08.ヒーローじゃなくても
「こっち、確認サイン。あと、戦闘補助の書類。サブ登録扱いだけど提出しないと面倒よ」
昼前、ミランダがいつものように淡々と資料を押し付けてきた。
画面の中には、都市認可の戦闘者リスト登録に関する申請書。
“傭兵”として活動するには、最低限の記録が必要らしい。
「正式所属ってわけじゃないけど、うちの依頼で戦う以上、都市側との手続きは避けられないわ。嫌なら、他を探しなさい」
冗談めかしてはいたが、目は笑っていなかった。
俺は黙って頷き、書類を受け取る。
記入項目の中に、“戦闘スタンス”という欄があった。
記号的な分類――前衛、後衛、支援、斥候。そして任意記入の「自己アピール」。
俺は、そこで手を止めた。
何を書けばいいのか、まるで浮かばなかった。
強みはない。武器も能力も、技術も信念も。
ヒーローでもなければ、勇敢でもない。ただ、ここにいるだけ。
「……俺、なんなんだろうな」
ぽつりと漏れた声に、隣の席で菓子をかじっていたレアが、もぞもぞと首をかしげた。
「どうしたの、司馬くん。書類、難しい?」
「ちょっと。自分が、何になりたいのか分からなくなって」
「ふーん……でもさ、ヒーローじゃなくても戦えるよ」
レアはそう言って、笑った。
「ヒーローじゃなくても、って……レアさんは、そういうの、気にしないんですか?」
俺の問いに、レアは小さく瞬きをしたあと、首をすくめるように笑った。
「うん。だって、あたし……前に出ると怖くて足がすくんじゃうし、戦闘なんて得意じゃないし。
けどね、壊れた装備を直したり、データを読んだりするのは得意なの。
それでみんなが無事に帰ってくれるなら、それだけでいいかなって思ってる」
彼女は恥ずかしそうに目を伏せながらも、言葉には芯があった。
「誰かを救うために戦うのもいいけど、誰かが戦えるように支えるのも……立派な“正義”だと思うよ」
その言葉に、心のどこかが静かに揺れた。
“正義”――俺がずっと手にしたかったもの。けれど、ずっと手のひらからこぼれていったもの。
「戦う理由なんて、ひとつじゃないさ」
今度はガロの声が後ろから飛んできた。大きな段ボール箱を片手で持ち上げながら、にやりと笑う。
「俺はただ、筋肉が好きだから戦ってる。戦ってる時が一番カッコいいからな」
「……単純ですね」
「いいだろ? 戦ってる俺、マジで映えるんだぜ。ネオンの配信でも、ちょっとした人気枠だしな」
そう言って、自慢げに二の腕を見せつけてくる。
でも、その自信はどこか清々しくて、少しだけ羨ましくもあった。
ガロの声を背に、俺は改めて手元の端末を見つめた。
“戦闘スタンス”、“自己アピール”、空欄のままの入力欄が、まるで今の自分そのものみたいだった。
「俺には、誰かを守れる力も……映える技もない」
「でも、それでも、ここにいたいって思った」
誰に言うでもなく、そんな言葉が漏れる。
気づけば、端末に指が動いていた。
【スタンス:前衛(汎用近接)】
【自己アピール:まだ形になってないけど、諦めない拳です】
冗談みたいな言葉だ。でも、今の俺には、それしか書けなかった。
“ヒーロー”でも“配信者”でもない。
ただ、無様でも一歩ずつ前に進みたいと思ってる――そんな男。
「提出、完了」
ボタンを押した指先が少しだけ震えていた。けど、その震えさえも、自分のものだった。
そのとき、デスクの向こうで端末を確認していたミランダが、ふっと目を細めた。
「……アンタらしいじゃない。見栄も張らずに、自分を晒すなんて」
小さく笑ったその横顔が、ほんの少しだけ、優しく見えた気がした。
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