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アオイソラ  作者: 朔良こお
第二幕/触れ合う心
25/59

12

「エーヴェルト様を……貴女はどう思っていますか?」


 投げかけられたその言葉は、波紋のようにウルリーカの心に広がっていく。

 エーヴェルトのことをどう思っているのか?――そう自問し、答えを出そうと考えるものの、何も浮んではこない。


 嫌い……ではない。


 好き……とも言い切れない。


 ラルスのことをどう思っているのかと問われれば、迷うことなく「好き」だと答えられる。だが、エーヴェルトに対しては、すんなりと答えが出てこないのだ。

 ウルリーカは右手をそっと胸の上に置くと、もう一度自身に同じ事を問うた。が、やはり答えは出てきてはくれなかった。


「ウルリーカ様……もしや貴女はその心に、別の男を住まわせておいでか?」


 スタファンのその言葉は、ウルリーカの心を見透かしているようで、即座に否定しなければいけないと解っていても、彼女はそれをする事ができなかった。

 冷たく、嫌な汗が背中を流れ、視線がゆらゆらと彷徨う。ふと、スタファンが小さく息を吐くのが聞こえ、ウルリーカはそれにより己を取り戻すことができた。


「それに答える義務は、わたくしにはありません。スタファン殿、無礼ではありませんか? いくら貴方がエーヴェルト様の近衛で、子供の頃から仲が良いからといって、ガルネリオの皇女でありファラフ王妃であるわたくしに、そのような事を問うなど……」


 冷やかに……けれど淡々と……怒気を含んだ声でそう言ったウルリーカに対し、スタファンは「お許し下さい」と頭を深く垂れた。

 こんなにも怒りをあらわにする彼女を、スタファンは初めて見た。おそらく夫であるエーヴェルトも、見た事がないだろう。

 人形のようだ――と、本当は思っていた。

 ただ美しいだけの、己の意思を持たない皇女(にんぎょう)であると。

 だが、例えそうであっても、ちゃんと血は通っているのだ。失礼な事を言われれば、傷つかないはずはない。

 スタファンは己が失態に、もう一度深々と頭を下げて謝罪した。だが、ウルリーカは絡めていた腕をするりと解き、「ここまでで結構」とそれ以上先へスタファンが同行する事を拒絶した。


 表情を引き締める彼を廊下に残し、ウルリーカは一人で後宮へと戻る。出迎えた女官長を従え部屋に戻ると、侍女達が彼女を出迎えた。

 湯の支度をエンマに頼もうと彼女を呼んだが、エンマの姿がどこにもない。どうしたのかと、他の侍女に彼女の事を訊ねれば、面会人がエンマに会いに来ているとの返事が返ってきた。

 客人――それならば仕方がないと、今夜はデジレに湯の支度を頼むことにした。


 ドレスを脱ぎ、体を締め付けている補正下着を外すと、ウルリーカは締め付けの緩やかな室内着へと着替える。鏡台の前に座り、自分で髪に挿したピンや飾りを抜き始めたのを見て、慌てて侍女が飛んできて「わたくしが」と言った。だが、ウルリーカは軽く首を振り、それを拒んだ。


「呼ぶまで入ってこないでちょうだい」


 そう言って侍女らを皆下がらせると、鏡に映った己に向かって、何度も何度もそれ(・・)を問いかけた。エーヴェルトを、自分はどう思っているのか?――と………。


「答えなど、そう簡単に出るものではないわ」


 ウルリーカは溜息をつくと、柔らかな毛先のブラシで乱雑に髪を梳かしながらラルスの事を思い出した。もしも自分が彼と同じ貴族の娘であったのならば、今頃は婚約していたかもしれない――と。そう考えると、ウルリーカの胸が苦しくなる。


「ラルス様……」


 諦めなくてはならない恋なのだ。


 絶対に叶うことのない恋なのだ。


「けれど……けれど想うのは自由だわ。誰を想おうと、それは私の自由……でも……」


 それが許されるのは“ユリア”であり、今、自分は“ウルリーカ”なのだ。ガルネリオの皇帝皇女ウルリーカなのだ。身も心もユリアである事を放棄しなくてはならない。


 そうしなければ、大切な人達から笑顔を奪う事になる。


 そうしなければ、ガルネリオの人々から笑顔を奪う事になる。


「わたくしはウルリーカ……ウルリーカ……ガルネリオの皇帝皇女ウルリーカ……」


 一刻でも早く、己が胸の奥で息を潜めている“ユリア”を消してしまわなくてはならない。そのためにも、ラルスに想いを打ち明けなくてはならない。


「わたくしはウルリーカ。他の誰でもない、わたくしの名はウルリーカ。皇帝皇女にして、ファラフ王エーヴェルトの妃……わたくしはファラフの王妃……」


 ブラシの柄を強く握り締め、ウルリーカは唇を真っ直ぐに結び、キッと鏡の中の自分を睨んだ。


「そんな怖い顔は、お前には似合わない」

「っ!!」


 いつからそこに居たのだろう……声のした方へ振り向くと、表情の硬いエーヴェルトが立っていた。


「エーヴェルト様……」

「何を怒っている? スタファンの所為か? お前を怒らせてしまったと、酷く落ち込んでいたぞ」

「……いえ。スタファン殿の所為ではありません」

「そうか」


 カツリと靴音をさせ、エーヴェルトが一歩前に踏み出す。後ろ手に扉を閉めた彼は、その扉に背中を預けた。


「ならば俺のリードが下手だったからか?」

「リード? あの、それはどういう……。申し訳ありませんエーヴェルト様、わたくしにも解るように仰ってくださいませ」

「あー……」


 くしゃりと前髪を掻き上げ、エーヴェルトは拗ねたように顔をウルリーカからそむけた。そしてボソボソと、イクセルに下手だと嫌味を言われたのだと白状する。


「まぁ、エーヴェルト様のリードが下手だなんて……」


 そんなこと、ありませんわ――と、ゆるりと首を振ったウルリーカに、エーヴェルトは藍色の瞳をチラリと向けた。


「ラルス=シェルストムと俺と、どちらが良かった?」

「……は?」


 なんて子供じみた質問をするのだろうか――と、ウルリーカは目を瞠りエーヴェルトを見た。自然と口もとが緩まり、くすくすと笑い声が漏れる。


「どうして笑う?」

「だって……だってエーヴェルト様ってば……そんな……」


 くすくす……くすくす……ウルリーカの笑い声は止まらない。そんな彼女に、エーヴェルトは最初こそムッとしたものの、すぐに諦めたのか……それとも自分の問いを恥ずかく思ったのか……わしゃわしゃと髪を乱雑に掻き毟り、笑っているウルリーカの傍までくると、彼女の腕を掴み立ち上がらせて、笑う事を止めないその唇に素早く己が唇を重ねた。

 その途端、ウルリーカの笑い声が止まる。

 彼女は静かに睫毛を下ろし、エーヴェルトの腕にそっと手を添えた。


 ゆるりとエーヴェルトの唇が離れると、ウルリーカの睫毛がそろりと上がり、彼の右手が彼女の頬に触れた。その手にやんわりと手を重ね、ウルリーカはホウッと息をつく。


「わたくしは……どちらが上手いとか、下手だとか……そんな事は考えもしませんでしたわ。ですが宰相殿が、貴方のリードが下手だと思われたのでしたら、それはわたくしの所為です。ダンスは嫌いではありませんが、わたくし、得意ではありませんので……」


 ハッキリ言って下手なのです――と、恥ずかしそうに呟いたウルリーカに、エーヴェルトは顔を顰めた。


「そんな事はない。俺はお前が下手だとは思わなかったぞ」

「……本当ですか?」

「ああ。本当だ」

「それなら良かった。でも……」


 言いかけて、ウルリーカは口を噤んでしまった。


「何だ? 言いたい事があるのなら、飲み込まずにちゃんと言え」

「……わたくし、もっと貴方と踊りたかったんです」

「……」


 ラルスと踊る事ができたのは嬉しい。けれどウルリーカは、エーヴェルトともう少し踊っていたかった。


「せめてあともう一曲くらい、踊ってくださっても良かったのではありませんか?」

「……苦手だと言っただろう」

「そんなの、わたくしは聞いておりません。初耳です」

「今言った」

「……そうですか。解りました。ですがそれでも、やはりあと一曲……」

「苦手だ。何度も言わせるな」

「……申し訳ありません」


 しゅんと項垂れるウルリーカの頭上から、フンと鼻息が聞こえた。左腕を掴まれ、強い力で引っ張られる。


「エ、エーヴェルト様!?」


 ぐいぐいと腕を引かれ、ウルリーカは庭へと出た。まだ舞踏会は続いており、耳を澄ませば美しい楽の音が聞こえる。エーヴェルトは右手を彼女の腰へとやると、左手はウルリーカの右手を掬うように持ち上げ、そしてウルリーカを押すようにして左足を前へ出した。


 月明かりの下、星々が見守る中、二人は緩やかな曲に身を任す。


 言葉はない。


 見つめ合い、微かに聞こえる楽の音に耳を傾けながら、ウルリーカとエーヴェルトは踊った。


 そんな二人の姿を、湯殿の準備が整った事を知らせに来たデジレが、部屋のカーテンに身を隠すようにして見ていた。その口もとは緩やかに笑んでいて、黒真珠のような瞳は喜びで輝いている。

 だが、見ていたのは、彼女だけではなかった。ユーアンとの面会から戻ってきたエンマもまた、庭で踊る二人を見ていた。お仕着せの侍女服のスカートを握り、眉宇に幾筋も皺を作って………。


「あ、エンマさん」


 部屋の入り口に立ち尽くすエンマに気が付いたデジレが、声を弾ませ小さな声で彼女の名を呼んだ。エンマは険しい表情のままデジレの傍まで行くと、もう一度庭の二人へ視線を向ける。横でデジレが嬉しそうに「お似合いですよね」と呟いた。


「早くお二人の赤様を見たいです。陛下に似ても、王妃様に似ても、きっと可愛いんだろうなぁ……。エンマさんも、そう思うでしょう?」

「……そう、ね」


 妄想を膨らませるデジレを一瞥し、エンマは唇を噛み締めた。


 ズキズキと胸が痛む。子供など、絶対に生まれないと解っているからだ。

 いくら切望しようと、子供など、あの二人の間にはできない。

 その片棒を、自分は担いでいる。

 だからこんなにも、胸が痛むのだ。


「エ、エンマさん!?」


 はらはらと流れ落ちる涙を拭いもせず、エンマは嬉しそうに踊るウルリーカを黙って見ていた。





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