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アオイソラ  作者: 朔良こお
第一幕/偽りの皇女
6/59

05

 帝都のあちらこちらに、春の訪れを見る事ができるようになったある日、ユリアは久々にニクラスに呼び出された。半年前の、あの初対面の日以来である。


 最も高貴な立場であるニクラスと、直接顔を合わせるのはこれで二度目となるのだが、前回はシェルストム親子と帝妃ディルダとウルリーカの侍女のエンマがいた。

 だが今回はニクラスと二人だけである。

 ユリアの心臓は破裂するのではないかと思われるほど速く、緊張しているせいか手足がとても冷たくなっていた。


 半年ぶりに見たニクラスは相変わらずで、彼は汚い物でも見るような目でユリアを見ていた。

 その目を不快に思わないわけではない。

 だが、自分の行動一つで、言葉一つで、シェルストム親子にまで何かあっては大変である。自分一人が我慢すれば済むのだから、ここは黙って視線を伏せて相手をあまり見ないようにすればいい――ユリアは自身にそう言い聞かせ、ニクラスの前に静かに立った。

 何を言われるのか……想像もつかない。

 ただ、それが自分にとって気持ちの良いものでない事だけは確かだろう。


「いよいよ五日後に、そちは余の娘……ガルネリオ帝国皇帝皇女ウルリーカとして、ファラフ王に輿入れをするわけであるが……改めてこれだけは言っておかねばならん」


 ハッと短く息を吐いてイスから立ち上がると、ニクラスはユリアの前までやって来て、持っていた聖杖の先で少し俯いて視線を伏せている彼女の顎を、少々乱暴にグイと持ち上げた。


「そちが失敗をするような事あれば、オルヴァー=シェルストムとその息子がどうなるか……言わずとも解っておろうな?」


 目を眇めてニクラスは、冷ややかな視線でユリアを見る。こくりと小さく喉が上下し、ユリアの表情が一層強張ると、ニクラスは聖杖をさらに押し上げた。


「蛮族どもにそちが偽者だと判れば、真っ先に飛ぶのはあやつらの首ぞ。そもそも替え玉の事を言い出したのは、オルヴァーであって余ではないからの」


 目を見開き自分を凝視するユリアに対し、ニクラスはフフンと鼻を鳴らす。


「そちのような父親も判らぬ下賎な生まれの者が、同じ色の瞳をしているというだけで、余の可愛いウルリーカとして嫁にいけるのだ。下賤な者が帝国の皇女となるのだ。ありがたく思え」

「わた、わたくしは……」


 ありがたくなどない。なりたくてなるわけではない。恩義あるオルヴァーのために、彼が守りたい帝国の民のために、自分は身代わり(ウルリーカ)となるのだ――そう叫びたかったのを、ユリアはグッと喉の奥で堪える。そんな彼女の顔を舐めるように見ると、何かに気がついたのか……ニクラスは不快げに顔を歪めた。


「血の繋がりはないとはいえ、そちは帝妃の幼い頃にどことなく似ておるの」


 ぽつりと呟かれたそれに、ユリアはディルダの顔を思い出す。だが、どこがどう似ているのか……ディルダの少女時代を知らないので分からない。


「ディルダと初めて会ったのは、彼女が十になるかならないかくらいであったが、幼いながらもそれはそれは美しかったのだ。まさか自分が、十二も年の離れた少女に恋をするとは思わなかった」


 クツクツと喉を鳴らしニクラスは聖杖を下ろすと、踵を返し先ほどまで座っていたイスへと戻った。深くイスに腰掛け、ゆるりと脚を組むと、肘掛に肘を突いて掌に頬を乗せてユリアを見る。その目はやはり、侮蔑の色を含んでいる。


「妃に劣らぬその顔容(かんばせ)で蛮族の小僧をたらしこみ、彼奴等にこの美しいガルネリオを守らせるのだ。よいな? それにそちは娼婦の娘ゆえ、男を手玉にとる事など簡単であろう? 男を喜ばす術など学ばずとも、血が知っているであろうからな」


 あからさまな言葉に、ユリアの両手が強く握られる。実母の記憶はない。だが、エドラやフレドリカから教えてもらったセルマは、安易に体を売るような事はしていない。深い教養のある、他者の痛みが分かる心優しい女性だ。知りもしないくせに、娼婦だからという理由だけで侮辱するのは許せない。グッと奥歯を噛み、顔を上げニクラスを睨む。


「そちの動きは、全て余に報告される。余の目となる者が、そちの周囲に居ることを忘れるでないぞ」

「エンマ以外にも――という事ですか?」

「当然であろう。よいか、生まれ卑しき下賤な娘。そちの役目を忘れるな。シェルストム親子の命が惜しかったならな」

「……はい」


 ユリアは力なく頷くと、震える体を叱咤して、淑女の礼をとりニクラスの前を辞した。






 扉の前で待っていたエンマと共に、彼女に与えられた部屋へと戻ると、倒れこむようにしてイスに座り、肘掛に額を押し付け突っ伏した。

 ドッドッドッと、心臓が大きく速く打っている。掌にも額の髪の生え際にも、ぷつぷつと汗の球が浮かび酷く呼吸が荒い。そんな彼女を、エンマは相変わらずの無表情で見ている。


 少し落ち着きを取り戻すと、ユリアはのろのろと頭を上げて、傍に立っているエンマへと視線を向けた。


「あの……エンマさん」

「はい」

「私がウルリーカ様としてファラフに行ったら、本物のウルリーカ様はどうなるのですか?」


 それは以前から気になっていた事だった。今、この世に、ガルネリオ帝国皇帝皇女ウルリーカは一人だけなのだ。だから自分がウルリーカになってしまったら、本物のウルリーカはウルリーカでなくなってしまう。


「皇女様は皇宮を出て、ヴェーネ湖畔にある離宮にてお暮らしになられます。帝妃様のご遠縁にあたるロヴィーサ=ダリアンとして」

「ロヴィーサ=ダリアン?」

「はい」


 それ以上は詮索するなとばかりに、エンマはテーブルの上に置かれた本を手に取ると、それをユリアの目の前に突き出した。葡萄色の背表紙のそれは、ここへ来てから読み始めた物だ。


「さあ、出立までにやらなくてはいけない事は、まだ沢山残っています。お喋りは止めて、やるべき事をやってください」

「……はい」


 ユリアはそれを受け取ると、本――ファラフ語の教科書を開き、声に出してそれを読み始めた。大陸の共通語であるガルネリオ語だけでなく、彼女はファラフ語も覚えなくてはならない。

 だが、それはファラフ側には内緒である。

 言葉が解らないと思わせておけば、相手も油断し、重要な事を彼女の前で話す可能性があるからだ。

 解らないのだから、聞かれても大丈夫だろう――と………。


 皇女の身代わりだけなく、諜者のような真似ごとまでしなくてはいけないのかと、ユリアは無意識に特大の溜息をついてしまいエンマにまた睨まれてしまった。遊びに行くのではないのだと、冷ややかな声音で嫌味を言われる。そういう彼女はといえば、ファラフ人ではないかと思うくらい流暢なファラフ語を話す事ができた。


「そういえば……エンマさん、ウルリーカ様にお別れを言いに行かなくていいのですか?」


 侍女であり乳姉妹でもあるのだから、ウルリーカとの別れは辛いだろう――と、ユリアは純粋にそう思っていた。だが、エンマは一瞬だけ目を細めただけで、すぐにまた元の表情へと戻る。


「既に済ませてありますので」

「あ、そ、そうですか。あの、私……オルヴァー様とラルス様に、お会いしたいのですが……」


 二人に別れを言いたいのだと、そう言うユリアにエンマはゆるりと首を振った。


「時間がありません。お二方は出立のおり、見送りにいらっしゃるでしょうが、言葉は交わさないように。皇女様は臣下と、親しく言葉を交わす事などなされませんので」

「……はい」


 最後に一目、ユリアは二人に会っておきたかった。きっともう、彼らに会う事はないだろう。だからこそ会って今までのお礼と、別れを言いたかったのだ。それすらも許されないとは………。


 ユリアは遣る瀬無い思いで胸が苦しくなり、涙がでそうになったがそれを懸命に堪え、ファラフ語を頭の中へと叩き込んでいった。




◆◆◆◆◆◆




 真新しいドレスに身を包み、ユリアは王宮の大広間に立つ。


 両側に居並ぶ貴族達は、初めて見る“皇女ウルリーカ”の美しいその素顔に、誰も彼もがうっとりと溜息をついた。


 艶やかな淡い金糸の髪に雪の如き白く肌理細やかな肌、玉座に座る帝妃と同じ稀有な輝きの瞳に皆は大いに満足し、皇女の美しさはガルネリオの誇りだと囁きあった。




「ガルネリオとファラフの架け橋になるよう……ウルリーカよ、そなたは己が役目を果たすのじゃぞ」

「はい……お父様」

「ファラフ王と仲良く……。ですが、無理はいけませんよ? 健康には重々お気をつけなさい」

「はい……お母様」


 今日まで育てて下さいましたこと、深く深く御礼申し上げます――と、ウルリーカとなったユリアは、玉座の二人に向かって深々と頭を垂れた。その言葉の白々しさに気づいた者など、この場のどこにいるというのだろう? どこにもいやしない。


 外務大臣が一歩前に進み出て、「お時間でございます」と声をかける。ユリアはもう一度皇帝夫婦にお辞儀をする。その際、ちらりとオルヴァーへと視線を遣った。内務大臣である彼は、皇帝夫妻に最も近い場所に立っている。表情からは、その感情は読み取れない。ユリアは心の中でオルヴァーに、「今までありがとうございました」と礼を述べた。




 外務大臣と共に大広間を辞すと、そのまま彼と警護の騎士に守られて、馬車の待つ正面入り口へと向かった。そこにも大勢の人達が、見送りのために待っていた。


「……」


 豪奢な箱馬車の前に、正装姿のラルスがいた。初めて見るその凛々しく美麗な姿に、ユリアの心臓がドキンと跳ねる。

 彼は無言で、左手を彼女に向かって差し出した。馬車の扉は開かれている。ユリアはそっとその掌に右手を乗せ、置かれた台に足を置き、頭をぶつけないよう馬車の中へと乗り込んだ。その際「元気で」――と、小さな小さな声がユリアの耳に聞こえ、ひゅっと息を飲んだ。

 声を出す事はできない。

 仕方なく、きゅっと彼の指を軽く握り、ユリアはそれをラルスへの返事とした。


 扉が閉められ、後から乗ったエンマが内鍵を閉める。ガタリと音がし、ウルリーカとなったユリアを乗せた馬車は緩やかに動き出した。それと同時に、ユリアは小窓のカーテンを開け、見送る人々に手を振った。そうするようにと、仕度をしている時にエンマに言われたからだ。


 一目輿入れの行列を見ようと、皇宮の外も人で溢れ返っている。

 老若男女……多くの民が集まっていた。

 皆、笑顔で手を振っている。

 オルヴァーが守りたい笑顔だ。

 ユリアは帝都を出るまでの間、沿道の人々にずっとずっと手を振り続けた。



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