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アオイソラ  作者: 朔良こお
第二幕/触れ合う心
24/59

11

 曲に合わせ踊る二人は、無言で見つめ合う。

 言葉を交わそうにも……周囲には人が大勢いるため、怪しまれないよう言葉を選んで話さなければならない。

 先に口を開いたのはラルスだった。


「ウルリーカ様、こちらでの生活は如何ですか? もう慣れましたか? 熱など、だしていませんか?」


 労わるような声音に、ウルリーカは「やはりラルス様はお優しい……」と心の中で思い、じわりと目頭が熱くなったので、慌ててそれを隠すように双眸を伏せ少し俯いた。


「大丈夫です、ラルス殿。ここでの生活にも、もう随分と慣れました。皆、良くしてくれます」

「……左様でございますか」


 ならばようございました――と、ラルスはやんわりと微笑む。だがその目が、本当は笑っていないという事を、誰が気付いていただろうか。


「陛下との仲も睦まじく、安堵いたしました」

「……」


 握られた右手に力がこもるのを感じ、ウルリーカはパッと顔を上げラルスを見た。彼の顔を見た瞬間、ウルリーカの唇が小さく戦慄く。自分を見下ろすラルスの瞳が、今にも泣きそうだったからだ。

 けれど何故、ラルスがこんな顔をするのか……ウルリーカには解らなかった。ただ自分の所為で、彼がこんな顔をしている事だけは解った。


「ラルス様……」


 おもわずそう呟いてしまった。その瞬間、痛いくらい強く右手を握られた。


「ウルリーカ様」


 低く、感情を抑えるようにそう呼ばれ、ウルリーカはハッと我に返る。そして自分がガルネリオ皇女であり、ファラフ国王妃である事を思い出した。


「ラルス殿、こちらでの滞在予定は、どれくらいになりそうですか?」

「はい。おそらくではありますが、一月(ひとつき)もないかと……」

一月(ひとつき)もない……」

「はい。今回は大使館を建てるために土地を購入し、建物の設計なのどをどうするか決めるだけでして、それらが終われば私は一度ガルネリオに戻ります。経過報告をしなくてはいけませんので。次にこちらに来る時は、おそらく大使館ができてからかと……。その時は、大使補佐官として参ります」

「そうですか……」


 一月(ひとつき)あるかないか……たったそれだけの滞在で、ラルスはガルネリオに戻ってしまう。次に彼がここに来るのは、どれくらい先になるのか……ウルリーカの胸がツキンと痛んだ。雪が降る前か、それとも………。


「もう少し、こちらに居てくださるのかと思っていましたが……」

「ウルリーカ様」


 彼がファラフ(こちらに)滞在中、何回会う事ができるだろうかと考える。後宮に住むウルリーカが、私用で外に出るにはエーヴェルトの許可が必要だ。正当な理由がなければ、きっと出してはもらえないだろう。そうなると、ガルネリオ大使の補佐官として赴任してくるまで、ラルスとはもう会えないかもしれない。


「あの、ラルス殿……わたくし……」

「ウルリーカ様?」


 思いつめた様子の彼女に、ラルスの眉根が寄る。


「わたくし……わたくしは……」


 己が胸の奥底にあるそれ(・・)が無くならない限り、いつまで経っても自分はウルリーカに成りきれない。ウルリーカ(ほんもの)に成るためには……ユリアである自分を完全に消すためには……ラルスにそれ(・・)を伝えなくてはいけないと、彼がこちらに来る事が判ったあの日から思っていた。

 けれども今それを、ここで言うわけにはいかない。

 多くの者達が自分達の様子を窺い……多くの者達が自分達の会話に耳を傍立てているのだから………。


「ウルリーカ様?」


 怪訝そうに自分を見るラルスに、ウルリーカは唇を噛み締めゆるりと首を振った。


「なんでもありません。あぁ、曲が終りましたね」

「……」


 すっと体を離し、ウルリーカは軽く膝を折る。ラルスも胸に右手を当て、小さく頭を垂れた。




◆◆◆◆◆◆




 踊る人々の輪の中で、ウルリーカとラルスがいるのを、エーヴェルトは常に視界の隅に捉えていた。二人は何か話しているらしく、唇が小さく動いている。もし彼に読唇術ができれば、何を話しているのか判るかもしれない。だが、それができたとしても、この距離ではとうてい無理な話だ。


「へぇ~上手いね、彼」

「……」


 感心したようなその声に、エーヴェルトは僅かに眉を跳ね上げた。


「エーヴェとは大違いだ」


 くつくつと愉快げに喉を鳴らし、イクセルは足を組んで玉座に座っている無表情なイトコへ、意地悪な視線を彼の斜め後ろから向けた。


「どうせ俺は下手だよ」

「別にきみが下手だなんて、一言も言ってないだろう? エーヴェ」

「言葉にせずとも、その顔が言っている。イクセル、その薄ら笑いを止めろ。不快だ」


 イスの横へと立ったイクセルを、エーヴェルトはチラリと見ると、フンと鼻を鳴らして面白くなさそうに顔を歪めた。


「う、薄ら笑いって……酷いなぁエーヴェ」


 これが私の地顔だよ――と、イクセルは肩を竦めた。


「そうそう、例のアレなんだけど……」


 スッと腰を落とし、イクセルはエーヴェルトの耳もとに顔を寄せる。腰同様、声の音量も彼は落とした。


「やはりきみの睨んだとおりだったよ、エーヴェルト。アレにはセダリ草の“葉”ではなく“根”が使われていた。特殊な液に、反応したそうだ」

「……」


 セダリ草の葉と根では、同じ植物でもその作用が違う。葉は煎じれば便の通じをよくする作用のある薬となるが、その根には強い毒素があり、子を堕胎するために使われている。


「前もって飲んでおけば、子ができたとしても、そうと解らないうちに流れてしまうからね」

「アレはガルネリオの薬師が作ったと言っていた。体の疲れを取るための丸薬だと……」

「小賢しいなぁ。これって、ニクラスの指示だと思うかい?」

「さあな」

「ガルネリオの帝位継承第一位は彼女だが、嫁いだ今、ニクラスの異母弟にそれは移った。けれど彼女に子供が生まれれば、もちろんその子へとそれが移る。そしてその子が皇帝となれば……ガルネリオはファラフの支配下になったも同じだ。だからどうしても阻止したいのだろうけれど……解せないな」

「イクセル?」

「ニクラスはウルリーカ(むすめ)を溺愛していたはずだ。セダリの根が含んだものを長く常用していれば、彼女の体がどうなるか……知らないのだろうか?」

「……」


 肘掛の先を強く握ったエーヴェルトの目に、曲が終りこちらへと戻ってくるウルリーカの姿が見えた。彼は双眸を細めると、彼女の方を見たまま「別の物と替えてあるだろうな」と、小声でイクセルに確認をする。その答えはもちろん「是」だ。


「すり替えておいたよ。色と形の似ている、体に害のない胃腸薬にね」


 味もほとんど同じだと笑ったイクセルに、エーヴェルトはそろりと睫毛を下ろすと、小さく安堵の息を吐いた。それを見て、イクセルの瞳が楽しげに細まり、エーヴェルトの視線の先へと顔を向ける。だが、ふとその顔が曇った。艶やかで美しい髪を結い上げ、王妃の証しである冠を載せたウルリーカは、化粧をしているというのに顔色がとても悪かったからだ。どうやらエーヴェルトもそれに気が付いたらしく、僅かに身を前へと乗り出した。


 さらさらと衣擦れの音をさせ、ウルリーカが俯きい加減で玉座の階段を上がる。そして顔を上げ、エーヴェルトを見ると、困ったように首を少し傾けた。


「疲れたか?」

「……はい。あの、退席してもよろしいでしょうか?」

「ああ。構わない。スタファン」

「はっ!」


 傍に控えていたスタファンは素早く前へ出ると、スッと右手をウルリーカへと差し出した。


「後宮までお送りいたします」

「ありがとうございます」


 その手に左手を乗せると、ウルリーカはエーヴェルトに小さく頭を下げ、そのまま大広間を退出していった。その後ろ姿を黙って見送りながら、エーヴェルトは自分と同じように彼女を見ているイクセルに問う。


「テルエスの件、どうなっている?」

「嫌だなエーヴェ。きみ、私を誰だと思っているんだい」

「……愚問だったな。すまないイクセル」

「解ればよろしい」


 にやりと口端を上げ、イクセルはエーヴェルトの肩に手を置くと、軽く二度彼の肩を叩いた。






 長い廊下をスタファンにエスコートされながら、ウルリーカは後宮へと向かっていた。上部が半円になっている窓の向こうには、美しい星空が広がり、白く淡い光を纏った月が浮んでいる。彼女は足を止めると、暫しその美しい光景に心奪われた。


「今宵も美しい月ですね」

「そうですね。ですが妃殿下の美しさに比べれば、月などまだまだです」

「まぁ……。スタファン殿ったら、そうやっていつも女性を口説いていらっしゃるのですね。流石は宰相殿の幼馴染みです。宰相殿同様、お口が上手(うま)くていらっしゃる」


 くすりと笑ったウルリーカに、スタファンは慌てて頭を振った。


「ち、違います!!」

「スタファン殿?」

「口先だけの薄情野郎なんかと、私を一緒にしないでください」

「?」


 何をそんなに全力で否定する必要があるのだろうかと、ウルリーカは理解できず首を小さく傾けた。自分に向けられた視線が、酷く訝しげなものだと気がついたスタファンは、慌ててこほりと咳払いをした。


「陛下だって、妃殿下を美しいと思っておいでです」

「……そうでしょうか?」

「そうです。感情をあまり表に出しませんから、判らないかもしれませんが……」


 そこまで言って、スタファンは視線を床へと落とした。


「スタファン殿?」

「昔は……ああではなかったんです。陛下は……エーヴェルト殿下(・・)は……」


 グッと唇を噛み、スタファンは「行きましょう」とウルリーカを促し再び歩き出す。


「私の父は前王の側近で、その関係で私はエーヴェルト様の侍童をしていました。イクセルとは母親同士が友人で、奴とは赤ん坊の頃からの付き合いなのです。イクセルの母親がエーヴェルト様の母君の姉だという事を、妃殿下もご存知ですよね?」

「ええ」

「子供の頃から優秀だったイクセルは、エーヴェルト様の勉強相手にと、王宮に上がっていまして……そこへ私が加わったんです。私は侍童というよりも、学友に近い扱いを受けていました。ですから勉強も剣術も、一緒に授業を受けていたのです」


 歴史の勉強が一番退屈だったと、スタファンは歴史学の教師の顔を思い出し、心底嫌そうな顔をした。


「悪戯も沢山しました。その度、エーヴェルト様の乳母にうんと叱られて……シュガルトの王宮の庭に、とても大きくて太い木があるのですが、三人並んでよくそこに吊るされましたよ」

「は?……木に、吊るされた?」


 ウルリーカの瞳は大きく見開き、信じられないといった風にスタファンを見る。少し恥ずかしそうに笑うと、本当なんですと彼女の考えを否定した。騎士階級出身のあの乳母は、シュガルトの宮廷内で最強の女性なのです――と。


「エーヴェルト様があんな風に、感情を見せなくなったのは……立太子式をした直後からでした」


 そこで口を噤み、スタファンは足を止めると、左手の指先を顎へと当てた。


「スタファン殿?」


 黙ってしまったスタファンに、ウルリーカは不安げに眉根を寄せる。王太子となったエーヴェルトに、何があったというのだろうか?


「ウルリーカ様」

「はい」


 ゆっくりと視線をウルリーカへと移したスタファンは、真剣な面持ちで彼女を見つめた。


「エーヴェルト様を……貴女はどう思っていますか?」

「どう……とは?」


 ごくり――と、小さく息を飲む。


「好きか否か――という事です」

「スタファン殿……」

「ウルリーカ様……もしや貴女はその心に、別の男を住まわせておいでか?」

「……」


 己が腕に置かれたウルリーカの指先が、ピクリと小さく跳ねた事を、有能な近衛騎士は見逃さなかった。




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