第13話 目覚める『素質』
ようやく初めての戦闘シーンです!
ファズグランを出て早一時間、僕らは近郊の森の探索を行っていた。
王都北門を出ると、街道は緩やかな下り坂となっており、丁度丘陵地の頂上に立っていた僕らは街道沿いに魔種の存在がないことを確認すると、少し進んだ先にあった森の中へ入った。
しかしユーリさんの杞憂で済みそうなのか、森の中には小鳥や野兎の姿は確認できても、魔種の姿は一向に確認できずにいた。
「魔種……見当たりませんね……」
僕は登山用かと思われる程の大きさのリュックを背負い、軽く見積もっても二キロはあろうかという重荷に軽く息を切らせながら、魔種の不在に安堵の息を混ぜる。ちなみに、これは僕がほぼ独断で用意したものだ。初のクエストで緊張と興奮に飲まれ、回復系のアイテムはもちろんのこと、食料、トラップ、妨害用の薬品系アイテムなどを大量に背負い込んできたため、僕の大荷物を見たユーリさんは「そのまま旅にでも出るつもりか?」なんて苦笑すらしていた。当然僕としてもかなり恥ずかしかった。テンパりすぎだろ、僕。
ほっとしたように緊張の糸が緩みつつある僕とは対称的に、先導するユーリさんは顔の険を解かず、注意深く周囲を見回していた。
「いないならそれに越したことはない。が、油断は禁物だぞカイトくん。今回は王都南部からの魔種の出現がいつにも増して観測されてはいたが、しかし北部から出現しないなどという確証は何処にも無いのだ。いつ何処で魔種と遭遇するかはわからない。その危険性は冒険者が一番深く理解していなければならない事だ」
それはユーリさんの最初の座学で一番最初に教えられた事だった。もちろん僕としてもそれを忘れた事は今まで一度もないが、それでも未だ自覚や経験が足りていないということなのだろう。弛み始めた自分の思考を引き締める。
そんな話をしながら、雑草を掻き分けて更に森の探索を進めていると、ちょうど円形状に木々はおろか、雑草さえほとんど生えていない、広場のような場所に出た。
何の気なしにその広場で踏み出すユーリさん。その後を僕も続こうとして、しかし獲物を見る猛禽のごとく射抜くような視線を右側へと一瞬向けると、広場へ無警戒に踏み出そうとした僕の方を抑えつけるように押し戻し、丁度雑草類で影になる木にしっかりと押し付けられる。
あまりにも急速に接近したユーリさんの顔に僕は恥ずかしさから声を上げようとしてしまい、しかし開こうとした口に指を当てたユーリさんによって、その愚行は未遂に終えることが出来た。
「静かに。見てみろ」
「……?」
言われて、視線で示された先に、僕も恐る恐る目をやる。僕らから見て、丁度右斜め前方、未だ木々の隙間の怪しげな暗闇しか確認できるものは無いものの、次第にそこから妙な音が聞こえてくる。心臓の鼓動のようで、しかしねばつく水音のようでもある、粘性のある音。重たく響くその音の正体は、やがて木々を押しのけるように出現した『その姿』を見て、僕らは即座に理解した。
「スライム……ですか?」
「そのようだ。だがこれは……」
流石のユーリさんも、そしてもちろん初見となる僕も、驚きを隠せずにいた。
王道RPGで必ず見かけるような、透き通った水のような色、顔も手足もなく、饅頭のような体をゴムのように伸縮を繰り返させて進むそれ。所謂、スライムと呼ばれるものだ。その姿は僕の中のスライムのイメージともほぼ同じだった。ただひとつ、その『大きさ』という観点を除いて。
「大きすぎませんか……?」
体長一メートル近くはある巨体。体積も考えるならば、大の大人三人はまるまる飲み込めてしまいそうな大きさだ。
ユーリさんに聞いた話では、精々一個体の大きさは両腕で抱えられる程度だと聞いていたし、僕もその程度だとばかり思っていたのだが。
「ふむ……。突然変異種、かも知れないな。少なくとも、あのようなサイズのスライムは私も見たことがない。それに、何か様子がおかしいな」
「え?」
そう言われて、再びスライムに目を向けると、広場の中心に佇んだスライムは、時折ぶるぶると痙攣をしたかと思えば、よろよろと周囲を徘徊したりと、確かに妙な行動を繰り返していた。
「突然変異の弊害で行動に支障を来しているのか、あるいは他の魔種のように『凶暴化』しての行動か。いずれにせよ、あの様子では万が一にも王都に辿り着いてしまう可能性もある。放置はできんな」
言って、ユーリさんは腰の長剣を音も立てずに引き抜くと、その場で立ち上がった。
「た、戦うんですか!? 危険じゃないですか!?」
「あんな得体の知れないものをそのままにしておく方が危険さ。何、危なくなったら私もすぐに退く。その時は、きちんと援護してくれよ?」
ユーリさんは力強く微笑みかけて、不安げに見上げる僕の肩を叩いた。
「何、心配するな。キミはそこでよく見ていてくれ」
それだけ言って、ユーリさんはスライムのいる広場へと歩み始めた。その背中を追い、僕は急に背負うこととなった責任に対する重さでも、僕も下手をすれば死ぬかもしれない恐怖でもなく、ユーリさんの無事、ただそれしか考えられなかった。
ユーリさんが広場に立つ。それに気付いたスライムが、ゆらりとユーリさんへと体を向けた。ユーリさんは長剣を、突き刺すように左手で上段に構え、腰を落とした。風に揺られて、青い髪と青いコートがはためく。やがて風が止み、数瞬が過ぎ去った後。
先に仕掛けたのは大型スライムだった。スライムはその巨体から鞭のように細く自身の体を幾本にも枝分かれさせ、ユーリさんを津波のごとく覆いかぶさるように打突せんと迫る。しかし――――。
「遅い」
言うが早いか、後コンマ一秒でもあればユーリさんの体にスライムの攻撃が届こう、というまさにその瞬間、一瞬にしてユーリさんの体が霞のように消えたかと思うと、全てのスライムの触手の合間を縫って、一瞬で最短距離を詰める。
風を切るような速度で放たれる刺突。ユーリさんはスライムの巨体に長剣を突き立て、素早く横に薙ぐ。外部からの力が働いたことにより、スライムの体の一部がごっそりと宙を舞う。しかし、スライムの厄介なところは物理攻撃が効きにくい事にあり、物理攻撃系の冒険者の悩みの種である『自動再生』のアビリティが、このスライムにも例外なく発動する。
「む」
小さく声を漏らし、再生するべく急速に飛来してきたスライムの肉片を、再び消えたかと錯覚するような速度で回避し、一旦距離を取るユーリさん。
「再生速度も早い、か。なるほどな」
確認するようにひとり呟くと、既に勝機を見出したのか、ユーリさんは今度は剣を下段に構え、不敵に笑む。その顔付きが、獲物を追い詰めた肉食獣の獰猛さを思わせ、本能的に身震いをさえしてしまう。
スライムは、体を伸ばすのではユーリさんを捉えられないと判断したのか、今度は自分の一部を体を拳大に丸めた物を、さながら機関銃のように連続で射出する。先程よりも、間隔、速度、共に遥かに上回る絶え間ない豪雨。
しかし、それさえもユーリさんはにわか雨だと言わんばかりに正面から受けて立ち、そして自分に被弾すると判断したものを、自身の速度に合わせた剣戟で、一瞬にして計六つ程弾き、再びスライムの眼前に立つと、剣の腹に指を添えた。
「少し大人しくしていろ」
ユーリさんが呟くと同時、ユーリさんの剣が僅かに輝いたかと思うと同時に、ユーリさんが踏み込む。すると、まるでその道こそがユーリさんが剣を振るった軌跡であると誇示するように、スライムの体が裂断される。それを一度、二度、都合三度と浴びせ、スライムは見るも無残な姿に変えられてしまった。
だが未だだ。座学でも教わったが、本来スライムには魔法系の攻撃が有効となる。そして、ユーリさんには攻撃魔法が使えないということも、予め聞いていた。
ならば、有効な手段を持たないユーリさんは、スライムを倒すことは出来ないのか。答えは否だ。
「お前の核、貰い受けるぞ」
スライムの身体の何処かに存在する、スライムの心臓とも言える『核』の破壊。ユーリさんは初めからそれだけを狙っていた。
スライムに対し、さながら死刑宣告の如き言葉を告げるユーリさん。その表情は凛として美しく、しかし瞳は、まるで獲物を狩る『狼』のように獰猛な輝きを灯していた。
ユーリさんの剣が踊るように走る。一撃、二撃、三撃を超えたところで、尚も加速する剣の軌道を追えなくなり、ただ散っていくスライムの肉片だけがその速度の凄まじさを物語っている。だが――――。
ユーリさんの背後から、スライムの肉片が迫る。先程弾丸として打ち出した肉片が、『自己再生』アビリティにより急速に彼女の背後目掛けて飛来する。
「危――――!!」
ない、と続く筈だったその言葉は、さらなる偉容を魅せつけられた驚愕で、再び喉の奥へと引っ込んでしまった。
弾いている。被弾するかと思われた次の瞬間には、舞い踊るようなユーリさんの剣技によって、尽くが弾かれてしまう。ユーリさんは、スライムからほぼゼロ距離の位置に立ったまま、ほぼ移動を行っていない。まるでそこは我が領域だと、立ち入ることは何人も許されぬと、戒めるように他の存在を決して通さない。
「…………すごい」
それしか言えなかった。目にした光景が、究極に近づけば近づくほど、それを表現できる言葉が少なくなっていくとはよく聞くが、僕は初めてその意味をこの眼で、耳で感じていた。
ひたすらに苛烈。獰猛極まりない連撃はその全てが流麗。舞い踊る剣の聖域、青い狼。僕は初めて、ユーリ・スラチカという女性がどれほどすさまじい冒険者なのか、その片鱗を味わうこととなった。
初めから勝負になっていなかった。スライムはユーリさんに決定打を与えることが出来ず、その核を貫かれるまで残り十秒と掛からないだろう。この戦い、ユーリさんの勝利だ。心の中で確信し、彼女に魅入られていた。まさにその時だった――――。
『――――――――』
「……え?」
ユーリさんが淡く輝く核を見つけ出す。瞬間、それが最速だと判断し、すぐさま長剣を中空で逆手に持ち替え、人としてありえない速度での薙ぎを見舞う。
それで終わる。それは紛れも無い事実だったし、ユーリさんもそう考えていただろう。そして、だからこそだろう――――。
「待って!! ユーリさん!!」
僕の声がして、自分の動きが止められるだなんて、予想だにしていなかったユーリさんは、剣を振り上げたまま、その綺麗な顔に細かなスライムの肉片をへばり付かせながら、ひどく驚いた表情で僕の方を振り向いた。そして、それが仇となってしまった――――。
「うわぁっ!?」
好奇と見たか、スライムの悪あがきで動かした触手に足を取られ、その場で転んでしまったユーリさんは、すっぽ抜けた声を上げる。だから、タイミングが悪かったとしか言えないだろう。
僕がスライムにかかるように、『麻痺毒』入りの木筒を投げて、運がいいんだか悪いんだか、それが空中で破裂し、中身の毒が広がってスライム全体にもユーリさんにも掛かってしまった。
「なぁっ!? ぶっ! ぺっぺっ!! カ、カイトくん!!?? 一体なぁっ……!!」
どうやら麻痺毒の一部を飲んでしまったユーリさんの体が、ピクリと痙攣を起こす。体に掛かっただけでは人間に対しては麻痺毒は効果を持たないが、飲んでしまったのならば話は別だ。先程の吐き出すような行動からして、量はほんの僅かだろう。だが、僅かとはいえ、元は魔種用の麻痺毒。魔種のような頑強さを持つ生物のために作られた毒が、人間に効かないはずもなく。
「あっ……らめだ……からぁに……力が……、ひっ!!??」
表情筋にも力を入れにくくなってしまったのか、同一人物とは思えないほど蕩けたような表情を浮かべる。目元はとろん、と緩み、口はだらしなく開かれ、開いた口からは赤ん坊のように涎が垂れていく。
だが、突然の不運という名の僕のフレンドリーファイアに見舞われたユーリさんの身に何かがあったのか、麻痺の痙攣とはまた違う痙攣が、ユーリさんを襲った。
「ど、どうしましたユーリさん!!?」
「ろうしまひらじゃぁい!! もとはといえばきりが……あっ!! おらぁ、そこっ……ひんっ!! ら、らめ、らめらぁ……!!」
ユーリさんは痺れる体を必死に身じろがせ、何かを堪える。
よく見ればしっかり麻痺毒が掛かったのか、原型を維持できなくなったスライムがユーリさんの体を包み込むように広がっていた。どうやらそれらが服の中でも蠢いているらしく、僕は事態を察しつつもユーリさんの上げる女性らしい艶のある声に、我を忘れて興奮さえ覚えてしまっていた。
「スライム責め……こんなところで見れるとは思わなかった……。いや、でもユーリさんに興奮してしまうわけには……!!」
大恩のある師匠が大変な目に遭っている中、僕はといえば下品にも情欲的な興奮を覚える始末。こんな不出来な弟子でごめんなさい、でも夢だったんです!! 僕の夢の一つ!! ありがとうファンタジー!! ありがとうファンルシオン!!
「な、なんれもいいかあらすけへくれぇ!!!!」
心の中でド変態っぷりを披露していた僕に向けた、ユーリさんの懇願するような叫び声だけが、森の中に虚しく木霊していた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
土下座。そう、僕は今、今後これ以上ないと思われるほどの土下座をしていた。焼き鉄板だろうがドライアイスだろうが剣山だろうが持って来い。そんなもので躊躇ってしまうほど、今の僕はヤワな謝罪をしようなどとは一ナノメートルたりとも思っていないのだから。
「ほんっとうに!! 申し訳ございません!!」
離婚寸前まで追い込まれた挙句離婚を切り出した妻に泣き縋る夫のごとく何度も地面に頭を擦り付ける僕の先には、背を向けて崩れた衣服を正しているユーリさんがいる。頬を赤らめて、怒り心頭といった様子で悪鬼羅刹も裸足で逃げ出す程の怒気を孕ませながら、わなわなとその身を震えさせていた。
「キミに肌を見られたのはこれで二度目だな……!」
「はいっ!! 申し訳ございません!!」
「一度目はいい……あれは急いで出てきた私の不手際だったのだからな……だが今回は……!!」
「弁解のしようもございません!!」
やがて衣服を直し終えたのか、パチンという金音がすると、ユーリさんがこちらへ歩いてきて、僕を上から怒鳴りつけた。
「こんなに恥をかかされたのだ!! 相応の理由でなければ承知しないからな!!」
「承知しております!! 本当に申し訳ございませんでした!!」
震天動地。雷鳴のごとく叩きつけられた大喝破に、僕は一層地面に頭を擦り付ける力を強めた。そんな僕に呆れ返ったように溜息を吐くと、ユーリさんは屈みこんできて頭を上げろと小さく呟いた。
「それで……一体何だったと言うんだ?」
ユーリさんは未だに恥ずかしそうにこちらを直視する事はせず、目を瞑りながらハンカチを取り出し、僕の額に付いた土を拭ってくれた。
あまりにも近距離にあるユーリさんの顔。未だほんのりと上気したそれを見て、僕は先程までの光景を思い出してしまい、釣られて顔が赤くなってしまうが、ユーリさんに鍛えてもらった精神力で、どうにか思考を本題まで修正する。
「えと……ですね。笑わないで聞いてくださいよ?」
どうにか緊張を治め、すぅと息を吸って一間置くと、僕は先程の出来事を包み隠さずユーリさんに話した。
「声がしたんですよ。『助けて』って。それもいくつも。それで、多分なんですけど……」
僕はちら、と未だに痺れている大型スライムから、麻痺毒も浴びずに居たはずなのに一向に再生しようとしない小型のスライムに眼をやった。
「スライムが、喋ったんじゃないかなって……」
ひゅううううう、と、空気を読んだ空気先生が、冷ややかな風をぼくらの間に流し込む。
うわ、言ってから段々恥ずかしくなってきた。スライムは言葉を発さない。それはこれまでの歴史の中で古くから確認されてきた事実だ。それを気のせいかもしれないただの推測で「喋ったかもしれない」など、メルヘンにも程がある。
「ご、ごめんなさい!! そんなわけないですよね!!?? スライムが喋るだなんてそんなことあるわけが……何言ってんだろ僕!」
羞恥のあまりその場で転げまわりそうになる僕。できれば許可を頂きたい。僕が埋もれる為の穴をこの場で掘ることを。
しかしそんな僕とは対称的に何かを考えこむような仕草をしているユーリさんの真面目な表情によって、僕は素面に引き戻された。
「ふむ……。カイトくん、少しばかり試してみよう」
試す? 何を?
「今分かったが、恐らくこのスライムは複数体のスライムからなるものだ。あそこの小さい個体はあそこで痺れている巨大な個体とは別の個体なのだろう。スライムが融合するなど、聞いたことも無いが……。それはさておいて、だ」
ユーリさんは先程の仕返しだとでも言わんばかりに意地の悪い笑みを浮かべて、震えたまま逃げ出そうともしない小型スライムを指差した。
「キミのメルヘンな言動が正しかったのか只のメルヘンだったのか、試してみようじゃないか。さぁ、あのスライムに話しかけてみるんだ」
「あ、危なくないですか!?」
「心配はいらんさ。あのサイズならばまだまだ幼体。攻撃力もさしてないだろうし、いざとなれば私が守ってやる。だから安心して、メルヘンするんだ」
「メルヘンって何ですか!? 勘弁して下さいよぉユーリさぁん……」
やっぱり根に持ってらっしゃる。いや、それも当たり前か。またも乙女の柔肌を見られ、あろうことか、ある意味裸を見られるよりも恥ずかしい姿を見られてしまったのだから。
僕は満面の笑顔で「行け」と親指を立てるユーリさんから、逃げることは許されないオーラを察知すると、諦めてそのスライムの元へと恐る恐る歩み寄る。ユーリさんは少し離れた場所でいやらしい微笑を浮かべながら、しかし警戒はしてくれているのだろう、いつでも鞘から剣を抜けるよう、剣の柄に手を掛けていた。
「あ、あのー……」
満を持して、スライムに話しかけてみる。やはりと言うべきか、返事は返ってこない。
やっぱり気のせいか。そう思い、ユーリさんの笑いものになりに、僕が只のメルヘン野郎だったという報告をしようとした、その時だった――――。
『ママ……ママ……』
声がする。鼓膜に響いているわけではなく、脳に直接音が響いているような、そんな声。
その声の発信源が、そのスライムであると『何故か』理解すると、僕はしゃがみこんでスライムに話しかけた。
「お母さん……?」
僕がそう言うと、スライムはこっちを見上げたのか、わずかにくるりと身を回転させて、頷くように、体を上下させた。僕は思い切ってそのスライムを手のひらで掬い上げるとユーリさんに振り返った。
「ユーリさん……あのスライム……この子のお母さんだって……」
てっきり馬鹿にされるものと思っていたが、しかしそれを聞いたユーリさんは、難しい表情で俯きながら何事か考え込んでいるようで、硬い表情のまま僕に向き直った。
「ふむ……。少し続けていてくれ。私のことはとりあえず無視してくれて構わない」
「?」
ユーリさんの言っていることの意図を理解できず、疑問符を頭に浮かべて釈然としないままスライムに話しかけることにした。
「えっと……君達は一体どうしてここに?」
『わからないダス。でもママとにーちゃんねーちゃん達とお食事に言ったら、急にママが僕達を飲み込みはじめて……』
「……食事って?」
『ここをずっと行ったところにある川ダス。そこのお水は僕らのご飯ダス』
スライムは体の一部をほそぼそと伸ばすと、ある方向を指し示した。
つまり、原因は川にある? もしかしたら今回の魔種が一斉に暴れだしたことと関係があるのだろうか? そんなことを考えていると、僕の手の中で再びスライムが震えだした。
『ま、ママは殺されてしまうダスか……?』
今にも泣き出しそうな子スライムの声に、僕は胃の辺りが痛くなったような感触を覚える。彼らは僕達の暮らしの平穏を脅かす魔種。何より、魔種を狩ることが冒険者にとって、最大の仕事、『使命』と言い換えても過言ではないかもしれない。けれど、魔種だから、という理由だけで、怯える子供を無碍にして、その母親の生命を奪うことは、果たして許される事なのか。
しばしの間、逡巡する。そして僕は、少しだけ頬を緩めて、あやすようにスライムを撫でた。
「殺さないよ。キミのお母さんも、キミ達も」
手には、ぺちょりと若干張り付くような感触。顔を上げると、穏やかとは言い難い表情を浮かべているユーリさんが見ていた。しかし、どうしても譲れなかった。何より、譲りたくは無かった。魔種だからと、切って捨てるには僕はこのスライムのことを、知りすぎてしまったし、何より僕にそんな事はできなかった。母親の身を案じて、今にも不安で押しつぶされそうな子供を切って捨てるようなことは、とても。
しばらく睨み合うように見つめ合っていると、やがて根負けしたような溜息をつき、苦笑しながらユーリさんは頭を横に振った。
「やれやれ。意外とキミは頑固なんだな。構わないよ。キミのやりたいようにするといい」
「ユーリさん……!!」
「但し、だ」
感極まって感謝の言葉を述べようとした僕に釘を刺すように、ユーリさんは指を立てた。
「スライムを討伐、あるいは撃退したという事実が残るようにすること。そして、二度と街を襲わせ無いよう確約を取り付けること。前者はともかく、後者は可能ならでいい」
それだけ言うと、ユーリさんは川の方へと先に行ってしまおうとする。その背中に、言葉の意味を確認するように、疑問を投げかける。
「もし、確約ができなかったら……?」
「別に何も変わらないさ。今までどおり、街へ近付き、危害を加えようと言うのならば切り捨てる。これまでと同じだ」
今まで以上に、鋭く、冷たく、そして重い一言。その一言には、これまで幾度と無く冒険者として戦ってきたユーリさんの歳月が乗せられていた。
「だが、それはキミの意に反するだろう? ならば――――」
声はそのまま。棘のある声。しかし振り返った瞳に灯る光は、いつもの優しいユーリさんのもので。
見守るような優しげな瞳が、頑張りたまえと、言外に告げていた。
「――はいっ!!!! ありがとうございます!!!!」
その優しさに応えるべく、僕は全霊の決意を込めて、ユーリさんに深く頭を下げた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「よっせ……よっせ……」
スライム達を連れて、僕らは森の外にある小川までやってきた。
結局、子スライム達を集合させて操っていた母スライムは麻痺したままだったが、子スライム達の助力もあり、ここまで難なく運びこむことができた。
その間、僕は先程の子スライムから得られる限りの情報を事細かに得ていた。
スライム達は食事をしようと川までやってきて、最初に母スライムが水を飲み、もとい食べ始め、その直後に母スライムが暴走し始め、先程に至ったのだという。その時の母スライムの状態は、子スライムによると、まるで『酔払った』ようだと言っていた。
スライムは通常、水を摂取することで食事と体内の洗浄、すなわち『状態異常』の回復ができるそうだが、川の水を飲んだことでその状態になったということは、もしかしたら川の水が問題になっているかも知れない。
母スライムには念の為麻痺毒や様々な毒を回復させる薬を与え、それによってどうやらその『酔っぱらい』の状態異常も治ったらしく、正気に戻った母スライムには何度も礼を言われてしまった。
そして、母スライムに今後街へは不用意に近づかないことを提案したところ、快諾してくれた。元より、自分たちが狩られる側の魔種であると自覚しているらしく、自分から進んで人間たちの前に現れようなどというつもりは毛頭無いらしい。
その約束を取り付けて、僕はほっと胸を撫で下ろす。しかし一つ問題が生じた。彼らの帰り道だ。彼らは川の対岸側に住処があるらしく、今回の事も記憶にはないが川を渡ってきたのだろうと話していた。しかし、対岸まではおよそ三メートル。水深も水流もそこまでではないが、彼らの性質上、川に触れさせるわけにはいかないのだから、水に触れずに対岸へ渡る必要があるということになる。それこそ、空でも飛んで。
その結果、僕はさっきから川の間を行ったり来たりと、忙しなく往復することになった。
「結構しんどいなぁ……」
自慢じゃないが、元の世界にいた頃から体力の無さには自信がある。ユーリさん式なんちゃらキャンプよろしくな特訓によってレベルは上限、身体的なステータスは鍛え抜いたものの、肝心のレベル上限とやらが低すぎては焼け石に水程度の効果しか発揮しない。オマケに今回は川を何度も往復するだけじゃない。両手でねばつく液体とも固体ともつかないスライム達を抱えているのだ。しかも、水分が殆どなためか、結構重かったりもして腰に来る。
『頑張るダスよ』
『ママたちで最後ダス』
「はぁ……は、はは。ありがとうね……ふぅ」
とりあえず今エールを貰った子スライム達を対岸に置き、最後の母スライムとさっきの子スライムを抱える。
「はい、行きますよ」
『申し訳ないダスねぇ。命を救っていただいた上、ここまでしていただいて……』
「僕はきっかけを作っただけですよ。ユーリさんが剣を止めてくれなかったら、結局僕は何も出来てませんでしたし……」
『そんなことないダス!! あんちゃんは僕らの命の恩人ダス!』
『ダスなぁ……』
ふんすと息巻く子スライムからの賞賛の声に、照れくさくなって笑って流す。間もなく対岸に着き、二人を下ろした僕は、別れを告げようと振り返る。
「それじゃあ僕はこれで。念の為、暫くこの川の水は暫くは飲まないで下さいね」
『あ、待って欲しいダス』
立ち去ろうとすると、母スライムに呼び止められる。すると、屈んだ僕に、母スライムは体内から取り出した宝石のように煌めく結晶を僕に差し出してきた。どんな構造をしてるのだろうと興味を持ったが、それもすぐに霧散してしまうほど、美しい結晶だった。
『助けていただいたお礼ダス。どうか持って行って欲しいダス』
その美しい結晶に見入っていると、再び脳内にこの結晶に関する情報が駆け巡る。
『粘魔宝珠:長い年月を掛けてスライムが作り出す結晶。スライム族にとっては力のある個体である証』
「い、いいんですか? 大事なものだと思うんですけど……」
すっかり失念していたが、ユーリさんとの約束で、スライムを撃退した証となるものを貰わなければならなかったが、こんなに大事そうなもの、そうそう受け取れる気はしない。
けれど、母スライムはふるふると震えて、表情こそ読み取れなかったが小川のせせらぎのように穏やかに揺れる声で僕の言葉を遮った。
『わたすの命を助けて頂いたのみならず、わたすの子達の命まで救って頂いたダス。これくらいのお礼はさせて欲しいダス。それに、こんなものは只の石ころ。子どもたちの命とは、とても比べられないダス』
言って、再度その結晶を差し出してくる母スライム。その言葉に込められた想いを感じて、胸にこみ上げてくるものを抑えながら僕はその石を有りがたく受け取ることにする。
「ありがとうございます。それなら、いただきますね」
『ダスダス』
『あんちゃん。ぼくもあんちゃんにいつか恩返しがしたいダス。今はまだ何もできないけど、いつか絶対あんちゃんの力になるダス!』
力強く、眩しいくらい純粋に、僕にそう訴える子スライムが、あまりにも微笑ましいものだから思わず頬を緩ませて、僕は彼の前に小指を突き出した。
「あはは。それじゃあ約束、だね」
『ダスダス!』
スライムにも指切りの文化があるのかは知らないが、しかし意図しているところは分かってくれたのだろう。子スライムはちょろりと自分の体から腕のように体を伸ばすと、僕の小指にするりと巻き付いた。
『約束ダス!』
「うん、約束だ」
そうして、母スライムはもう一度僕に頭を下げて、子どもたちを連れて森の中へと入っていった。僕はその姿が見えなくなるまで見送ると、貰った結晶を握りしめて駆け足気味に川を引き返した。
いつの間にか何処かへ行き、そして僕が川から上がったのを見ていたかのように、ちょうど戻ってきていたユーリさんが差し出してくれたタオルで足を拭いていると、いつもの柔らかな口調でユーリさんが語りかける。
「お疲れ様。その様子だと、無事スライムを対岸へ移せた様だな。全く大したものだよ。戦闘も行わず魔種を退ける冒険者など、前代未聞だぞ」
「あ、あははは。たまたまですよ。たまたまスライムが好戦的じゃなかっただけで、たまたま……」
たまたま、魔種と『話をすることが出来た』から――――。
それは、たまたまで済ませていい問題なのだろうか。少なくとも、ユーリさんにはスライムの声が届いていないようだった。ユーリさんは声が聞けず、僕は声が聞けたどころか、声を発さないスライムの言葉を理解し、しかも会話までしてしまった。
今更ではあるが、それは明らかに異常なことだろう。『僕にしか』、魔種と話せて居なかった。そういえば、思い返せば僕はクルスとも話せている。クルスも、最初に『僕とだけ会話が成立した』みたいな事を言っていたようなことも、同時に思い出す。
これが意味するところはつまり――――。
「気付いたかな?」
ユーリさんは、僕の思考などお見通しと言わんばかりに、自信のある眼で僕を真っ直ぐに見据えていた。僕はその眼に釣られて、辿り着いた結論を、ユーリさんに吐露する。
「魔種と会話ができる……つまりこれが――――」
「あぁ、キミのアビリティの一つだろう。ほぼ確定と言っていい」
そんなアビリティを僕が持っていることなんて驚きというか、しかし魔種と話ができる、なんていうやっぱりメルヘンなお花畑もいいところな平和的スキルであることに言いたいことが無いこともないのだが、なんとなく納得と安心を覚えている自分がいるのも確かだ。
それに、これはとんでもなく幸運なことだ。僕は元々、あっちの世界では架空の存在であるモンスターというものに興味を惹かれていた。そして、そんなモンスターが魔種という形で現実の存在となったこの世界において、そんな魔種と会話ができるようになる能力。。僕がこの世界にきて、これほど高揚感に包まれたことがあるだろうか? まだどの程度まで、どれ程の種類の魔種に有効なのかは不明だが、触手やドラゴン、そう言った人外の存在と言葉を交わすことが出来るかも知れないと考えると、嬉しさのあまり飛び上がってしまいそうになる。
だが、有頂天になりかけた僕を、ユーリさんの冷静な声が現実に引き戻してくれた。
「それに、今のでそのアビリティの有用性も理解できた。魔種と意思疎通ができるというメリットは非常に大きい。何より、それがキミの素質なんだ。胸を脹れ、カイトくん」
「これが……僕の……」
パシンと背中を叩かれる。心地よい程度の衝撃に、僕は胸が熱くなる。これが僕の素質。それを確かめるように、僕は掌を見つめて、ぐっと握りこんだ。
「それはさておき、カイトくん、スライム達を退治した証明になりそうなものはちゃんと手に入れたか?」
「あ、はい。こんなものをくれましたよ」
僕はそう言って、ポケットに仕舞っておいた『粘魔宝珠』とやらをユーリさんに見せる。するとユーリさんは一瞬にして眼を丸くしたかと思うと、さぞ愉快げに高らかに笑い始めた。
「くっ、ハッハッハッハッハ!!!! いやはや、驚いたな。まさかこれほどとは。こうなると本当に恐るべきアビリティだな……いや、それとも真に恐るべきはキミなのかな? くっくっく……」
ユーリさんはそう言って、僕を見つめながらさぞおかしそうに笑い続ける。その意味するところがわからず、僕は首を傾げることしか出来なかった。
「あの……ユーリさん?」
「いや、なんでもないさ。では、戻ろうか。いやしかし、楽しみだな」
「? わかりました……」
訳がわからないまま、踵を返したユーリさんの後を追う。
「それと、キミのアビリティのこと、暫くは黙っていることにしよう」
「? 構いませんけど、どうしてですか?」
「少々特異な能力だからね。面倒にならないようにと思って。さぁ、帰ろう。一通り見てきたが、もう魔種は出ないだろう。向こうの連中もとっくに仕事を終えているはずだ」
「は、はい!」
歩き出したユーリさんに置いていかれないよう、僕も慌ててその背を追う。いつの間にか陽は暮れ始めており、僕らがファズグランへ着いた時には既に陽は沈みきってしまっていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!!
敵が敵なのと、ユーリさんのスペック的に、ちょっと書き足りないなぁ……なんて思ってたりもします……。
次回以降はまた明日、投稿させていただきます!
今日中に、なんて言ってたのにすみません……お詫びに死ぬ気で筆を進め……ウグゥ! 進めさせていただきます……。