暗殺者2
「私も、あなたを信用しない」
その言葉に乾いた、短い笑い。
「……なら、話は早い」
「ええ。だから、続けるわ」
私は一歩下がり、
彼全体を見渡す。
「あなた、得か損かで生きているでしょう?」
返事はない。
けれど、否定もしない。
「命も、忠誠も、立場も。
全部、天秤にかける」
私は指先で、暗器のナイフをひとつ天秤のように乗せた。
「だから、あなたは今ここにいる」
男の喉が、わずかに動く。
「……何が言いたい」
「簡単な話よ」
ナイフを回転させ握った。
刃先を男の喉元に当てる。
「国に戻っても、あなたは始末される」
一瞬。空気が、張り詰めた。
「依頼は失敗。しかも、対象に生かされて捕まった」
淡々と、事実を並べる。
「口封じ。それが、あなたの国のやり方でしょう?」
男は視線を逸らさない。
だが、胸の奥では、理解していた。
――その通りだ。
戻れば終わり。それは、彼自身が一番よく知っている。
「逃げても、追われて消される。帰っても、同じ」
私は、少しだけ声を低くした。
「でも」
喉に当てていたナイフを退かした。
「私の元に来るなら――得よ?」
その言葉に、男の眉がわずかに動いた。
「……得?」
「ええ」
私は、氷の牢獄を軽く叩く。
「まず、命は保証する」
「次に、才能を潰さない。そして」
視線を合わせる。
「使える限り、使う」
皮肉げに、口角を上げた。
「あなたにとって、一番合理的でしょう?」
沈黙。
シアの内心で、不本意な結論が、形を成す。
――勝負になっていない。
最初の一撃から、
彼女は流れを完全に掌握していた。
距離、魔力、判断速度。
どれを取っても、届かない。圧倒的な差。国に仕えるよりも…
――強者だ。
認めたくはない。だが、否定もできない。
「……傲慢だな」
息が詰まっていた。ようやく言葉を吐き捨てる。
「そう?」
私は肩をすくめた。
「事実を言っているだけ」
夜の森に、冷たい風が吹いた。
氷の牢獄の中で、グレーの髪の男は理解する。
選択肢は、最初から一つしか無かった。
私は息をつき、ふと思い出したように言う。
「……ああ、そうだわ」
氷の牢獄を見上げて、軽い調子で。
「名前がないと、やりづらいわよね」
一拍。
「あなた、名前はあるの?」
暗殺者は、ほんの一瞬だけその髪と揃いのグレーの目を伏せた。
「……無いようなものだ」
「そう」
そして、微笑んだ。
「じゃあ――私が決める」
彼の視線が、こちらを射抜く。
「……勝手だな」
「今さらでしょう?」
私は、彼の灰色の髪に視線をやる。
月明かりを受けて、鈍く光る色。
白でも、黒でもない。
どちらにも転ぶ、中間の色。
「シア」
短く、呼ぶ。
「どう?…嫌?」
返事はない。
私は、それを了承と受け取った。
「じゃあ、シア」
シアは僅かに目を眇めた
「契約の前に、条件を確認しましょう」
私は指を一本立てる。
「ひとつ。お互い、命を取らない」
次に、二本目。
「ふたつ。あなたが困った時、私は助ける」
少し間を置いて、三本目。
「みっつ。あなたは――私が使う」
言い切る。
「でも、無駄遣いはしないわ」
皮肉げに、笑う。
「使い潰すほど、私は愚かじゃない」
シアは、低く息を吐いた。
「……対等じゃないな」
「ええ」
私は頷く。
「でも、合理的でしょう?」
沈黙ののち。
「……続けろ」
その言葉を合図に、私は魔力を流す。
氷の牢獄が、静かに形を変える。
拘束は解かないまま、
彼の手の甲だけを外に露出させる。
私も、手を伸ばした。
「契約の儀式よ」
指先が、触れる。
瞬間。冷たく、そして静かな感覚が、手の甲を走った。
黒い光が、纏い、揺らぎ、薔薇の形を結ぶ。
棘を持つ、黒薔薇。
それはすぐに、手の甲から肌の奥へと沈み、
外からは見えなくなる。
シアの手の甲にも、同じものが刻まれた。
「……これは」
「印よ」
淡々と告げ、私は手を離す。
「これで、あなたは独りじゃない」
氷の牢獄の中で、シアは、初めて視線を落とした。
得か、損か。諦めのため息をつく。
――少なくとも。
今は、得だ。
夜の森に、
二人分の運命が、静かに根を下ろした。




