第十三話 青のカノン
久しぶりに、お父様の顔を見た。
眉間に走る鋭い皺、鋭い眼光。
そして、なんの感情も感じさせないかのような無表情。
私はお兄ちゃんと一緒にお父様の書斎にいた。
「いかがしますか、お父様」
「話はわかった、お前はもう休んでいていい」
「嫌です。私はカノンのそばにいます」
お父様は表情を崩さず、お兄ちゃんはいつになく真剣な表情で、
会話を交わしていた。
「お前がいてはカノンが迷うといっているんだ。
でていきなさい」
静かだけど凄まじく圧がする声。
まるで私が言われたかのようなその声に私は震え上がった。
「では約束してください、カノンの意思を絶対に尊重すると。
決して踏みにじらないと」
そう言うと、お父様は初めて表情を少し崩し、ため息をついた。
そんなお父様を見るのは初めてだった。
「約束する、もし私がそれを破ったらお前は私を殴ってもいい」
「そこまで言われるのでしたら……失礼いたします」
そう言うとお兄ちゃんは部屋をでていった。
なにげに私はお兄ちゃんとお父様が話すのを見たのは
いつぶりかわからないほど記憶にない。
ただ、ここまで我を通そうとするお兄ちゃんと
ため息を付くお父様ははじめてみたのだった。
お兄ちゃんが部屋を出ると、お父様は椅子を回して立ち上がった。
そして本棚にある、一冊の本を取り出して、机に優しく置いた。
その本は、お父様の書斎にある本にしては妙に厚さがなく
それでいて学術的な雰囲気もなく、デザインも大人が読むものとはほど遠い。
そう、それは絵本のようなデザイン。
そしてそれには何回も読んだ形跡を示す手垢があり
ブックカバーの角が丸まっていた。
「……私が子供の頃、よく読んでいた本だ」
タイトルにはシンプルに『青の魔法使い』とだけ書かれていた。
可愛らしい絵柄は今のお父様にはあまりにも似つかわしくなかった。
「あまり有名な絵本ではない。話に冒険感もなければ教えになるものもない」
たったちょっとした独り言のような父の言葉。
しかし私は、お父様が自分のことを語るのをはじめて見た。
「父が、寝る前によく読んでくれた。
だから中身は当時は一字一句すべて暗記していた。
今でもその中身は忘れたことはない」
そういうとお父様は黙ってしまった。
沈黙が重い。
ただでさえ私はお父様が苦手だ。
いつも一方的に命令して終わり。
後は全て使用人任せ。
好きになる要素がない、というのが正しいのかもしれない。
私はずっとお父様が黙っているのでどうしたらいいかわからなかった。
しかしお父様はずっと目を閉じて黙っている。
その時、私は久しぶりに人目を気にしてる自分に気がついた。
私は恐る恐る、勇気を振り絞って言葉を吐き出した。
「どんなお話なんですか?」
するとお父様は目をゆっくりと開けた。
「孤独な魔法使い、エリアスは友達が欲しかった。
エリアスは色んな魔法を使って友達を幸せにした。
ただそれだけの話だ」
まるで実の子供より大切そうにその本を優しく撫でると
再び手に取り、そっと本棚に本を戻した。
そして再び椅子に座るとお父様は一言だけ簡潔に言った。
「もう魔法を使うのはやめなさい」
一番恐れていたことをまっすぐに言われた。
私は身動きができなかった。
でも、それでも。
私は私であるために最後の言葉を振り絞った。
「いや……です」
私は恐ろしくてたまらなかった。
怒鳴られるだろうか。
はたまた倉庫に閉じ込められてしばらく出してもらえないだろうか。
お父様なら私のことを死ぬまで
部屋から出さないといっても不思議ではないと思っていた。
しかし、お父様はまた、ため息をついた。
私はそのため息の意味がわからなかった。
いつもなら私が何を言っても意に介すことすらしないのに。
「お前は私に似て頑固だな。それは父もか。遺伝だな」
笑顔はない。だけど少しだけ表情が優しくなった気がした。
だけど続く言葉は厳しかった。
「もう一度は言わない。魔法使いを目指すのは諦めるんだ」
「いや……です」
今度はお父様の表情が明らかに険しくなった。
「お前は自分が置かれている立場がわかっていない。
お前のためを思って言っている」
口調はとても激しかったが、私はその言葉に激しく動揺した。
あのお父様が『お前のためを思って言っている』といった。
今までそんなことは一度だって口にしたことはないのに。
「何故今なのですか?」
「なんのことだ」
「何故今になってそんな事を言うんですか!」
私は叫ぶように声を出してしまった。
限界だった。
しかしお父様は表情を崩さなかった。
あくまでも貫くような目。
父は目を閉じ、そして見開いて、私をまっすぐ見て言った。
「お前が、大事だからだ」
なんで……どうして……。
もっと早くに言ってくれなかったのですか……。
そんな私は自分の心の声に驚いた。
そんな気持ちを誤魔化すように、何故だと私の頭は父のことを責めた。
しかしそれを言葉には出来なかった。
それだけ言葉が重かった。
私の感情は行き場を失った。
もはや言葉を紡ぐことすら叶わない。
ただただ、私はお父様を見ていた。
涙が溢れてきた。
「カノン。お前はどうしたいんだ」
お父様はしばらくして口を開いた。
どうしたい……唐突に言われたその言葉に私は再び平常心を失った。
だけど頭で考えるのと違う言葉が勝手に口から出た。
「学校に行って……友達がいて……一緒に笑って……」
私の涙が頬を伝う。
「そして魔法を使ってお菓子を出して……みんなで食べるんです」
何支離滅裂な事言ってるんだろう私……。
するとお父様は少しだけ瞬きをすると言いました。
「わかった。下がりなさい」
そういうとお父様は椅子を回して後ろを向いてしまった。
明らかな拒絶。
終わった……。
立っているのに、まるで頭から地面に落ちて空転しているかのような目眩。
私はこの場の全てを破壊したいような衝動に駆られました。
杖を持っていないにもかかわらず強く濁った、でも青い色をしたマナ。
まるで晴天の空を染め上げるようなダークブルー。
マナの残滓は部屋全体を覆うほど濃密になっていきました。
しかし私もお父様も、言葉を交わすことはありませんでした。
まるで悠久の時をそこで過ごしたかのように感じましたが
時間は残酷にも私に冷静さを与えてくれて、
そして最後に諦めを教えてくれました。
私はお父様の書斎を後にしました。
書斎を後にすると、出口にはお兄ちゃんがいました。
「ずっと……待っていたんですか?」
私は泣きすぎて、もう泣いているのか
泣き止んでいるのかもわからなくなっていた。
「……」
いつもおしゃべりなお兄ちゃん。
でもこのときはずっと押し黙っていました。
お兄ちゃん。
いつも学校で私を文字通り見守っていてくれた。
それは恥ずかしいほどだったけど
もうその姿を見ることもないでしょう。
脳裏にホムラちゃんとアミちゃんの姿が浮かびました。
彼女たちにももう会えないのかな。
しかしそんな全ての思い出が黒に塗りつぶされるように
私の中から消えていきました。
すべて、何もなかった。
そう私は考えることにしました。
そして私は黙って、部屋に戻りました。
兄様は何も言ってきませんでした。
部屋に戻ると、そこにはただ静かに、私のことを待つように
杖がいつもの場所に置いてありました。
私は無意識にその杖を手に取ろうとして。
その伸ばした手を止めました。
もうこの杖を握ることも無くなるのか。
そう思うと私は体が震え、泣きたくなりましたが
もう涙は出てきませんでした。
ただ私の顔には涙が伝って、その跡がカピカピになっていました。
その日、私は初めて魔法を使うことなく1日を終えました。
そして翌日。
泣き疲れたせいか、はたまた魔法を全く使わなかったせいか。
私は熟睡していたようで、なぜかスッキリした気分で目覚めました。
時計を見るともうすぐ学校の時間です。
いつもなら兄様が飛び出してきて。
いつもの調子で私に魔法をかけてくれて。
いつも優しい兄様。
しかしそれももう終わり。
全て終わったんだ……。
私はそう思い、再び布団に潜ると——
バタンッ!
すごい勢いで扉が開けられて私はびっくりしました!
「おっはよー、カノン!」
そこに現れたのは兄様でした。
何故兄様がここに?
「兄様、何をしているんですか?」
「おいおい、忘れちゃったのか? お兄ちゃん。だろ?」
相変わらずといえば相変わらずだけど、何を言っているんだろう。
「何をしているんですか? 私はもう……」
そう言いつつ、また私は無意識に杖を手に取ろうとして……。
その手を止めました。
そんな私の手に杖が自然と……。
それは、もう一つの手によって私の手に導かれていました。
「兄様?」
するとお兄ちゃんは、いつもの笑顔で言いました。
「早く準備するよ、学校が始まっちゃうよ!」
「でも私……」
これはきっと夢か幻に違いない。
だって私はもう。
すると兄様は私の両頬をつねって引っ張りました!
「い、痛いでふ!やゔぇでー!」
「いやーカノンのことだから夢だとでも思ってるんじゃないかって」
「そんなテンプレみたいなことしないでください!」
でも一体どうして……。
するとお兄ちゃんは急に変な顔をしながら言いました。
「青の魔法使いは、皆を幸せにするんだ」
?
すると勝手に1人で納得して大笑いするお兄ちゃんがいました。
「今の似てなかった?」
「え、なんのマネですか?」
「親父だよ、親父」
「全然わかりませんよ……って、え?」
それって……
「いやー最高に笑ったね、聞いた時爆笑したら、ぐーで頭殴られたわ」
「じゃあ私……」
するとお兄ちゃんは真顔に戻っていいました。
「簡単じゃないぞ、これからの道は」
その声は真実を語っていました。
「カノンはもう普通の女の子ではいられない。
どこに行ってもエリアスの名前がついて回る」
そんなとき、私の握っていた杖がほんのりと光った気がしました。
私は不思議と怖さはなかったのです。
この時私は、思いました。
魔法は何もしてくれないけど、いつもそばにいる。
その時の私は、確かに何もわかってなかった。
だけど、今日も私は魔法と共に歩いています。
あれから2年。
私は「青のカノン」と呼ばれるようになりました。
昔より友達も増えたし、仲の悪い人も増えてしまいました。
色んな人が私に近づいてくるようになって、色々な経験をしています。
色々なことが変わったけど、変わらないこともあります。
でも相変わらず、お兄ちゃんはお兄ちゃんしてますし、
ホムラちゃんもアミちゃんも相変わらず口喧嘩が絶えませんが、
三人で仲良くしています。
ただ、私にとって大事だけど、一番変わったことは
毎日魔法の練習をしなくなったこと……。




