第27話 魔種の住む地へ
40話行くかも分からんと言ったな? あれは嘘だ……。
どうにか30話前後で収められそうな気がしてきました!
フラグ? 何のことやら。
日の出を迎え、四時間、五時間という時間が経過していた。昨日、一昨日までであれば、既に冒険者達は駆り出され、迫り来る魔種の軍勢を迎撃に出ている筈だった。
しかし、太陽が真南に登り切るような時間になっても、一向に魔種の大群は現れず、冒険者達は安堵したような、ガッカリしたような、様々な感情を声や表情に滲ませて、陽気な喧騒の中で思い思いの行動をとっていた。
ディムシーさんの指定席とも言えるテーブルは空席になっていた。魔種の襲撃に備えて、狩場に既に移動したのだということだが、特に気にも留めていなかった僕らはそれに気付かないでいた。
僕とユーリさんはカウンター席に座り、それとなくメリゼさんとコソコソと話し合う。
「うまくいったみたいですね」
「そう、みたいですね……はは」
「ははは、しかしたまげたよ。今まで魔種は討伐か撃退でのみ対処してきたっていうのに、まさか話し合いで解決してしまうとはな」
そう、僕はあの後ミノタウロス、ゴレイ君達の村へと案内してもらっていた。勿論、彼らの遺体を送り届けるのを手伝うのが第一目的だったし、クルスも手伝ってくれたからそれ自体に時間は掛からなかった。
その時、ゴレイ君からも僕の事を説明してもらい、村に住む全てのミノタウロスと、共同で生活を営んでいたピクシー族に助力を求め、周辺魔種に川の水を飲まないよう注意喚起してもらい、とにかく問題のある川の水を飲むのを防ぐことに徹した。
結果は、大金星と言ってもいいだろう。いろんな魔種から理解を得て、皆で協力した末の結果だ。うまくいかないわけがないと、内心では確信めいたものさえ感じ取っていたが、それでもやはり嬉しいものだ。
けれど、これで終わりではない。元を断たなければ、何れはまた同じことが起こるのだから。だからこれ以降は僕が頑張る番。と言っても、僕一人では到底どうにもできないので、二人にも助力を請い願う。
「それと、午後は少しメリゼさんにお願いがあるんですが……」
そう言いかけて、僕らの間に割って入った男性に、僕の声は断たれてしまった。
「いよ~うユーリぃ!! ヤッてるかぁ~!?」
「……臭いぞバルザ。近寄るな」
間に入ってきた、既にバルザさんが、酒樽片手にユーリさんににじり寄る。ユーリさんは嫌そうな顔を隠そうともせず、あっちに行けと手をひらひらと振る。
「堅てぇこと言うなよぉ。なぁメリゼちゃんよ!?」
「細かいコメントは控えさせてもらいますが、臭い男性は嫌われるということだけ言っておきますね。バルザさん」
バルザさんは相変わらずな態度で二人にちょっかいを掛け、素気無くあしらわれてしまっている。というか彼が取る行動や言動が完全に酔っ払いのソレだし、顔もほんのり桜色。どうやらお天道さまも高いうちから『デキアガってしまっている』らしい。
「気を抜き過ぎじゃあ無いのかバルザ。まだ陽は高い。魔種の襲撃が来る可能性は、まだまだ十分に考えられるぞ」
「へーきだってぇの! 頭も身体もフラフラでもな、オレぁ弓だきゃあ外さねぇのよ」
「だといいがな……」
「んぉ? おぉ……」
やがて、フラフラした頭でバルザさんが僕に気付くと、おおー! と僕の肩にその逞しい腕を回してきた。
「よーよー生きてたな坊主! よかったぜぇ? お前さんのクソ度胸!!」
ガハハと心地良く大笑いしながら、酒樽を僕の頬に押し付けてくる上に、本人も恐らく意図してはいないのだろうが、僕の気管をその腕が時折締め付けてくる。そこに悪意などは感じられず、単に酔っ払いがダル絡みしてる、と僕は即座に抵抗を諦めた。
「カイトくんから離れろ酒飲み親父。一度ならず二度までも彼を殺す気か」
そう言うとユーリさんはバルザさんから僕をひったくるように引き寄せ、アームロックから解放してくれる。僕は苦笑しながら若干むせ返っていたが、キツ目の酒の匂いを振りまくバルザさんとは正反対の、ユーリさんの気取らない華のような香りがふわりと漂うので、それももったいないと即座に咳を止めた。
「んあ、悪い悪い。加減が甘かったか。ってかユーリよぉ。その言い草はねぇだろぉ? ちゃんと生きてたんだしよぉ」
「気をつけろカイトくん。この男はキミを見捨てておめおめと帰ってきた人非人だ」
言って、僕に刷り込むように悪意をたっぷり込めてバルザさんを罵る。当のバルザさんはどこ吹く風で、メリゼさんに酒のおかわりを注文していた。
「ってことは、バルザさんがユーリさんを?」
「んん? おうよ! やれるこたぁキッチリやらして貰ったぜぇ!」
「……ありがとうございました」
「おお?」
僕はその場で、深々とバルザさんに頭を下げた。その行為に、バルザさんもユーリさんもやや驚いたような反応を見せた。
「いや、何故そこで礼を言うんだカイトくん……」
「え? だってあの時は僕はユーリさんを逃がすつもりで動いたわけですし、それを手伝ってくれたんですからお礼を言わなきゃダメじゃないですか?」
「…………」
「…………なっはっはっは!!!!」
僕にとって、当たり前の事を口にしただけなのに、ユーリさんは目頭を抑え、バルザさんはバシバシと僕の肩を叩いてきた。
「いいねぇカイト! 道理でユーリがホレ込むわけだわ!! 俺まで惚れそうだぜ!! なぁカイトよぉ、お前さんさえよけりゃあこの女気の無い生娘を女にしてやってくれよ!」
「首から下への今生の別れは済ませているのか?」
ユーリさんがゴゴゴゴ、なんて音が聞こえてきそうなほど重苦しい気迫を背負いながら、片手で器用に剣を抜こうとする。張り付いた笑顔が恐怖以外の何物でもない。
しかし、ちょうどいいタイミングで戻ってきたメリゼさんが酒樽を置く音で、ユーリさんも正気に戻り、ニヤニヤといやらしく笑うバルザさんを睨みながら、席についた。
「店内での私闘はご法度ですからね、お姉様」
「分かっているさ。納得はいかんがな」
「あは、あははは……」
しかし、あんな鬼のようなユーリさんの気迫に当てられて、ケロッとしているバルザさんはやはり只者ではない。先程彼は僕にクソ度胸と言ってくれたが、僕としてはアナタの度胸の十分の一でもいいから分けてもらいたいほどなんですけれども。
「まぁしかし、そうだな。確かに俺はお前さんを見捨てたわけだ。そこは変わらねぇ。それに、うちの貴重な腕利きを助けてもらったわけだし、礼と詫びを兼ねて、貸し一つってぇ事でどうだ?」
やはり、酒に呑まれている訳ではないのだろう。酒気は帯びているものの、意識ははっきりと、素面と変わらない様子でバルザさんはそう提案してくる。
多分、根は義理堅い人なのだろう。けれど、人に入れ込みすぎず、自分と、自分に親しい人を第一に考えられるような、しっかりとした『ベテラン冒険者』なのだとも思う。そんな人からの提案だ。有りがたく受けさせてもらおう。ちょうど僕も人手が欲しいと思っていたところだったのだから。
「ありがとうございますバルザさん。そうしたら、少しお聞きしたいことがあるんですけれど、バルザさんは、鍛冶場って利用されますか?」
鍛冶場とは、主に武器防具を扱っている店のことだ。この街にも三箇所程鍛冶場が設けられている。商人や露天でも装備は揃えられるが、最大の違いはなんといっても『質』の面だろう。
腕利きの商人であればまた変わってくるかもしれないが、彼らが扱うのは一定の売上が見込まれた、手に入りやすく装備としての性能もそこそこな廉価品だ。だが、職人と一対一で話し合い、自分の納得の行く装備をオーダーメイドで作ってもらう。それが鍛冶場の強みだ。
だが、その分商人から手に入る武器と異なり、高くなってしまうのが難点だ。その為、駆け出しの冒険者なんかは職人お手製の武器などは持てず、熟練した冒険者や実力のある冒険者しか利用できないと言ってもいい。
「おう? そりゃまぁ、な? 俺やうちの連中は皆鍛冶場にちょくちょく顔出してるぜ? エモノもちげぇし、それぞれの店で出来が変わってくるもんで、全員バラバラの鍛冶場に顔出してるが」
どうやら僕の目論見は的中したどころか、思いがけずに上手い方へと転んでくれていた。僕は心の声でバルザさんに感謝を告げてから口を開いた。
「それじゃあバルザさん、早速で申し訳ないんですけど、貸し一つ分のお願いしたいことがあります」
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「そんなことでいいのか?」
バルザさんは拍子抜けしたような声で、僕にそう問いかける。
「はい。ただ、バルザさんだけじゃなくてバルザさんのパーティーの人達にも動いてもらわないといけないんですけれど……」
「……っはは。わかったわかった。まぁ今日は魔種の連中も来ねぇみてぇだし、連中も俺も暇してんだ。こんなもん、働く内にもなんねぇよ」
「ありがとうございます」
「おうよ。んじゃ、俺らは適当に取り掛かるわ」
ひらひらと手を振って、バルザさんは席を立った。それから、バルザさんは仲間たちのいるテーブルへ戻ると、何事か話しかけて、全員の視線が僕に集まる。
僕は慌てて会釈すると、その内の一人がニッと笑いかけて、『任せな』と親指を立ると、すぐに彼らは店を後にした。
その背中を見届けて、僕らもその場を後にしようとする。その矢先、メリゼさんが「あっ!!」と大声を上げて、声を張り上げた。
「お勘定!!!!」
そういえば、バルザさん達はお勘定を済ませずに出て行ってしまった。もしかして、さっき僕に親指を立てていたあの人が言おうとしていたのは、『任せな』ではなく『任せた』だったのかもしれない。
「あぁー……ははは」
「何をやっているんだあの阿呆共は……。仕方がない、ここは私が立て替えて……」
「いいえ! その必要はありません!! 皆さん、注目!!!!」
メリゼさんがカウンターテーブルを叩くと、わいのわいのと騒いでいた冒険者達が一斉に彼女の方を向く。
「皆さん! バルザさん一行が無作法にもこの酒場で『食い逃げ』を働きました!!!! これは許されざる犯行です!!!! よって皆さん、食い逃げ犯たちを捕まえに行ってください!!!! 今すぐ!!!!」
メリゼさんの熱弁に、しかし冒険者達はぶーぶーと文句を垂れる。なんで俺らが金の取り立てに行かにゃならんのだと、もっともな不満を垂れていく。だがそんなことはとうに見越していたと、メリゼさんは次なる一手を打った。
「捕まえてくれたパーティーは、今の食事代と、今晩分の食事代を私の権限でバルザさんに払ってもらう事を許可します!!!! さぁ皆さん!!!!」
言葉巧みに、冒険者達のこっすい部分に働きかけ、見事全ての冒険者達が言いくるめられ、彼らの目つきが金色に変わる。そして、まるで独裁者のようにメリゼさんが腕を前に出し、狩人と化した冒険者達に号令を下した。
「狩りの始まりです!!!!」
その言葉で、雄叫びとともに冒険者達が我先にと店を後にする。ある意味で、街をあげてのバルザさん狩りが始まり、僕とユーリさんは同じ感想を漏らした。
「平和だな」
「ですねぇ」
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それからメリゼさんにもある頼みごとをしてから、僕とユーリさんは北へ向かい、森を進んでいた。受け取った地図をユーリさんに見てもらい、案内する側に立つべき僕が案内をされるという、恥晒しにも程がある事態に陥りながら。
ちなみに、ユーリさんの足の怪我は完全に治っており、痛々しい包帯に覆われた左腕は、実はもう殆ど治っていた。理由は、クルスのアビリティ、『薬効体液』である。全くもって、クルス様様な状況だが、しかしあれほどの大怪我が、中級程度のヒーラーしかいないファズグランで翌日にはほぼ完治、と言うのは流石に悪目立ちが過ぎてしまうことがまず一つ。
それに、目的地が目的地だ。相手を騙すことにはなるけれど、安心感を与えるという意味合いで、ユーリさんが手負いであることをアピールしておくのは効果的だと踏んだのが二つ目だ。もっとも、理想を言えば僕とクルスだけでこの場には赴き、ユーリさんには待機していて欲しかったのだが、昨日の今日で僕を次こそは守ると息巻くどころか半ば意地になってしまっていたので、仕方なく僕が折れたのだった。
「それで、一体何処へ行くつもりなんだ?」
「えっと、もうすぐです」
それだけ言って、ユーリさんもそうか、と頷く。すると、森の向こうに一際強い光が差し込んでいる。森の終わりだ。そこへたどり着くと、一気に視界が開け、目の前に複雑な岩場が広がっているのが映り込む。
「こんな場所があったとは……」
息を飲みながら、ぽつりと呟くユーリさん。そして僕は右腕のクルスに話しかけた。
「クルス、お願いできる?」
「んー、あいよー」
クルスは僕の右腕から身体を伸ばし、僕とユーリさんの身体に巻きつけると、周囲を覆うように直径二メートル近い球体を形取り、僕らを収納する。彼のアビリティ、『テンタクルボディ』による身体の変形能力によるものだ。
もはや触手でも何でも無い形になったクルスは、その身を宙に放り出す。一瞬の浮遊感とともに、重力に引っ張られて落下する感覚がやってくる。次いで、ぼわん、というゴムが弾むような音とともに、速度のベクトルが別の方向に向く。
それを二度、三度と繰り返し、やがて下まで降り、クルスの動きが止まると球体となったクルスの身体が段々と僕の腕に戻ってくる。昨日も経験したが、やはり棒立ちのまま落ちて右行って左行って落ちてって、という運動をしている感覚というのは、どうにも慣れない。
やがていつもの目玉の生えた触手状態のクルスだけになると、僕は彼にお礼を言った。
「ありがとう」
「おうよ」
「全く……なんでもありだなキミ達は」
そんな事をユーリさんに言われた次の瞬間、僕は背後から声を掛けられた。
「お、おいでなすったべ。よくぞ来てくれましたべカイト様」
「あ、どうもこんにちは」
「カイトくん、誰か……!? カイトくん! 下がれ!」
「へっ!? わぁぁぁぁぶ!!」
そこに、岩場の影に居たのはミノタウロスだった。窮屈そうに巨体を丸め、見張りをするかのようにその場にどっしりと腰を落ち着けていた。
それにいち早く反応したのはユーリさんだ。ユーリさんは僕の襟首を掴むと、強引に後ろへ放り投げる。するとそこには池のような貯水槽があり、僕は盛大にそこへ突っ込むこととなった。けれど、そのままで居るわけにもいかないので、即座に立ち上がり、僕はユーリさんに制止を掛ける。
「ぺっぺっ!! ユーリさんストップ!!」
「むっ!?」
「ひぃぃぃ!!!! 堪忍、堪忍だべ~~~~!!!!」
見れば、ユーリさんは既にミノタウロスとの距離を詰め、その首にユーリさんの愛剣をあてがっていた。姿勢的に、今の数瞬を片手だけで、だ。見張りのミノタウロス、マルボ君が半べそで命乞いをしている。
確かに、人類と魔種はこれまで意思疎通ができず、生存圏を争う形で戦い続けてきたというのは分かる。わかるが……。
「これじゃどっちが悪いんだかわからないよ……」
僕は改めてユーリさんという冒険者が魔種たちにとってどれほどの脅威なのか、改めて思い知らされることとなった。
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「全く、こういうことは早めに言ってもらわなければ困るぞ……」
「いや……僕もそこまでは予想できませんって……」
完全にマルボ君からユーリさんが危険視されてしまい、距離を取りながら岩場に隠れた洞穴を進んでいく僕達。まぁほぼ完治してしまったユーリさんに、特に何の説明もなくミノタウロスに引きあわせたら、こうなってしまうのは自然なことだったのだろう。僕は反省しつつ、マルボ君に心の中で謝る。
一番恐ろしいのは「人類は片手でもこれほどの動きなのか!」とミノタウロス達を不用意に怖がらせてしまうことだったが、ユーリさんの名前は魔種の間でも有名だったらしく、そういうことにはならずに済みそうだった。
何度曲がったかわからなくなってきた頃、洞穴の先に光が見えてくる。それと同時に、マルボ君が安心したようにこちらへ振り返った。
「つ、ついたべ」
「うん。ありがとう」
「? 一体何が……」
洞穴を抜け、その光に視界が一気に白む。光量の変化に目が慣れてきた頃、ユーリさんは小さく息を漏らした。
「これは……」
直径およそ二百メートルといった円筒状に切り抜かれたように広がる空間だった。そこが未だ地面の下であることは、形成されている絶壁が土によるものであることと、空を覆うようにして木々の根や蔦が網のように頭上の土を結んでいる事からも窺える。
神秘的とも言える光景に、思わずユーリさんは見とれているようだった。実際、僕も初めてきた時は驚いたし、日の高い時間帯に来たのは初めてだ。初回とは違った光景に、僕も小さく溜息を吐く。
「ぴっ!! カイト! カイトだ!!」
甲高い声のした方へ向き直ると、遠巻きに見て豆粒のような何かが段々と大きくなる。それがピンポン球程度の大きさに見えるようになる頃になって、僕はそれが誰なのかを判別することができた。
「あぁピーちゃん。こんにちわ。昨日ぶりだね」
「ぴ、昨日ぶり昨日ぶり! こんにちわー!! クルちゃんもこんにちわー!!」
「おー」
「あ、紹介しますねユーリさん。この子はピーちゃん。妖精族の子です」
「よろしくぴー!」
「……あ、あぁ……よろしく……」
彼女とは、昨日知り合い、仲良くなった妖精族の子だ。ミノタウロスの集落に来て、何故妖精族がいるのかというと、互いが互いを補えるということと、お互いの生態が互いにほとんど悪影響を与えないため、単純に共生しているとのことだった。
妖精族はミノタウロス族に比べて魔法適正が高く、広範囲に念話を飛ばす魔法にも精通している。そんな彼女達の頑張りにより、僕らは迅速に周辺に住まう魔種にこの情報を届けられ、今朝も起こっていたであろう襲撃は回避することができたのだ。
ちなみに、この時に人間であり、クルスを寄生させた僕が珍しいとして、近付いてきたピーちゃんとは特に仲良くなれたのだった。
困惑するユーリさんの隣で、僕は飛んできたピーちゃんの頬を指でつつく。彼女の身体は小さいので、指先だけで身体が半分程隠れてしまう。しかしピーちゃんはこれがお気に入りらしく、僕の指を抱きかかえるようにし、楽しそうに頬をすりすりとこすりつけていた。
すると、楽しそうに僕の指先にじゃれついていた彼女が、ふと何かを思い出したように切り出した。
「ぴ、そうそうカイト。川の水なんだけどさ、やっぱり『ノファルの迷酒』が混ざってるっぽいよ」
「え? もう分かったの?」
実はこの妖精族、自分たちで薬の調合なども行うため、錬金術系の知識にも明るいらしく、その為今回の川の水に含まれていたものが何なのか、突き止められないかと頼んでみたところ、このピーちゃんが快諾してくれたのだった。
「んーん。でもそろそろ結果が出ると思う。だからちょっと覗きに行こう? ねっ? ねっ?」
言って、僕の手を掴んで先へ行こうとするが、当然のごとく動かない。あれ? とポカンとした顔で僕を見上げるピーちゃんに和まされながら、僕は隣のユーリさんに断りを入れる。
「それじゃあユーリさん、僕はちょっと行ってきますけど……」
「あぁ……私はここで待っているよ。どうやら安全そうだし、それにさっきからそこの彼女が何を言っているのかもさっぱり聞き取れんしな……」
言って、ユーリさんは入り口近くの土壁を背にして、気疲れしたように座り込んだ。
確かに、言葉がわからないと、精神的に疲れても行くし、謎の疲労感も覚えてくるものだ。僕はそれならと、ユーリさんに一礼して、ピーちゃんに連れられるまま集落の奥へと向かった。
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カイトが立ち去ってから、ユーリは壁にもたれて座り込んでいた。手持ち無沙汰で、集落の様子を茫洋と見つめる。これは邪魔だなと、左腕に巻いた包帯を雑に外して。
この集落は、家屋が十軒に満たない程度が集まってできており、見れば畑や、小さな鍛冶場のようなものも見受けられる。こうしてみると、魔種が人の真似をしてこうした暮らしを営んでいるのか、それとも人が魔種の暮らしを真似て、今の形態で日々を過ごしているのか、なんてことも考えてしまう。
本当に平和な、長閑なごく普通の田舎の集落。そんな印象を、いつしかユーリは受けていた。
それらが全てミノタウロス族のものであることを除けば、田畑を耕し、その脇で子どもたちが戯れ、大人たちは狩りへ赴いたり、談笑にふけったり、薪を割ったりと、我々人類となんら変わりのない生活を送っていた。
「もしかして、キミにはこれが見えていたのかな? エルフィ」
遠い日の、決然とした目で『魔種との共存』を訴えてきた親友の姿が脳裏に浮かぶ。それから暫くして、まさかな、と薄く笑うユーリだった。と――――。
「ん?」
ふと、視界の端に何か動くものが目に入った。それは茂みからこちらの姿を伺う数体のミノタウロスや妖精の姿だった。
しかし、ミノタウロスにしても妖精にしても、先程彼女が見たそれらよりも遥かに小さい。恐らく、まだ子供なのだろう。
彼らは外からやってきた、カイトとはまた別の人類に恐怖ではなく好奇の視線を向けている。
ユーリが彼らに気付いて目をやると、驚いたのか慌てて茂みの中に隠れたが、その程度で消沈してしまう程、子供の好奇心というのは脆いものではない。しばらくすると、また茂みから彼女の様子を伺う子ミノタウロス達であった。
ユーリは自らのアイテムポーチに手を入れ、何かないかとポーチを弄っていく。すると、半分ほどの理由で簡単に熱量を摂取できるという理由から持ち歩いていた飴玉を見つける。もう半分は、単に自分の好みだ。
数は二つ。彼らはミノタウロス族が二人と妖精族が二人。さてどう分けたものかと思案しながら、ユーリは立ち上がると膝のホルダーから取り回しやすいナイフを取り出す。それを武装と見なして、ビクッ、と怯えた様子を見せる子ミノタウロス達。ユーリはその場から動かず、一度だけ彼らに笑んだかと思うと、無造作に飴玉を真上に放り投げる。
やがて彼女の目の前に飴玉が戻ってきたかと思うと、風を切る音とともにユーリのナイフを持った腕が『消える』。ユーリの腕がまた見えるようになると、ユーリはナイフを素早く仕舞いこみ、下三分の一ほどが綺麗に切られた飴玉を器用にナイフを持っていた方の手でキャッチ。
そのまま無造作に子どもたちの方へ歩み寄っていくユーリ。そして、あと一歩で触れられるというところで止まり、しゃがみこんで彼らと目線を合わせた。
「食べるか? 私の街の名物の一つだ」
そう言って、ユーリはその手を開いて差し出した。右手には先程の下の方が切れた飴玉、もう片方の手には切れた部分が綺麗に縦に十等分された飴玉が握られていた。
子どもたちは互いに顔を見合わせると、ユーリにそろりと歩み寄ってそれらに手を出し、そして物珍しい人間の食する食べ物に、そのあどけない顔を無邪気に輝かせた。
「はは、美味かったか。何よりだ」
子どもたちの笑顔に、ユーリもまた自然と頬が緩んでしまう。だが、不意に自分の身に影が落とされたことで、その表情は自然と引き締まったものになった。
目の前、ほんの至近距離に、一体のミノタウロス、ゴレイが立っていたのだ。ぬん、と威圧するようにも見えるその姿は、ユーリでなければ即座に身構えていたか、パニックになっていたかもしれない。
その目を見て瞬時にあの時のミノタウロスであったことに気付いたユーリ。だが、不思議と敵意や殺意を感じていない彼女は、特に慌てる様子もなく、自分を見下ろすミノタウロスをじっと見上げている。なんとも言えない空気の中で二人の間に挟まれた子どもたちは、オロオロとユーリたちを交互に見た。
ミノタウロスはやがて背を向けながら、しかししばらくユーリから目を離さなかった。
「ついてこい、ということか?」
ユーリがそう呟くと、ミノタウロスは歩き出した。ユーリもまた立ち上がると、左手に握られた細切れの飴玉を子ミノタウロスのうちの一体に預けた。
「これを持っていてやれ。女の子に優しくするのも、いい男の条件だ」
ユーリがそう言うと、その子ミノタウロスはブモォ! と鳴きながらその場で暴れだす。それを受けて、ようやくユーリはその子ミノタウロスが女の子であることを知った。
外見だけではオスメスの区別がつけにくいミノタウロスだが、言われてみれば目元が少しキュートだな、などと考えながら、怒るミノタウロスの頭を撫でて申し訳無さそうに苦笑する。
「ははは、すまないすまない。女の子だったか。悪かった。それじゃ、少し行ってくる。気が向いたら、またここで待っていてくれ」
それだけ告げて、ユーリはミノタウロスの後を追った。その後姿に、頭を撫でられた子ミノタウロス以外の子どもたち(全員メス)が、ぽっと顔を赤らめていた。
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ついて来た先は、集落の更に奥。入ってくるのに使った洞穴とはまた別の穴の先で、ろうそくの炎のみで照らされた、薄暗い場所だった。
少し開けたその場所で、更に進んだミノタウロスはゆっくりと停止し、その場に座り込んだ。それによって、彼の前にあるものが何であるかを、ユーリは理解した。
盛られた土に、石材で出来た十字架とも取れる標が突き立てられており、その前には集落の皆で供えたものであろう、花束やら食べ物やらが並べられていた。そう、ミノタウロスの、ゴレイの仲間たちの墓であった。その時になって、ユーリはこのミノタウロスが先日のミノタウロスであることに気付いた。
ずしりと腰を下ろしたミノタウロスは、あぐらをかいて一筋の涙を流した。その隣に、ユーリもまた膝を下ろすと、ミノタウロスの方は見ず、ただ声だけで問いかけた。
「私も、祈りを捧げても構わないか?」
ミノタウロスはユーリを見ず、ユーリもまたミノタウロスを見ず、ユーリは沈黙を肯定と取り、両手を合わせて静かに目を閉じた。
ユーリは祈っていた。人間ではないからどうではなく、ミノタウロスだから不要だろうではなく、彼らを、一人一人の死者として、ただ彼らの冥福を祈っていた。
「お前は、強いな」
ややあって、ぽつりとユーリが囁くように漏らす。
「私も、仲間が居たよ。皆死んで、墓もある。だが、墓参りをしたことはまだ無い。お前のように、仲間の死に向き合えてはいないんだ」
ユーリの独白が、彼らの眠る地の空気を仄かに揺らす。
「私が殺したようなものだったからな。カイトくんは恨んでないと言ってくれたが、怖いんだ。まだそうだって信じきれなくて」
しばらく、静寂がその場を支配した。答えなど元より期待していなかったユーリだが、しかしミノタウロスはただ彼らの墓標を見つめ続け、小さく声を漏らす。その眼に、もう涙は流れていない。
「ヴヴォオ……」
「――――そうか」
その時、何と言っていたのか。ユーリにはわからない。ユーリにはミノタウロスの言葉が伝わっていないから。けれど、その目が、その声色が、根拠も何もなく、「きっとうまくいく」と、言っているようにユーリには聞こえた。
『許してもらえる』でもなく、『恨んでない』でもなく、『うまくいく』。この言葉に、ユーリはある意味カイトの言葉よりもすとんと胸に落ち、地に足がついていなかった心が、ようやくあるべき重力に捉えられたような、そんな感覚を覚えた。それは即ち、『残された者が考える、折り合いを付けるべきことだ』という事に他ならないから――――。
ユーリは肩の荷が少し降りたように、穏やかに微笑んでミノタウロスを見上げた。
「ありがとう、と言っておくよ。私にはキミの声は届かんが、キミが悪さをしたとしても、命だけは見逃してあげよう」
「ヴ、ヴォ……」
この上なく不穏当な、彼女が言うことで冗談に聞こえなくなる質の悪いジョーク。その後、ユーリの口からにこやかに「冗談だ」と聞けるまで、ゴレイは生きた心地がしなかったとか。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!!
キーワードにバトルと書いておきながら、バトルしねぇじゃねぇか!! という声も上がっているとは思いますが、申し訳ありません……主人公がヘタレなものでして……。
追記:修正しました……カイトくんは何処まで言っても方向音痴。いいね?
すびばぜんでじだ……(号泣)