第21話 ユーリの戦い、カイトの戦い
ブクマ……評価……ありがとうございます……ありがとうございます……。
しかし、見てくださる方には感謝しか無いのですが、皆さんちゃんと寝てくださいね!?夜更かしは身体に毒ですよ!?
大きなお世話?申し訳ありません……。
「はっ……ふっ……!! はぁっ!!」
射抜かれ、血の滲む足を引きずりながら、激痛を噛み殺してユーリは森の中を北上していた。その傍らにあるべき少年の姿は見受けられない。そのかわりに、ユーリの手には彼の持ち物であった薬瓶、『魔避薬』が握られていた。既に半分ほどを使用して、効き目が確かであることは立証済みだ。魔種は、その中でも特に危険な肉食のものは血の匂いに敏感だ。魔種の好物となる獲物の匂いを撒き散らせ、更にはまともに歩くことも剣を振るう事もできない状態の自分が、未だ魔種の生息地である森の中で無事であるのが何よりの証拠だ。
「カイト……くん!」
この薬を手渡してくれた少年の身を案じて、また零れそうになる涙を必死に堪える。彼との約束を思い出し、崩折れそうになる度に膝に力を込め直し、王都を目指して歩き続ける。立ち止まることなど許されない。あの少年は今も戦っている。臆病で、どう言い繕っても自分よりも遥かに弱いはずの少年が、私を助けるためと、戦っている。
ユーリはその胸に意志の炎を灯すため、彼との言葉を思い出していた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ユーリさん、賭け事は好きですか?」
そう切り出した時の彼の顔は、ユーリにとっても全く読めないものだった。
ただ淡々と、あらゆる感情の起伏を隠した、酷く薄っぺらく作られた表情。もしも彼がギャンブラーなんて職業ならば、怪しすぎて誰も賭けたがらないだろうとさえ思うほど、『読めない』顔を浮かべていた。
「キミは、何を言って……」
ユーリは彼が自分の身を犠牲にして何かしでかそうと言うのではないのか、そんな嫌な予感が脳裏を掠めるも、しかしふっ、と表情を緩めたカイトに、彼女の困惑は更に深まる。
「賭けですよ。僕ら二人が助かるかもしれない賭けがあるって言ったら、乗ってくれますか?」
言いながら、カイトは自分の身につけていた、防具とも言えない膝当てを外すと、アイテムポーチから取り出した一つの瓶をユーリに手渡した。
「これは……」
「魔避薬です。効き目は僕が保証します」
「魔避薬って……!」
魔避薬が魔種との遭遇を回避することが出来る薬品であることはユーリも無論知っている。だが、その効果と希少性から高値で取引されるのが常であり、少なくともカイトのような見習いもいいところな駆け出し冒険者には、到底手が出せる代物ではない上、最初の頃は彼が使っていた金銭は全てユーリが負担していた。記憶の中では必要最低限の金額しか渡さなかったはずだし、そんな高価なものに到底手が出せるはずはない。加えて、少なくとも彼が来てからの数週間、彼女の眼に商店や行商人が魔避薬を扱っていた記憶は無いはずだった。
「一体何処でこれを……」
「それは、今は置いておきましょう。それで、肝心の作戦なんですが、そんな大層なものでもないです」
先程まで全く読めなかった表情を崩して、恥ずかしそうに苦笑するその顔は、死の危機に瀕した人間のそれではない。何処か安心感さえ覚えてしまうような、真に起死回生の策を思いついたようなそんな表情。
一体何を言うのだろう。ユーリは固唾を飲んでその先の言葉を待つ。
「簡単です。僕が囮になるので、ユーリさんはその薬を使って逃げてください」
けろりと、さもそれが正道にして最善であると、なんでもないことのように、今目の前の少年はなんと言ったのか。ユーリは頭を金槌で殴られたような衝撃を覚えながら、ふつふつと込み上がる怒りと共にこんなことを考えてしまった。
私は彼への評価を改めるべきだ。彼は昨日今日この世界に入ったばかりの新参者で、座学に関してのことだけだと思っていたが、全体的におつむの出来もよろしくないらしい。いや、むしろ大馬鹿者だ。と――――。
しかし、ユーリがその提案を切り捨てるのを遮るように、カイトが慌てふためきながら両手を突き出す。
「あっ、ちゃんと考えてのことですよ!? 僕なりに考えて、これが一番『二人共』生き残れる可能性が高いと判断したんですって!」
「……言ってみろ」
ユーリは疑心に満ちた視線を向けて、カイトはそれに苦笑いする。だが、互いに表情筋を引き締め、カイトはゆっくりと作戦の説明を開始した。
「まず、逃げるにしろやり過ごすにしろ、場所を確保する為に自由に動き回れる必要があるんですけど、ユーリさんは怪我をしてるから無理ですよね。僕程度ならまだまだ余裕で倒せちゃうと思うんですけど、ミノタウロスと戦闘なんかしたら、流石に今のユーリさんはまともに戦えないですし、僕なんて論外です。なら、どっちかが逃げるしか無いんですけど、ユーリさんと一緒に行動したら、僕も唯でさえ鈍い動きが更に鈍くなりますよね? だったら、僕がミノタウロスの気を引きながら逃げて、その隙にユーリさんも逃げる。その魔避薬は、道中ユーリさんが他の魔種に襲われないための保険です」
早口でそう告げるカイトに、ユーリは関心はできなかったものの、先程の彼への評価をやや改めた。しかし、大馬鹿者という評価は相変わらずのまま、彼に反論する。
「バカかキミは。逃げきれる訳が無いだろう。キミのステータスで、どうやってミノタウロスから逃げ切ると言うんだ?」
「森を通ります。見たところ樹の間隔は狭そうですし、あの体格でなら多少は樹が遮ってくれると踏んでます。それに、忘れちゃいました? 僕、魔種と会話できるみたいなんですよ? もしかしたら、何とかなるかもしれません」
「バカな、危険過ぎる……。キミは不確定な自分の能力に賭けようと言うのか? 第一、どの魔種になら通用するものなんかもまだわかっていないのだろう?」
「だから言ったじゃないですか。ギャンブルは好きですかって」
「…………バカだよ……キミは……。何でそこまでして……」
彼の行動理念がわからない。確かに、彼の作戦は、少なくとも現状においては最善策であるようにも見える。
だが、これは同時に圧倒的にカイトが不利な賭けだ。ユーリにも途中で魔種に襲われる等の危険が付きまとい、最悪、その時点で死がほぼ確定するような状況ではあるものの、魔避薬を預けられたことと、あのミノタウロスをカイトが惹きつけるとなれば、その危険は遥かに薄まる。
対して、ほぼ戦闘能力が皆無と言っていいカイトがミノタウロスに追い掛け回される。例え本当に声を聞くことができようが、森を利用して時間を稼ごうが、運が絡む以上、そんなものは焼け石に水程度のメリットと考えるほうが正しい。
そんなことはカイトだってわかっている。わかっているはずなのに、と。その疑問を振り払うことができない。だが、その疑問は、たった一言、彼の放った言葉によって払われた。
「そんなの、決まってるじゃないですか。ユーリさんを助けたいからですよ」
カイトという少年は、混じりけなしの善意からの言葉で、ユーリの疑念を真っ向からねじ伏せた。
「確かに、ユーリさんを囮にすれば、僕が助かるかもしれない。でもそれって、ユーリさんを見殺しにするって言ってるようなものじゃないですか。そんなことになるくらいなら、死んだほうがマシです。だからユーリさん、僕を死なせない為にも、囮役、やらせてくださいよ」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そして彼は言うが早いか、彼は手持ちの煙玉をミノタウロスに投げつけると、『金属音などの甲高い音に敏感』というミノタウロスの性質を活かし、森の中へミノタウロスを誘導して消えていった。今も後方で散発的に届く轟音は、彼が囮として逃げ回っている事の証左でもある。
ユーリは彼を追いかけたかった。だが、それと同じくらい、追いかけるわけにはいかないことも理解していた。彼は心中をするために囮役を買って出たのではない、共に生き残るためにと、今も必死に戦っている。
ならば、私は彼の意志を尊重する義務があった。剣を杖にし、足を引きずり、さながら敗残兵のように逃げ道を進むのは、とてもファズグラン随一の実力者と評される『青狼』にとってあまりにも無様に映るだろう。
だがそれがどうした? 無様? 滑稽? 大いに結構。あの臆病者の彼が戦う意味になるのであれば、喜んで醜態でも何でも晒そう。可能性が無くたって、どんな手を使ってでもあらゆる困難を振り払おう。そう、例えば――――。
気付けば周囲を囲まれていた。草むらからその身を覗かせたのは、野生の狼。確かに魔避薬の効果によって、魔種との遭遇は無かった。だが、魔避薬には、野生動物を退ける効果までは無かったのだ。
加えて、ファズグラン周辺の森で、狼の出現は稀だった。なので、この遭遇はユーリとしても完全に予測の埒外だった。更に不運なことに、この時間帯は狼の習性からして『食事』の時間帯だ。
大型犬もかくやという巨体を戦慄かせ、偶然見かけた絶好の食料に、しかし天性の狩人の血を持つ狼達は警戒を緩めたりはしない。彼らが油断する時は、獲物が絶命し、その肉を食らうことが出来るようになってからだ。
今のユーリにとっては、十分に脅威となる相手。しかし、だからどうした。寧ろ彼の置かれている圧倒的不利な状況に、これで多少は近づけたと喜んでさえいる。
苦境を前に、戦意は上々、瞳は野獣にも劣らぬ程にギラついて、遠方からの轟音を耳に、生きる気力は、言うまでもない――――。
正真正銘の狼を前に、『青き狼』と呼ばれる戦士が、奥底から沸き立つ生存本能を糧に、横溢する気迫を爆裂させた。
「そこを退け。私は生きなければならないんだ――――!!!!」
烈吼一閃。満身創痍の身体のどこから絞り出したのか、検討もつかないほどの大喝破に、狼達は一瞬怯む。しかし、狼達にとっても弱りきった獲物を前にしての逃亡など、ありえなかった。
その内の正面に立った一頭が彼女に跳びかかり、背後からも一頭が、一拍遅れて飛びかかる。前方の一頭はなんとかなるだろう。だが、後方の一頭はどうしようもない。仮に無理矢理にでも対応したとしても、バランスを崩し、残る二頭に食い殺される。
戦いに精通したユーリがそう分析したのだから、実際そうなるのだろう。だが、そんなことは知ったことかと、ユーリは眼前に迫る『敵』を目掛けて、愛剣を振りぬく。
ザン、という音とともに、確実に仕留めたという、確かな感触が剣から腕へ伝わってくる。そして、よろめく身体で振り向きざまに、力の限り剣を振りぬく。たとえ無茶でも、無様でも、全ては生きて、『彼』と再び会う為に――――。
「はぁあああああああああああああ!!!!」
全霊の力を込め、迫る死を振り払わんと、次の手を顧みない愚剣を振るう。だが――――。
ヒンッ、という甲高く風を切る音とともに、どこからともなく放たれた弓矢が跳びかからんとしていた狼の首を正確に射抜いた。その直後、まるで残る二頭の狼が動揺することがわかっていたかのように、爆竹が放り投げられ、凄まじい破裂音が連続して鳴り響く。完全にパニックに陥った狼達は、踊り狂うように暴れまわった後、蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまった。その様子に呆気にとられたユーリは、掛けられた声によってようやく正気を取り戻した。
「いやー、流石は『青狼』だな。そんだけ怪我しててあんな疾さで剣を振れるかよ普通」
恐れいったよと、彼女の傍らに歩み寄ってきたのは、相変わらず豪快に笑い飛ばしているバルザと、彼の率いるパーティーだった。バルザは非常に優秀なレンジャーで、弓使い。なるほど彼ならばあの正確な弓の制御にもユーリには合点がいったが、何故彼がここにいるのか、その疑問を息も絶え絶えになりながらユーリはぶつけた。
「どうして……ここに?」
「いや何、自主的な巡回さ。お前達も帰ってこねぇし、ミノの野郎は取り逃がしたっていうじゃねぇか。んまっ、自分たちの家の安全を守るためと、明日を生きるのための、点数稼ぎってやつよ」
飄々とした態度でそう言い放ち、しかしそれで納得できてしまうのがこの男だった。利己的ではあるが、常識人で、報酬次第でどんな仕事も請け負うが、内容次第ではいくら積まれても動かない。なんとも自由な男だった。腕も立ち、基本的に『腐った』仕事でなければ遂行するということに加え、かつて自棄になりかけた自分を諌めてくれたのもこの男であることから、ユーリ自身も一定以上の信頼は置いており、それだけに何度か一時的にパーティーを組んで共闘したこともある。
だから、目の前に現れた一縷の希望に、ユーリは縋るようにバルザに助けを乞うた。
「頼むバルザ……! 力を貸してくれ!! 今カイトくんが一人で、ミノタウロスの囮に……!!」
「――――」
「私を逃がすために戦ってくれているんだ……!! だから――――!!」
「そうか」
短く、無感動に言い放ち、バルザはユーリの腕を肩に回すと、その耳元で小さく呟いた。
「なら尚更、その頼みは聞いてやれない」
「――――!!」
瞬間、バルザの鍛えぬかれた拳が、ユーリの鳩尾を正確に貫いていた。凄まじい力で急所を撃ちぬかれ、ユーリの視界が急速に眩んでいく。
「俺達にとっちゃ、お前はうちの大事な戦力で、あの坊主は戦力にならん上、所詮は余所者なんだ。相手はミノタウロス。流石に俺達だけじゃあ手に余る。生憎、ちょいと知り合った程度の他人のために命を投げ出せるようなお人好しじゃないんでね、俺は。おしお前ら、一旦引き上げるぞ」
そして、ユーリは意識を暗闇に手放してしまった。その寸前、声にならない声で、一体誰の名を呼んだのか。彼女を支えたバルザだけが聞き届けていた。
バルザはちらりと背後を振り返り、どこか詫びるような表情を浮かべながらひとりごちる。
「恨めよ坊主。せめてお前のクソ度胸、責任持って俺達が繋げてやるからよ」
この時、恐らくはバルザは気付いていたのだろう。いや、ともすれば、ユーリも本当は気付いていたのかもしれない。自分自身、気付かない振りを装って、自分自身が折れてしまわないように。
――――カイトという少年が、初めから『死ぬつもり』だった、ということを。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「はっ! はっ! ひっ! はっ!」
森の中を全力疾走する。人の手が入っていない自然由来の緑の景色が、どんどん後ろへ流れていく。
「ヴォォオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
対し、追ってくるのは『死』そのもの。その手に握られた石斧を出鱈目に振り回しながら、行く手を阻むもの全てを粉砕し、逃げる僕を追いかける。
ここまでは予想通り。だが、木々や凹凸の激しい足場が邪魔をしてミノタウロスの進行を妨げてくれているのか、疑わしいことこの上ない。いや、実際その効果はあるのだろう。その証拠に、圧倒的なレベル差からくる圧倒的なステータスの違いから、どうにか逃走劇が成り立つ程度には僕らの距離は開けたままなのだから。
しかし、それもジリ貧、僕の限界と共に、死は確実に迫ってきている。一秒後には一センチ、十秒後には十五センチ。死神の鎌が僕の首を撥ねるまで、あと僅か五メートル弱といったところだ。
だが、まだだ。まだ不十分。ユーリさんが無事逃げきれるまでの時間と距離を、僕はまだ稼げていない。最後くらいその寿命を燃やしきるつもりで今を生き抜いてみせろ真月介斗!!
『どうせ死ぬ』。そんなことは既に織り込み済みだった。死ぬのが怖くない、なんて言うつもりは毛頭ない。今だって怖くて怖くて泣きそうだし、震える足は一歩を踏み出す度に僕を横転させようとする。背後で斧が叩きつけられる度に情けなく悲鳴を上げ、目には涙を浮かべている自分がいる。それでも死にたくないし、怖いから、必死になって逃げている自分がいる。
どうしてこんなことになったんだろう。僕が冒険者になりたい、なんて言ったから? それともユーリさんにお世話になってしまったから? それともゼニアグラスにこの世界に連れてこられたから?
多分、どれでも無いのだろう。全ては僕が悪いこと。僕が弱いから、ミノタウロスの追撃を振りきれない。僕が弱いから、ユーリさんを守ることができなかった上に、足を引っ張ってしまった。僕が、僕のような人間が誰かのせいにしようとさえしてしまったから。
だからこれは――――。
「ヴォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
「あ…………ごぶっ……」
だからこれは、当然の報い、なのだろう。
死はまだしばらく先だと思っていた。あと四、五分は生きながらえて、もう少し時間稼ぎが出来る筈だった。事実として、その目算は見当違いなどではなかった筈だった。
ただ純粋に、『運が悪かった』。ミノタウロスが振り抜いた一撃は、大木を粉微塵に粉砕した。それだけならば良かった。だが、その内の決して小さくはないサイズの木片が高速で飛来し、僕の腹部を貫いていた。
一瞬にして、両足から力が抜ける。産まれて以来最大級の激痛に見舞われるも、痛すぎて声を上げることもできない。丁度坂になったところでの一撃であったため、バランスを崩した僕は坂にその身を投げ出して、転げ落ちていくことになる。
霞む景色が二転三転、ようやくそれが止まった頃には、僕はもう走ることは愚か腕を動かすことさえままならない状態だった。
「痛い……いたいよ……」
そう呻くのがやっとだった。今はまだ、辛うじて生きている。だが、死は絶対だ。遅い早いの違いはあれど、それは変えられない事実。
ミノタウロスが、坂から滑り降りてくる。その様を視界の端に収めながら、僕は自分に悪態を吐くことくらいしかできなかった。
なんて間抜け。おまけに運にまで見放されるとは。まぁ当然だろう。自分の世界でも何の役にも立てなかったお前が、自分の世界を放り出し、あまつさえこちらの世界でも無能であるにも関わらず、身の程知らずにも誰かを助けたいなどと、分不相応な願いを抱いたのだから。
そう、だからこれは罰。あらゆる事から逃げ続けてきた僕のツケを、僕の中のカミサマが今ここで請求しているだけのこと。
ミノタウロスが僕の側で立ち止まる。その眼は赤黒く充血し、これでようやく仇が討てると、歓喜と憤怒に打ち震えている。
あぁ、もしかしたら、それもありかもしれないな、なんてことを、僕は考えていた。
ミノタウロスが僕を殺せば、彼の気も多少は晴れるのではないか。運が良ければ、それで満足して帰ってくれるかもしれない。そうすれば、僕の目的は果たされる。
それに、これだけは言える。僕は役立たずで、無能な屑だ。だからこそ、ユーリさんを犠牲にするくらいなら、僕以外の誰かを犠牲にしてまで僕が生きるくらいなら、『死んだほうがマシだ』。この言葉に、嘘偽りなどはないと。
ミノタウロスの斧がゆっくりと振り上げられ、ギロチンを思わせるその鉄の凶器が振り下ろされ、僕の死が確定する。
「あぁ――――」
そういえば、完全に失念していることがあった。けれどそれを口にすることは叶わない。思い出すのは触手の彼、僕の友達、クルスのこと。毎日来るという約束を守れそうにないと、僕は友達失格だと、彼に詫びる。
斧が振り下ろされる驚くべき速さで繰り出されているのに、それが酷く遅々としたものに感じてしまう。残り一秒にも満たない命の中で、僕はふと、僕が勝手に彼とした『約束』を、僕自身との『約束』を思い出す。
そうだ、僕はクルスともっと話がしたい。一緒に色んな物を見て、色んな物を感じたいのだ。クルスと一緒にいられることを僕は――――。
「――――――諦めたく、ない……」
そして、僕の死を告げる無慈悲な斧の一撃は――――。
僕からかなり『離れた』位置で炸裂した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「…………え?」
眼を開ければ、そこは何も見えない。完全な暗闇の中だ。ならばここは死後の世界で、僕は死んだのだろうか? いや、死んだというのならば、なぜまだ僕の腹部は激痛と高熱を帯びているのだろうか。もしや、死んだ人間はずっと死因になった苦しみを味わい続けないといけないとか?
「生きてんよいい加減起きろ」
そんな、ぶっきらぼうな声が聞こえた。もう聴くことはできないだろうとさえ思っていた、懐かしくさえある『友達』の声。次の瞬間、暗闇の中でぼう、と灯火が燃え、それを灯しているのはよく見慣れてしまった触手の彼であることに気付いた。
「クル……ス?」
「なんだお前、昨日こねーなーと思ったらまた死にそうじゃねぇかよ。巫山戯んな絶対死ぬなよ。ってか死なさないからな」
悪態ともつかないことを吐きながら、クルスは言葉に僅かに怒りを滲ませて、僕の腹部から突き刺さった木片を引き抜くと、即座に触手の先端から滝のように流れる緑色の体液を無造作にぶちまける。すると一瞬の激痛の後に痛みが和らぎ、出血も段階的にではあるが止まったように見える。
「クルス……なんで……」
「なんでってご挨拶だな……。ここがオレ様の居る森だって気付かないで入ってきたのかよ」
言われて、そこでようやく気付いた。王都よりも南側に流され、そして流れ着いたのが丁度クルスの居る森のすぐ側であったことに。そして、僕が意図せずして逃げていた先に、クルスの居る大樹があったと。魔晶が無いので全く気付かなかったが、どうにも運命の女神様とやらは随分とお戯れががお好きでいらっしゃられるらしい。
「は、ははは……」
「気付いてなかったのかよ……。外でなんか騒がしいと思ったら見慣れた顔が死にかけてるしってオイ!!?? なんで抱きつくんだよ!!??」
「く゛る゛す゛ぅ゛ぅ゛~~~~~~!!!! こ゛わ゛か゛っ゛た゛よ゛ぉ゛~~~~!!!! げふっ!!」
僕は緊張の糸が切れたことからか、はたまたクルスに会えた安堵感からか、タガが切れた子供のように大声で泣き喚き始めてしまった。同時にまだ完全に引いたわけではない痛みがぶり返し、そのせいで傷がまた開いたのか、軽く吐血さえしてしまった。
「バッカお前まだじっとしてろって……!」
「だってだって……!」
「それに、安心していい状況でもねぇぞ」
クルスの言葉の意味は、その後すぐにやってきた途轍もない衝撃と、響くミノタウロスの怒号によって即座に把握できた。
――――ブルォォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!
止まない咆哮に、止まらない衝撃。その状況下で、クルスはやや苦々しくぽつりと呟いた。
「やべーな……。開かないからって木ごと切ろうってか」
言われて、僕はようやく気付く。クルスがいるということは、ここはクルスが寄生していた大樹の、根本にある隙間の中だ。入り口に当たる部分は、何かによって塞がれており、血の通いが見受けられるそれは、面上に広げられたクルスの身体の一部であることということが分かった。
時折樹の切れる音に混じって甲高い音も聞こえてくるのだが、もしかすればそれはクルスの触手がミノタウロスの一撃を弾いている音ではないだろうか? だとしたらクルス、キミ、一体どんな身体をしているんだよ……。
しかし、残念ながらそれは部分的にしか功を奏しておらず、ざくり、ざくりと樹の切れる音が近付いてきている。
そこで、僕ははっとしてクルスの方を見やる。クルスが寄生先としているのはこの大樹だ。それがダメージを受け続け、このまま行けば折られてしまうことは明白だ。それはもしや樹にとって『死』を意味するのではないだろうか。僕は想像もしたくない事を想像し、その疑問をクルスへと投げかける。
「ね、ねぇ……クルス……。もしも、もしもさ、この樹が切られちゃったら……クルスは、どうなっちゃうの……?」
「そりゃーお前……死ぬんだろうな、多分」
まるで興味が無いと言わんばかりに、クルスはけろりとした態度で居直った。
「ちょ、ちょっと待ってよクルス!! それじゃあ……」
「あ、あー……悪い。お前の事、絶対死なさないなんて言っといて、結局オレ様が死んじゃっちゃあお前の事守れなくなっちまうな……。ほんっとすまん」
たははー、と事態をあまり重く見ていないように笑っているが、それが心から詫びていることなんて、クルスと少し一緒にいればわかることだ。それだけに、クルスが僕を助けられないことを本気で申し訳ないと思っているからこそ、僕は今、湧き上がる怒りを感じているのだった。
「そういうことを言ってるんじゃない!!!! それならどうして僕なんか助けようとしたんだ!!!!」
「……カイト?」
初めて聞く僕の怒鳴り声に、クルスは若干戸惑ったような声で僕を呼ぶ。しかし、そんなことを気にする余裕が無いほどに、僕の頭は怒りで沸騰しそうになっていた。
「すくなくともあのミノタウロスの狙いは僕だった!!!! なら、放っておけばキミは死なずにすんだ筈だ!!!! 僕なんてどうだっていいだろう!!?? 僕は誰かに迷惑を掛けることしかできない、生きる価値のない屑なんだ!!!! だから、今僕が死にそうだったのは当然の報いなんだ!!!! 僕のせいで、ユーリさんだって死にかけて、その上一人で戦ってて……!! 僕は嫌なんだよ……!! 僕のせいで、誰かが死ぬのなんて……そんなことになるくらいならいっそ……」
死んだほうが、マシだ――――。
いつだったか、確か、匡也くんにだったか雪姫ちゃんにだったか、言われたことがある。僕は自己犠牲が強すぎると。自覚がないから尚タチが悪いとも言われた記憶もある。それは、今にして思えば、人間として壊れているという意味だったのかも知れない。
けれど、もし僕が僕のまま生きるということが、人として壊れたまま生きるということになるのであれば、それでも構わない。それでも、僕はこの生き方を変えられない。それが真月介斗という人間に与えられ、許された唯一の生き方だって、僕は信じているから。
――――僕は、誰かの犠牲の上で成り立ってまで、生きる度胸なんて持ち合わせてないんだ。
「んー……難しいことじゃあ無いと思うんだけどなぁ……」
僕が好き勝手に喚き散らすと、クルスはなんてことはないと、いつもの声色で、僕の右腕にその触手を巻きつかせた。けれど、次の瞬間にはまるでクルスのものでは無いと一瞬思ってしまうほど、力強く、心強く、芯から温めてくれるような、そんな声で僕に告げた。
「んなの決まってんだろ。別にお前がどんな奴だろーがしったこっちゃねーよ。オレ様がお前を助けたいから、助けたんだ。友達だってんなら、それくらい当たり前だろ?」
僕は、一体どんな顔をしていたのだろう。少なくとも、開いた口が閉じられていない気がしたから、間の抜けた顔を晒していたのだろうと思う。
あぁ、ちょっと前に、似たような事を言っていた奴がいたけれど、そういえばどんな奴だったかな――――。
それに、あぁ、目の前の彼は、一体なんと、なんと嬉しいことを言ってくれるのだろうか。
「友達……?」
「んー? そーだよ。てか、お前が誘ってきたんだろ―がよ。言わせんなや恥ずかしい」
クルスはぷい、と不機嫌そうに、恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった。全く、互いに今にも死ぬかもしれないという状況下で、いつものようなやり取りをする僕ら。なんと緊張感のないことか。
何と嬉しいことか。僕は彼の言葉があまりにも嬉しすぎて、目から涙をこぼしてしまっていた。
「な、なんでだよ!? 泣くことあったか!? ぇー、ゴメンってばカイトよー!?」
「あはは、違う……違うんだよクルス……」
嬉しくて、泣いてるだけなんだ。けれど、それが声に出せなくて、結局どうして良いかわからずにオロオロすることしか出来ないクルスは僕を泣きやませようとその触手でよしよしと僕の頭を撫でてきた。僕はただ、笑いながら泣くことしか出来ないでいた。
けれど、悠長にしている時間がないのも確かだ。今のやり取りで完全に失念していた脅威を、一際大きな衝撃と共に差し込んできた光によって、僕らは再認識を余儀なくされた。ミノタウロスの斧の先が、とうとうこの密室に亀裂を生じさせたのだ。当然、ミノタウロスはそこを重点的に狙い、亀裂はどんどん広がっていく。狂ったような咆哮が、より鮮明に耳に届く。
僕は涙を拭って、クルスに尋ねた。
「クルス、キミの触手でどうにかできないの?」
慌てたところで、事態は何も好転はしない、というのもあるが、実際のところ、元からほぼ死ぬつもりだったということと、隣にクルスがいてくれるという心強さから、僕は極めて冷静にそう尋ねることができた。
対してクルスは、触手を人の頭に見立て、横に振って否定する。
「いんや、今のオレ様じゃあ身体を固くして身を守るのが精一杯だ。確かにこの樹はデカイだけあってすげぇ生命力を持ってるし、生きるには問題ねぇんだけどよ、こいつからもらえるエネルギーってのが『細く長く』って言やーいいのか? パワーは出せねぇんだよ。これが動物やら生き物やらなら、話は別なんだけどよ」
クルスの言わんとしていることは何となく分かる。恐らくは、車に例えればクルスがエンジンで、寄主がガソリンのようなものなのだろう。
「それじゃあ……ミノタウロスに寄生して、おとなしくさせることってできないかな?」
「難しい……ってか無理だな。あんな興奮状態のミノタウロス相手に寄生を仕掛けるなんてアホしかやんねー。どういう経緯かは知らんけど、見た感じ正気じゃねー。そんな相手に寄生なんて仕掛けりゃオレ様の自我が負けてオレ様が多分死ぬ。賭けるにしたって分が悪過ぎだ。それに、上手く行ったってソイツ死ぬと思うけど、いいのか?」
「う……」
クルスはお手上げ、といったように触手を二本上に上げた。更には、付け加えられたクルスの言葉に、躊躇してしまっている自分もいた。魔種にも意志があって、愛がある。その事に気付いてしまった以上、死にかかっている状況だというのにも関わらず、命を奪うことは避けたいと考えてしまっている自分がいる。やはり、僕は冒険者に向いてないなと心の中で一人自嘲して、いい加減に思考を切り替え、クルスに聞かされた今までの情報を整理する。
彼が全力を出せないのは、生物に寄生できていないから。このまま行けば、僕らは共倒れだ。クルスの近くにいる生物で、寄生できそうなのは僕だけ。そして僕に寄生をすれば、これまでの例に沿えば、僕の自我は死ぬ。そしてクルスはそれを望まない。
あの日の夜から、出来る限り魔種の『寄生』については調べてきたつもりだ。けれど結局成功例など一度もなく、改善策さえ練られることは無かったという。つまりは八方塞がり。完全に僕らは袋小路の中にいた。
――――けれど、それならば。
「ねぇ、クルス」
僕は思いをぶつけるだけ。僕の意志を彼に見せるだけ。僕を友達と言ってくれた彼を、納得させるのではなく理解してもらうために。彼を決して死なせないためにも――――。
「僕に、『寄生』して欲しいんだ」
――――クルスと生きるためにも、僕はクルスに本音で語りかけるしか無いんだ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!!
こ、公約通り1万文字くらいで一話にしてやれましたぜ……。
カイトくんもう一章だけで二回も死にかけてるの笑うわ(他人事)
追記:ちょっと修正しました。ミノくんの心理描写で。まぁそこまで変わってないので、あまり気にせずお願いします。