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アオイソラ  作者: 朔良こお
第一幕/偽りの皇女
4/59

03

 皇宮の一室……正式な場である謁見の間よりも小さなその部屋に、皇帝ニクラスはいつものように白を基調とした衣装を身に纏い、上座に置かれた豪奢なイスにどっしりと腰を下ろし座っていた。

 今、彼の目の前には深く頭を垂れ、両膝を床に着いている娘がいる。年頃の娘らしく、薄い金糸の髪は高い位置で緩やかに結い上げられ、小花の連なった髪飾りを左右に挿していた。そして着ている物はと言えば、襟元と袖口に控えめではあるが細かな編み目のレースを使った、明るい色合いの品の良いドレスであった。まるで貴族の娘や豪商の令嬢のような、そんな印象を見た者に与える姿だ。


(おもて)を上げよ、娘」


 のろのろと、ユリアは言われるがままに顔を上げた。視線の先にいるガルネリオ皇帝ニクラスを見て、強張っていた表情がさらに強張る。ニクラスは僅かにその双眸を細めると、怯えたように自分を見上げる稀有な瞳の色をした少女を、じっくりと舐めるように隅々まで観察した。


「なるほど……余の可愛いウルリーカと同じ色であるな。娘、名は何という」


 びくりと肩を跳ね上げ、直接答えて良いのか判断できず、ユリアは後ろを振り返った。そこにはオルヴァーとラルスがおり、彼女の視線を受けてオルヴァーが小さく頷く。それを見て、「ユリアと申します」と震える声で答えた。


「ユリア、か。どこにでもある平凡な名だの。すぐに忘れてしまうわ。それにしても、不思議よのぉ……帝妃と皇女とそちの瞳は同じ色じゃ。もしやそちの父か母は、パラツィオ公国公家の出であるか?」

「わ、わかりません……何も……」


 そもそもパラツィオ公国自体、ユリアは過去に存在した国である――としか記憶していない。そして自分が住んでいた場所が、その公国の一部であった事くらいしか知らなかった。


「わからない? オルヴァー」

「は……」


 オルヴァーは一歩前に出ると、ユリアの母はパラツィオ公国の出だということを明かした。但し、公家とは何の関係もない女性だと。


「公家の特色とされてはおりますが……稀に、無関係な者からも、この瞳を持つ者が生まれる事があるそうです。ユリアの母がそうでした」

「ほう……」


 ニクラスはそれが本当であるのかを確かめるように、ディルダの方をちらりと見た。夫が何を知りたいのか瞬時に理解した妻は、ゆるりと頷いてオルヴァーの言葉を肯定する。


「稀に、この色を持つ者が、公家以外にも生まれる事がありました。そして公家の血筋であっても、この色を持たぬ者の方も、いつしか多くなっておりました……」


 色々な血が混じってしまった結果なのだと、ディルダは悲しげに目を伏せた。かつては近親婚を繰り返し、目の色を守っていた時代があった。だが、その結果、体や精神に不具合を持って生まれてくる子供が増えてしまい、時の公王が近親婚を禁止したのだ。

 だがそれにより、公家の特徴である瞳の色を有する者が、年々生まれなくなっていった。

 そして二十数年前のガルネリオとの戦のせいで、公家の血筋は絶えたに等しかった。否、絶えたといっても良いだろう。あの頃はまだ、ディルダ以外にもいたのだ。稀有な瞳の色を有している者達が。

 だが今はもういない。自分以外の公家の者や、その血に連なる者は全て、後顧の憂いを経つために処刑されたのだから。しかもその中には、まだ十歳にも満たない子供もいたという。


「この瞳の色はもう……わたくしとウルリーカしかいないと思っておりました」

「帝妃様……」


 さらりと衣擦れの音をさせ、ディルダは座っていたイスから立ち上がると、そのままユリアの傍まで行き、彼女の手を包むように優しく握った。


「許してください……何の関係もない貴女に、この国の行く末を託すことを」

「帝妃さ、ま……」

「ごめんなさいユリア……本当にごめんなさい……」


 はらはらと涙を流すディルダに、ユリアはどうしていいのか判らず……ただおろおろとするだけで、握られた手をなんとか握り返すので精一杯だった。そんな二人の様子を、ニクラスは面白くなさそうに見ていたが、すぐに見飽きたらしく聖杖で床を突く。その音に、視線が上座へと集まった。


「輿入れの日は今日から半年の後とする。その頃には街道に積もった雪も()けているであろう。それまでそちには偽の皇女だとバレぬよう、厳しく皇女としての教育をする。よいな? しっかりと身につけるのだぞ」


 ぶるりと身震いをしたユリアに、ディルダが「大丈夫ですよ」と優しい声で囁いた。






 皇帝夫妻が退出すると、黒髪をきっちりと結い上げた女がユリアの傍へとやってきた。エンマと名乗ったその女は、ウルリーカの乳姉妹であり彼女付きの侍女であった。皇女の身代わりとなってファラフに行くユリアと一緒に、エンマもあちらへ行く事になっている。


「わたくしは幼い頃より、ウルリーカ様のお傍近くにおりました。ですので、ウルリーカ様の小さな癖まで良く知っております。貴女にはそれら全てを、身につけていただきます」

「は、はい……」


 冷めた瞳で見据えられ、ユリアは背中に嫌な汗が流れるのを感じた。


「エンマ、頼んだよ」

「はい。内務大臣様」

「ユリア……体を壊さぬよう……気をつけなさい。お前はすぐに風邪をひくから、少しでも寒いと感じたら温かくするのだよ」

「領主様……」


 頷いたユリアの頭を優しく撫で、オルヴァーはきゅっと眉根を寄せた。己がしようとしている事の罪深さに、胸が張り裂けそうなほど痛い。


「ユリア……私は……私は本当は……」

「領主様?」

「……い、いや、なんでもない。なんでもないんだ」


 ふるりと頭を振り、オルヴァーはエンマに行くよう促した。彼女の後に続き退出しているユリアの背中を黙って見つめながら、オルヴァーはずきずきと痛む胸を押さえていた。


「父上……本当にこれで良かったのですか? 本当に……」

「言うなラルス。これも民の為だ。この国に住む民の……うっ、くっ……ううっ」

「父上……」


 その場にしゃがみこみ嗚咽する父を、ラルスは冷めた目で見下ろした。これが貴方の選んだ事だと、泣く資格など貴方にはないのだと、おもいっきりオルヴァーを罵ってやりたかった。

 けれどできなかった。これ以上の策を、ラルスも思い浮かばなかったからだ。

 一人の犠牲でガルネリオの民全員が助かるのならば、きっと自分も同じ考えに辿りつくと思ったからだ。

 そしてそれを、迷いながらも実行すると思ったからだ。

 だから父を責めることなど、ラルスにはできない。

 してはいけない。

 上に立つ者は個人的な感情を捨て、国のためになくてはならないのだから………。




◆◆◆◆◆◆




「ガルネリオは随分と暢気だねぇ……」


 ふうっと息を吐き出して、イクセルは数を数えながら指を折った。彼がファラフ王の使者としてガルネリオ帝国の帝都レブルへ赴いてから、既に十八日も経っている。イクセルの予想では、今頃は【諾】の返事が届いており、調印の日程が話し合われているはずだった。

 だが、いまだにあちらからは、何も言ってこない。音沙汰無し――である。こうなってくると、イクセルとて面白くはない。あちらからの一方的な条件に目を瞑り、譲歩できる部分はどうにかこうにか譲歩して、かなり良い条件を出してあげたのだ。それなのに、それなのにである。


「まさかと思うけど、不満だとかって言うんじゃないだろうね? あれ以上のものをガルネリオが求めるのであれば、その地点で同盟は破棄だよ破棄。そうなったら国境付近に留め置いてある軍を動かして、今度こそ本気でレブルを攻めるだけだというのに、あちらさんはそれを解ってるのかな?」


 今の時期、海ではガルネリオ方面からファラフに向かって強い風が吹いている。そのため、海路を使えば帝都(レブル)から、片道三~四日ほどでここまで来れるだろう。海に面しているのだから、ファラフ同様ガルネリオにも船があったとイクセルは記憶している。が、それがどの程度のものであるのかまでは知らない。船足が速いのであれば良いが、そうでないのならば、やはりこちらに来るのには、いくら追い風が強く吹いていたとしても、時間がかかってしまうのは仕方がないだろう。

 だが遅い。

 遅過ぎる。


「いつまで待たせるつもりなのかな? それとも一戦交える気……だとか? だとしたらガルネリオ皇帝も側近達も、皆愚か者ばかりだな。勝てる見込みなんて、これっぽっちもないというのに。ねぇエーヴェ、一つ提案なのだけれど、明日までに返事がなかったら同盟を結ぶのは止めて、さっさとガルネリオを潰してしまってはどうかな?」

「イクセル……」


 はぁ~っと、今度はエーヴェルトが呆れたように息を吐き出す。己が従兄であるが故に、エーヴェルトはイクセルがその外見や言葉遣いとは裏腹に、かなり好戦的な性格をしているのを知っている。そしてこの男がやると言ったら、本当にやるということも――――――。


「もう少し猶予を与えてやれ。余裕を見せなければ侮られる」

「まーね……だけど我慢にも、限界というものがあるんだよ。エーヴェルト、きみ、それを知らないのかな?」

「……短期は損気だと、昔お前が俺に言ったと記憶しているが……あれは嘘だったのか?」

「もちろん嘘じゃない。でもね、いい加減待ちくたびれてしまったよ私は」


 最後の書類に署名し、エーヴェルトは羽ペンを置いた。コキュコキュと首を鳴らし、両手を上げて大きく伸びをする。戦ばかりしていた頃の方が、肉体的な疲労は多かったはずなのだが、今の方がその頃よりも体が疲れを訴えていた。少しでもいいから、毎日体を動かす必要があるのは明らかで、だが、今日も今日とて予定が詰まっていて無理だった。


「でもまぁ……お前の言う事も一理ある。いつまでも待っていても、悪戯に相手に時間を与えるだけだ。そうだな……明日、日が暮れるまでにガルネリオから返事が来なかったら、その時は少し脅しをかけてみるか」

「いいね、それ」


 にんまりと口端を上げたイクセルに、エーヴェルトはひくりと頬を引き攣らせる。誰がどう見ても、少しどころで済まされそうにないからだ。


「……少しだ。少し脅すだけだぞイクセル。間違えるなよ」

「ああ。もちろん」


 にっこりと笑うイクセルに、エーヴェルトは胡散臭いものを感じ、目を眇めて彼を見た。


「どうだか……」


 ふうっと鼻から息を吐きだすと、もう一度肩を動かし凝りを解す。正直、交渉は得意な方ではない。本心を言ってしまえば、エーヴェルトもガルネリオと同盟を結ぶよりも、さくっと武力でもって潰してしまった方が楽なのだ。


 だが、ガルネリオを滅ぼさなかったのには、それなりの理由がある。

 かの国が、この大陸において一番歴史が深い国であるからだ。

 ファラフのような、ポッと出の国ではない。この大陸の始祖国と言われているほど、ガルネリオの歴史は深い。それをむやみやたらと壊すほど、エーヴェルト達は愚かではなかった。だからこそ、同盟の申し出を受け入れたのだ。


「それじゃあ軍の方に連絡しておこう。いつでも動けるようにってね」


 パチンとウインクをして、イクセルは寝そべっていた長イスから体を起す。そこへタイミング良く軽く扉がノックされ、エーヴェルトが入室を許可すると、外務大臣がガルネリオからの使者を連れて中へと入ってきた。使者の手には、書簡箱と呼ばれる、装飾の施された薄い箱がある。それを見てイクセルが、小さいながらもハッキリと舌打ちしたのを、エーヴェルトは聞き逃さなかった。


 使者に座るよう促すと、小鐘(ベル)を鳴らして侍従を呼び、お茶を持って来るよう指示を出す。若干不機嫌な様子のイクセルは無視することにし、エーヴェルトは執務机の上で両手を組むと、急いで来たからなのか……それとも別の理由でなのか……青褪めて顔色の悪い使者へと目を向けた。真冬の月のような、冴えたエーヴェルトの視線に気づいた使者の、顔色がさらに悪くなったのは言うまでもなく、亀のように首を竦め身を縮めてしまったのは……仕方がないだろう。


「お、遅くなりまして、大変申し訳ございませんでした。こちらは我らがガルネリオ帝国皇帝ニクラスより、ファラフ国王エーヴェルト陛下への、同盟の条約に対する承諾書でございます」


 どうぞお確かめください――と、使者は書簡箱を脚の低いテーブルの上へと置いた。それをイクセルが持ち上げ、エーヴェルトの所まで持って行く。箱の上面に帝国の象徴である太陽と月と鷹の彫られたそれはたいそう美しく、エーヴェルトの瞳が僅かであるが細められた。武力重視の自国では、このように繊細な彫り物や、細やかな手仕事はできないのだ。イクセルもエーヴェルトと同様で、だが、彼の方はよりハッキリと表情にでていた。


 無言で箱の蓋を開け、丁寧に折り畳まれてしまわれてある書簡を取り出すと、エーヴェルトはそれを執務机の上に広げる。そこには書き手の人となりを表しているような、丁寧で美しい筆跡の大陸共通言語――ガルネリオ語が並んでおり、最後の皇帝の署名とは明らかに違うことから、この国の宰相にあたる内務大臣の手によるものだろうと判断した。

 直接会った事はない。だが、イクセルの話から、彼がどのような人物であるのか……エーヴェルトには予想がついていた。だからこそ、これを書いたのは彼だと思ったのだ。


「使者殿、これは貴国の内務大臣……オルヴァー=シェルストム殿が書かれたのか?」

「は、はい。そうです。シェルストム様がお書きになられました」

「そうか」


 きっと誠実な方なのだろう――そう呟いた声は小さく、エーヴェルトの口中だけでしか広がらなかった。


「イクセル、皇帝ニクラスは条件を飲んだ。後の調整はお前に任せる」

「畏まりました。さて使者殿、時間がかかり過ぎるのは良くありませんからね。サクッと済ませてしまいましょう」


 もちろんこれは、返事を寄こすのが遅かったガルネリオへの嫌味だ。使者にもそれは理解することができたので、彼の顔色はまやもや悪くなる。


「は、はい……」

「おや? 顔色が優れないようですが……どこかお体の調子でも悪いのですか? でしたら休まれてからにいたしましょうか?」

「い、いえ。大丈夫です」

「そうですか」


 では場所を移しましょうね――と、イクセルはエーヴェルトから書簡を受け取って、青褪める使者と外務大臣を連れて自身の執務室へと向かった。 



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