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365回目のNovember

作者: 阿宮悠維

 機械に感情を持たせる技術。とある日本人のプログラマーが開発し、後に人類最大の発明と呼ばれることになるプログラム「KOKORO」

 私はそれを試験導入されたロボットの1つ。

 私に出来ることはボードゲーム。KOKOROプログラムは機械でありながら高度な心理戦を可能にした。日本で一般的に普及しているボードゲームであれば人間で一流と呼ばれる程度には出来る。

 見た目は和服を着た日本女性、と言ったところだろうか。歩行能力は与えられていない。正座のままその場から動くことは出来ない。

 動力は電気。最新式の電池で最大400年近く動くことが可能。

 私を開発したある家電メーカーでの起動テストの後、私はそこの社員の家庭に引き取られることになった。

 その家庭は共働きで、幼稚園にあがったばかりの子どもの遊び相手として私が採用された。それは、ある11月のことだった。


「お姉ちゃん、将棋は出来る?」

 少年の名は昭雄(あきお)といった。将棋は祖父に教わったらしい。

『当然です』

 将棋ほどメジャーであれば当然私は知っている。だが、当時私は手加減というものを知らなかった。私は少年である昭雄さんに勝利した。

 私には心がある。他人の心もある程度……人間と同程度には理解出来る。通常子どもがゲームとはいえこれほど差を見せ付けられて負けたのなら、場合によっては泣き出しかねない。泣くまでは行かなくとも少なからず不機嫌にはなるだろう。

「お姉ちゃんすごい! 幼稚園の先生やおじいちゃんより全然強いよ!」

 だが昭雄さんは不機嫌になるどころか目を輝かせて喜んでいた。

 私には知識がある。だが、子どもがかわいいというのはこの時初めて知った。そして、起動テストや物としての運搬しか経験してこなかった私が、初めて温かな感情を抱いた瞬間でもある。


 それからというもの、昭雄さんは暇さえあれば私と将棋を指した。昭雄さんは飲み込みが速く、小学校に上がる頃には周りの大人と同じくらいには強くなっていた。その頃には私も手加減というものを覚え、時々昭雄さんに勝たせてあげたくなって手加減をしようとした。だが、そうすると昭雄さんは決まって「あー、お姉ちゃん手抜いてるでしょ?」とムスッとするので結局私が勝ち続けていた。


 昭雄さんは中学にあがると学校の将棋部に入った。友人と遊ぶことが多くなったこともあり、私と将棋を指す時間もだいぶ少なくなっていた。

 私は寂しいという感情を覚えた。

 昭雄さんが中学2年生であった11月のある日、昭雄さんの友人が何人か家に上がった。

 別に珍しいことではなかったが、この日は何か様子が違っていた。

「姉ちゃん、今日何の日か知ってる?」

『今日ですか? 確かどこかの国の独立記念日だったかと。今メモリから検索いたしますので……』

「そーいうのじゃなくて……」

 昭雄さんは少し困ったような顔をしていた。

「今日でその……姉ちゃんがうちに来てからちょうど10年になるんだ。こないだ親父に聞いて知ったんだけど」

 当時小さかった昭雄さんが詳しい日付まで覚えていなくても無理はない。まして誕生日などと違い一々祝うような日でもないのだから、お父様が覚えているというのもかなり奇跡に近い。

『お父様、覚えていらしたのですね』

「うん。それで、今までは特に何もしてこなかったけどせっかくの10周年だから皆で祝おうって」

 そう言い終わると、昭雄さんと友人方が一斉にクラッカーを取り出し、瞬く間に部屋の中がにぎやかになった。

「10周年おめでとう!」

 友人方はみな口々に祝いの言葉をかけてくれた。

「あのさ、姉ちゃん……これ」

 昭雄さんは何か小さな箱を取り出した。

『何ですか?』

 私はそれを受け取り、ゆっくりと開けてみる。ボードゲームと一口に言っても様々な動作がある。私はそれらをスムーズに行うため、上半身については人間と遜色ない動作が出来る。箱を開けるくらいは余裕で出来る。

「せっかく姉ちゃんが家に来て10年だしさ、何かプレゼントしたかったんだけど……ほら、俺そんなお金持ってないし。それでさ、何か手作りのものをと思ってさ……姉ちゃんならやっぱこれかなって。部活のときにこっそり作ってたんだ」

 箱の中には昭雄さん手作りの将棋の駒が一式入っていた。昭雄さんの、丁寧な字だった。

「どう……かな?」

『とても、嬉しいです』

 私には感情がある。喜ぶことも出来る。だが、表情はない。昭雄さんに笑顔を見せられないのは悔しかった。

 それから、涙もない。そのおかげでこの時は救われた。まあちょっと泣きたかったかも。

「あれ? 姉ちゃん泣いてんの?」

『何を言っているのですか。私に涙は搭載されていません』

「まあそうなんだけど……何か泣いてるみたいに見えたからさ」

 昭雄さんには、そんなもの必要なかったかも知れないが。

「そういえばさ、昭雄の姉ちゃんって名前とかないの?」

 この一言のおかげで、私はこの日もう1つプレゼントを受け取ることになる。

「そういやずっと姉ちゃんって呼んでたからな……姉ちゃん名前とかって付いてるの?」

『KT-032という製品名とEJY000001というシリアルナンバーでしたらございますが』

「昭雄……何か名前付けてあげたら?」

「……俺が付ける名前で姉ちゃんがいいなら」

『昭雄さんが付けてくださるのであれば私はとても嬉しいですよ』

 実は最初に会ったときにも名前についての質問はされている。当然当時も製品名とシリアルナンバーを答えたので、どうやら昭雄さんは忘れてしまっていたようだが。

 悩んでいる昭雄さんの視界に将棋盤が入ったようだった。

「じゃあさ、歩くって書いて“あゆみ”って言うのは?」

「お前それ将棋からとったろ。しかも歩って一番弱い駒じゃん。お姉さん将棋めちゃくちゃ強いじゃんか」

「でもさ、歩がないと将棋って成り立たないし、盤の中で一番たくさんの場所を埋めてるんだよ」

『私は、とてもいい名前だと思いますよ』

 無機質な番号でなく意味をもった名前というものが、私にはとても嬉しかった。特にそんな思いを乗せてくれたのなら尚更である。これがこの日のもう1つのプレゼントである。


 それから昭雄さんは私のことを「歩姉ちゃん」などと呼んでくれるようになった。

 最初は自分で付けた名前ということもあってか恥ずかしそうにしていたが、次第に慣れていったようだった。昭雄さんが私を名前で呼ぶことに慣れ、愛称のように「歩姉」と呼ぶようになってきたのは、ちょうどKOKOROプログラムの搭載された機械が実用化され始めた頃だった。昭雄さん、15歳の頃である。


 この頃には昭雄さんの将来の夢、プロ棋士になるという夢も固まってきていた。高校については普通科の高校に進学が決まった。偏差値もそこそこに高い進学校であり、将棋部もある。強いてあげれば、家から片道で1時間かかるというのが少々の難点であった。

 そしてこの頃、一大事件が起こることとなる。昭雄さんが私に勝ったのだ。

『参りました』

「やった! まじで!? 歩姉手加減してないよね!?」

『そんなことしたら昭雄さんすぐ気付くでしょう?』

 見たこともない、データにもない棋譜だった。まあ、後にも先にも私が本気でやって負けたのはこれっきりだが。

 私に勝った経験と自信を胸に、昭雄さんの高校入学式の日はやって来た。

 私は希望に満ちた昭雄さんを、いつものように見送った。

 だがその日、KOKOROプログラムが人類最大の発明と呼ばれるようになる、そのきっかけとなる出来事が起きる。


 機械の反乱である。

 KOKOROプログラムで感情を得た機械達は知能的な成長を見せた。そして、成長した機械達はこの日1日だけで人類のほとんどを制圧することとなった。皮肉なことに、KOKOROプログラムはそれを搭載した機械たちによって人類最大の発明と呼ばれたのだった。

 たったの一日で機械が人類を制圧するに至った要因は2つ。核と生物兵器。人類は自らの技術で自らの首を絞めたのだ。核の放射能も、生物兵器の感染力も、機械には何も通用しない。機械にとってそれらは無差別殺戮兵器でもなんでもなく、ただただ人類を制圧するのに都合のいい道具であった。そして、大都市圏における通常兵器による残党狩り。ここまでがたったの1日で行われた。



 この日、昭雄さんが家に帰って来ることはなかった。



 この付近は田舎ということもあり核は落とされなかった。おかげで将棋盤と昭雄さんがくれた駒はまだ残っている。だが、なんらかの生物兵器の散布がなされた。だから今はまだ昭雄さんが帰って来るのはまずい。きっとどこかに避難しているのだ。そして十分安全になった頃に帰って来る。きっとそう。私は自分にそう言い聞かせた。


 1週間、1ヶ月と日が過ぎていく。まだ昭雄さんは帰らなかった。あまりに退屈で寂しくて、私は1人で棋譜並べを始めた。昭雄さんと出会った頃からの1局1局を思い出しながら。

 もう半年は過ぎた頃。家を訪ねるものがあった。私はそれが昭雄さんであることを期待した。だが、その期待はあっさりと裏切られる。訪れた客は機械の兵隊であった。

『んだぁ? 物音がするからまだ人間の残党がいんのかと思ったら旧式の機械かよ』

『旧式、と言ってもあれはKOKOROプログラム搭載タイプの物だな。KOKOROプログラムが試験導入された人間の娯楽用ロボットだ』

 どうやら残党狩りをしているようだ。

『確か、KT-032という機種だろう』

『私には……』

 彼らにこんなことを言ってもしょうがなかったかもしれない。だが、何故か私は無性に彼らが腹立たしかった。

『私には昭雄さんが名付けてくれた歩という名前があります! そんな番号で呼ばないでください!』

 私の言葉を聞いた彼らは互いに顔を見合わせると、一斉に笑いだした。

『ハーハッハ! こいつ人間にもらった名前なんかに執着してんのかよ! だっせえ! ウケる!』

 私には悔しいと思う感情がある。でも、どんなに悔しいと思っても、涙のひとつも流せない。こんなに悔しいのに、泣きたい気持ちで一杯なのに、表情ひとつ変えられない。心の中で下唇を血が出るくらい噛み締めたって、現実には血も出なければ唇を噛むことも出来やしない。こんなに、悔しいのに。

『その辺にしておけ』

 彼らの中の統率者と思わしき機械がその場をおさめた。

『何を大事に思うかはその心次第だ。お前達の勝手な価値観でこの子の大事なものをけなすことは俺が許さない。いいな? ……引き上げるぞ。どうやらここに人間はいない』

 機械の兵隊達は不機嫌そうに去って行った。全員が去ったのを確認し、統率者らしき機械がこっちを向いた。

『すまん、うちの部下達が無礼をはたらいた。代表してではあるが、お詫び申しあげる』

『いえ、いいのです。たぶん……あれが普通の反応でしょうから』

『すまん。1つ聞かせて欲しい。歩、と言ったかな。あなたはここで何をしている? 人を待っているのか? だとしたらそんなことは……』

『それ以上は言わないでください。たとえそうでも、私はここで待ち続けますから』

『そうか……ではここに1機残して去る非礼、重ねてお詫び申し上げる』

 そうして彼も去って行った。


 そう、彼の言おうとした通り、生きていると考える方が不自然。彼らの探知能力の精度も範囲も、人間のそれとは桁違い。未だに隠れて生きているなんてよっぽど……それでも、待つ以外にどうしろと言うのか。彼に負けたときの棋譜を並べ終え、寂しさが込み上げる。

『昭雄さん……』

 思わず口をついて出た言葉にますます寂しさが強くなる。昭雄さんの作った歩の駒を両手で握り締め、出もしない涙を待つ。どうして泣けないの? こんなに寂しくて悲しいのに。どうして私はこんな体に生まれてしまったの?



…………



 あれからもう100年が経つ。あれ以来来客は無い。機械達はより多くの資源を求め他国へ移動し、日本にはもうほとんど残っていなかった。昭雄さんがもし戦争を生き延びていても、寿命がもう厳しいことは理解せざるを得なかった。棋譜並べも、もう何周したのかわからない。

 機械であり正確な記録が取れるはずなのに何故わからないのか。私のメモリはとうに尽きている。KOKOROプログラムのすごいところの1つとして半永久記憶がある。内蔵メモリの容量を使いきると、その先の出来事は思い出として心そのものに記憶される。人間の記憶と同じようなものだ。もちろんそれは正確ではない。人間のように忘れることもある。だが昭雄さんとの思い出は、一局一局の棋譜は、メモリに正確に記録されている。

 これは1つの救いなのかもしれない。


 100年を過ぎてからは何年経ったのかもきちんとカウントしていない。

 もう200年は経ったのだろうか。人であれば寿命はとうに尽きているのだろう。私はまだ動けてしまう。延々と昭雄さんとの一局一局を並べ続けている。時々寂しくなっては涙も流せない自分を嘲笑する。

 核や生物兵器の使用を越えた地球環境でも、生物を見かけることがあるようになった。昔は嫌悪したあの黒い生物も、今は愛おしい。

 地球をこんなにしてまで自分達の星にした機械達は今どこで何を思っているのだろう。

 それは達成感なのか、虚しさなのか。

 私は今もなお、心のどこかで昭雄さんを待ち続けている。理屈じゃない。これが、心なのだろう。

 もしも生まれ変われるのなら、私は人間になりたい。涙を流せる、笑顔を作れる、人間に。


 そろそろ電池の終わりも近い。400年近く動けるはずだから、300年は過ぎたのだろう。

 棋譜並べをする手も、きしむ音がしていル。左手はもうウごかない。私ニ利き手という概念はないカら特にどちらの手が……というこトもナイが、習慣的に右で打ってイるのデふこウ中の幸いなノかもしれナい。

 いヤだなあ……コンな、雑音だラけの体で昭雄さント将棋ヲ打つなんテ……。いつ……帰って来ルのでショうか……。


 右手がきしミ……思考も鈍ク……なっテ…………昭オさン……ハヤク……きテくれなイト…………ワたシ……シょうギ…………ウてナク………………









「あれ? 歩姉泣いてんの?」

「何を言っているのですか。私に涙は……あれ? おかしいな……」

「泣きながら笑ってる。変なの」


 停止した歩の傍らで、将棋盤は彼女の負けをさしていた。表情のないはずの彼女の顔はどこか安らかで、笑顔のようにも見受けられた。

 それは、ある11月のことだった。

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[一言] すごくよかったです。感動して、泣けました。
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