第19話 『ユーリ・スラチカ』
ユーリの過去編です!
「……いっづ!!」
目覚めると同時に、右腕に走る激しい痛みによってユーリの目は一瞬にして覚めた。目の前にはパチパチと音を立てて心地よい熱を供給してくれる焚き火と、そして痛みの走った右腕に施されている処置から、自分が骨折していることに気がついた。
それがきっかけとなり、段々と記憶が蘇ってくる。ミノタウロスが急に暴走し、ディムシーに嵌められて崖から落とされ、そして――――。
「カイト君!!??」
ようやく、彼女が守ろうとしていた少年の姿が見えないことに気付いた。普段の彼女ならば、焚き火を起こしたのが誰なのか、拙いながらも彼女の処置を施したのが誰なのか、見当がついただろうが、頭が回りきっていないことと、唐突な出来事の数々にユーリは混乱と焦燥の中にいた。
『また』守りきれなかったのではないか、『また』死なせてしまったのではないかという恐怖が全身を支配する。ユーリは強迫観念にも似た何かを覚え、走る痛みさえ無視してその身を起こし、足を引きずり、それでも前へ歩こうとして――――。
「ごめんなさい!! 寝てません!!」
そんな声が、頭上から聞こえてきた。
ユーリは面食らったようにその場に立ち尽くし、すぐ外でギシギシという音が段々と近づいてくるのを聞き取る。やがてそれが止むとひょっこりと件の少年が壁際から顔を覗かせた。
「あ、ゆ、ユーリさん!! よかったぁ目が覚めたんですね!! 僕はきっちり見張りしてましたよ?? 居眠りなんてしてませんホントです信じてくださいお願いしますえぇ是非とも!!」
早口で見当違いのことを捲し立てる少年。その姿に、必死でこらえていた何かがぴん、と音を立てて切れた気がして、ユーリはその眼からポロポロと涙をこぼしながら、痛む足を引きずって目の前の少年を強く抱きしめた。
「え、ユーリ、さん?」
「よかった……よかったぁ……本当に……」
カイトの熱を確かめるようにぎゅっと抱きつかれながらオロオロし続けるカイト。ユーリに離してもらえ、お互いに落ち着くことができたのはそれから十分程経過した後のことだった。
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気まずい。非常に。
僕は背中に感じる僅かな感触に、大変によろしくない劣情めいた感情さえ懐きながら、動悸を激しくさせていた。
現在僕らは背中合わせで座っている。何故かと言うと、互い、主にユーリさんが、今どんな格好をしているのかに気付いたからだ。あの時、ほぼ賭けではあったが、逃走手段として川に飛び込むという一部RPG界隈ではお決まりとも言える手法を取り、そして今僕らは辛うじて五体満足で過ごしていられている。
ちなみに、逃げる際にミノタウロスの足元に向かって投げたのは、ギリギリ『装備不可』のバッドアビリティに引っ掛からなかったため申し訳程度に装備していた肘当てだ。ミノタウロスは目もそれなりにいいが金属音に最も過敏に反応すると、メリゼさんの授業で教わったことが活きたわけだ。
それから川に飛び込むといつの間にか僕も気を失っており、気付けば今僕らが拠点としている岸壁をえぐったような窪地の前の川岸に流れ着いていた。
そして、ユーリさんに応急手当を施すためというのが半分、濡れた服で身体を冷やさないようにという対応のためが半分で、服を脱がす必要があったのだ。下心は無かったとはいえ、ユーリさんのあられもない姿をまたも見てしまったわけで――――。
「本当に下心は無かったんだろうな?」
「ほ、本当です!! 信じてください本当に申し訳ありませんでした!!」
「むぅ……、そう必死になって否定されるというのも何か癪だが……、まぁキミに免じて許すことにしよう」
もう独り言として声に出てしまっているんじゃなかろうかと思えてしまうほど不意打ちで心を読んでくるユーリさん。いや、あまりそういうところで不意を打たないでほしいものなのだが、見てはいけないものを見てしまったのだ。そのくらいは甘んじて受けさせていただこう。
ともかくだ。今はお互いに殆ど生まれたままの姿で、ユーリさんも一人の立派な女性ということでこちらにしても向こうにしても見るの見られるので恥じらいというものはあるのだ。あるのだが――――。
離れないでいて欲しいと、そう言ったのは以外にもユーリさんの方だった。先の一件もあり、僕としても背中にユーリさんがいることを感じられれば、それだけで安心出来ると踏み、快諾した。
「少し、冷えるな……」
「ご、ごめんなさい……」
「いや、キミが謝る必要など無いさ。それに、今のは私も不躾だったな。仮にも命を救ってくれた恩人に不満を漏らすなど」
「お、恩人だなんてそんな……! 僕なんか何もしてないですし……そもそもユーリさんがいてくれなかったら今頃僕もミノタウロスに殺されちゃってただろうし、だから、ユーリさんが居てくれたから、今僕はこうして生きてられてるんです。恩人って言ったらユーリさんなんですよ、僕にとっては」
「しかし、私が居なければ、私がキミをここへ連れてくるような事をしなければ、そもそもキミがこの場に立って危険な目に晒される事はなかったと思うが?」
「そんなこと言ったら、僕はあの森で盗賊に普通に殺されちゃってましたし、置いていく、なんて言われたら土下座してでも連れてってください! ってお願いしてたと思いますよ。それに……」
「それに?」
言い淀んで間を置いてしまった僕に、ユーリさんは興味深そうに食いついてきた。ちょっと口に出すのは躊躇われるような、気恥ずかしいことなのだが、同時にとても大事なことだと思ったので、僕はごにょごにょと囁くように話し始めた。
「……その、僕は、ユーリさんが側に居てくれて、良かったと思ってます。感謝してもしきれないくらいです……。ユーリさんと一緒にいる間、色んな事を教わりましたし、大変だったけど、今まで生きてきた中で、多分一番充実してたと思ってます。もし、もしもユーリさんが僕と一緒に居たことを苦痛だった、なんて思わないでいてくれたのであれば……できれば、そんな事は……」
言わないで欲しいと、恥ずかしさのあまり口にすることはできなかった。そんな僕の心を見透かしたのか、ユーリさんは盛大に吹き出していた。
「ぷっ、あっはははははは!!」
「わ、笑わないでくださいよもぉ!」
「あぁ、いやすまない。別にそういう意味で言ったわけではないのだが……。中々多感なお年頃なようだな。失礼した。それに強情さは一人前だなぁ、改めて。内容はまるっきり子供だがな。はっはっはっは」
「うぅ……」
ぐうの音も出ない上に、恥ずかしすぎる。これなんて公開処刑? と身悶えていると、ユーリさんは穏やかな吐息を小さく吐いて、微笑みながら僕に詫びる。
「あぁ、少々、意地悪が過ぎたな。すまない。それとな、キミと一緒にいられた事に、私だって苦痛なんて覚えなかったさ。キミと一緒にいる日々は、毎日が楽しかった。だから、苦痛に思ってなかったら、なんて事は言わないでほしいな。寂しいだろう?」
「お互い様、ですか?」
「そういうことだ。ふふ」
「あはは」
互いに笑い合う僕ら。一頻り笑った後、気まずいような、それでいてこのままずっと続いて欲しいような、曖昧なな沈黙がその場をゆったりと包む。この場に聞こえるのは、燃える焚き火の音と、川の水が流れていく音のみだった。
どのくらいの時間が過ぎただろう。今は一体何時くらいなのだろう。今日は端末を置いてきてしまったので時計が無い上に、星一つ見えない程の生憎の曇天に見舞われてしまい、月の位置から大まかな見当を付けることもできない。
端末といえば、今夜はクルスのところへ行くことができそうもないな。怒ってるかな、ちゃんと謝らないとな、でもまず、僕は彼に再び会えるのだろうか? 彼のことを考えると、そんなネガティブなことを考えだしてしまった僕は、それを振り払うようにぶんぶんと首を横に振った。
いやそうじゃないだろう真月介斗。会えるかじゃない、会わなければならないんだ。友達との約束は絶対だと、匡也君にそう教わったし、実際その通りだと思っている。だから、クルスにはもう一度会いに行かなければならないのだ。会いに行くと、約束したのだから。
だがそれと同時に、匡也君の事を思い出したら、一緒になって元の世界の人たちのことも思い出してしまった。
――――みんな、元気にしてるかなぁ……。
そういえば、皆には何も言わずにこちらの世界に来てしまった。異世界だけど、時間の流れとかどうなっているのだろう。もし同じ時間が流れているとするなら、二週間近くも、僕は行方を眩ませていることになる。
その辺りはどうなっているのだろう。ゼニアグラスに訊いてみないことには分からないが、できればどうにかして一報くらいは入れておきたい。異世界でも村人Aどころかもはや路傍の石状態な他、恩人の女性の肌を何度も拝んだラッキースケベ野郎してます、なんて知らせはあまりに気が進まないので、とりあえず大丈夫です、程度のことは。
だが、それもこれも全ては無事にファズグランへ戻れたらの話。今はこの状況を切り抜けることに専念しよう。と言っても、夜が明ける前に土地勘のない状態で場所を移動するのは危険過ぎる。どうにかクルスから預かった魔避け薬は無事だったとはいえ、魔晶はさっきの衝撃で何処かへ行ってしまったらしく、ユーリさんの手首にはめられていた、『証明石』のバングルもまた川に流されてしまったのか、見当たらなかった。見事なまでの八方塞がり。今打てる手が全くと言っていいほど思い浮かばない。
なので、ある程度の光源が確保できるようになる夜明けと共にここを発つのが最善だろう。ならば今すべきことは、いつでも動けるよう、十分に体を休めておくことだ。
「なぁ、カイトくん」
そんな考えに落ち着くと、不意にユーリさんから声が掛けられる。声のトーンから僕をからかいに来たわけでは無さそうだが、何となく怯えた様子が感じ取れる。
「どうかしましたか?」
「いや……その……キミはさっき、私が居てくれてよかったと、言ってくれたな?」
「……はい、言いました、けど……?」
戸惑いながら返答すると、ユーリさんがぎゅ、と膝を抱える腕に込める力を強めた。何かを怯えるように、その恐怖に押しつぶされそうになって。それを裏付けるかのように背中越しにでもわかるほどユーリさんが震えてしまっているのがわかり、僕は心配になって振り向こうとする。
だが、僕が振り向こうと身体に力を込めたのとほぼ同時に、ユーリさんは意を決して、訥々と語りだした。
「少し、私の話をさせてもらってもいいだろうか? とてもつまらない、私の過去の話なんだが……」
「……是非、聞かせて欲しいです。ユーリさんのこと、教えてください」
それを話してもらえることは、僕にとっても望むべきことだった。ユーリさんの身に、何があったのか。一体どうして、知り合って間もない僕の身を本気で案じたりしてくれたのか、その真相に迫れると思ったから。
「ありがとう。それでは、できるだけ手短に、な」
言って、ユーリさんは過去の日々に思いを馳せ、星空を仰いだ。
「私は、キミと同じく『英雄候補』だった。そう『だった』んだ。私は結局、英雄になることはできなかった」
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私は元々、このニルバジア王国の生まれではなくてね。生まれは東のロイゼン帝国の帝都、エルゴンだったんだ。と言っても、出自の記憶の方は定かではない。なんせ、私には親が居なくてね。孤児というやつさ。この時点で、かなりつまらないだろう?
そんな私は、エルゴンのとある孤児院で育てられた。皆、よくしてくれたが、どうにも私はその空気に馴染めなかった。だから、自然と一人でいることが多かった。
そんなある日の事だった、とある二人の少女に出会ったんだ。とても仲の良い二人でね、当時もとても眩しく、見ていて羨ましくなるような二人組だった。二人ははみ出し者の私の手を取って、外へ連れ出してくれてね。あぁ、それでかも知れないな。私が誰かに心を開かせる事が出来るようになったのは。
その内の一人、エルフィというのだが、彼女はとても大きな夢を幼いながらに持っていてね。『魔種と人類、できれば神族も、手をとりあって共存していける世界を実現したい』という、まさに夢そのものと言って差し支えないような夢だったよ。あぁ、お花畑なんだ。彼女は。どことなく、誰かさんに似ているかな? ふふ。
さて、彼女の話に戻そうか。ほんの少し皆が優しくなれば、戦争なんて無くなると、本気で信じられるような子だった。ただ、少々お転婆でね。彼女のことは、彼女の友人、レーレというのだが、レーレと私で遊びながら見張り続けていてね。よくはしゃぐ彼女を二人して褒めたり、からかったり、時には諌めたりしたものだよ。
レーレは、なんというか勝ち気な奴でね。友達、と言うよりはライバルに近かったな。何をするにも、常に競ってた。喧嘩だったり、競争だったり、年を重ねていくと武芸でも競ったりしたな。いい経験になったし、いい思い出だよ。
そしてある日、突然の事だったな。ゼニアグラス様に、『英雄候補』として認められたんだ。正直言って驚いたよ。実力や才能的に、レーレが選ばれるものとばかり思っていたからな。
『英雄候補』に選ばれた私は、冒険者を目指すことにした。理由は、少し後で話そう。エルゴンの支部で冒険者として認められた私は、すぐにファズグランに向かうことにした。そちらの方が、冒険者にとって色々と都合が良かったからね。
そうして、別れる事となった日に、私とレーレは誓ったんだ。
エルフィは自分の夢の為に全力で駆け抜ける。だから、私達はエルフィの剣となり、盾となろうと。レーレは彼女の側で、私は、彼女の外側で。
そう、当時から賢しいことに関しては多少、少なくともレーレよりは知が働いたからな。他国で多少名を売っておけば、後々何かしら力になることもあるだろうと踏んだわけだ。それが私が冒険者を目指し、冒険者であることを決めた最初の理由だった。
そういうことがあって、私はファズグランへやってきた。力を付け、名前を売って、彼女たちの力になれるようにと。そういえばまだこの頃はメリゼが居なかったな。
こっちへ来て、良い仲間たちにも恵まれたよ。笑い声がとにかく豪快で、よく私の背中を叩いていたハーディ、気さくで、パーティーのムードメーカーだったテュリカ、そして、いつもビクビクしながらも、パーティーのために勇気を振り絞って、ここぞというところで貢献してくれていたイルン。あぁ、確かに。ディムシーもあれで案外よく人を見ている。確かに、イルンとキミはどことなく雰囲気が似ているな。
皆力のある冒険者だったし、気のいい仲間達だった。例えどんな冒険者と出会っても、私には彼らこそが最高の仲間だったと、胸を張って言えると思うよ。そして、新参者だった私達も、クエストの数をこなしていくうちに成長し、個人の練度も、パーティーとしての練度も、日を追うごとに増していった。
やがて、この地域で私達のパーティに勝る魔種や盗賊やらは居なくなり、ファズグランではもはや英雄であるかのように囃し立てられたものだ。
だからだろうな。私達は、いや、私は驕っていたのだ。自分は強いと、私達は強いと。誰にも負けないと、そう信じて疑わなかった。そして、その報酬は高く付いた。
ある日、私達は洞窟内に出現したディグ・ワームという魔種の討伐依頼を受けた。その洞窟は希少な鉱石が採掘できる場所で、ディグ・ワームはその鉱石を好物としている。その鉱石が国にもたらす利益の大きさから、当時のクエストの中では最も重要視されたクエストで、最も実力と実績のあるパーティとして私達が指名されたんだ。誇らしかったし、嬉しかったよ。私達の実力が評価されているのだと、確かな形となって現れたのだから。実際、舞い上がっていたと思うよ。その時の私は。
だが、その日は敵の探知役と中衛を担ってくれていたイルンが不調を訴えていた。イルンの身を案じて、サポート役だったテュリカ、私と同じく前衛のハーディが依頼を破棄すべきだと提案してきた。しかし、私はそれに対して首を縦には振れなかった。無論、それがどれ程危険なことかはわかっていたつもりだ。場所は洞窟。暗所であるために視界の自由が効きにくい以上、イルンの探知魔法は命綱であると言っても良い。
いわば私達の『眼』となってくれるイルンが十全に力を振るえないとなれば、予期せぬ事態に陥るかもしれない。加えて、ディグ・ワームも、先手さえ取れれば大した脅威にはならないが、後手に回れば厄介な魔種であることに違いはなかった。正常な判断が出来る者がパーティの舵取りならば、誰もが依頼を断っただろう。
だが、この依頼を果たせば、パーティの名前は、私の名前はより大きな力を持つことになる。逆に、他のパーティが依頼を達成すれば、そいつらが力を握り、私の名前はそいつらの影に隠れることになってしまうと、その時の私はそんな風に思っていた。
そう、内心では少し焦っていたんだ。焦る必要など無かったというのに、経験も浅く、なまじ自分の夢が近付いてきたせいか、それが遠のくと聞いて黙っているわけにはいかなかった。だが、それは私のワガママだ。だから、私はイルンをこの場に残し、他の二人にも、付いて来てくれるならば付いてきてくれとだけ言って、一人で向かった。
その時点で、私は大馬鹿者だったのだろうな。そんな言い方をして、あの三人が付いてきてくれないわけがないことなど、わかりきっていたことなのに。結局、三人はすぐに私の後を追いかけてきて、四人で洞窟へ向かうことになった。イルンの体調もあったから、いつものように油断なく、確実に、速攻で終わらせることを四人で頭に叩き込んで。
イルンの探知魔法は一級品だ。それは私やハーディとテュリカの二人だけでなく、当時のファズグランの冒険者達全員が認めていたことだ。だから、彼のお陰で最小限の戦闘で、捕食中のディグ・ワームの元まで辿り着くことができた。
だが、その後だ。『それ』が起こったのは。
いつものように、確実に先手を取れる私が仕掛けようと、駆け出した、その時だった。
イルンの悲鳴が聞こえてきた。誰も彼もが彼の身を案じ、状況を確認しようと眼をやった。そう私も、眼をやろうとして、『立ち止まってしまった』んだ。
イルンの声と、近距離から聞こえてきた私の足音。当然ディグ・ワームは私たちに気付いた。その事に気付くのがもう少し早ければよかった。けれど、現実にはそうならなかった。ディグ・ワームは私目掛けて突進し、そして運良く直撃を避けた私は致命傷は免れた。だが、それで私は気を失ってしまった。
次に眼が覚めた時、私は必死にディグ・ワームを抑えているハーディと、血の海の中に転がっているテュリカのものだった手足と、私の前で転送魔法用の式を『片手』で必死に組んでいるイルンの姿だった。私は、何も言えなかった。ただただ後悔して、動かない体で仲間たちがもう助からないという現実を見せつけられることしかできなかった。最後に見たのは、ディグ・ワームに食われるハーディと、笑顔で涙を流すイルンの姿だった。
私はファズグランに転送された。あまりにも唐突に多くのものを失ったせいだろうか、その時の記憶は曖昧に過ぎるが、『証明石』の救難信号からも事態を察していたギルドはほとんど全ての冒険者を依頼のあった洞窟へと向かわせていた。到着は、『証明石』が砕かれた、つまりは私達がディグワームに襲われてから、半日後。
そして、洞窟の奥地で見つかったのは、焼け焦げた空間と、ディグ・ワームの肉片、そして、三人が使っていた武器だけだった。
その後、しばらく塞ぎ込んでいたんだがね。少しして、レーレの活躍の報せが届いたんだ。ある意味世界初となる人類単独での『龍族討伐』。それ自体は、英雄譚として語られるような、途轍もない偉業だった。ロイゼン帝国は国をあげて彼女を讃えた。その時、恐らく彼女は全世界の敬意と、畏怖と、嫉妬の矛先に立つことになったんじゃないかな?
ただ、それに関しては些か複雑な事情を抱えていてね。私も事情を知る身としてはレーレやエルフィの事が心配になったんだが、それでも次々とレーレの名は海を超えて続々と耳に入ってきた。エルフィの話も、噂話程度ではあったが、私の耳にも届いたよ。
それで確信した。彼女達とて内心穏やかじゃあ無かったろうに、それでも彼女達は、未だ彼女の持つ夢を果たすために折れず邁進している。ならば、私もこんなところで折れている場合じゃない、私のすべきことをやろうと思えたんだ。
ただ、やりたいことは変わって、というか増えてしまったけれどね。私のような失敗を犯さないように、『英雄候補』達や、新人達を育ててやりたい。立ち直れて以来、それが私の成すべきことのようだと感じたし、私のやりたいことにもなった。
まぁ、あまり好まれてはいないようだがね。殆どが二日三日で逃げ出したしてしまったよ。でもそれが、彼女達、私のかけがえのない仲間達への贖罪と、感謝になると、思っているから、私は私のやり方で、冒険者を目指す者達がなるべく『後悔せずに済むように』、教えられることを教えていきたい、と。これが私が冒険者であろうと決めた、現在の理由だ。
とまぁ、そんなわけさ。私がキミを助けたのは、そういう事情の上にも成り立っているわけだ。
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「さて、つまり私がキミに冒険者を教えているのは単純な善意ではなく、私の独り善がり、エゴを多分に含んでいるわけだが、幻滅したかな?」
自嘲気味なユーリさんの言葉に、僕は返す言葉が出てこない。
ありがちな悲劇。漫画でよく見かけるような悲劇的な過去の典型例。だが、これは漫画なんかじゃない。血の通った人間の、紛れも無い過去。その細い体に、一体どれだけの傷と、重荷を背負ってきているというのか。僕には知る由もない。
「ディムシーが人殺し、といったのはあながち嘘ではない。あぁ、もしかしたらそういう才能さえあるのかもしれないな。自分でも気付かないうちに、誰かを殺す。しかも、親しくなった間柄と来た。ふふ、まるでタチの悪い死神か何かだな。私は」
悲愴に満ちた自嘲。何より自分を許せないという、自分自身を責罰する言葉。あまりにも壊れやすく、下手に触れただけで容易く崩れ去ってしまいそうなほど、弱々しく震える声。そこにいたのは、『青狼』などという大仰な二つ名で呼び讃えられ、ファズグラン最強と謳われる、屈強な冒険者などではなく、自身に課した罪に耐え切れず苦悩する、一人の普通の女性の姿があった。
「だから、カイトくん。すまない、私はキミを――――」
だから、その先は絶対に言わせてはいけないと、バカな僕でもわかった。僕は、ユーリさんを後ろからそっと抱え込むように抱きしめ、その頭を優しく、優しく撫でていた。壊れないように、崩れ去ってしまわないように。優しく、優しく。
「カイ、ト……くん?」
「今、僕を殺してしまうとか、そんなこと言おうとしましたね?」
僕の問いかけに、ユーリさんは無言で肯定する。だから僕は、小さく笑んで、彼女の頭を撫で続ける。
「ユーリさんは、誰も殺したりなんかしてませんし、誰も殺しませんよ。悪いのは、ユーリさんなんかじゃあありません。誰も、悪くなかったんです」
「いや……しかし……!」
「イルンさんは、最後になんて言ったんですか?」
「……!!」
ユーリさんは何かに気付いたように、ビクリと体をこわばらせる。きっと人一倍責任感の強いユーリさんのことだ。それがとても優しい言葉だったから、そこに恨みなど一縷たりとも含まれていなかったから、自分への罰のために忘れていたのだろう。
「ここからはあくまで僕個人の見解なんですけど」
「…………」
「人殺しをするような人を、自分を犠牲にしてまで生かそうとする人間なんて居ませんよ」
「…………」
「人殺しをするような人を、優しい言葉で送り出すようなことなんてしませんよ」
「――――」
「それに、そんな大切な人が、自分のせいで傷ついたままなんて、僕だったら絶対に嫌ですよ」
「――――っ」
ユーリさんは歩いてきた。長い長い道のりを。だったら、ここらで一つ休憩にしたって罰は当たらないはずだ。ユーリさんは十分頑張ってきた。もう十分、苦しみ抜いてきたはずなんだ。
――――そうですよね? 皆さん。
「大好きだったんですよね」
「だいす、き……だった!!」
「大切だったんですよね」
「だから……わたしが、まも……たかった!!」
「皆さんも、ユーリさんのこと、大好きだったと思います」
「あっ……うっ、あぁぁ!!」
「だったらそろそろ、今まで許せなかった、皆さんが大好きだったユーリさんのこと、ユーリさん自身が許してあげてください」
「うぁっ、ひっぐ、ぁぁぁぁああああああああああああああ!!!!」
天に届かんとするまでの大号泣。生まれた赤ん坊のように顔中をくちゃくちゃにして、その眼から堰き止められていた数年分の涙がとめどなく溢れだし、ぎこちなく僕の腕の中で反転したユーリさんは、僕の背中に腕を回して縋るように抱きついてきた。
まるで子供。だが、これが正解だと思うのだ。ユーリさんの時間は、ある意味で三人が死んだ時から止まったままだった。それがようやく動き出した。だからこれでいい。今の彼女に必要なのは、存分に泣いてしまえるだけの時間と場所と、それを受け止めてくれる誰か。彼女が彼女に課した罪を許すきっかけを作る、誰かだったのだ。
その誰かに、僕なんかでもなれるというのならば、喜んで承ろう。だから――――。
「今はいっぱい泣きましょう。泣いて良いんです。言いたかったこと、いっぱい言って良いんです。そうしたら、今度はちゃんと――――」
――――ありがとうって、言いましょう。
大丈夫。声に出さなくたってわかってる。ユーリさんは今、ようやくその背中に背負ったものを、自分の意志で下ろすことができたのだから。
だからせめて、今くらいは。
「ごめ……なさい……! ごめんなさい!! ごめんなさぁい……!!」
精一杯泣きじゃくりながら何度も謝るユーリさんの背中を、僕は何も言わず、只管擦っていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!!
液晶から硫化アリルが分泌されたりされなかったりしますが、お使いのPCは正常です(笑)
ユーリの過去についてはちょっとは上手く書けたかなぁと思っているので、楽しんでいただければこれ幸いです!
この章も、字数としてはまだ続きますが、大詰めとなってきました。もう暫くお付き合いいただけましたら、私、幸せものでございます……。あれ……何で玉ねぎがここに……。