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アオイソラ  作者: 朔良こお
第二幕/触れ合う心
16/59

03

「これをお飲みください」


 差し出された丸薬(がんやく)に、ウルリーカは寝台の上で小さく首をかしげた。ついさっき目が覚めたばかりである。故に、上掛けを首の下まで引き上げた状態で、まだあまり頭が回っていない。


「これ、を?」

「はい」


 特にどこか具合が悪いわけでもなく、ただ、下腹部に違和感が少し残っているくらいである。その理由を思い出し、ウルリーカの頬が一瞬で熱くなった。


 情交というものを、彼女は、今日初めてした。


 領主館に移る前も後も、エドラに頼まれれば娼館の手伝いをしていた。なので男女の行為そのものは、娼婦達から一通り教えられて知ってはいる。知識だけは豊富だ。

 だが、まさかあれほど痛いものだったとは思ってもいなかった。正直、裂けるのではないかと思うほどで、本当に……本当に……本当に痛かったのだ。


 慣れると意識を飛ばすほど気持ち良くなのよ――と、黒蝶館の娼婦達はそう言って笑っていたが、慣れるまであんな事(・・・・)をしなくてはいけないのかと思うと、背筋が凍る思いである。


 だが、自分はファラフ王の妃なのだ。

 ファラフ王の妻なのだ。

 求められれば応えなくてはならない。


 叶うのであるならば、できる限りここへ渡ってきてほしくないウルリーカである。側妃がいれば、それも有りえるだろうが、現在エーヴェルトには、正妻であるウルリーカしかいないので無理な話だ。


「エンマ、これは何の薬なの?」

体の痛みやだるさ(・・・・・・・・)を取る薬です。ガルネリオの薬師が、|ウルリーカ様のためだけに《・・・・・・・・・・・・》調合した物でございます」

「そう、なの?」

「はい」


 彼女の掌に二粒あるそれを摘まむと、ウルリーカは一瞬躊躇ったものの口に含んだ。渡されたグラスの水で、彼女はそれを飲み下す。そんなウルリーカの様子を、エンマは食い入るように見ていた。喉が上下し、ウルリーカが飲み込んだのを確認すると、エンマはいつものように淡々とした声でそれを告げる。


「今の丸薬ですが、もしかしたら少々お腹の調子が悪くなるかもしれません。ですがそれは、丸薬に含まれるセダリ草(・・・・)の所為ですので、どうかご安心ください」

「これにセダリ草が含まれているの? そう、セダリ草が……なら仕方がないわね。解りました」


 セダリ草とは、便秘気味の女性が煎じて飲む薬草で、黒蝶館の女将エドラの必需品である。だからウルリーカも、その名前と薬効は知っていた。とはいえ、セダリ草の薬草茶を飲んだことはないが………。


「今夜、寝る前にもう一度これを一粒お飲みください」

「もう一粒? そう、解ったわ」


 頷いたウルリーカに、エンマは丸薬の入った小瓶を渡した。彼女はそれを鏡台の引き出しにしまうと、入浴の仕度ができたら呼びにくるようにエンマに言って、彼女を寝所から出ていかせた。扉が閉まると、寝台から下り、衣装箱の中に置かれてた夜着を身に纏う。胸もとのリボンをきちりと結ぶと、ウルリーカは振り返り大きな寝台を見た。


 波打ち、皺の寄った敷布の一部に、赤い色が見える。


「……破瓜の血」


 それは彼女が、無垢な体であった証だ。

 ガルネリオの王侯貴族の場合、初夜を終えると、花嫁が「穢れなき無垢な体」であった証拠として、破瓜の血がついた敷布を神殿に持って行くのだが、ファラフではそんな事はしない。二人がしたかしないか(・・・・・・・)は、本人達と侍女が知るくらいで、侍女から女官長へと報告されてお終いだ。


「これ、交換するのよねぇ……」


 今朝、侍女が敷布の交換をしてくれたばかりだが、きっと風呂に入っている間にまたされるのだろう……侍女らにこれ(・・)を見られるのかと思うと、ウルリーカの頬は羞恥で赤く染まる。


「エーヴェルト様……」


―― 一時的ではあるが、これで当分の間、テルエスを側室にと言い出す愚か者はいないだろう


 エーヴェルトのあの呟きは、聞き間違えではないだろう。彼はそのためだけに(・・・・・・・)自分を抱いたのだ。そのためだけに………。


「だからあんなにも……」


 その先はとても声に出して言える事ではなく……ウルリーカは口を閉ざす。他の男性がどうなのか、もちろん彼女は知らない。もしかしたら、あれが普通なのかもしれないわね――と、小さく溜息をついた。


「ホント……来なくていいわよ、もう」


 だが、もしそうなったら、またグンネル達に嫌味を言われるのは必定で……それはそれで頭の痛い事だ。


 ウルリーカは壁際にある猫足の長イスへと移動すると、深くそこに腰をかける。傍にあったクッションを引き寄せ、ぎゅっとそれを抱き締めた。ガルネリオへの体面上、自分が懐妊しなければエーヴェルトは側室を迎えることはないだろう。自分の考えが正しければ、おそらくテルエスという名の女性は、エーヴェルトの側室候補として一番に名前が挙がっているのだ。だが、エーヴェルトのあの口ぶりからでは、それを彼が望んでいるのかどうか……安易には判断できない。


「懐妊……」


 子供を生む――それはウルリーカにとって未知の世界だ。黒蝶館の娼婦達は、妊娠しないよう注意をしていたし、それなりに対策もとっていた。

 だが、それは万全ではない。自分自身がその良い例であり、領主館に移った後も黒蝶館では毎年何人か子供が生まれていた。

 皆、父親が特定できないので乳児院へ預けられたり、エドラが良い養い親を探してきてくれたり、生れ落ちた後の行き先は様々であった。


「エドラおばさん……元気かな?」


 ぽつりと零れ出た声に、慌てて口を塞ぎ周囲を見回す。もちろんここには自分一人しかいないので、聞かれている心配はないのだが………。


「気を緩めてはダメよ……」


 注意に注意を重ねなければいけない。嘘が嘘でなくなるくらい……自分がウルリーカの身代わりなのかそうでないのか、それが自分自身でも判らなくなるくらい……演技し続けなくてはいけない。


「わたくしはウルリーカ……ガルネリオ皇帝皇女ウルリーカ。わたくしはファラフ国王エーヴェルトの妃……わたくしは……」


 何度も何度も……今、自分が誰であるのか(・・・・・・・・・)を言い聞かせる。デジレが呼びにくるまで、ウルリーカはそれを繰り返した。




◆◆◆◆◆◆




 グンネルは侍女に爪を磨かせながらその報告を聞き、忌々しげに舌打ちをした。


「我が息子ながら、なんとまぁ可愛げのないことをするわね。もしも子ができたら、どうするつもりなのかしら?」

「あらぁお母様、別にいいじゃないの子供くらい」

「何を言うの、マルグレット! もしそれが男だったらどうなるか……お前はちっとも解ってないのね」

「あら? 解ってないのはお母様の方よ。だって、男だろうと女だろうと、生んでもちゃんと育つか(・・・・・・・)どうか……そんなの誰にも判らないじゃないの。だったらウルリーカ(あのオンナ)が、お兄様の子供を産んだって、別に問題はない(・・・・・・・)じゃないの」


 くすり――と笑って、マルグレットは砂糖菓子を一粒口中へ放り込んだ。


 病で死亡する子供の数は多い。それはファラフだけでなく、どの国でもそうだ。それ故、これから生まれてくるであろうエーヴェルトの子供とて例外ではない。だが、マルグレットが言ったのは、“病”以外の意味も含んでおり……グンネルは彼女の言葉の意図を悟り、赤唇を楽しげに吊り上げた。


「それもそうだわねぇ……。ふふ、わたくしとしたら、すっかり忘れていたわ。腐っても大国の皇女だもの、あの女が懐妊しないうちに側室を上げたら、何かと面倒な事になるかもしれないし……」

「そうでしょうお母様。だからさっさと懐妊すればいいのよ。そうすればテルエスを後宮に迎え、側室にする事を反対する者なんていなくなるわ」


 もう一粒砂糖菓子を食べると、マルグレットはがりがりと音をたてて噛み砕いた。




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