about a black
きっかけは単純なことだった。時にはアダムとイブのようにタブーと言われている行動もとりたくなる。「ねえ、出発って午後4時だったよね。」彼女が言う。煙草をふかしながら。やめろと言ってもやめなかったその煙草でさえも今は愛おしい。僕にとっては。「そうだよ。ぴったり午後の4時だ。」4時から僕はそこの船に乗って東京の刑務所へ収監される。4時から翌朝2時までの11時間かけて。ボーっと船が白い息を吐きだした。「もう時間なんじゃないの。さよならの。」向こうでは当然、その煙草さえも無いだろう。「行ってくるよ。じゃあね。」彼女は何も言わなかった。いや、聞こえなかったのだろう。後ろから急に現れた黒服数人に連行され僕は船に乗せられた。ボーっと船は白い息を吐き出すと気だるげに港を後にした。
ボーっ。ボーっ。心地良い船の音だけが聞こえる。この部屋では。意外なことで僕は牢屋のような場所ではなく、シックな客間のような場所へと案内された。家具や壁は全てオークの木材のようなもので統一されており心が落ち着く雰囲気だ。ガチャ。ドアが開いた。立っていたのは先生だった。「どうだね、その後の具合は。」先生はその190cmの巨体からはどう見ても小さいおそらく本革のソファに腰掛け。言った。「まあまあ。あなたも座りなさい。」言われた通り僕もテーブルを挟んで向かいにあるソファへ浅く腰掛けた。これもおそらく本革だった。「具合とはなんの具合のことですか。」純粋な疑問だった。「まさか、忘れてしまったのか。」先生は小さく数回頷くと言った。「君のようなケースは極めて稀だね。過去にも忘れてしまった者は1人いたがもうずいぶん過去の話だ。」先生が話したことの意味が。僕には分からなかった。「時に君は。」先生がまた喋りだした。「海賊という者を信じるかい。あのピーターパンのフック船長のような海賊を。」「いえ。あれはあくまでもおとぎ話の世界でしょ。」そうかい。といった風にまた先生は小さく数回頷いた。「やはり君のようなケースは稀だね。過去にも1人いたよ。もうずいぶんと過去の話だがね。」先生は机の上に置いてあったメモのようなものを開くとサラサラとペンを滑らせていった。「体調はどうかね。今の体調は。特に何も感じないかね。」「はい。特に変わった感じはありません。」先生はまた小さく数回頷くと。「ならいいんだ。これから先生はここを出ていく。そしたら黒いナニかがこの部屋へ入ってくると思う。そして君に話しかけるだろう。でもね、何も答えちゃ駄目だよ。ずぅっと黙っておくんだ。いいね。」そう言って先生は僕の話も聞かずドアを開けて部屋から出ていった。いや、正確には入れ替わった。黒いナニかと。黒いナニかは僕に近づいてきた。そして僕の耳元へ囁いた。「め、んね。ご、めんね。ごめんね。」僕の膝へ何かが垂れるのが分かった。水のようなもの。僕は冷や汗をかいていた。「望ん、、人に、、、なくて、、。望んだ、、人間、、に、なれ、なくて。」冷や汗はやがて風を帯びた。「ご、めんね。」そう囁いたのを最後に黒いナニかはドアをすり抜けてどこかへ消えていってしまった。




