02
11/11 文章を付け加えました。詳しくは活動報告にて・・・。
「やはり帝国育ちの方には、ファラフの料理は口に合わないようね」
ツンとしたその声に、ウルリーカは「そんなことはありません」と首を振った。
「一度にあまり食べられないのです……申し訳ありません」
「あら? それじゃあまるで、わたくし達が大食いだとでも? 失礼しちゃうわ」
「いえ、そうではなくて……」
フンと鼻を鳴らし、ナフキンで口もとを押さえるようにして拭う王妹マルグレットに、ウルリーカは困ったように眉根を寄せた。元々、あまり多く食べる方ではないのだ。ウルリーカの身代わりとなってからは、それがますます酷くなっていたのだが、ファラフに来てからそれがさらに酷くなった。
料理の味付けが、ガルネリオとファラフでは大きく違っており、ガルネリオは薄めだがファラフのそれは濃い味ばかりで……舌がそれを容易には受け入れてくれないのだ。早く慣れなくては――と思うものの、早々には無理である。
「だからではなくて?」
冷淡な声音でグンネルはそう言うと、果実酒を数口飲んで喉を潤した。
「お義母様、それはどういう……」
「だからエーヴェルトは、そなたの許へ来ないのではなくて? わたくしが知らないとでも思っていたのあ?」
ぴくり――と、ウルリーカの片頬が引き攣った。どうしてそれを、彼女が知っているのか……考えるほどのことではない。後宮はグンネルの支配下にあるのだから、それを知らないはずなどないのだ。
「骨ばっただけの貧相な体は、さぞや抱き心地が悪いでしょうし、胸もねぇ……あるのかないのか。それじゃあ気持ちもあちらも、萎えてしまうというものだわ」
くすりと笑ってグンネルは、バカにしたような目でウルリーカを見る。
「あら、嫌だわお母様ったら。嫁入り前の娘の前で、そんなこと仰って……」
「ふふ。ごめんなさいねマルグリット。でも、本当のことよ。あなたも覚えておきなさい。男はね、豊満な胸の女を好むものなの」
ファラフでは、女性は多少ふっくらとしている方が魅力的であるらしく、グンネルもマルグレットも太ってはいないがウルリーカほど痩せてもなく、なによりも胸が豊かであった。今にもドレスの胸元から、ポロリと零れ落ちそうである。
膝の上でグッと手を握り締め、ウルリーカは心の中で己を叱咤した。これくらいのことでいちいち傷ついていたら、これから先ファラフではやっていけない――と。
ウルリーカが口を開きかけたところへ、酷く慌てた侍女の声が聞こえてきた。どうやら誰かを止めているようで……グンネルとマルグレットも何事かと顔を見合わせると、勢いよく扉が開かれた。するとそこには、結婚式の日以来顔を合わせていない“夫”の姿があり、ウルリーカはおもわず目を瞠った。
「まあまあまあ、エーヴェルトではないの! どうしたのです? 先触れもなくやって来るなんて」
「どうしたもこうしたもありませんよ母上。ようやく山積していた問題が片付き、時間ができたので、拗ねているであろう我が妻のご機嫌伺いをしようと後宮に行ってみれば……母上に昼食に招待されたというじゃありませんか? いくら母上でも、私の許可なくそのようなことをしてもらっては困りますね」
「へ、陛下……あの……」
母と息子の間に流れる、あまり良いとは言えない空気に、ウルリーカは慌てて割って入ろうとした。だが、エーヴェルトの鋭い視線に睨まれて、ぶるりと身を震わせる。
「戻るぞ、ウルリーカ」
「あ、あの……」
どうしたら良いのか判らず、おろおろするウルリーカにエーヴェルトは短く舌打ちし、彼女の腕を掴むと強く引っ張り、イスから強引に立ち上がらせた。よろけた彼女の腰を素早く支え、エーヴェルトは母と妹を一瞥し、「今後、このような勝手をしないように」と言って、ウルリーカの背中を押すように部屋から出ていった。
エーヴェルトの歩く速度は速く、引きずられるようにしてウルリーカは王妃の間へと向かっていた。ドレスの裾が脚に絡み、何度も転びそうになる。
「あの、陛下……もう少しゆっくり……」
歩いてほしい――という願いは、彼女の口から出ることはなかった。それを遮るように、エーヴェルトが口を開いたからだ。
「エーヴェルトだ」
「……」
「名を呼ぶことを許したのを、お前はもう忘れたのか?」
「は、はい。申し訳ありませんエーヴェルト様」
フンと鼻を鳴らし、エーヴェルトは歩く速度を緩めてくれた。ホッとし、ウルリーカの顔に安堵の笑みが浮ぶ。
部屋に戻ると、エーヴェルトが一緒にいることに、ウルリーカ付きの侍女達は驚きを隠せないでいた。だがデジレは他の侍女とは違い、嬉々とした様子で、やはりあの髪飾りを挿すべきだったと、僅かに眉根を寄せているエンマに言った。
「皆、下がれ。俺が出てくるまで、誰も中へは入るな」
畏まりました――と、侍女達は一礼し、足早に部屋から出ていく。最後の一人が、深く頭を垂れてから、そっと部屋の扉を閉めた。
室内には二人きり……ウルリーカはどうしたら良いのか判らず、お腹の前で重ねた手に力をこめる。そんな彼女の様子を気にすることなく、エーヴェルトはイスに座ると、緩慢な動きで脚を組んだ。そして、立ったままのウルリーカを見て、軽く顎をしゃくる。座れ――と言っているのだ。おずおずと、エーヴェルトの向かい側に腰を下ろすと、藍色の瞳が僅かに細められた。
「少し痩せたか」
「……はい」
嘘をついても意味がないので、ウルリーカは素直にそれを認めた。
「ファラフ料理は味が濃いからな……慣れるまで大変だろう。お前が望むなら、帝国から料理人を呼ぶが……どうする?」
「え?」
まさかそんなことを言ってもらえるとは……ウルリーカは何度何度も目を瞬かせた。
「よろしいのですか?」
「ああ。かまわん」
ウルリーカは首をかしげると、真意を探るようにエーヴェルトの藍色の瞳を見つめた。本音を言えば、そうしてもらいたい。エーヴェルトの申し出は、とてもありがたいものだ。
だが、そうすればまた、グンネル達の機嫌を損ねてしまうのは明白で……ウルリーカはゆるゆると左右に首を振った。
「そうか、必要ないか」
「はい。お気持ちだけ頂戴いたします。お気遣い……ありがとうございます」
「……わかった。それよりも」
エーヴェルトは立ち上がると、さっきと同じようにウルリーカの腕を掴んだ。
「二ヶ月、待たせたな」
「はい?」
何のことだか解らず、ウルリーカはおもわず眉宇に皺を作る。
「まだ昼だが、そんなことは瑣末なことだ」
「あの、エーヴェルト様……何を……?」
状況が飲み込めていないウルリーカに、エーヴェルトは淡々とした声音でそれを告げた。
「俺達は夫婦となったが、まだ済ませていないことが一つだけある」
「っ!!」
大きく見開かれた瞳の中に怯えの色を見て、エーヴェルトは軽く口端を上げると、彼女の腕を引き寝室へと続く扉へ向かった。
◆◆◆◆◆◆
薄いカーテンがひかれた窓の向こうには、茜色に染まった空が見える。エーヴェルトは枕に背を預けそれをぼんやりと見ながら、横で眠るウルリーカの白金のような淡い金糸の髪を、指に絡めては解いていた。
イクセルの言ったことを、どこか信じきれていなかったエーヴェルトであった。
だが、イトコの言ったようにウルリーカは無垢な体であり、涙を流しながらも必死に痛みに堪えエーヴェルトを受け入れた。
男に慣れた相手しか今まで抱いたことがなかったために、男を知らないウルリーカを彼女らと同じように扱ったエーヴェルトである。気を失ったように眠る彼女の、その苦悶の表情を見て、ウルリーカにひどい事をしてしまったと、エーヴェルトは溜息をついた。
【だがまぁ……一時的ではあるが、これで当分の間、テルエスを側室にと言い出す愚か者はいないだろう……】
ポツリとそう呟き彼は嘆息し、そろそろ執務室に戻らなければ――と、ウルリーカを起こさないよう寝台から静かに降りる。床に散らばった衣類を身につけ、上衣を纏い、袖の先を折り返してから、エーヴェルトは後ろを振り返った。
視線の先……一人で眠るには広過ぎる寝台に眠るウルリーカを確認する。今だ安らかとはいえない寝顔ではあるが、瞳は硬く閉ざされていて、呼吸も規則正しく穏やかだ。小さな物音でも、起きることはないだろう。
「ウルリーカ……」
その時、何故そんな行動をとったのか……エーヴェルトは剥き出しになっている彼女の肩先に軽く口づけ、そろりとその頬を撫でた。ピクッと、睫毛が揺れたような気はしたが、見間違いだろう――と、エーヴェルトは体の向きを変え、扉の方へと向かった。
執務に戻るため、彼は寝所を出ると控えの間へと続く扉を開ける。
ここを通らなければ、部屋の外――廊下には出ることができない。
そこで控えていた侍女二人は、エーヴェルトが現れるとイスからさっと立ち上がり、彼に対し恭しく頭を垂れた。それを見て、エーヴェルトは軽く顎を引く。
「王妃は疲れて眠っている。無理に起こさないように」
「はい。畏まりました陛下」
こちらの言葉ではなく共通語を使ったのは、侍女の一人がガルネリオから付いてきたエンマであったからだ。
ファラフの王宮で働く者は、ほぼ全員が大陸共通語であるガルネリオ語を話すことができる。
これができなければ、政に参加することも、侍女や侍従として王族に仕えることもできないからだ。
それは何故か?
ファラフは戦により領土を拡大してきたため、ファラフ出身者ではない者も王宮内には少なくないからだ。それ故、変な誤解を生まないよう、王宮内では共通語のみ使うよう義務づけられている。
とはいうものの、その場にファラフ人しかいなかった場合、ファラフ語で喋ってしまうことはまだまだ多い。今この場にエンマがいなければ、エーヴェルトはファラフ語でそれを言っていただろう。自分もまだまだだなと、エーヴェルトは小さく息を吐き出すと、足早に後宮を後にした。
後宮の大扉から外へ出ると、噴水のある中庭を通って本宮にある執務部屋へと戻る。
扉を開けた瞬間、机の上に山積みされた書類を見て、エーヴェルトは僅かに顔を顰めた。長イスに寝転がっている人物の姿を見て、一気に顔が渋くなる。
「ようやく帰ってきたかエーヴェ。私には解らないけれど、後宮って場所は随分と居心地が良いみたいだね?」
ニヤニヤしているイトコに、傍にあった花瓶を投げつけてやりたい衝動に駆られたエーヴェルトだったが、どうにかこうにかそれを抑えて無言でイスに座ると、一枚目の書類から目を通していった。何か言いたげなイクセルの視線を、痛いほど感じつつもそれを無視し、彼はさくさくと仕事を片づけていく。
「で、ウルリーカちゃんはどうだったのかな? 抱き心地、良かったかい?」
「……」
「彼女、泣いちゃったんじゃないの? そうだよねぇ、初めてだもんそりゃあ痛かったよ。痛くて痛くて泣いちゃうよ。ねぇエーヴェ、きみ、彼女に優しくしてあげたかい?」
「……」
「男には解らないからねぇ……最初の時、どれくらい痛いのかなんてさ。ウルリーカちゃん、エーヴェのこと嫌いになっちゃったかもなぁ」
「……口を閉じろイクセル」
「まさかと思うけど……きみ、充分準備ができていないのに、無理矢理捻じ込んだ――なんて……そんな酷いこと、間違ってもしていないだろうね?」
「黙れイクセルっ!!」
ドン――と、机を拳で叩き、エーヴェルトはぺらぺらとうるさいイトコを睨みつけた。それを見て、イクセルは嫌そうに片頬を上げる。
「したんだ……最低だなエーヴェ。言っただろ? 彼女は男を知らないって。きみさぁ、それ信じていなかったんだ」
商売女しか知らないから、こういう事になるのだ――と、イクセルは呆れたように肩を竦めた。
「今夜もう一度彼女の所に行って、花でも贈ってあげるといい」
「ハッ、何でそんなことを……」
「何でって……解らないのかい? かーっ、とことんバカだねぇきみは」
どうしょうもないバカだよ――と、イクセルは呆れたようにそう言うと、寝そべっていた長イスから勢いをつけて立ち上がる。自分の執務室戻ると言って、彼は出ていってしまった。
「何なんだ……イクセルの奴……」
眉宇に皺を寄せ、エーヴェルトは首をかしげた。彼の言った言葉の意味を考えるものの……何も浮ばない。今夜また後宮に行く気など、エーヴェルトにはこれっぽっちもない。ましてや花をウルリーカに届けるつもりも、当然彼にはない。
「小さな子供じゃあるまいし、夫婦となったら何をするかくらい、それがどんなことかくらい、そんなものは充分教わってきているだろうが……」
乱雑に前髪を掻き上げると、エーヴェルトは次の書類に手を伸ばした。