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第10話 オニキョウカン

ま゛た゛フ゛ク゛マ゛と゛ひ゛ょ゛う゛か゛ふ゛え゛て゛る゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛…゛!

ありがとうございます! 嬉しさのあまり部屋が水浸しになりそうです!!

今回は小話といいますか、カイトの訓練とかちょい役のお話です。ちょっと長めなので飛ばし飛ばしでもいいかも……?

 一夜が明けた。早朝の空は僕の世界となんら変わらず、黒から白みがかった青へ、その空は覆いかぶさるように、僕の遥か頭上を伸びていく。今日もいい天気に恵まれるだろう。そんなことを予感させる空模様の下、僕はユーリさんが『訓練のために』と用立ててくれた黒いシャツに青い長ズボンという動きやすい服を着こみ、息も絶え絶えに街の外周をひた走っていた。その背後を鬼のような怒号をぶつけてくるユーリさんに追い立てられながら。


 「もうへばったのか!? まだ半周も過ぎてないぞ!?」

「はっ、はひっ、はっ……は、ぁい!!」


 昨日の『鬼のような扱き』、と言うのはどうやら洒落や冗句などでは無かったらしい。それをひしひしと感じながら、もう動かないと悲鳴を上げる足に鞭を打ち、無理矢理に動かせる。体感で、まだ一キロは走っていないだろう。運動不足の自分を呪いたい気持ちを気力に変えて、心だけは負けるものかと自分の限界に必死に抗う。


 「……ふふっ。いいか!? 最低でも外周一周を終えるまでは休憩など許さないからな!!」

「は、ぃっ!!」


 息も絶え絶え、声は掠れて判別できるかどうかも怪しい。脇腹は痛むし、喉の奥は鉄の味が充満している。頭痛さえしてきた。けれど、それは僕が今訓練をやめる言い訳にはなっても、理由にはならないだろう。


 「はっ……はっ……!!」


 ペースは上げない。けれど落とさない。牛歩と形容するに相応しいほどのノロマさだが、諦めたら、それで折れてしまうだろう。だから、立ち止まるわけにはいかなかった。


 そうやって、気力だけで再び正門前まで戻ってきた頃、辺りはすっかり明るくなってしまっていた。


 「ふむ。お疲れ様」


 体が動くことを停止し、酸素が欠乏した脳に酸素を送り込むため、必死に荒い呼吸を繰り返していると、まるで別人と聞き違えてしまうほど穏やかな声でユーリさんが僕に小さな樽のようなものを手渡してくれた。未だ肩を大きく上下させながら、ゆっくりと起き上がってお礼を言い、それを受け取ると、中に水が入っているのがわかった。それが飲み物であると認識した途端、思い出したかのように喉が乾きを訴え始め、僕はそれを一気に呷った。僅かにこぼれた水が、首を伝ってシャツを濡らしていく。


 「っ、っ、っぷは!! 生き返るぅ……」

「ハハハ、中々頑張ったからな。少し休憩して、その後剣を振るってみようか」

「は、はい!! お願いします!!」


 ユーリさんはというと、ペースはともかく、僕と同じだけの距離を走ったというのに、汗をかくどころか涼しげでさえいた。それはもしかしたらこの世界の冒険者界隈では普通の事なのかもしれないが、僕にとってはそれでさえ尊敬の意を向けるに値する。


 そんなユーリさんは、少しだけ驚いたような表情を浮かべると、またすぐ凛としていながらも柔和な笑みを浮かべた。


 「ほぅ……」

「あの……何か?」

「いや、キミはやはり根性があるな、と思ってね。私が今まで見てきた候補者達は皆この時点で大分グロッキーだったから」

「あ、ははは。僕だって結構限界来てますよ。返事をするので、精一杯です」

「謙遜することはないさ。キミとほぼ同じ状態に肉体を追い込んで、その中で良い返事を出来たのはキミだけだという事だ。それだけでも十分に評価できるよ」

「あ、ありがとうございます。まぁ、それなりの動機もできちゃいましたしね」

「ふむ……動機、か」


 ユーリさんは顎に手を添えて、品定めをするように僕を観察する。やがて見るべきものは見た、と目を伏せると、ユーリさんは再び笑みを浮かべる。


 「敢えては訊かないさ。キミが冒険者を目指すために十分な動機だという事は伝わったからね。だがその為に、キミは命を賭す覚悟は、あるか?」

「それは、まだちょっとわからないです。死ぬのはやっぱり怖いですよ。僕、臆病なので」


 照れ隠しに、頭を掻いてそう笑う。それを聞いたユーリさんは、満足そうに頷いて、僕の頭をくしゃりと撫ぜた。


 「ならば、キミはきっといい冒険者になるよ。私が保証する」

「はは……、なら安心して頑張れそうです」

「ふふふ。ああ」


 ユーリさんは二度、三度と頭を撫ぜてくれる。気恥ずかしい気もするが、その優しさと、ユーリさんから溢れ出る母性のようなものに、僕は甘えたい欲求に身を任せてしまっていた。頭を撫でられたことなど、一体何年ぶりの事だっただろうか。この歳にもなって頭を撫でられて喜ぶ男など、軟弱もいいところだとは思うのだが。


 そんなことを考えていると、ユーリさんは僕から手を離して、すっと立ち上がり、腕を組んで僕の目の前に立った。その眼には、今まで見てきた中で最も活力の炎が燃えたぎっていた。


 「では、その為に次の訓練へと移ろう!! 休憩は終わりだ!! 立てよ少年!!  次は剣術の基礎を教えてやる!! 『装備不可』のバッドアビリティには驚いたが、無いよりはマシだ!! 気合を入れろ!!」

「サ、サー!! イエス、サー!!」


 無意識というのは怖いもので、ユーリさんの口上があまりにもいつか見た海外の映画の軍人のノリに似ていたので、僕も思わずすぐさま立ち上がって慣れない敬礼のフリなどしてしまう。ユーリさんはきょとんとしていたが、それを気に入ったのか、返事は今のように行うようにと指示されてしまった。


 その後、僕は王都付近の林の中でユーリさん相手に剣技の教えを受けていた。結果? そうだね。


 チャンバラでもしてた方がまだ様になる。そんな感じだったよ。泣けるよ畜生。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 「あはぁあああああ……疲れたぁ……」


 昼頃、一先ずの訓練を終えた僕らは、ギルドまで戻ってきていた。


ユーリさんは「汗を流してくる」と部屋に戻っていったので、他の冒険者達も出払っている今、ここに居るのは僕とメリゼさんの二人だけだった。


 メリゼさんは僕を雑巾を見るような眼で睨みつけ、舌打ちさえして毒づいた。


 「こんなところでだらしない姿を晒さないで下さい。目障りです」

「うぅ……、すみません……」

「はぁ……。けどまぁ、お姉様の特訓にまだ着いて行けているだけ、貴方はマシですよ。精々この調子で進んでいって下さい。期待せずに待ってますから」


 僕は頭だけ動かしてメリゼさんを見ると、僕の視線に気付いて頬を赤らめ、すぐさま眼を逸らしてしまった。成る程。今のは彼女なりのエールだったわけか。刺々しいが、確かに彼女らしいといえば彼女らしい。僕はそれが嬉しくなってにへら~と、だらけた笑顔でメリゼさんに感謝を伝えた。


 「へへ~、ありがとうございますメリゼさん」

「なっ、なんでお礼なんか言うんですか!? 意味がわかりません!! アレですか!? 貴方も虐められて喜ぶ新人類の方ですか!?」

「ち、違いますよ!! 僕はそっちは至ってノーマルです!!」

「そっちって何ですか!? あんまり紛らわしいことしないで下さい!! 私、これでも忙しいんですからね!!」


 それだけ言うと、メリゼさんはまた忙しなく手元に置かれた茶色がかった紙に眼を通し始めた。


 「それ、何してるんですか?」

「あぁ、これですか。王都に運び込まれた物資などのリストです。他にも、盗品のリストや、近隣の魔種の出現状況なんかの報告書なんかもありますよ」

「物資? 盗品とかならともかく、そんなものまで届くんですか?」


 確かに、盗難被害にあった代物の情報は、それに関する依頼が来た時等、より迅速に、仔細な情報を手配するために必要となるだろうが、何故物資のリストまで要るのだろうか。そう疑問に思っていると、メリゼさんは眼はリストから離さずに応えてくれた。


 「あぁ、エルゴン帝国に行くとまた話が違ってきますが、ファズフランを王都とするニルバジア王国は冒険者に対する自由度が高いですし、国側から冒険者への援助を行ってくれているんですよ。もちろん、王国が指定した騎士団や警備隊も存在しますが、やはり機動力で言えば精々が小隊規模で編成されている冒険者の方が圧倒的に上回りますし、一部の冒険者はある意味国のお抱えのような存在にはなってしまっていますが。言ってしまえば、その程度なんです。この国が冒険者に掛ける制限は。そして、冒険者は『善意』による戦力を王国側に提供し、王国側は見返りとしてより積極的に情報を提供してくれる、というわけです。昔は知りませんけど、今となっては彼らにしてみれば私達冒険者は『金さえ払えば自分たちの仕事も肩代わりしてくれる体のいい便利屋』と思ってるんでしょうね。まぁ、質のいい情報が入ってくるのはありがたいですが、ただどうぞ、されたそれらを整理する私達ギルドの苦労も考えてほしいものです。一体どれだけ量があると思ってるんですか」


 忌々しげに長々と吐き捨てると、メリゼさんは目頭を暫く押さえて、紙に穴を開けんとするばかりに、苛立たしげにリストとにらめっこする。これ以上ここにいても彼女の邪魔をするだけ、と判断した僕は、挨拶もそこそこに、外をぶらつこうかと思った、その時だった。


 キィ、とギルドの扉が開けられた。他の冒険者が戻ってきたのだろうか。そう思って振り返ろうとすると、その途中、メリゼさんの顔が視界に入った。その表情は、まだ山積みのリストを相手にする方が親近感を持てると言わんばかりに嫌悪感を剥き出しにしたものだった。


 「おーう、何だ今日は? 風通しが良すぎて風邪引いちまうよ。まさか、店仕舞いでもしたのかメリゼ?」

「お生憎様ですねディムシーさん。うちに通ってる冒険者の皆さんは、どこかの誰かさんと違って仕事熱心ですので、もう既にクエストに出かけられたんですよ」


 メリゼさんは敢えて興味を無くしたような『素振り』を見せて、再びリストに眼を通し始めた。しかし、店に入ってきた悪人面の見本のような無精髭とガタイの割に骨の浮いた顔をニヤつかせてメリゼさんの前に身を乗り出した。その後ろを、彼の仲間だろうか、三人ほどのあまり柄がいいとは言えない男達もディムシーと呼ばれた男に倣い、彼の一歩後ろに佇む。


 「なんだ連れねぇじゃねぇかよメリゼよぉ。折角ここいらの稼ぎ頭であるこの俺が帰ってきてやったんだぜ? もちっと喜べよ、なぁ?」

「稼ぎ頭、ですか。でしたら『酒場』の方の売上に貢献して頂けますよね? ご注文はいつものミルクでよろしかったですか? お客様?」


 そんなディムシーさんを煽るように、挑戦的且つ小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、ディムシーさんに食って掛かる。そこで笑顔のままではあるが、彼の米上に青筋が浮き上がるのが、偶然僕の目に止まった。このまま行くと不味い事になる。そう思った僕は慌てて席を立った。


 「ハハッハ。あんま舐めてんじゃねぇぞクソガ――――」

「あっ、あのすいません!!」


 声を上げながら、渦中の二人の直ぐ側まで歩み寄っていた。全く何を考えているのか、とても正気とは思えない。そんな困惑の表情で、メリゼさんは僕を見上げてくる。


 それに反し、ディムシーさんはその窪んだ眼を鋭く細め、射殺さんばかりの気迫で僕を見下ろした。


 「あ? 何だテメェ」

「も、申し遅れました!! 僕はその、何と言いますか……そう!! 冒険者志望兼見習いのカイトって言います!! 今のお話、聞かせていただきました!! ディムシーさんはこの王都じゃ相当な実力者なんですよね? いやぁ~そんな凄い人に会えるなんて僕はツイてるなぁ~。もしよければ、これまでの冒険のお話とか、冒険者としての心構えとか、教えていただけないでしょうか!?」


 お願いします!! と僕は腰を直角に曲げ、深々と頭を下げる。見知らぬ小僧からつらつらと出てきた褒め殺しの文句に、その場にいた一同は呆気にとられたのか、しばしの沈黙が流れ、やがて空気を引き裂かんばかりの哄笑が酒場内に鳴り響いた。


 「くははははははは!! そうかそうか!! お前さん、つまりは新人か。ってこたぁ、俺の後輩になるってぇ訳だ」

「や!! まだ未定ですけど、僕なんかがディムシーさんのような人の後輩になれるんなら、恐れ多くて膝が笑ってしまいそうです!!」

「なるほどなるほどぉ!! クク、中々おもしれぇ事言う小僧じゃねぇか。それに、きちんと『分かってやがる』。おうメリゼぇ。何だよちゃんと教育してたんならそう言えって。ご褒美に飴玉でも買ってやったってのによぉ。おう小僧。カイト、ってったか? まぁそう畏まんなよ。頭上げろって」


 僕は自分で巻き込まれに行っておきながら、内心ビクついて、ゆっくりと頭をあげる。そこには僕を値踏みするように見下ろすディムシーさんと、僕を取り囲むように陣取りながらニタニタと悪寒のする笑みで僕を観察していた。


 「いや、お前は良く出来た奴だよ。大先輩に対してきちんと敬意を払える。いいねぇ、お前みたいな後輩を持てて俺ぁ幸せもんだぁ」


 まるで舞台に立つ主演を気取るように、大仰な言い方をしながら馴れ馴れしく僕の肩に腕を回して体重を掛けてくるディムシーさん。


 「そんなお前を評価して、特別に冒険者としての心構えを俺が享受してやる。喜べ」

「お、オス!! お願いします!!」


 嫌な予感しかしない。当然といえば当然だろう。これは僕が以前、一度のみならず何度も体験した状況と、似たような状況だからだ。逃げられない。だが、これから冒険者になる、その為の『気付け』としては申し分ないだろうと、僕は覚悟して腹に力を込める。


 「ひとーつ。大先輩が話してる時は邪魔をしないこと、だッ!!!!」


 予想通り。腹部に、凄まじい衝撃が走る。それと同時に、込めた力は意味を成さず、僕は平衡感覚を失ってその場に只立っていることもできなくなり、その場に蹲った。


 「うっ、ゲホッ!! ぇお……!!」


 臓腑がグチャグチャにかき混ぜられる様な感覚。前の世界で、中学の時にいじめっ子グループに校舎裏でリンチされた時と全く同じ目に遭っているが、痛みは当時の比ではない。当然だ。片や日々を平和に過ごし、精々が野球等のスポーツに興じるだけの学生の拳、片や日々を生きるか死ぬかの中で過ごし、少しでも生の確率を上げるために肉体を鍛え上げた屈強な冒険者の腕からから放たれた拳。比べるまでもないだろう。「走ってる時に吐くぞ」とユーリさんに脅され、もとい薦められて、朝御飯を何も食べないでいて良かった。もし食べていたら、今頃半端に消化された摂取物が酒場の床を汚してしまっていたところだ。そうなると、メリゼさんの仕事が増えてしまう。


 「ちょ、貴方達!!」

「ぇ、っほ……。ハハ、何怒って、るんですか? メリゼさん」

「んん?」


 僕は未だグラグラと揺れる世界の中で、どうにか全身に鞭を打ち、ゆらゆらと酔っぱらいのように危なっかしく立ち上がる。


 「ディムシーさんは、先輩として僕に冒険者の何たるかを教えてくれていたんですよ? 今のは、単なる愛のムチって、ヤツですよ。ね? ディムシーさん」

「…………ハハッ、ハハハハハハハハ!! そーそー愛のムチだ!! お前本当に良く分かってるなぁ!!?? 先輩として俺は鼻が高い、ぜっ!!!!」


 今度は肘が飛んで来る。鍛えぬかれた筋肉ではなく、最低限の皮膚とより硬い骨を使った打撃。それが頬に直撃する。口の中が鉄の味で満ちる。今度はランニングによって感じたものじゃない、生の血の味。そのまま耐えることも出来ず、僕は後方に吹き飛ばされ、その先にいたディムシーさんの仲間に支えられ、いや、捕まえられていた。僕は磔にされた生け贄のごとく、ディムシーさんの前に出され、そして再び殴られる。


 頬。額。胸。頬。鳩尾。腹。およそ上半身における急所らしい急所は、その巨木のような腕から繰り出される凄まじい威力の拳や肘で尽く打ち付けられていく。それらの殴打は止む頃には僕は身動き一つ取れないほどのダメージを負っていた。そんな僕の喉に、抉るような力でディムシーさんの手が伸ばされる。


 「ぐっ……、あっぎぃ……ぁ!」

「や、やめて下さい!! これ以上は……!!」

「おーおーそうそうそうだよそれそれ!! メリゼぇ、お前にも教えといてやる。いいかお前ら、この世は力が全てだ。金はあれば苦労はしねぇが、力がなけりゃあ奪われる。つまりだ。何が言いてぇのかわかるよなぁ?『弱ぇ奴』は『強ぇ奴』に逆らうな。そういうこったよ。お前ら『弱ぇ奴』が『強ぇ奴』である俺に逆らったから、『こう』なった。わかるよなぁ?」

「ぎっ……ぅ!! ぁっ、ハハ……!! べん、ぎょうに……ぁ、りまじだ……!」

「――――」


 辛うじて閉じきっていない喉笛から、絞り出すように発した言葉に、ディムシーは気味の悪いものでも見たかのような無表情を浮かべて、やがて興味を無くしたようにかぶりを振った。


 「ほんと、物分りがいいなぁ小僧。そして、バカだなお前。いいか、分かってねぇようだからもう一度言ってやるがな、お前ら雑魚は、何も言わず、大人しく地べたを這ってりゃ……」

「ぎぃっ!! うぅ……!!」


 その手に更に力が込められる。完全に気管が閉められて尚力は増していき――――。


 「それでいいんだよ!!!!」

「やめっ――――!!!!」


 ディムシーの叫びと、メリゼさんの短い悲鳴。折られた。そう思った。酸素不足から来たのか、視界が白く染まった時は確信さえあったかもしれない。けれど、不思議と手に込められた力は緩み、気管は呼吸ができる最低限のスペースを確保して、跳ねる水音に呼応するように徐々に視界が戻ってくる。


 そして、その全ての理由を、僕は見た。珠のような、水滴をいくつも纏った、清流を思わせる長く伸びる青い髪。あられもない姿ではあるが、前だけをタオルで覆って、その手に持った長剣をディムシーの喉元に押し当て、今まで見たこともないような鋭い殺気すら横溢させてディムシーに対峙するユーリさんの背中が、視界に映る。


 「やぁ。遅いお帰りだったなナンバー2。いや、それとも今しがた起きたばかりかな? 何れにせよ、私のかわいい教え子に手を上げるのは感心せんな」

「て、めぇ……」


 一体いつからそこにいたのか。恐らく、この場にいる誰もが、そのことを説明できずにいるのだろう。当のディムシーさんでさえ、その顔面を引きつらせ、一筋冷や汗さえ浮かべている。目の前の、自分より頭一つ分ほど背が低く、体つきだって自分に比べれば華奢な女性一人に、だ。


 「それで、『力が全て』だったかな? ならば、今この場にいるお前達は、私の言う事を聴かねばならんのだな? それが冒険者としての心構えなのだろう? なぁディムシー?」

「く……」

「その手を離せ。さもなくば貴様の大事な『商売道具』、一つ貰い受けるぞ」


 ドスの効いたユーリさんの声に、わずかに身じろいだディムシーは、乱雑に僕の喉から手を離し、それに従い、僕は床に尻もちを突きながら、不足した空気を求めて咽こんでしまった。ユーリさんは僅かにこちらに視線を投げると、わずかに口の端の力を緩めた。しかしそれも一瞬のことで、すぐさまユーリさんは研ぎ澄まされた刃の様な気を放ってディムシーを威圧する。


 「にしても、また私の教え子に手を出しているのか。懲りんな、お前も」

「あ? 懲りねぇのはどっちだクソ女。どうせまたハズレだろ」

「そんなことは私が判断する」

「ハッ!! 未練がましいよなぁ。元『英雄候補』サマよ?」

「え……?」


 今、ディムシーは『英雄候補』と言ったか?


 口からでまかせを言っているようには見えないディムシーさんの言葉に、僕は思わずユーリさんの方へ視線を移してしまった。


 けれど、ユーリさんを見上げてもそこには剣士としての彼女の凛然とした表情しか浮かんでいない。その皮があまりにも厚いのか、その下にある彼女の本心を読み取ることは、僕には出来なかった。


 「よく回る口だな。まぁいい。私もこんな格好だし、もう一度暖めなければ風邪を引いてしまうかも知れない。失せろ。今すぐにな」

「……チッ! 行くぞお前ら」


 ディムシーが言って身を翻すと、僕の背後に立っていた仲間たちもぞろぞろと彼の背を慌てて追いかける。そんな背中を、ユーリさんは思い出したかのように呼び止めた。


 「あぁ、そういえば貴様ら」


 ビクリと、その肩を跳ね上がらせ、振り向くディムシーさん達。


 「――――見たか?」


 底冷えする、地獄の奥底から響くような声。大紅蓮地獄が実在するならば、おそらくはこれぐらい背筋が凍るものなのだろう。それは彼の仲間たちにとっても同じだったようで、顔面を真っ青に染め上げて、ガタガタと震えていた。


 それを見たユーリさんはまるで『形だけは』聖母のような朗らかな笑顔を浮かべて、一歩前に出た。


 「そうか」


 それと同時に、手に持った剣が消えた、かと思えばいつの間にかそれはユーリさんの頭上に掲げられていた。ユーリさんがその剣を鞘に収めると、同時にディムシーさんたち四人の服が修復不可能なほどに切り刻まれ、辺りに飛び散った。


 「なっ!!?? テ、テメェ!!!!」

「乙女の柔肌を見たのだ。『モノ』を切られたわけではないんだ、まだ優しい方だろう? さ、その無様な姿を町の人々に見てもらうがいい。今の時間帯ならばちょうど人通りがもっとも盛んな頃合いだ」

「クソッタレが!!!! ぶっ殺してやるからなクソ女ァ!!!!」


 お決まりの捨て台詞を吐いて、ディムシーさん一行は『モノ』を手で隠しながら、間の抜けた体勢で酒場から脱兎のごとく逃げ出した。それを見届けて、ユーリさんがその身を翻し、僕の元へと歩み寄った。


 「カイトくん、無事……」

「みぃみみみみみみみみみみみ見てません!!!! 僕は!! 何も!!」

「はは、大事には至らなかったようだな。良かった」

「……あの」


 そんなやり取りをしていると、メリゼさんが申し訳無さそうな面持ちで僕を見下ろしていた。そして、今にも泣き出しそうな顔になったかと思うと、がばっ、と勢い良く僕に頭を下げてきた。


 「ごめんなさい!! 私が余計なことを言ったから……いたっ!!」


 そんなメリゼさんの額に、ユーリさんは険のある表情を浮かべながらデコピン

を食らわせた。


 「どうせカイトくんは怒っていないだろうからな、代わりに私がお仕置きと説教をしてやる。メリゼ、どうせまたディムシーに突っ掛かったのだろう? アレの相手をすれる必要はないと、いつも言っているだろう」

「…………ごめんなさい」

「過ぎたことだからこれ以上は責めないが、自分に非を感じているならば、治療道具を持ってきてくれ。カイトくんを介抱しなければならないからな」


 ユーリさんはそう言って、タオルを支える為に片腕が塞がっているので、空いた片腕を器用に回し、僕の腕をユーリさんの肩に載せ、そっと僕を立ち上がらせてくれた。何かとてつもなく柔らかく、温かいものが押し当てられている気がするが、気のせいだと思い込むことにした。そうでないと、今度は鼻からの出血で意識が飛んでしまいそうだ。


 頭を下げ続けるメリゼさんに背を向けながら、階段を登る。途中、メリゼさんには聞こえないような小さな声で、ユーリさんは僕に耳打ちした。


 「メリゼを悪く思わないでやってくれ。あの子がやったことは人としてもギルドに属する人間としても正しいとは言えないが、さっきの男も、少々問題を抱えすぎている上、あんな正確だからな。よくメリゼが突っかかってしまうんだ」

「あ、あははは。気にしてませんって。それに、今のは完全に僕が首を突っ込んじゃったのが悪かったんですから。よくよく考えて見れば、ギルドの職員のメリゼさんに冒険者が手を上げられるわけないのに、バカですねー僕」

「あはは、優しいなキミは。まぁメリゼとは、これからも仲良くしてやってくれ。それよりも――――」


 ユーリさんは軽く咳払いをすると、またも凄まじい気迫を背に、威圧の笑顔を浮かべながら僕に尋ねてきた。


 「――――見たか?」


 先程までとは打って変わり、ゼロ距離からの人さえ殺せる圧の篭った声。僕はというと、そんな彼女に命の危機的な意味でハートを完全に掴まれた。ゾゾゾと背筋をムカデが這いまわるような錯覚を覚えたのは、気のせいではないはずだ。

 

 絶体絶命の状況に置かれ、顔が死人のように青白くなった僕は、ここまで来たら下手に誤魔化すのも危険だと、がっくりと項垂れて、ユーリさんの部屋に入ると同時に正直に告白した。


 「大変に……お美しかったです……」


 あぁ、これで僕も全裸市内駆けずり回りの刑に処されるのか、あるいは首を撥ね飛ばされるのかと覚悟を決めていたが、しかしユーリさんは立ち止まったまま全く動こうとしなかった。

 

 「ゆ、ユーリさん?」

「き、キキキミは恥ずかしい事を言うな!! なんだ!? 私のその……なんだ!?」

「なんだってなんですか!? 僕はただユーリさんが綺麗だって……!!」

「~~~~~~~ッ!?」


 顔を上げたユーリさんは、さながら熟したリンゴのごとく更に赤らめていた。その上、僕の言葉を聞いてから、何故か更に溶けてしまうのではないかと疑ってしまうほどの熱を帯びてボン、と爆発を起こしてしまった。


 それからヤケになって大股で部屋の奥まで僕を連れて行くと、ベッドに向かって放り投げられる。そして今度は浴室となっている小部屋の扉を開けたかと思うと、僕の方を一瞥たりともせずに突き放すように言った。

 「そんなに元気があるなら大丈夫だろう!! 私はもう一風呂浴びているから、傷の治療はメリゼにしてもらうことだ!! あと、今日はまだまだみっちり扱くからな!! 返事!!!!」

「はっ、はいっ!!」


 バタン、と勢い良く閉められる扉と、耳に届いてくるのは勢い良く跳ね返る水音。思わず緊張しきった返事をしてしまったが、暫くしてようやく正常に戻ってきた頭で、やや恥ずかしげに枕に顔を埋めた。


 「ていうか……一応僕男なんですけど……男のいる部屋でお風呂って……色々と不味い気が……」


 今更なことを呟いて、僕は更に恥ずかしいような、男と見られていないのだろうかと落ち込んだような、そんな事を考えていた。だが、しょうもないことを考えているうちに、先程垣間見たユーリさんのイメージとはかけ離れた彼女の一面に、僕はユーリさんには格好いいより可愛いの方が似合うのかなと、親近感にも似た何かを覚えて小さく吹き出してしまった。


 その後、やってきたメリゼさんに何度か謝られながら治療をしてもらい、風呂から上がってきたユーリさんは顔を真赤にしたまま日が暮れるまで僕に座学を仕込んできた。いつもの五倍の密度で。


 始終その様が可愛いと思い、和んではいたのだが、訓練中以上の鬼教官っぷりに、あまりユーリさんを茶化すのは絶対にやめようと、パンク寸前の頭で固く誓う僕だった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます!!

カイトくん、よく絡まれますねってか絡まれに行きますねぇ~(他人事)

この章はまだまだ続きます! お付き合いいただけますと幸いです!

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