3.すれちがい
「あれはまさに、福の神だったわね」
ビールを飲み干した後、麗奈はしみじみと言った。
「どっちかというと、わらしべ長者でしょう」
店員が運んできたつくねの皿を受け取りながら香恋が応じる。
「いや、なんかありましたよね。もっとぴったりな昔話。年寄り助けて勝ち組になるやつが」
唯香が空いた皿を重ねてテーブルのスペースを開けた。
「かちぐみ・・・。いやいや、そこまで到達していません、まだ」
「いや、マジ勝ち組だから。なんなのよ、たった半年でこの収益」
「人間技じゃないわあ」
「謙遜もほどほどにしないと嫌味ですね」
美女三人が速攻で萌の反論を封じ込めた。
「・・・小夏ちゃん、九州風の焼き鳥って面白いね。キャベツ食べ放題で」
目をそらし、キャベツを自分の小皿にどんどん盛り上げて話も逸らそうと試みる。
「私に逃げないでください、店長。それと、キャベツばっかり食べないで肉食べてください、肉」
萌の心のオアシス、最年少の小夏からさえもけんもほろろにあしらわれてしまった。
「食べているよ、それなりに」
酢がたっぷりかかったキャベツを食みながら反論するが、四人の呆れかえった視線が痛い。
「いや、頼むから食べて、肉」
「何しにこの店来てるのよ。焼き鳥屋で野菜食べてなんになるの」
「そんなんだから馬力ないんですよ店長」
矢継ぎ早の口撃にもはや、店長も形無しだ。
豚バラのくしを手に取った。
「ごめんなさい。食べます・・・」
降参するしかない。
開店からおよそ半年。
現在この五人で店を回している。
メインは萌が店長、唯香が副店長、そして高等専門学校の後輩で新人の小夏の三人。そして前の勤務先での先輩で子育て中の麗奈と香恋が助っ人程度のパートと言う形で始めたが、もはや彼女たちは常勤に近い状態になっている。
なぜなら、ひと月も経たない間に予約がびっしりと埋まってしまうようになってしまったからだ。
きっかけは、開業前日に偶然出会った老婦人の頼みを萌が聞き入れたことだった。
富田、という上品なその女性は店舗がテナントとして入っているマンションの住人で、実はひと月ほど前に転倒して入退院、近所に住む娘と孫たちが近々訪ねてくるのにせめて見苦しくないように整えたいと悩んでいたところ、新規開店の美容室に気付いたというわけだ。
後日、事の経緯を聞いた娘が慌てて店にやって来て頭を下げた。謝礼を固辞すると、では仕事を依頼したいと言われ、いつのまにか七五三の着付けの打ち合わせに発展した。
お宮参りの当日、七歳の長女と五歳の長男、そして母親と祖母の和装着付けを行い近所の神社へ送り出したところ、それを見た商店街の人々に好評で、和装関連の依頼が立て続けに舞い込むようになった。
もともと萌と唯香は前歴に銀座が絡み、着付けと髪のセットに強かった。そして子育て中だけに麗奈と香恋は子供の扱いが上手く、鋏を怖がる幼児のカットも難なくこなせる。そして富田のような熟年層のカウンセリングも上手と言う評判も加わり、芋づる式に客が付いていった。
正直、怖いくらい順調な滑り出しだ。
「オーナー、うちらを公式から外したの、そろそろ後悔しているんじゃないですか」
唯香がメニュー表めくりながらぽつりと言う。
「ああ、ねえ。うちらを隠しコマンド扱いにしてるけど、もしかしたら利益率は二号店三号店抜いてるんじゃないかって噂あるからね」
麗奈の返事に萌は憂鬱になった。彼女は長年勤めていただけに伝手が多く、情報を掴むのが早い。良いことも悪いこともあっという間に拾ってしまう。
「そもそもうちは賃料が格段に安いからであって、あっちと規模は全然違うんだから比べないで欲しい・・・」
オーナーの奥寺が経営している店舗は流行に敏感な場所を狙い撃ちして片手では足りない数に上る。著名人のSNSにも登場し、そこで髪を整えるのが若者たちの間でちょっとしたステータスにもなりつつあった。
それに対し真逆なのが萌たちの店舗である。商店街の片隅にあるこぢんまりとして昔ながらの美容室を思わせる店構え。廃業した前の経営者が失敗した理由の一つはモード色が濃く敷居が高かったのではないかと言う萌の意見に奥寺が折れ、その代わり公式サイトに載せないことで決着したのだ。ついでに指名制を廃止して値段も安めに設定し、経費ぎりぎりの賭けに出てみた。
「今のところ順調なのは幸運が重なっただけと、ご理解いただけませんでしょうか…」
「ムリムリ。あっちの新店長たちは逆に苦戦してるから、萌ちゃんが鼻ぽっきりへし折ったってもっぱらの噂よ」
萌がこの店へ着任するタイミングでグループ内も大幅な人事異動が行われている。
ちょうど店長クラスが離職したせいもあり、数名が昇格した。
「笠井くんのところも近くに強力なライバル店が出来て苦戦してるみたいね」
夫の笠井涼介は数年前から吉祥寺の店を任されていて、萌はもともと彼の部下だった。
「あああ。やっぱりですか」
「なに、旦那から聞いていないの」
「お互いもうぐったりですよ。仕事の話なんてとても」
萌が店を任されたあたりから、勤務日はばらばらでお互いに帰宅は深夜になることが増えた。ベッドにたどり着いても先に帰ったほうはすでに眠っていることが多い。
そういえば最近、夕飯は元より朝食すら一緒に食べてない。
必要事項はメールでやりとりしているけれど、きちんと向き合って話をしたのはどのくらい前だろうか。
「新婚なのに?」
入籍したのは昨年のクリスマス。あと数か月でもう一周年を迎える自分たちをはたして新婚と言って良いものかどうか。
「新婚も何も・・・。付き合いが長かったし」
ずっと互いの家を行き来していたため、それを加えたら十分こなれた夫婦と言えそうだ。
「笠井さん、ふんわりした雰囲気があの店に合って良かったんですけどねえ」
唯香が焼酎のグラスを傾けながらふと口をはさむ。
「え?」
「なんか・・・。変わりましたよね」
断定するような言葉に、萌の心臓がはねた。
「・・・そ、そう?」
とっさに笑みを浮かべて取り繕う。
何が、変わったのか。
それって、いつの彼なのか。
どうして、今言うのか。
尋ねたいけれど、何を言えばいいのかわからない。
唯香の目を見る勇気がなかった。
「まあ笠井さんのとこは、ご新規特典期間が終わったら落ち着くんじゃないですかぁ?同期の子が言ってましたよ」
小夏のフォローに救われた。
「ありがとう。涼さんと話してみるよ」
情けなくて、鼻の奥がつんと痛んだのをごまかすために瞬きを繰り返した。
ちゃんと時間を作らなきゃ。
それから・・・。
グラスの中でころんと転がる梅の実を眺めながら思う。
涼さん。
もしかして、あなた。