様の為に命張ったり、色んな人とも知りあえたり、こうして外にも出歩けてる。オレ様を今のオレ様にしてくれたのはカイトなんだよ。全部アイツのおかげなんだ。身内贔屓って思われるかも知れねーけど、確かにアイツは抜けてるし、オレ様が居なけりゃ外を出歩いただけで死んじまうくらい弱っちい奴だ。だけどよ――――」


 クルスは一度区切り、一瞬だけ階下で眠る彼に視線を向けたかと思うと、安心したように吐き出した。その眼で、信頼していると、暗に告白しながら。


「――――それでもなんとかしちまう。自慢のダチだ。だからアイツがその気になったら、お前が外に出ることくらいチョロいもんだろーよ」

「――――――うっふふふ! それは……」


 空を見上げる。木々の葉に切り抜かれた天蓋には、まるで彼女の口を反映したかのような、美しい三日月が輝いていた。何処か儚げに、美しく――――。


「もしそうなれば、それはとても素敵なことですわね」



ここまで読んでくださり、ありがとうございます!! ブクマ等々もありがとうございます!!


んー……上げさせていただきました今回の話なのですが、追々細かな所を修正するかもしれません……ちゃんと作りたいなぁと思っている話なので。


他のところはちゃんと作りたいわけじゃないのかって? 君のように勘n(ry

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