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アオイソラ  作者: 朔良こお
第二幕/触れ合う心
29/59

16

 後宮の裏門に停車した馬車から、正装姿のソニエルとラルスが降りてくるのを、ウルリーカは緊張した面持ちで見ていた。それは彼女の少し後ろに控えていたスタファンにも伝わるほどで……こんな時、幼馴染みの軽薄男(イクセル)なら、気の利いた事を言って緊張を和らげるだろうに――と、それができない自分の不甲斐なさを、スタファンは今日ほど忌々しく思ったことはない。


「ウルリーカ様、もしやお待たせしてしまいましたか?」

「いいえ……時間通りですわソニエル殿。わたくしが待ちきれず、時間よりも早く来てしまいましたの」


 少し双眸を伏せ、ウルリーカは恥ずかしそうにそう告げると、差し出されたソニエルの掌の上に手を重ねた。それを見て、彼の唇がうっすらと弧を描き、氷蒼の瞳が背後へと向けられる。


「おや? スタファン殿ではありませんか。もしや今日の護衛は、貴殿なのですか?」


 驚いた風に言ってはいるが、絶対に彼が護衛につくのを予想していたはずだ――と、ラルスは小さく苦笑いをし、食えない己が上司から視線を移す。彼のは瞳に、露出の少ない外出用のドレスを着たファラフ王妃の姿が映った。金糸の髪は緩く結い上げられ、小さな真珠が付いた髪飾りを挿し、細い首にはドレスと同じ生地で作ったリボンに、大粒の真珠の飾りがついた短いネックレスをしている。見た事のないそれは、きっとこちらに来てから作った物なのだろう……とても良く似合っている――と、ラルスは思った。


「はい。陛下より、本日は妃殿下の護衛につくようにと……」

「そうですか。まぁ、貴方の出番がくるような事は、起こらないと思うのですが……」


一緒に乗りますか?――と問うソニエルに対し、スタファンは緩く首を左右に振った。そしてちらりと横を向く。つられてソニエルもそちらへと目をやれば、少し離れた所に艶やかな栗毛の馬がいるのが見えたので、「ああ」と納得したように頷く。ソニエルは「貴殿の愛馬ですか? 良い馬ですね」と、氷蒼の瞳を柔らかく細めた。


 己が馬を褒められ、スタファンの相好が少し崩れる。

 子馬の頃から世話をしてきたため、愛着がありとても可愛い。

 牝馬ゆえ強い牡馬の子を産ませるのも、いいかもしれないとスタファンは思ったので、種馬となる強い牡馬を厩舎内から数頭選び、発情期に見合いをさせてみた。どの馬も立派な体躯をしており、きっと気に入ってくれるだろう――そう彼は思っていた。


 だが……そうは上手くいかないのが世の常だ。


 スタファンの願いは見事に砕かれ、散々な結果に終わった。


 彼の愛馬は人間で言うところの“美人”の部類である。しかも“極上”の、だ。そのため見合いをした牡馬達は、一目で彼女を気に入り猛烈に求愛をしたのだが……どうやらこれが拙かったのか……それとも“美女”ゆえに男の好みがうるさかったのか……スタファンが選んだ牡馬のどれも気に入らず、しつこく迫る彼等をことごとく足蹴にしたのだ。それはもう、感心してしまうほど見事な蹴りっぷりであった。


 子供は無理かもしれない――と、諦めかけたスタファンだが、意中の牡馬がいるみたいですよと、先日厩舎の世話人の一人が教えてくれた。それを聞き、次こそは絶対に――と力が入った。だが、先日その意中の相手というのが判明し、それは彼を多いに悩ませた。

 何故ならそれは、エーヴェルトの馬の中の一頭で、優秀な馬を沢山生み出している地方の領主から、婚礼の際に祝いの品として贈られた青鹿毛(あおかげ)の馬だからだ。

 そしてその青鹿毛馬は、同じくウルリーカにと贈られた芦毛(あしげ)の牝馬が好きなのだ。

 芦毛のそれは愛らしく、性格も穏やかで優しい雌馬だ。

 対してスタファンの愛馬は、牡馬を足蹴にするような性格だ。

 スタファンとて、優秀な子種が欲しい。だが、もらえるかどうか……望みは限りなく薄い。薄過ぎるくらい薄い。無理だと断言してもいい。


「ではウルリーカ様。参りましょうか? さあ、馬車の中へ」

「ええ」


 ウルリーカが馬車に乗り込むのを見て、厩舎の世話人がスタファンの馬を彼の所まで連れてきた。手綱を受け取り、彼女の鼻面を優しく撫でてから、彼は鐙に左足をかけ一気に上がって馬の背に跨った。それを見た若い女官達の間から、うっとりとした吐息が零れ落ちる。本人は気がついていないが、スタファンは城で働く娘達にとても人気があるのだ。遊びでもいいから――と、一夜だけの関係を夢見ている者も少なくない。


 ピシリと軽い音をさせ、馬車を引く馬の尻に鞭が軽く当てられた。ウルリーカを乗せたそれが、ゆっくりと動き出す。その少し後ろを、スタファンの乗った栗毛の馬が行く。そしてさらにその後ろには、スタファンが選んだ護衛の騎士が数名……茶褐色の鹿毛(かげ)馬に乗って追従していた。

 彼等は近衛ではなく、王族や諸外国の要人の護衛を担っている上級騎士である。実はまだ本人達には話していないが、彼等にあと数名の騎士を加え、王妃付きの近衛騎士となる事が決まっていた。王妃付きとなる者達は皆、それなりに見目も良く、立ち居振る舞いも優雅である。全員が貴族の子弟だからだろう。

 だが、ファラフにおいて近衛騎士は“お飾り”ではない。

 それ故、剣技や体技に優れている者を、騎士団長と一緒に時間をかけてスタファンが選び、五日前にエーヴェルの許可が下りたのだ。


「昨夜はよく眠れましたか?」


 向かい側に座ったソニエルにそう問われ、ウルリーカはぎこちない笑みを浮かべた。おや?――っと、氷蒼の瞳が細められる。彼の隣に座っているラルスの眉宇にも、くっきりと皺ができた。


「こちらへ来てから、外に出るのは初めてなので……」


 気持ちが昂ぶって、なかなか眠れなかったのです――と、ウルリーカは恥ずかしそうに俯くと、二人から視線をほんの少しだけ外した。


「それはいけませんね。それでは“籠の鳥”ではありませんか。いけません。いけませんよ。これは皇帝陛下にお知らせしなくてはいけません。皇女様は、ファラフで不自由している――と」


 ソニエルのその発言にギョッとなったのは、他の誰でもないウルリーカだ。


「ソ、ソニエル殿っ、その必要はありません! わ、わたくしが、外に出たいと思わなかったのですから!!」

「ですが……」

「余計な心配を、お父様にかけたくありません。解ってください。それに……」


 膝の上の手を強く握り、ウルリーカはソニエルを睨む。


「貴方は思い違いをしています。わたくしが望めば、エーヴェルト様は外に出してくださいます。現に今、わたくしはお二人と馬車の中に居る。それが証拠です。ですからわたくしが“籠の鳥”だなんて……そんな事は絶対にお父様とお母様に言わないでください。ソニエル=ブライン……もう一度言います。わたくしが後宮から出なかったのは、わたくしの意思(・・・・・・・)です。陛下の所為(・・・・・)ではありません」


 万が一、この事でニクラスがエーヴェルトに文句を言おうものならば、それを理由に彼はガルネリを潰すかもしれない。

 そこまでしないとしても、ガルネリオにとって不利な事をされるかもしれない。

 そうなったらオルヴァーが……ラルスが……自分を慈しんでくれた人々が苦しむ事になるのだ。

 それだけは避けなくてはならない。

 絶対に、避けなくてはならい。


「ブライン副大臣……申し上げにくいのですが、副大臣は少し早とちりでいらっしゃいますね。しかも口が軽くておいでだ……。まったく、外見と中身の違いに呆れてしまいますよ」


 軽口は命取りですよ――と、そうラルスに言われ、ソニエルは軽く目を瞠った。そしてニヤリと口端を上げる。


「シェルストム君、きみもそう思う? 奇遇だね、私もそう思うよ」


 そう言って、彼はカラカラと笑った。ラルスは呆れたように溜息を一つつき、ゆるりと被りを振った。そして不安げな表情のウルリーカへと視線を向けると、彼は優しく微笑んだ。


「ウルリーカ様、心配は無用でございます」

「ラルス殿……」

「この方が何か言ったとしても、このシェルストムが、誤解のないよう陛下にご説明いたしますので」


 ですからそのような、不安げな顔をなさらないでください――と、ラルスはウルリーカの手をそろりと持ち上げると、もう一方の手で宥めるように優しく甲を撫でた。ウルリーカの瞳が、それにより和らぐ。


「ありがとう……ラルス殿」

「ウルリーカ様」


 柔らかな表情で自分を見つめるラルスと目が合い、ウルリーカの心臓が大きく跳ねる。カーッと頬に熱が集まり、それが恥ずかしくさらに熱が増す。


「ラルス殿……」


 意識せずにはいられない。 

 自分の中のユリアが、ウルリーカという“檻”から出せと叫んでいるのを。


 己が手を乗せているラルスの手を、ウルリーカはそうっと握る。傍から見れば、それは握っているようには見えない。だが、彼女にしてみれば、ラルスの手を握っているのだ。ラルスもそれに気がつき、小さく彼女の手を握り返した。今ここに、自分達以外の人間がいなければ、どうなっていたことか……口もとに笑みを湛えながら、ラルスはもう一度「ご安心を」と言って、ウルリーカの手をそうっと離した。

 重なっていた時の熱が、瞬時に冷めていく。

 温かかった掌は、今はまるで氷のようだ。

 ラルスは拳を握ると、それを己が膝の上に置いた。


「本日は昼食の後、王都の散策などいかがでしょうか?」

「え?」


 そんな事をしていいのかと、驚いているウルリーカに、ラルスの眉根が軽く寄せられる。


「宰相殿より、夕刻までに後宮へお戻りになればいいと……そう伺っておりますが……」

「……そう、なのですか?」


 首を傾げるウルリーカに、男二人は顔を見合わせた。どうやらウルリーカには伝わっていなかったらしい……ソニエルが馬車の小窓を開け、スタファンにそれを確認をする。


「はい。確かに私も、そのように聞いております」

「だ、そうですよウルリーカ様」

「ったく、あの野郎……。妃殿下、城に戻り次第あのアホに蹴りを一発入れておきますので、どうかそれでご容赦ください」

「スタファン殿、蹴らなくても……」

「いえ。蹴らなくてはいけません。というか、むしろ私があいつを蹴りたいんです。そりゃもう、青痣ができるくらい、思いっきりぶち蹴りたいんです」

「ス、スタファン殿……」


 横を走る馬上の騎士の体から、ゆらゆらと黒い陽炎のようなものが見えるような気がして、ウルリーカはひくつく頬を隠すため、持っていた扇子を大きく広げた。




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