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第24話 死者の生還

何か左の頬骨?の辺りが痛いですね……変に風邪の影響でも受けたかな?

季節の変わり目、皆さんも体調には十分お気をつけ下さい。

「バルザァ!!!!」


 夜の帳が下りきったギルドの酒場。今日も激しい連戦を切り抜け、生命の実感を確かめるためにお祭り騒ぎだった場は、一人の女声の怒号と、ガタン、という荒々しい音によって静まり返った。


 騒ぎの発端となったのはユーリ・スラチカだ。先程まで二階の自室で気を失い続け、起き抜けにろくに自分の格好の確認もしなかったのだろう。サラシのようにぐるぐる巻にされた包帯と、元々着込んでいたボトムス以外何も着込んでいないという、女性にしては無防備にすぎる装備で大衆の面前にその肌を晒していた。


 しかし、そんなことも気にしている余裕はない程憤怒に塗れた人相と、満身創痍とはいえこの街最強の冒険者が牙を向いて唸っているという事実に、それを冷やかそうと言う度胸のある冒険者はこの場には居なかった。


 だが、まさにその怒りの矛先であるバルザ本人は大して気にした風もなく、胸ぐらを掴まれたまま酒の入った小樽を呷った。

 

「何故私を……!!」

「置いてかなかったってか? 何言い出すかと思えばそれか。まぁ開口一番、『どうして見捨てた』、なんて言われるよかマシか。思ったよりオツムは働いてるみたいで安心したぜ」

「話を逸らすな!!」

「そう怒るほどのことでもねぇだろ。お前、例えばあの坊主と知り合って間もない誰かさんが生命の危険に晒されてて、どっちかしか助けられねぇってなったら、お前はその誰かさんの方を助けるようなイカレた脳味噌でも持ってんのか?」

「そういうことを言っているのではない!! 何故私を置いて行かなかったのかと訊いている!!!!」


 ユーリの剣幕は、『青狼』の名にふさわしく、獲物の首を噛みちぎらんとする狼のソレと同等か、それ以上の凄みを含んでいる。今にも斬りかかりそうな一触即発の空気に、誰もが息を呑む。だが、沈黙を破ったのは、ユーリでもバルザでもない、第三者によっての事だった。

 

「まーまー、お前の生命はわざわざ捨てるような価値しかねぇわけじゃあない上に、助けられない生命じゃなかったってこったろ。あの小僧にゃ死んでも感謝しきれねぇなぁこりゃ!!」


 言葉の節々に悪意を垂れ流しにさせながら、酒場にいる全ての冒険者の中で、最も豪勢な料理の数々をテーブルの上に並べているディムシーが、下卑た笑みでユーリにそう告げた。その瞬間、ユーリの怒りが更に一段上の物へとシフトした。バルザを乱雑に放ると、ゆらりとディムシー達の方へ方向を変え、ズカズカと彼らの前に突き進んでいき、何も言わずに拳を彼の顔面に叩きこもうとする。が――――。

 

「おっと、そんなヘロヘロな拳じゃあオレには届かねぇぞぉ? どうしたどうしたお疲れかぁ?」

「黙れ……!! 元はといえば貴様が……!! 貴様さえあんなことをしなければカイトくんは!!!!」


 言った瞬間、ユーリの表情が青ざめる。それを見たディムシーは、醜悪な笑みをその顔面に浮かび上がらせ、更にユーリににじみ寄る。

 

「ほー? あの小僧が、なんだって?」

「やめろ……」

「わかってんじゃねぇかよ。自分だってよぉ? あの小僧が死んだってよぉ?」

「やめろ……!!」

「また守れなかったなぁ? 残念だったなぁ? 人殺しのユーリ・スラチカよぉ?」

「やめろ……!! やめろ、やめろやめろやめろ!!!!」


 半狂乱に陥ったユーリは、その腕をディムシーに掴まれたまま、その場に座り込んでしまった。

 

「ちがう……私は……彼を、まも、守らないと……」


 うわ言のように、そんなことを繰り返し呟くユーリ。それが愉快でたまらないと、ディムシーは仲間たちと共にユーリを見下し、嘲笑する。なんてザマだ。これが王都最強の冒険者か。所詮は女だな。そんな罵声を浴びせ続ける。だが、ユーリは頭を抱えたまま何事かをうわ言のように呟くのみで、大した反応を示さない。


 その状況に、とうとう我慢の限界を迎えたメリゼが、ユーリを庇うように前に出る。

 

「その辺りでやめておいたらどうですか? ディムシーさん」

「んなこと言ったってよぉ? オレたちゃ事実を言ってるだけなんだがなぁ……。 んなら、お前はどう思ってんだよ」

「……それは」

「お前が『鑑定』して、お前が見込み無しってバカにした冒険者が、『何だか知らんが』暴走したミノタウロスの囮になって? この時間まで帰ってこない。それで? 生きてるって思うのか? どうなんだよギルドでも優秀って評判のメリゼちゃんよぉ?」


 何も言い返せないメリゼ。他の冒険者達にしてもそうだ。皆一様にバツの悪そうな表情を浮かべている。ただでさえ冒険者としての適性が何一つ無く、相手はこの街で最強の二人が共闘し、ようやく安全と言える難度で倒せるほどの強力な魔種、ミノタウロス。


 武器らしい武器は何も使えない状態で、無事逃げ切るなり倒してしまうなりして、生存。そんなことは――――。

 

「ハッ!! バカバカしい!! いいか、何度だって言ってやるよ!! あの小僧はなぁ!!」


 奇跡でも起こらないかぎり――――。

 

「死んだんだよ!!」


 そう。奇跡でも起こらないかぎりは。



ならば、次の瞬間に起きた現象に名前をつけるとしたら、一体なんと名付ければ良いのだろうか。


 

 「お、おらーはしんじまっただー……?」



 あまりにも間の抜けた、歌とも言えないような歌声が静寂の中に響く。それは確かに、ここ二週間程の間である意味聞き慣れた声そのものであり――――。

その声のした方、酒場のカウンターへと全員が視線を移動させる。そこには、気まずそうに頭の上半分だけを覗かせている、『死んだことになっていた』少年の、カイトの姿があった。


 再び流れる沈黙。その場に居る冒険者達は皆一様に、文字通り空いた口がふさがらないといった様子で呆けた顔でカイトに視線を集めていた。


 その空気に耐えかねたのか、カイトはすっくと立ち上がり、へらへらとごまかし笑いを浮かべながらカウンターから出てくる。

 

「い、いやー……まさか僕も生きて帰ってこれるとは思ってなくてですね……。空気的に正面からは入りにくかったと言いますか……」


 裏口から入ってきた理由を、そう言って誤魔化すカイト。しかし、カウンターから出てきた彼の姿に、メリゼがはっと我に返る。無理もない。腹部には夥しい血痕が残っており、それ以外にも、着ている服はボロボロ。右腕の袖はどういうわけか、完全に消え失せており、代わりに目の粗い布で右腕が完全に覆われてしまっている。


 その他にも、点々と血の跡が衣服や首元にも残っているのだから、傍から見れば、『今立って生きているのが不思議な位な』大怪我をしている様に見えてしまうし、その反応は妥当なものだろう。

 

「か、カイトさん!!!! その怪我……」


 メリゼが慌てて、カイトに歩み寄ろうとする、が――――。

 

「あ、あぁこれですか? 平気です、色々あって怪我はのわわわっ!!??」


 いきなり足から地面の感覚がなくなり、自分の体勢が縦から横へ急激に変化したことによって慌てふためくカイト。そして、それがユーリに抱きかかえられたからと知るのと、ユーリが勢い良く動き出したのはほぼ同時だった。

 

「ユーリさ……」

「メリゼ!! 私の部屋まで治療用のアイテムをありったけ持ってきて、誰でもいいからヒーラーに連絡だ!!!! 報酬は弾むと言っておけ!!!!」

「えっ!? お、お姉さま!?」

「ちょ、ユーリさん!! 腕折れてるんじゃ……」

「五月蝿い!! こんなものは只の掠り傷だ!!」

「絶対違いますよぉおお!!!!」


 虚しく響く、「おろしてぇぇぇぇぇ!!!!」という声。ユーリはまるで怪我など最初から無かったと言わんばかりに、上手く折れた腕も使ってカイトの身体を支えながら、足の痛みさえ無視、というか痛みを感じていることさえ忘れ、上階へ速やかにカイトを移送していった。


 それに倣い、メリゼも数瞬立ち尽くしながら、すぐにはっとなってカウンター奥からそれらしき瓶やらが詰まった箱を抱えて慌ただしく上階へ登っていった。


 その一連の流れを見ていた冒険者達は、暫くの間呆然としていたが、嵐が過ぎ去ったと胸を撫で下ろし、静かに酒盛りを再開した。心なしか、憎からず思っていた少年の無事を小さく祝いながら。

その様子を見ていたバルザもまた機嫌が良さそうに口元を歪ませて酒樽を一気に煽り、対称的にフロアの片隅でディムシーは憎々しげに一つ舌打ちを漏らしていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「ゆ、ユーリさん!! ほんとに大丈夫ですって!!」

「いいからじっとしているんだ!! すぐにメリゼが薬とヒーラーを連れてくる!! それまでの辛抱だ!!」

「だからぁ……」


 僕の言うことなどまるで聞いていないユーリさんは、鬼気迫る形相で僕を横たわらせる。その慌てぶりは個人的にはとても嬉しいのだが、普通に話せているし、何より多少暴れてもいるので無事であることは察して欲しい。だが、ユーリさんの過去を聞いてしまっては、仕方ないと考えるべきなのかもしれなが、しかし――――。

 

「ちょ、ユーリさん!! 何する気ですか!?!?」


 ユーリさんに対する反応に関して悶々としていた僕を他所に、ユーリさんは何故かナイフを取り出して、飛び起きた僕をまた無理やり寝かし付かせる。

 

「服を着るだけだ!! 患部が見えなければ処置もできん!!」

「めくるんじゃダメなんですかぁぁぁぁああああ!!!!????」


 しかし、僕の叫びも虚しく、ユーリさんは僕のシャツにナイフを宛がうと、そのまま一気にビリビリとシャツを切り裂いた。「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」なんて若干黄色気味な僕の絶叫が響き渡る。もしかしたら、酒場や周囲の家屋にまで届いていたかもしれない。あぁ、穴があるなら是非とも入りたい。頭から。

 

「お姉さま!! 持ってきました!! って、何があったんですか……?」


 メリゼさんが勢い良くドアを開けると、鍛えたと言ってもあまり褒められたものではない上半身の裸体を見られた恥ずかしさで顔を覆っている僕と、困惑したように僕の腹部に手を添えたユーリさんが戸惑ったように呟いた。

 

「傷が……無い?」

「うぅ……だから言ったじゃないですか……」




 どうにかユーリさんの善意という拘束から逃れられた僕は、布団を被っている許可を貰って、半べそをかきながら右腕を除いて一通りメリゼさんにもユーリさんにも傷がないことを確認してもらった。

 

「本当に傷一つありませんね……。一体どうなっているんですか? 攻撃を、それも致命傷にもなるようなものを受けたような痕があるのに」


 訳がわからないと困惑するメリゼさんとユーリさん。本当に傷がないことを、体中を舐め回すように見回して、二人はやがて粗布で覆われた僕の右腕に視線を落とした。

 

「それで、その腕は一体どうしたんだ?」

「えと、これは、ですね……」


 僕は一瞬だけ、判断に迷った。言うべきか否か。けれど、これからのことを考えると、この二人くらいには知っておいて貰いたい。それにこの二人なら、クルスの事もきっとわかって貰えるだろうし、きっと僕の隠し事なんて二人にはすぐにバレてしまうだろうと、そう踏んで僕は意を決して二人に向き直った。

 

「二人共、僕のことを信じてくれますか?」

「? それは、どういう意味だ?」


 ユーリさんもメリゼさんも、僕の言葉の意味を図りかね、首を傾げながら訊き直す。

 

「色んな意味で、としか言えませんね。上手く説明できません。ただ、何があっても、僕は僕だって、信じてくれますか?」


 僕の突拍子もない質問に、二人は顔を見合わせた。そして、暫くわけがわからないというような表情で互いに見合っていると、ユーリさんはふ、と微笑んで、メリゼさんは呆れたように、それぞれの面持ちで返してくれた。

 

「当然だ。少なくとも、キミは私の恩人となったわけだし、そんなキミに仇を返すような真似はできんな。人として」

「ま、お姉様はそう言うと思っていたので、私も信じてあげますよ。それに、ヘタレ冒険者さんは何処まで言ってもヘタレでしょうしね。どうせタチの悪い事言ったって、どうせセクハラ紛いの事でしょうし」


 ドが付くほどの直球表現なユーリさんと、ややヒネたように応えるメリゼさん。しかし、そんなメリゼさんも片目だけ開けて、仕方がないと言うかのような笑みとともに首をちょんと振って、肯定の意を示してくれた。最後の一文は、この際スルーだ。


 二人の言葉に、思わず何か熱いものがこみ上げてきそうになるも、今は我慢だ。僕は右腕の布に手を掛け、しゅるしゅるとそれを解いていく。

 

「!! それは……」

「なんですか……それ……」


 二人が驚くのも無理は無い。僕の腕には、絡みつくように伸びる、さながら『触手』を象ったような意匠の黒い痣が浮かんでいたのだから。痣は右腕と、背中を通って左肩甲骨の当たりまで伸びきっており、見る人が見れば翼の刺青か何かかと思うかもしれない。


 そして、その痣を優しく撫でると、僕は中にいる彼にそっと呼びかけた。

 

「クルス、出てきてもらえるかな?」


 そう言うと、僕の腕にまずひとつの大きな眼球が盛り上がる。それを見たメリゼさんはひっ、と短く声を上げ、ユーリさんは警戒するように意識を彼に集中させる。明確な迎撃の姿勢は見せていないが、すぐにナイフを構えられるよう身構え、一切の隙を見せていない。


 やがて眼球だけ出したクルスはキョロキョロと辺りを見渡すと、その薄桃色の触手を二人の前に晒した。あまり驚かせないように、ちょっとサイズは控えめにしてもらって。

 

「か、カイトさん……それ……触手……!!」


 メリゼさんが完全に怯えきってしまったので、僕はできるだけ安心させてあげられるよう、努めて笑顔で説明する。

 

「えーっと、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。ほらクルス、ご挨拶」


 僕がそう言うと、クルスは更に身体を伸ばして、二人に近づいていく。二人は更に警戒を強め、それ以上近づこうものなら切って捨てるぞと、ユーリさんの目が言っているようで正直怖い。


 するとクルスは、二人の顔を交互に見ていたかと思うと、にょきりと二本の小指ほどの触手を二人に伸ばす。

 

「おっす。オレ様クルス。好きなモノはくるみとイチゴ。嫌いなものは女の敵。よろしくー」

 

 非常に軽い感じで、クルスは二人に握手を求めて差し出した触手を左右に振る。しかし言葉が通じていない、というか、僕にはアビリティがあるので聞こえているものの、二人にしてみれば訳の分からない声とも言えないくぐもった音が上がっただけなので、二人には聞き取れていないのだろう。それを察したクルスは、その触手同士をぽんと叩き、二人からやや距離を取った。

 

「あー、ちょっと待ってな。そーれそれそれ」

「ひぃっ!?」

「……む!?」


 クルスが何やらもぞもぞと動き出し、やがてその身体が妙な音を立てながら隆起と陥没を繰り返す。正直なところ、僕はそれさえかわいい程度にしか思えないのだが、普通の人の目から見れば悍ましく映ったのだろう。メリゼさんはまたも短く悲鳴を上げ、ユーリさんにしても眉を顰めていた。


 やがて触手の動きが止まると、再びクルスは二人に近寄り、またその小さな触手を二人に差し出した。

 

「ってわけでよろしくねーちゃん達」

「喋った!?」

「喋りましたよ!?」

「んーカイトの時と違ってこれはこれで新鮮」


 案の定、喋る触手を前にした二人は喫驚の声を上げる。確かに傍目に見れば触手が喋り、それと会話をしようと言うのだから、和ましくもあり、新鮮でもあるという事には頷けた。面白そうなので、僕はしばらくその様を見守ることにした。

 

「な、何故触手が喋れてるんだ!?」

「そりゃーあれよ。カイトがどうやって言葉喋ってんのかな―って仕組みを理解して、今オレ様の体内におんなじもんを作ったからよ、強そうなねーさん」

「ず、随分と軽い感じに喋る触手ですね」

「そうだよー軽いよ―。だから怖くねーよー? 眼鏡のねーちゃん」


 二人は気怠そうとはまた違う間延びした声で話すクルスにどんな反応を示せば良いのか戸惑いながら――といっても終始驚くに徹していたわけだが――少しずつ、クルスに対する警戒は薄めてくれている様であった。


 僕はその様子を見て、僕以外にもクルスと話が出来る人が増えてくれたことに、胸の奥が温まるのを感じていた。クルスも、心なしかその後姿が楽しそうに映っているのは、きっと気のせいじゃないだろう。心の中で二人には感謝の言葉を述べていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「信じられんな……。まさか寄生に成功するとは……」


 ユーリさんは腕組みをしながら、横目でクルスとちらりと見る。クルスはというと、目を生やした触手と、二本の触手を使って分厚い本、僕がユーリさんの鬼特訓で使ったものだ、を黙々と読みふけっている。たまにまばたきをする瞬間なんかは、見ていてちょっとかわいいとさえ思ってしまう。


 メリゼさんは、先程この部屋を出て行った。僕が大事無いのであれば自分がいる必要はないと判断してのことだろう。それに、酒場の方もあるし、彼女には彼女の仕事がある。メリゼさんは多忙の身なのだ。


 それと、クルスの件もあるので、ヒーラーの件はお流れとなった。僕自身がピンピンしているので当然の判断だが、内心では「RPGで定番のヒールを遂にこの美身に受けることが!」と楽しみであっただけに、少し残念ではある。


「そう、ですかね……。あんまりそういう感じはしないんですけど」

「キミからすればそうなのかもしれないがな。だが事実として、人類史上に前例がないんだ。もしキミが寄生の成功例だと知れたら、恐らく良い意味よりも悪い意味でその名は広がることになるぞ」

「わ、悪い意味……ですか?」


 僕はごくりと息をのむ。


「見世物、実験体、物珍しい奴隷。あるいは、邪教があれば御神体にでもされるかもしれんな。いや、即身仏か。何れにせよ、キミの身には世の悪党と呼ばれる人間から狙われるだけの希少価値を得てしまったわけだ。おいそれと人に話すんじゃないぞ? わざわざ自分から危険に飛び込むことなどないのだからな」

「き、気を付けます」


 ユーリさんの脅迫めいた言葉に、僕は僅かに身震いさせながらその言葉に深く頷く。だが、それでも信用ならないと、ユーリさんの猜疑に塗れたジト目がそう訴えていた。

 

「いーや、信用ならんな。何せキミは、他人を助けようと言葉巧みに誘導し、わざわざ自分から死地に赴くような大馬鹿者だからな」


 腕を組みながら、そう恨めしげに吐露するユーリさんの口元は笑っているが、目は全く笑っていなかった。その背後に閻魔大王を連想するのは、きっと僕だけではなく相対すればその人は皆連想するだろう圧倒的なまでの威圧感だった。

 

「キミは、私を助けるために死のうとしたな?」


 嘘を吐けば直ちにナニカサレル。それを肌で感じ取りながら、僕はだくだくと流れる汗を止められず、錆びた人形のようにギギギ、と目を明後日の方向へぎこちなく逸らしてどうにか声を絞り出す。


「あ、あはははは……。そ、そんなわけないじゃなひんっ!!??」


 僕が妙な声を上げたのは、ユーリさんがナイフの柄尻でテーブルを勢い良く叩いたので、その音に驚いてのことである。

 

「言い忘れていたが、私に嘘は通じないぞ。それでカイトくん、今、何を、言おうと、したのかな?」


 ユーリさんの顔が近づいてくる。特別険しいわけではないが、般若の面などよりもよっぽど恐ろしい真顔がそこにはあった。よくは見れなかったが、もしかしたら瞳孔さえ開きかけているのかもしれない。どうしよう、ゴゴゴとかドドドとか聞こえてきたかもしれない。


 そんな風に詰め寄られて、僕の発汗量が加速度的に増加し、脱水症状になるんじゃないかという勢いで流れていく。僕はとうとう観念して肩に込めた力を脱力して、ユーリさんに殴られるのを覚悟の上で正直に話すことにした。

 

「…………正直なところ、生きて帰ろうなんて思ってませんでした。勿論、只死ぬつもりなんて無くて、生き残れる可能性があれば生き抜くつもりでした。でも、そんな可能性が無いことは承知の上で、ユーリさんさえ生きて帰れるなら、それでいいって……」

「…………」


 僕の言葉に、ユーリさんは何も答えない。やはり、怒っているのだろう。かつてのユーリさんの仲間のこともある上に、ユーリさんはとても優しい人だ。こんな僕でも、大切に思ってくれる程に。


 だから、彼女が怒っているというのであれば、その怒りは僕が甘んじて受けるべきだろう。僕はそれだけのことを、ユーリさんにしてしまったのだ。


 ガタ、と椅子の引かれる音がして、ユーリさんがコツ、コツ、と歩み寄ってくる。僕は来たるべき衝撃に備えて、固く目を瞑る。

 

「この――――」


 今頃、その手が振り上げられている頃だろう。グーだろうかパーだろうか。できればパーで有って欲しいと切に願いながら、しかし予想に反して来る筈であった衝撃は――――。

 

「――――大馬鹿者が」

「わぷっ!?」


 あまりに穏やかな声と、柔らかな衝撃として到来し、僕の身体はベッドの上に押し倒されていた。


 ユーリさんは僕に覆いかぶさるように手を付き、四つん這いになる形で僕を見下ろしている。左腕が骨折しているので、左側がやや傾いている状態ではあったが。僕は首の両側をユーリさんの手で塞がれてしまっているため、逃げ場がなく、息が吹き掛かりそうなまでに顔を近付けているユーリさんから目をそらすことができない。


 いや、ちょっと待ってユーリさん!? 僕まだ子供ですし、心の準備ってものがですね!? なんて的はずれな方向に思考を暴走させながら、しかしユーリさんから滴ってきた温かい雫に、僕の理性は一気に引き戻される事となった。

 

「ユー、リ……さん?」


 僕が名を呼ぶと、ユーリさんの肩が大きく跳ね上がる。それと同時に、ユーリさんの甲高い嗚咽もまた、僕の鼓膜を静かに揺らす。


 それを皮切りに、二滴、三滴と、ユーリさんの涙が僕の頬を濡らしていく。やがて、前髪で影になっていたユーリさんの表情が、僕と目が合うことで顕になった。それは、あの時河原で見た時と同じ、とても普段のユーリさんらしくはない、子供の様な泣きじゃくり方で歪んだ顔。そう、何処か子供っぽい、今の僕にとっては、とても自然だと思えてしまう、ユーリさんの顔。


 僕はその顔に胃の辺りがズシ、と重くなる感覚を覚え、たまらずその涙を指で拭ってしまう。

 

「ごめんなさい……。心配、おかけしました」

「ほん、とうだ! ずっと……しん、っぱいして……っく! たんだからなぁ!! 帰ってこなかったらって……! 元々死ぬ気なんだって気付いて……!! こわくて、こわくてぇ!!」

「……僕は、最低ですね」

「そうだ……! キミは最低だ! だけど……私も、結局、なにもできなっ……うぁぁ!」


 涙でぐしゃぐしゃ。口元の筋肉が上手く働かず、涎さえ垂らし、だらしなく鼻水も垂れている。普段から凛とした、『美しい』と評されるのが一番しっくり来るユーリさんと比べれば、何と無様な顔だろうと、笑う人もいるかもしれないほど、お世辞にも整ったとはいえない顔。


 けれど、僕はそれがたまらなく嬉しかった。ユーリさんは僕の事を本気で大事に思ってくれて、本気の涙を流してくれている。だったら、どうして僕がそれを無様だなどと嗤う事ができるだろうか。僕は全く意識せず、気付けばそっとユーリさんの背中に手を回していた。折れた左腕に負担がかからないように、割れかけの飴細工を扱うようにそっと、ユーリさんを抱き寄せて、その頭をそっと撫でた。

 

「そんなことありませんよ。ユーリさんは生きててくれた。僕の無事を祈っていてくれた。僕が死んだってことを怖がってくれていた。それで、僕は十分すぎるほどです」


 僕は、大きくも小さく感じられる、しかし確かな温もりを感じさせる背中をしかと抱き留め、子供をあやすように何度も何度もそっと頭を撫でる。

 

「カイト、くん……。 カイトくん……!」

「はい、僕はここにいます。ちゃんと、ここにいますよ。ちょっと時間掛かっちゃったのと、カッコ悪かったのは、大目に見てくれると嬉しいです」

「うん……、うん……っ!」


 声は無く、時折撥ねるように身体を揺らして涙するユーリさん。僕にはそれがたまらなく眩しくて、「大丈夫、大丈夫ですよ」と、耳元で囁きながら頭を撫でたり、その背中をぽんぽんと叩いたりして、ユーリさんが安らげるようにすることだけを心がけた。


 それから暫くの間、ユーリさんは泣き続け、僕は彼女をあやし続けた。止まることのないかと思えたユーリさんの涙が止まったのは、それから大体一時間くらい後の事だった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます!!

タイトルを泣き虫ユーリにしようかと悩んだんですが……お、お好みで……(丸投げ)

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