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アオイソラ  作者: 朔良こお
第二幕/触れ合う心
22/59

09

 長イスに仰向けに寝そべって、エーヴェルトは天井の幾何学模様をじっと見つめていた。脳裏に浮かぶのは、午前中に謁見室にて顔を合わせた男の顔だ。


「ラルス=シェルストム……ラルス……」


 そろりと睫毛を下し、細く長く息を吐く。


――落ちて怪我をしたらどうするのかと……もし、大きな怪我をしてその痕が残ったら、お嫁にいけなくなってしまうと……だから私、もしそうなったらラル……


 昨夜のウルリーカの言葉を思い出し、エーヴェルトは目を瞑ったまま顔を顰めた。彼女はあの時、もしかしたら“ラルス”と言おうとしたのではないだろうか?……そんな考えが浮かぶ。


 高官の息子が皇女と面識があったとしても、それはけしておかしな事ではない。

 ましてやシェルストム家は、古くからある名門貴族だ。充分ありえる事だ。

 彼自身の能力は判らないが、恐らく低くはないのだろう。だからこそ、大使の補佐官に選ばれたのだ。

 このまま帝国にいたのならば、間違いなく数年後には政治(まつりごと)の中心にいただろう。

 ガルネリオを纏め、良き方へと導く立場となっていたはずだ。

 そんな将来有望な男が、皇女の夫候補であったとしても不思議ではない。本人は気づいていないようだったが、随分と熱心に……切なげとも思える瞳で、ウルリーカはラルスを見ていた。何事も無ければ、今頃夫婦となっていたのかもしれない………。


「あの男に……ラルス=シェルストムに、お前は恋をしていたのか?」


 柔らかな物腰と、優しげな風貌である。あれでは心奪われない方は変だ。

 それは皇女(ウルリーカ)とて例外ではないだろう。

 女は優しい男が好きだ。ましてや顔容(かんばせ)が美しければ尚更だ。


 エーヴェルトは勢いをつけて起き上がると、わしゃわしゃと黒髪を掻いた。これではまるで、ラルスに嫉妬しているようではないか――と。


「馬鹿な、そんな事はありえん。あれは……あの女は……ガルネリオがガルネリオであり続けるためだけの存在。(ファラフ)に差し出された、(ガルネリオ)からの生け贄だ」


 ぶるりと頭を振り長イスから立ち上がると、テーブルの上に置いてあった剣を持って部屋を出る。正体不明のこの苛立ちを解消させるために、誰かに剣の相手をしてもらおうと、彼は兵士達がいるであろう鍛錬場へと急いだ。

 もちろん事前に連絡してあるわけではない。

 故に、予告無しでの王の登場に、その場に居た兵士達は驚いた。が、それを顔や態度に表す事はなかった。こんな事で動揺を見せたならば、鍛練時間の延長は確実だからだ。

 彼等の上官である右軍兵団副団長イェンス=ハーンは、そういう男である。

 国を守っているのは自分達だという自負があり、そのため体を鍛えるのは当然という考えの持ち主で、故に鍛練や訓練が大好きな厄介な男だった。


「陛下、いかがなされましたか」

「最近怠け気味だったからな、手合わせを頼む」

「はい。では……」


 鍛練場(ここ)に居るのは“兵士”であって“騎士”ではない。ファラフにおいて騎士になれるのは、貴族や潤沢な資金のある商人の子弟のみで、それ以外はいくら技術が優れようとも無理であった。彼等が騎士になるには、直接王から任命されるしかない。


「カッセル。マクル=カッセル」


 遠巻きにこちらを見ている兵士達に向かってそう叫ぶと、栗色の髪をした白皙の青年が同僚達の合間をぬって前へと出てきた。彼を見て、エーヴェルトは「おや?」と軽く眉根を寄せる。あまりにも、兵士らしくないからだ。どちらかといえば、マルクのような男は、見目の麗しい者を集めた侍従に多くいるだろう。


「カッセル、陛下のお相手を務めよ」

「私がですか?」

「ああ。本気でやれ。でないと()られるぞ。陛下の師は海軍提督レオナルド=ヘレニウスだからな」


 くつくつと楽しげに喉を鳴らず上官に、青年兵士は若干青褪めたようだが、それでもすぐに表情を引き締めた。後の事を副官に任せると、イェンスは二人と一緒に鍛練場の隅へと移動する。もちろん万が一の時のためだ。


 マルクを選んだのは、イェンスなりに考えがあっての事だった。優しげな雰囲気と容貌をしている彼の実家は、織物を扱う商家であった。父親が事業に失敗したのはマルクが十一歳の時で、商業地区の一等地にあった店は人手に渡ってしまった。両親と弟妹がいるが、今は母親の田舎で農業をしている。生活の質は落ちたものの、商売をしていた頃よりも家族が纏まっている感じがして、酔うと必ず「今の方が幸せだ」と言うマルクである。


 父の後を継ぐはずだったので、マルクは厳しく育てられた。行儀作法も貴族並みにできているし、他国の言葉を三つほど話せたりする。それ故、ただの兵士にしておくのはもったいと、イェンスは前々から思っていた。

 王付きは空きが出ない限り無理だが、王妃の近衛か侍従騎士はまだ決まっていない。マルクのような見目良い男は、華やかな道を進んだ方が良い――とイェンスは思っているのだ。


 もちろんこれは、彼個人の考えであって、マルクがどう思っているかは知らない。

 否、この際マルクの意見など関係ないのだ。イェンスがそうであってもらいたいのだ。


 どうしてイェンスがそんな風に思っているか?――理由は至極簡単である。

 戦場の悪魔と評されているイェンス=ハーンは、厳つい外見とは裏腹に、綺麗で可愛いモノが大好きな男なのだ。可憐な王妃の傍に、影のように寄りそう麗しい侍従もしくは侍従騎士……想像しただけで鼻血を噴き、身悶えてしまいそうになる。変態と、呼びたければ呼べばいい。勇気があるならば。

 彼の性癖(それ)を知るのは、兵団の中には誰もいない。唯一それを知る人物は現在海の上で、嬉々として海兵達をしごきまくっている最中である。


「マルク=カッセルと言ったか」

「はい」

「手を抜くな。イェンスが言ったとおり、本気でかかってこい。俺が怪我をしても、お前の罪ではない。心配するな。解ったか」

「はっ!!」


 背筋を正し、軽く頭を下げたマルクに、エーヴェルトはにんまりと口端を上げる。イェンスが右手を上げ、スッと素早く下ろしたと同時に、二本の剣が激しくぶつかり金属音を響かせた。




◆◆◆◆◆◆




 体を締め付けない簡素なドレスに着替えて、長イスで寛ぐウルリーカの前には、ソニエル=ブラインから贈られた香油の入った壷がある。それは帝都に住む貴族令嬢の間で流行っているものらしく、男を刺激するような香りから、柔らかな香りまで何種類かあり、令嬢達は目的(・・)に合わせてそれを使い分けているとの事だった。

 彼がウルリーカにと選んだのは花の香りで、控え目だが凛とした気品の感じられる物で、香油を入れている壷も凝っており、繊細な細工が表面に施されていた。おそらく(これ)だけでも、かなり高額なのではないだろうか。改めてお礼を言い、こちらからも何か贈った方が良いのではないか?――そう考えていると、デジレの嬉しそうな声がした。


「ブライン様は、王妃様の事を解ってらっしゃるのですね」


 一瞬、固まってしまったウルリーカだったが、すぐさま彼女の間違いを訂正する。


「無難な香りを選んだだけよデジレ。ソニエル殿とは、今日が初対面ですもの」


 くすりと笑って、ウルリーカは香油壷を手に取った。蓋を開け鼻に近づける。ふわりと香ったそれに、懐かしい気持ちになった。胸の奥がじんわりとなり、自分を産んですぐ死んでしまった母の事を思い出した。思い出など、何一つ無いというのに。


「何の花なのかしら?」


 今度訊いてみましょう――と、ウルリーカは呟いて、もう一度香りを嗅いでから、そろりと蓋を閉めてテーブルの上に壷を置いた。


「あぁ、そうだわ。明日の舞踏会に着るドレスを、まだ決めていなかったわね」

「はい」


 とはいえ、既にドレスを絞り込み、何着か選んであるので、後はその中からウルリーカに選んでもらうだけだった。

 エンマが他の侍女達に、こちらにドレスを持ってくるよう指示を出すと、ほどなくしてドレスが五着運ばれてきた。色の濃い物は一着もなく、皆、淡い色合いの物ばかりだった。その中から青系のドレスを選ぶと、今度はそれに合う宝飾品を決める。エーヴェルとの瞳の色に近い宝石を使っているのが望ましい。だが、あるのは明るい色合いの物ばかりで、その中でも比較的濃い青色をした、大粒の宝石を使った真珠が幾つも連なるネックレスに落ち着いた。頭に乗せる宝冠には、色のある宝石を使用していないので、それほど派手には見えないだろう。


「靴はいかがなさいますか?」

「そうね。見えるものではないけれど、古い物を履くわけにはいかないし……これでいいわ」


 新しい靴もあったのだが、それではすぐに足を痛めてしまう。なので最近履き始めた柔らかな生地の、金糸や銀糸で細かな刺繍が施された靴を選んだ。


 ドレスや宝飾品等を片付けさせ、明日使うものは室内の隅へと移動させる。再び室内は三人だけとなり、すっかり冷めてしまったお茶を飲み干したところで、ウルリーカはある事を思い出した。


「そういえば……ダンスはしなくちゃいけないのかしら?」

「もちろんです。一曲目のダンスは、主催者が最初に踊り始めるのが決まりですので」

「……そう、なの?」


 デジレを見れば、こくこくと頷いている。実は今まで、そういった機会がなかったのだ。


「困ったわ……わたくし、苦手なのよ」

「……確かに、何度も足を踏まれていましたね」


 誰の――とは言わない。エンマはダンスの練習をしていた時の様子を思い出し、小さく溜息をついた。内心、自分の方がまだ踊れると、何度そう思ったことか。


「あ、じゃあ、じゃあ、練習いたしますか?」

「できるの?」


 ここは王以外の男性は立ち入り禁止だ。誰がウルリーカのダンスの練習相手をしてくれるのか……不思議に思っているとデジレは、後宮内の警備に当たっている女騎士の名をあげた。ウルリーカも何度か見た事がある彼女は、長い赤毛を首の後ろで一つに束ねている美人だ。「女性と判っていても抱かれたいって思っている女官が、後宮には沢山いるんですよ」とデジレが言ったので、ウルリーカは一瞬引いてしまったが、凛々しい騎士服姿の彼女を思い出し、確かにそうかもと思ってしまったのは……自分の内側だけに留めておく。


「それじゃあ、そうしようかしら。デジレ、お願いできる?」

「はい。確か今の時間は詰め所にいると思いますので、行ってまいります」

「無理強いはしないでちょうだいね」

「はい」


 勢い良く部屋から出て行ったデジレに、エンマは呆れたように息を吐くと、新しいお茶を淹れましょうか問う。少し考えてから、ウルリーカは「そうね」と答えた。厨房にお湯を貰いにエンマが出て行ったのと入れ違いに、女騎士を連れてきたデジレが戻ってきた。彼女はウルリーカに恭しく礼をすると、直接言葉を交わす事への許しと、体に触れる事への許しを請うた。


「わたくしの方こそ、足を踏んでしまう事を許してくださいね。本当にダンスは苦手で……」


 眉尻を下げるウルリーカに、女騎士は柔らかな笑みを浮かべる。


「そのような事を気にしていたら、ダンスは上達いたしませんよ。どうぞ踏みたいだけ踏んでくださいませ。わたくしは騎士ですので、他の女人よりも頑丈にできておりますから、王妃殿下に踏まれても痛くもありません」

「そんな事は……」


 ないわ――と、言いかけたウルリーカの手を素早く握り、座っていたイスから立たせる。


「さ、まずは基本のステップからです。デジレ、手拍子を」

「はい」


 彼女の指示に従い、デジレが手拍子を打ち始めると、ウルリーカの体がスッと引かれた。床を滑るように、女騎士は彼女をリードしていく。ふわりふわりとドレスの裾が舞い、もつれる事も踏んでしまうような事もなく、お茶の用意をして戻って来たエンマが軽く目を瞠るほど、ウルリーカはガルネリオにいた頃よりも上手に踊れていた。ダンスの練習は休憩を挟んで、陽が落ちるまで行われた。




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