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中世~近世における西洋での結婚について

作者: 高瀬
掲載日:2026/09/13

 なんか書き殴りたくなったので中世~近世くらいの西洋における結婚の話でも一つ。といっても例によって時代や地域によって色々と変化はありますので、あくまでも一般的とされるレベルの話であり、何かの参考になれば幸いくらいの話です。


 中世~近世の西欧において基本的な結婚の成立条件は立会人(主に司祭)の前で男女揃って誓約することでした。様式としては現代の西洋風結婚式で神父の前で行う誓約と同じような感じだったようです。現代ですと役所に婚姻届けを提出する必要がありますが、当時の結婚についての管理は教会が一手に引き受けており、聖職者の立会人の前で誓約すればそれで十分という形でした。

 その他、当事者の男女のみで結婚を誓い合う秘密婚という形式もあり、近世あたりからは教会も秘密婚を有効と認めていました。しかし秘密婚は身分差や重婚を隠している場合、異端や異教徒などの様々な事情があるために行われることが多く、たいていの場合トラブルが付き物でした。ですので基本的には秘密婚は真っ当なキリスト教徒が選ぶ形式ではありませんでした。

 西欧において結婚に関してのキリスト教の影響力は非常に大きく、というか結婚にまつわる様々な決まりを西洋社会に定着させたのが教会でしたので、当事者の身分を問わず結婚に関するトラブル……結婚の成立/不成立についての判断や離婚の話など様々な訴えは教会に持ち込まれました。

 教会が定着させた制度の一例としては一夫一妻の制度もそうで、社会通念として広く定着していました。しかし同時に、どの時代、どの階級においても不義密通に関する揉め事があり、特に王侯諸侯の間では愛人がしばし公然と存在していました。ただしフランスのような例外を除いて建前としてはその立場が公に認められることはなく、愛人を囲うために浪費を伴うことも多かったため、世間に広く愛人の存在が知られた場合は非難の声が沸き起こりました。

 この結婚に関するキリスト教の影響の大きさは、社会の倫理道徳と宗教が密接な関係にあることを確認させてくれます。大抵の物語だと気にされていませんけど前近代社会において宗教が倫理道徳にもたらした影響は決して無視できるものではありません。

 余談ながら中世~近世の西欧では直接の血の繋がり(血族)が重視されましたので古代と違って養子による相続は行われませんでしたし、物語でよくあるような身分の低い人間を養子にして結婚相手と身分が釣り合うようにする、なんてことは行われていませんでした(東アジアだとあるある話なんですけど)。


 さて、結婚というのはどの身分の人間にとっても人生の一大事ではありましたが、同時にやはりその地位や身分によって形式や規模というのは大いに変わりました。なので次は庶民・富裕層~貴族・王族それぞれの事情に分けて触れてみたいと思います。


〇庶民

庶民の場合、貴族や王族と違って家のしがらみのようなものは少なかったので(一般商家レベルだと婿をとって屋号を継いでもらう、みたいな意識は乏しかったとか)ある程度自由に結婚相手を選ぶことができ、恋愛結婚をすることもできました。相手を探す方法はいくつかありましたが、都市であれ村であれ祭りや収穫祭などの季節の行事というものは男女の出会いの場として機能しました。そういった場で出会って気が合えばそのまま結婚、という事例もしばしあったようです。結婚後は基本的には妻が夫の家に入る形であり、離婚・死別後に女性が実家に戻るかどうかは状況次第でした。

 結婚(初婚)年齢としてはある程度生計の目途が立ってから結婚する場合が多く、男性が二十代前半、女性が十代後半~二十歳くらいと、貴族と比べると初婚の男女の年齢差は少なかったようです。

結婚式に関しては簡素なことが多く、教会で行う結婚式も司祭の立ち合いのもとで結婚を宣言するだけで終わり、ということもしばしありました。資料の出所はちょっと覚えていないのですが、どこかの教会関係者の話として庶民の結婚式が質素すぎて困る(喜捨が少ない)と嘆く記録も残っているようです。

 結婚式に伴う祝宴も当然質素なことが多く、こじんまりと家で身内だけで行ったり、他者を誘って祝うとしても行きつけの酒場で祝うくらいでした。

 なお、地域によっては結婚にあたって領主の許可を得る必要がある場合もありましたが、俗に言われる初夜権を含めて、これらは許可制というよりも税を課す口実だったと考えるべきで、結婚に際して税を支払う必要があった、と言うべきでしょう。ただ、実際のところはどこまで徴収できていたのかは不明なところも多いようです。

 他で愛人関係についても触れている都合、ここでも書いておくと、庶民の間でも教会の教えにより貞節の考えが広まっていましたし、そもそも愛人を囲うような余裕がない場合が大多数でした。ただ、村の裁判記録などをみると、村の有力者の家系で不貞行為やそれに伴うトラブルが起きて裁判になることもしばしあったようなので皆無というわけではなかったようです。


〇貴族~富裕層

 貴族や富裕層(ここでの富裕層は後に爵位を購入して貴族になるような大富豪層)の結婚は政略のための家同士の結びつきという面も強く、結婚する当人ではなく家長が結婚の是非を判断するのが当然でした。そして持参金や将来的な財産分与との兼ね合いで誰でも結婚が認められるわけではなく、家の存続のため長男は結婚が求められましたが、次男以下は結婚を認められず、娘たちも家に資産が無ければ修道院に入れられるなどして未婚のまま一生を終えることもよくある話でした。この一族の財産管理という面に注目すると、従兄弟婚や叔姪婚のような近親婚は血統の維持が目的と言われますが、一族の財産の散逸を防ぐためという側面を見出すこともできます。

 ただ、こうした婚姻の制限は条件に見合う結婚相手を探すために次男以下の男子や娘たちを社交界で精力的に活動させる動機にもなりました。持参金の額を気にしない玉の輿が夢見られたのは言うまでもなく、女性相続人と結婚して爵位を手に入れることは次男以下にとっては一つの夢でした。この女性相続人というのは、爵位や財産を親から相続しているものの、正式な所有者ではなく結婚相手に相続させるまでの、いわば中継ぎとでも言うべき立場とされている女性たちのことです。そういった女性相続人を狙った誘拐婚というものもありました。文字通り、女性相続人を誘拐して無理矢理既成事実を作って結婚せざるを得ないようにする、というものです。こういった強引な婚姻の有効性や離婚など、結婚に関するトラブルは最初に書いた通りすべて教会に持ち込まれて裁定を受けました。

 社交界での打算込みでの出会いからの結婚を自由恋愛による結婚と呼んで良いかどうかは大分怪しい気はしますが、結婚の認可は教会が行う都合で実家の反対を押し切って当事者間の誓約だけで結婚することも可能ではありましたので、貴族などであっても恋愛結婚は皆無ではなかった、くらいの書き方にしておきましょうか。もちろん、政略結婚で結ばれて夫婦互いに恋愛面の充実については愛人を囲い込んでご自由に、という結婚の方が大多数ではありました。また、デビュタントのような社交イベントが定着するのは近世以降のため、中世においては釣り書きなどで婚約を交わし、新郎新婦が実際に会うのは結婚式当日というのもよくある話でした。

 結婚年齢については、男性は貴族や富裕層らしい豊かな生活を維持するだけの地位や収入が求められましたので、二十代後半~三十歳と庶民よりもやや晩婚の傾向がありました。一方、女性については幼児死亡率の高さへの対策として複数回出産できるように若さと健康さが求められたため、十代前半~十代後半くらいと庶民よりも早婚になる傾向にありました。この二つの条件が合わさった結果、双方が初婚であっても新郎新婦に十歳程度の年齢差のある結婚がよく見られました(中世から近世に時代が下ると女性の結婚年齢も多少は上昇するようですがそれでも年齢差は埋まりませんでした)。物語だとよく年の近い子供同士で幼い頃から婚約の約束をしていて、みたいなのがありますが、実際のところは幼児死亡率の高さから幼い子供同士での婚約というのは例外的でした。

 余談ですが物語との違いといえば、異世界ファンタジーだと貴族が通う学校ってしばし出てきますが、そんな学校は地球上の中世~近世には一切存在しませんでした。あれって元ネタどの辺なんですかね?近世イギリス貴族や富裕層の子弟がよく通ったパブリックスクールが一番イメージに近い気もしますが、パブリックスクールって基本的に私立学校ですし学校も複数あって共学ではなく男子校なんですよね。

 貴族や富裕層の結婚式は教会で壮麗な式が行われると共に祝宴が開かれて現在の洋風結婚式の元となりました。結婚式のあれこれについてちょっとだけ触れると、聖職者の立ち会いのもとで行う以上は誓いの言葉もありましたし、古代から指輪を交換する風習もありました。中世から幸せのお裾分けとして花嫁の身に着けたものを求める習慣があり、これが転じてブーケトスになったという説もあるほか、古代からライス……ではなく小麦をまく風習もあったようです。ただ、純白のウェディングドレスについてはイギリスのヴィクトリア女王由来ということで近代以降の慣習であり、中世~近世においては様々な色や柄の花嫁衣裳が着られていました。

 前述の通り貴族家や富裕層の結婚では資産のやり取りも行われました。地域や時代によって形式が色々とあり、中世では新婦実家が持参金を用意する形が主だったようですが、近世イギリスでは双方の実家が財産を持ち寄って新婚夫婦それぞれにある程度の資産を渡していたようです。この結婚時の財産のやり取りによって妻が夫と離婚・死別しても実家に戻らずに生活を送ることが出来るようになっていました。

この持参金についてもう少し補足すると、現代と同様に、中世~近世の西洋でも結婚したからといって必ずしも夫婦の財産が全て一つの家の財産としてまとめられるわけではありませんでした。ですので例えば夫が先立った場合、夫の財産は子などへ相続されますが、妻の持参金分は妻の手元に残り続けてその生活資金となりました。また、母から娘へと代々贈られるアクセサリー、みたいなものも妻の財産であって夫の財産ではないから娘に自由に贈れる、という理屈の立て方になる次第ですね。ただ、これは全ての地域でそうだったわけではなく、結婚後した女性の私有財産権はあるところ(イギリスとか)にはありましたが、ないところ(オランダとか)には無かったようです。オランダなんかは結婚後は妻の財産も全て夫の財産になったとか。

 結婚後の住処についても色々あり、家の当主への嫁入りや爵位権保持者との結婚の場合は結婚後に相手の家に入ることになりましたが、双方の親が健在である場合は新しい家で新婚生活をはじめる場合も多々ありました。


王族

 だいぶと貴族・富裕層の項目が長くなってしまいましたが続いて王族の場合の話を。王族の結婚は封建制下でも国王が臨時的に貴族に課税する理由として認められるくらいの国家的行事でした。

 王族は王族としか結婚しないと言われることもありますが、実際のところは一部王朝の習慣を例外として有力諸侯やその子供と結婚することが多々ありました。イギリスのハノーヴァー朝とかも由縁としては前王朝の王女がハノーヴァー選帝侯家に嫁いでいた縁からの成立ですし。ただし、王族の結婚というのは貴族の結婚以上に政略的なものであり、国外から妻を迎えたり、国外に娘を嫁がせることがほとんどでした。この辺はWikipediaなんかで各国の王妃を調べてみると簡単に確認できるかなと思います。これにより国境を越えた繋がりや文化交流が起きたりしましたが、同時に継承権を口実に戦争が起きる原因にもなりました。

 花嫁が女性相続人であれば結婚や離婚の結果領地が大きく変化することもあり、ルイ7世と離婚したアリエノールがヘンリー2世が結婚することでアキテーヌ公領の支配権がフランスからイングランドへ移ったことなどが有名でしょうか。

 また、王妃が国外出身ということは、しばし物語のネタされる国の機密まで教え込むような「王妃教育」というものが結婚前に行われることはありませんでした。もちろん嫁ぎ先の言語や風習について学ぶ余裕があれば事前に教育が行われることはありましたが、それは決して特別な教育というわけではありませんでした。一応、貴族子女が淑女としての教育のために他人に預けて教育されることもありましたが、その教育を受けることが王妃になる条件ということはありませんでした。

 ついでに物語のネタといえば婚約破棄もよく題材にされますが、貴族のところで触れた通り共学の学校なんてありませんでしたので、物語みたいに当事者同士で顔を合わせて婚約破棄が行われるようなことはありませんでした。ただ、幼児死亡率が高いとはいえ前述通り王族の結婚は政略が絡む都合で幼い内から婚約が交わされることもしばしあり、結婚に至る前に国際情勢の変化で婚約が破棄される、みたいなことはありました。

 王族の間でも夫婦間に愛情があることは稀で、多くの場合愛人が存在しました。もっとも、前述通りその存在は建前上は認められておらず、中には国民に愛された逸話を持つ愛妾もいましたが、基本的には上流階級の間の黙認に留まっていたようです。近世以降に新聞・雑誌などのマスメディアが発達するとこういった話は醜聞としてゴシップ紙の格好のネタになりました。身分差を越えた王族の恋愛結婚が見られるようになるのは近代以降の話になりますが、色々と制約がついたり、そもそも王位を捨てたりだとか何かしらの代償がつきものでもありました。

 結婚年齢については前述通り政略が絡む都合でまちまちでしたが、男女共に十代のうちに結婚することも多く、ちゃんとしたデータは確認できていませんが、女性の初婚年齢は貴族と大差ないでしょうが、男性の結婚年齢の平均は一般的な貴族より低めの年齢になると思われます。

 王族の結婚についても当然教会の管轄下にあり、教会は近親婚を禁じていましたので相手によっては結婚を認められない場合があったり(逆にそれを利用して近親婚は離婚理由としても使われました)、離婚を認めなかったりもしました。離婚を認められなかった結果、カトリックを離脱して英国国教会を設立したヘンリー8世の話なんかが有名でしょうか。時代・地域によって王と教会の力関係は変わってきますが、国王であっても自由に結婚できるわけではなかったというあたりに教会の影響力の強さを見出すことができます。



 つらつらと身分の違い毎に書いてきましたが、他でも書いたように中世~近世というのはあわせると千年くらい期間があり、地域を西欧と絞ってもいくつもの国があるため無数の例外が存在しました。最初に書いた通り、代表例として認められる話、くらいに思ってもらえればと思います。

 一対多の交際が社会通念として認められていないにも関わらず上流階級では愛人が当然だったというのは理解しがたいところがありますが、愛人に求められたのは精神的な充足という面が強かったようで、自由恋愛が出来ない立場から義務としての夫婦関係以外に愛を求めたもの、とでも解すべきなのでしょうか。そういう意味では物語にしばしある「お前を愛することはない」はよくあったこと、と言えるかもしれません。この西洋の愛人関係は東アジアでよくある子供を求めての側室制度とはまた少し違ったものだと感じます。

  もともとは誘拐婚の話を知って話のネタに使えそうだなと思ったところからはじまり、解説を別に書くかと思ったらなんかだいぶと長くなってしまいました。昔の西欧の恋愛観・結婚観について本格的に知ろうとするとキリスト教哲学を調べる必要があると感じますが、そこまで調べる余裕はさすがに難しいですね。余談とかで物語でよくあるネタについて過去の歴史上では無かった、なんてことも書きましたが、だからといってお話に登場するのはおかしい、というようなことを言う気はなくて(大半の物語の舞台は異世界ですしね)、何かのネタになれば良いかなと思って触れてみた次第です。

 色々と不正確なところもあるかと思いますが、本文章が誰かの参考になれば幸いです。

実は書き殴りたくなったのって大分と前で、誘拐婚をネタにお話を書いてみて一緒に投稿しよう、と思いついてやってみようとしたらすっかり時間が経ってしまったという。

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