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アオイソラ  作者: 朔良こお
第二幕/触れ合う心
27/59

14

 お気に入りの仕立て屋へ出向いたマルグレットは、愛想良く出迎えた店主の案内で、最奥の部屋――貴族用の特別室――へと入り、ドレスを脱いで下着姿となった。「失礼いたします」と一声かけてから店主は、彼女の体を巻尺で測っていく。それを彼女専用のカードに書き込みながら、店主は僅かに顔を顰めた。


「姫様、すこうし太られましたね」


 ピクリ――と、マルグレットの眉が跳ね上がる。


「……何ですって? わたくしが太ったですって? 冗談じゃないわよ。わたくしは太ってなどいないわ。お前の測り方が悪いのを、わたくしの所為にしないでちょうだい」


 ぎろりと睨まれ、店主はぶるりと身を震わせた。だが、それは紛れもない事実であり、数字は嘘をつかない。


「で、ですが……」

「口には気をつけなさい。仕立て屋はここ(・・)だけではなくてよ」

「……」


 ぐっと言葉を詰まらせ、店主は「申し訳ありませんでした」と頭を下げた。マルグレットはふふんと鼻を鳴らし、解れば良いのよとツンと彼女は顎を上げる。王族御用達であることは、この店にとって多大な利益をもたらすのだ。もし、マルグレットが他の店でドレスを作るようになってしまえば、たちまちこの店からごぞっと客が減るだろう。それだけは、絶対に避けたい。


 店主がデザイン帳を取りに部屋を出て行っている間に、侍女等によって再びドレスを着ると、マルグレットは店の下女が運んできたお茶を飲みながら、お腹の辺りをするすると数回擦った。店主にはああ言ったものの、実は、彼女自身その事(・・・)に気がついていたのだ。何しろ最近になってから、ドレスの腰周りが、かなりきつく(・・・)感じる。


「食べ過ぎかしらね?」


 綺麗に整えた眉を顰め、マルグレットは菓子に伸ばした手を引っ込める。ホウッと息を吐いて、もう一口お茶を飲んだ。そこへ店主が戻ってきた。


「お待たせいたしました姫様」


 最近の流行(はや)りを取り入れたデザインを、数点マルグレットの前に広げて見せる。それを見て、彼女の眉根が寄った。見せられたそれの、どれもこれもが帝国風(・・・)なのだ。


「やはり王妃様の影響でしょうね……」


 口もとを和らげた店主とは逆に、マルグレットの機嫌はますます悪くなる。そうとは気がつかずに、店主はこれなどいかがでしょうかと、マルグレットに帝国で一番人気のあるデザインを真似たドレスを薦めた。


「どれもこれもわたくしの好みではないわ」

「姫様?」


 スッと立ち上がると、マルグレットは部屋を出て行った。その後に侍女等も続く。店主が慌てて後を追ったものの、マルグレットはそれを無視し、店の扉を乱暴に開けた。が、ドンと何かにぶつかり、彼女は数歩後ろへよろめいた。


「このっ……」


 キッと顔を上げると、そこには驚いた様子のラルスが立っていた。


「ああ、なんてことを……マルグレット姫、お怪我はありませんか?」

「ラルス殿……」


 パチパチと目を瞬かせ、マルグレットは自分がぶつかった相手がラルスだと解ると、たちまちしな(・・)を作り媚びるような目で彼を見た。


「大丈夫ですわ」

「それは良かった。余所見をしていたものですから、気づきませんでした。大変申し訳ございません」


 マルグレットの左手を掬うように持ち上げると、手袋をはめたその指先にそっと唇を寄せた。パッ――と、マルグレットの頬が朱に染まる。


「ラ、ラルス殿。どうしてここ(・・)に?」

「ええ。ちょっと頼んでいた物がありまして、それを受け取りに来たのです」

「まぁ、そうでしたの」


 わたくしはドレスを新調しに来ましたのよ――と、マルグレットはにこりと笑った。そしてパチンと手を打つ。


「そうだわ! ラルス殿、わたくしに合うデザインを選んでくださいませんこと? 最近の流行りは帝国風なのですけれど、わたくしにはどれが良いのか……」


 決められないんですの――と、マルグレットは唇を尖らせ困ったようにラルスを見た。


「あぁ、重ね重ね申し訳ありませんマルグレット姫。実は少々急いでおりまして、選んで差し上げたいのは山々ではありますが時間が無いのです。ですが貴女様ならば、どのドレスでも似合うと思いますし、ガルネリオの女性よりも、上手に着こなせると思いますよ」


 帝国風のドレスを着た姫君は、今以上にお美しいでしょうね――と、ラルスは柔らかな声でそう言うと、声同様に柔らかく微笑んだ。


「まぁ……」


 マルグレットの機嫌は、最早良過ぎるくらい良くなり……振り返ると店主に先程のデザイン帳をもう一度見せて頂戴と、優しい声でそう言って店の奥へと侍女等を連れて戻っていった。店主と二人きりとなったラルスは、ホッと安堵している彼に向かって、注文していた物ができているのかを問うた。店主はにこりと笑って、もちろんですと答えると、いそいそとした様子で商品を保管している壁の棚から、箱を一つ取り出してその蓋を開けた。


「こちらでございます。いかがでしょうか?」


 中にある物を見て、ラルスの瞳がやんわりと細められる。彼は箱の中のそれを手に取ると、表面をさらりと撫でた。


「とても滑らかで、上等な生地ですね。それに色も良い」

「はい。王妃様がファラフにお輿入れされてからというもの、帝国産の高級な布地が手に入り易くなりまして……」


 値段もだいぶ安くなりました――と、店主が嬉しそうにそう言うと、ラルスは「それは良かった」と口端を上げる。そして品物を箱の中へと戻し、上着のポケットから巾着を取り出すと、店主に品物の代金を支払った。包装はどうするかと問われ、ラルスは少し考えた後にふるりと首を振った。特別な品ではないから、必要はない――と。


「おや? 恋人への贈り物ではなかったのですか?」

「だと良かったのですが……。残念ながら、そうではないのですよ」

「左様でございましたか」


 ラルスは箱を脇に抱えると「それじゃあ」と言って店を後にした。店主は深々と下げていた頭を上げ、大きく息を吐き出す。そして店の奥へと顔を向けた。


「さて、行くか」


 嫌な事はさっさと終えてしまった方が良い。店主は下っ腹にぐっと力を入れると、一歩前へと足を踏み出した。




◆◆◆◆◆◆




 ウルリーカの許へそれ(・・)が届けられたのは、午後のお茶をいただきながら、後宮の女官長とお喋りをしていた時だった。


「失礼いたしますウルリーカ様。迎賓館に滞在中のソニエル=ブライン様より、お手紙が届いております」

「手紙?」


 何かったのだろうかと思いながら、ウルリーカは受け取った手紙を開け、その稀有な色の瞳を大きく見開いた。悪い知らせだろうかと、女官長は眉を顰める。だが、すぐにウルリーカが笑ったので、思い過ごしだったと安堵した。


「何か良い事でも、書かれておりましたか?」


 うふふと笑うウルリーカに、女官長も口端を上げる。


「建設工事を始める前に、こちらでは祭司が祈りをあげるそうですね?」

「はい。怪我人がでることなく、無事に工事が済むようにと」

「それにわたくしも、是非出席して欲しいとソニエル殿が」

「左様でございましたか。ガルネリオの大使館を建てるための工事ですから、皇女であらせられる王妃様がそれに出席され、工事をする労働者達に労いの言葉をかけて差し上げれば、皆、とても喜ぶでしょう」

「そうかしら?」

「はい。もちろんでございます」


 そう言って女官長が大きく頷いたので、ウルリーカも安心したのか、今夜エーヴェルトにこの事を言い、外出の許可を貰う決心がついた。




 その夜、執務を終え食事と入浴を済ませてからウルリーカの部屋へやってきたエーヴェルトは、嬉しそうに外出許可を願う彼女に少しムッとし顔を顰めたものの、イクセルから先日のソニエル達との遣り取りを聞いていたので、反対することなくすんなりとそれを承諾した。


「いいだろう。行ってこい」

「ありがとうございます」

「だが、一つ条件がある」

「条件?」

「ああ。スタファンをお前に同行させる」


 それが条件だと言ったエーヴェルトに、ウルリーカは破顔した。もっと無理な事を言われると思っていたからだ。


「そんな事でしたの。もちろん構いませんわ。スタファン殿が一緒なら、何かあっても大丈夫ですもの」


 彼が有能な騎士である事を、彼女は女官長や後宮の宮女……己が侍女達から聞いて知っていた。


「あいつ、あの一件(・・・・)以来、お前に嫌われていると思い込んでいるようだ。可哀想だから優しい言葉でもかけてやってくれ。主に怒られた犬みたいに、情けない顔をしていているからな」


 くつくつと喉を鳴らすエーヴェルトに、ウルリーカもくすりと笑う。


「さて、もう寝るか。明日は朝から一日中会議だ」


 尻が痛くなりそうだ――と、エーヴェルトは深々と溜息をついた。ウルリーカがそんなエーヴェルトの手を両手でそっと包むと、藍色の瞳がニィッと細められた。


「誘っているのか?」

「は?」

「お前も随分と大胆になった」

「あの、エーヴェルト様……」

「まぁ、多少の遅刻は許されるだろう」

「エーヴェルト様、さっきから何を言って……」


 眉を顰めた瞬間、エーヴェルトの顔が近づき、しっとりと唇が重ねられた。そこでようやくウルリーカは、エーヴェルトの言葉を理解する。もちろん彼女は、そんなつもり(・・・・・・)は毛頭ないのだが、民のために頑張っているエーヴェルトを労うつもりで手を握ったのだ。

 だが、それがいけなかったらしい……誤解されてしまった。長い口づけが終わり、やっと唇が離れたので、そうじゃないのだと言おうとしたウルリーカだっただ、優しく頬を撫でられて、喉まで出かかったそれを飲み込んだ。

 彼が自分を求めているのが判ったからだ。

 王に求められたのならば、王妃である自分には“否や”はない。

 頬を撫でた指先が首筋を撫で、滑るように鎖骨をなぞり、夜着の胸元のリボンに指がかかった刹那、ウルリーカはそれ(・・)を思い出した。


「あ、あ、お待ちください」

「?」


 エーヴェルトの腕の中からするりと抜け出ると、ウルリーカは硝子の瓶に入ったそれを取り出した。エーヴェルトの目に、剣呑な色が浮かぶ。


「待て、ウルリーカ。それはこの間の物とは違うな?」


 丸薬を口に入れる寸前で手を止め、この前新しい物を外交省の役人(・・・・・・)がエンマに届けにきたのだと告げた。


「今度の物は、その、閨での行為をする前に、必ず飲むようにと言われましたの」

「な、に……」


 ギュッ――と、エーヴェルトの眉宇に深い皺が刻まれる。そんな彼の様子に、ウルリーカは首を傾げた。


「あの、エーヴェルト様?」

「飲むな」

「はい?」

「それを飲むな。飲んだふりをしろ」

「あの、それは……」


 手の中の丸薬を取り上げると、エーヴェルトはそれを窓から庭へと放り投げた。室内の屑篭に入れれば、飲んでいないのがばれてしまう。


「エーヴェルト様、何をっ!?」


 抗議の声をあげたウルリーカの腕を掴むと、エーヴェルトは彼女を引っ張り抱き締めた。彼が何故こんなにも怒っているのか、その理由が解らず、ウルリーカは不安げにエーヴェルトを見上げる。だが、その表情からは、何一つ窺い知ることはできなかった。


「今後一切、ガルネリオで作られた丸薬は口にするな。いいな?」

「何故、ですか?」

「理由など、お前は知らなくていい」

「そんなっ!!」


 理不尽です――と、怒ったウルリーカを、エーヴェルトはさらに強く抱き締める。そして酷くかすれた声で、彼はそれを呟いた。


 お前を、失いたくないからだ――と。


 だがその呟きは、あまりにも小さくて……ウルリーカには聞こえていなかった。



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