01
菫色のドレスに身を包んだテルエスは、女官長の案内で王妃の間へ続く長い廊下を歩いていた。その表情は酷く強張っていて、彼女がとても緊張しているのがよく判る。
テルエスに王妃から茶席への招待状が届けられたのは、ほんの二日前の事である。
急な事で大変申し訳ないが、返事をすぐに欲しいとの言伝があり、招待状を持ってきた使者に少し時間を貰い、テルエスはすぐさま返事を書きに自室へと戻った。
確かに急な招きである。
だが、テルエスに断わる理由などない。
帝国から嫁いできた皇女ウルリーカと、一度でいいから話をしてみたかったのだ。なので茶席への招待は、彼女にとってとても嬉しいものだった。
以前グンネルに招待されて、後宮に足を踏み入れた事はある。だが、彼女の目的が何であるのか……何となく解っていたので気が重かった。
けれど今日は違う。
ウルリーカが自分を招待した理由は、はっきりとは判らないが、国王夫妻の睦まじさは父親から聞いており、それ故、王妃が側室にあがるよう勧めてくる――などという事はありえない事だけは判っている。それが判っているだけ、テルエスの気持ちはかなり軽かった。
けれど、何かしら自分に聞きたい事があるのは確かだ。
それが何であるのか……粗方の予想はできていたりする。
「ようこそ、テルエス殿」
「王妃様、本日はお招きくださいまして、ありがとうございます」
ふわりと膝を折るテルエスに、ウルリーカはゆるりと首を振った。こちらこそ急にごめんなさいね――と、彼女は謝罪の言葉を口にする。それに驚いたのはテルエスで、何度も何度も目を瞬かせた。
外は肌寒いから――と、お茶は室内でいただく事になった。本当は庭の東屋が良かったのだが、今日は冷たい風が吹いているので諦めたのだ。
エンマがお茶を淹れている間にデジレが茶菓子を並べ、二人の前に取り皿とフォークを置く。今日の茶菓子は食べやすい大きさに切り分けられたチーズケーキと、木苺ののったクリームたっぷりのケーキに、果物をふんだんに使った小さめのタルトと、ナッツ類を混ぜ込んだクッキーだった。それが銀盆の上に行儀よく並べられていた。後宮料理人自慢の菓子達である。
「では、わたくし共は失礼いたします。隣室にて控えておりますので、いつでもお呼び下さい」
「解ったわ。ありがとう」
お辞儀をし、エンマとデジレは部屋から出て行った。といっても、何かあった時にすぐ対応できるよう、控えの間に移っただけなのだが………。
「お口に合えば良いのですが……」
どうぞ――とウルリーカに勧められ、テルエスはチーズケーキを皿に取った。そんな彼女の様子をさり気なく観察しながら、ウルリーカはどう切り出そうか思案する。
言葉を濁さず言えばいいのか? それとも遠回しに言ったらいいのか? そのどちらかしかない。ないのだが……どちらにすべきか、なかなか決められないのだ。紅茶を一口飲み、ウルリーカは小さく息を吐いた。自分はこんなにも意気地なしだったのだろうかと、無意識に眉根を寄せ深い皺を刻んだ。
テルエスの様子を窺っていたように、彼女もウルリーカの様子を気にしていた。だから彼女が溜息をついた時、迷っている事がテルエスにはすぐに解った。
「王妃様」
「え、あ、はい」
持っていたフォークを皿の上に置くと、テルエスはすっと背筋を伸ばす。つられてウルリーカも姿勢を正した。
「急なご招待は……何かわたくしに対し、言いたい事や訊きたい事があるから――なのではありませんか? まどろっこしいのは苦手ですので、どうぞはっきりと仰ってくださいませ」
聡い人だ――と、ウルリーカは思った。
それと同時に、強く、美しい女性だとも思った。
彼女が部屋に入ってきた時に受けた印象は、派手ではないが華やかで爽やかな女性――だ。きっと自分とは対極だろう。テルエスが柔らかな風であるならば、自分は冷ややかな風といったところだ。
この人ならば、誰もが満足する、誰もから慕われる王妃となる。
家柄も問題なく、頭の回転も良い。
そして何より、他者を惹きつける魅力がある。
王妃の最有力候補であったのも頷ける。
「ごめんなさい」
「王妃様?」
「わたくし……貴女に会ってみたかったんです」
「わたくしに……ですか?」
こくりと頷いたウルリーカに、テルエスは困惑ぎみに微笑むと、理由を訊いても良いかと問うた。
「エーヴェルト様の事を……訊きたくて」
「陛下の事……で、ございますか?」
「ええ。貴女にとってエーヴェルト様は、どんな方なのかと……」
「はい?」
俯き、顔を少しそらせたウルリーカを、テルエスは不躾なくらい見つめた。この綺麗な女性は、一体全体何を考えているのだろうか?――と。
「陛下は陛下でございますが……あの、それ以外に何かあるのでしょうか?」
眉を顰めるテルエスに、ウルリーカは困ったように笑む。膝の上に置いた両手の指同士を交互に絡めぎゅっと握った。
「貴女が……貴女が王妃候補の最有力だったと……」
「まぁ! 誰がそのようなくだらない事を、王妃様の耳に入れたのです!? 許せないわ!!」
チッと舌打ちした音は、口もとを手で覆っていたためウルリーカには聞こえなかった。だが、確実に機嫌が悪くなったのは確かで、ウルリーカはそんな彼女の様子に目を瞬かせた。
「確かに、確かにそうではありました。ですがわたくしは、例え選ばれたとしても、辞退しておりましたわ」
王妃になど、絶対になりたくないものの筆頭ですもの――と、テルエスは心底嫌そうな顔で、きっぱりとそう言い放った。
「辞退? 辞退など、できるのですか?」
「できなくてもします。わたくしは。絶対に」
「……」
木苺がのったケーキを取り、それを一口食べると、テルエスの目がパッと大きく開く。どうやら気に入ったようで……彼女はもう一口分フォークで掬って食べると、とても幸せそうに蕩けるような笑みを浮かべた。
「王宮料理人の作るケーキは、やはり違いますね」
とても美味しいです――と、テルエスはタルトも皿に乗せる。ウルリーカも木苺のケーキにフォークを挿し、半分ほど口へと入れた。味付けの濃い料理とは違って、菓子はそれほど甘ったるくなく、彼女でも難なく食べる事ができる。今口に入れたそれは、酸味が効いており、ほのかに甘味もあって、ガルネリオにはない味だった。
「王妃様がどう思われているのかは存じませんが、わたくしにとって陛下は本当に陛下でしかなく、恋愛対象ではありません。わたくし、ああいう方は好きではないのです。わたくしはどちらかといえば……」
そこまで言って、テルエスは口を噤む。喋り過ぎたとでも思ったのだろう……ウルリーカへ向けられていた視線は、所在無げに彷徨っている。
「テルエス殿……もしや貴女は、好いた方がいらっしゃるのですか?」
「っ!!」
瞬時に頬が朱に染まる。ウルリーカは目を瞬かせ、自分が言った事が当たっていたのに半分驚きつつも、彼女の年齢を考えれば、想う相手がいるという事は至極当たり前だと納得した。しかも相手はエーヴェルトではないらしく……それじゃあ誰なのだろうかと考える。だが、テルエスの交際範囲を知らないので、考えるだけ無駄であるとすぐにそれを放棄した。
「その方に、お気持ちは……」
「い、言えません。そんなの!!」
「まあ、どうしてですか?」
身分が違うのだろうか?――そう思った刹那、ラルスの顔が脳裏に浮かんだ。平民では、貴族との未来は望めない。だが、テルエスは貴族……しかも有力な高位貴族だ。自国はもちろん、他国の王子妃や公妃、高位貴族の正夫人にだってなれる。ウルリーカは目を細めると、テルエスに解らないようゆるりと首を振った。出自でこうも違うのか――と………。
「その恋が、成就することを祈っています。わたくしにできる事があれば、何でも仰ってくださいね」
「ありがとうございます王妃様」
微笑んだテルエスに、ウルリーカも小さく笑い頷くと、皿に残っていたケーキを食べ、その後は色々な話に花を咲かせた。