06.目覚めた場所
目を覚ました時、まず感じたのは、全身を包むような鈍い痛みだった。
焦げたような匂いと、鉄と薬品が混ざった空気が鼻を突く。
ぼやけた視界に映ったのは、無骨な天井と、薄暗い照明――クロスリンク支部の医療室。
記憶が徐々に繋がっていく。
あのモンスターの咆哮、体を軋ませた衝撃、そして――真っ白に塗り潰されたような一瞬。
「お目覚めか、最弱新人くん」
聞き慣れない低めの声が、部屋の隅から響いた。
そちらに顔を向けると、真っ黒なフレーム眼鏡をかけた女が、スツールに座ってこちらを見ていた。
長身で、白衣を無造作に羽織っている。ラボから出てきたばかりのような雰囲気だ。
「命は無事。戦果は惨敗。記録はそこそこ。ま、初戦にしちゃ上出来よ」
皮肉かと思ったが、表情にはあまり悪意がない。むしろ淡々と事実を並べているだけだった。
「……俺、どのくらい……」
「半日ってとこ。脳震盪と衝撃による気絶。ドローンが君の無事を確認して、うちの隊員が回収したわ」
彼女は立ち上がってメモを取ると、そっけなく言った。
「名前、覚えといて。私はドクター・ヴァイル。医療と研究と倫理の境界で生きてる女よ」
「君みたいな“志願型”は久しぶりだからね」
ヴァイルは器具を片付けながら、背中越しに言葉を投げてきた。
「戦いたくて都市に来て、配信で晒されて、モンスターに叩き伏せられて――それでも立ち上がる奴、今どき珍しいのよ」
「……立ち上がれるか、わかりません」
ぽつりと返した声が、自分でも驚くほど弱かった。
「戦ってる時、何もできなかったんです。怖くて、足が動かなくて……目の前にいた仲間が怪我してるのに、俺――」
言葉が喉の奥で詰まった。
拳を握る。悔しさでも、怒りでもなく、ただ情けなかった。
ヴァイルはくるりと振り返り、少しだけ歩み寄ると、俺の頬を指先で軽く弾いた。
「それ、戦闘後症候群の初期症状。よくあるわ」
「……は?」
「記録にも出てる。君は現場で脳が処理しきれず、戦闘から一時的に切断されていた。簡単に言えば、心の自衛本能。弱さじゃなくて、仕組みの問題」
ヴァイルはそう言い切って、また背を向けた。
「でも、それを“悔しい”と思ったなら、君はまだ戦える。次は身体が、順応する」
それは慰めでも優しさでもなかった。ただの観察と記録――でも、その冷たさが、不思議と救いだった。
「起きたんなら、出てきなさい。死に損ない」
医務室のドアが開いて、ミランダが顔を出した。
白いシャツをラフに着崩し、ヒール付きの戦闘ブーツをコツコツと鳴らしながら、俺を見下ろす。
「死んだら怒るって言ったでしょう。約束破るの、嫌いなのよ、あたし」
ふっと息が漏れる。笑いにもならないけど、喉の奥が少しだけ軽くなった。
「……すみません」
「いいわよ。最初の一戦は、誰だって失敗するもの」
彼女はそう言いながら、コップを差し出した。中には氷がひとつ浮かんだ水。
「でも、ここからどうするかは自分で決めなさい。あたしは“試してみる価値がある”と思ってるけど、無理なら出てっていい」
それは突き放すようでいて、逃げ場をくれる言葉だった。
俺は少しだけ考えて、ゆっくりとコップを受け取る。
そして、水を一口、喉に流し込んだ。
「……まだやれます。やります。今度は……もう少し、前に出たいです」
「ふうん。じゃあ、明日から荷物運びね」
ミランダはにやりと笑う。
「戦う前に、まずは現場の重みを知ってもらうわよ。……あんたの拳、信じてあげるにはまだ早いから」
そう言って、彼女は背を向ける。
その後ろ姿が、昨日よりほんの少し、近く感じた。