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その5 エロマンガの逆襲

 登校日も朝から暑かった。

 

 愛ちゃんはわざわざ遠回りして、孝太郎とわたしとめそ子の登校行列に加わった。

 じゃーじゃーと蝉が喧しい。めそ子のアパートのフェンスには、雑草に混じってヒマワリが何本も咲いている。


 めそ子は緊張している。それを感じて、わたしも緊張する。愛ちゃんはいつも通り淡々としている。

 「ぶーん、ぶんぶーん」

 唯一、お気楽で能天気なのは、孝太郎だけだ。無意味な叫び声をあげて、両手をとんぼみたいに開いて、ぶんぶん先頭を走って行った。


 やがて我々は学校に到着した。

 既にめそ子は涙目になっており、最初からだめだめモードが漂っていた。


 (あかん。このままじゃ、めそ子、教室に入った瞬間に崩壊する)

 なんとかしなくては。励ましてやらなくては。

 

 「めそ子、大丈夫」と呼びかけて、振り向いためそ子の顔を見て、こりゃ駄目だと思った。


 (もういい。めそ子の場合、出席することに意義がある)

 ガクガクブルブル生まれたての小鹿みたいに震えっぱなしだったとしても。

 いい。十分だ。ここまで来ただけで、上出来だ、めそ子。


 今にも洟が垂れそうな顔をしためそ子の手を、そっと握った。

 めそ子はそれで、やっと少し笑った。強張っていたけれど、精一杯の笑顔だと思った。


 玄関で孝太郎と別れる時、愛ちゃんが言った。 

 「将来の国際スパイ、頼んだよっ」

 孝太郎は敬礼すると、内履きをつっかけて教室に走っていった。


 (何のことやら)


 内履きにはきかえた。今日提出する宿題は、一応ちゃんと持ってきた。

 めそ子はきっと、宿題提出まで求められないだろう。実際、めそ子は宿題なんか一つも手をつけていないのに違いない。


 三人で教室に向おうとした時、廊下で四年女子が集まっているところに差し掛かった。

 成宮かれんが腕を組んで壁にもたれかかり、その周囲を女子たちが囲んで、噂話をしている。おはよー、とわたしが言うと、あ、おはよーと返って来た。

 けれど、みんなの視線がめそ子に集まった瞬間、空気が微妙になった。

 めそ子は固まり、反射的に愛ちゃんの後ろに隠れた。


 「エ、ロ、マ、ン、ガ」


 ひそひそと、だけどはっきりと、そう聞こえた。けれど、誰が言ったのかまでは分からなかった。

 かれんちゃんは、めそ子を一瞥した。誰かが「エロマンガの奴さあ、宿題やってきたんだろうね」と、小さく言った。


 愛ちゃんが、行こう、とめそ子をうながして、階段をのぼった。


 「こんなもんだよー」

 階段を駆け上りながら、愛ちゃんは言った。

 「図々しい奴ってどこまでも図々しいの。だからさあ、弱い奴だって、お返しする権利はあると思うんだ」


 一般的に、道徳って、仕返しとか復讐とか、駄目な事って言ってるじゃん。あれってケースバイケースなわけ、世の中、一筋縄じゃいかないってことよ。


 教室に入りながら、愛ちゃんは振り向いた。にやっと笑っていた。


 何のことだろうと思った。愛ちゃんがなにかを企んでいるのは間違いなさそうだ。


 (一体なにが起きるんだろう)


 めそ子と愛ちゃんは教室に入った。そうしたら、男子たちが一瞬しいんとして、それから「エロマンガ来た」と聞こえてきた。

 うちのクラスは、めそ子が不登校になる前と、何一つ変わっていなかった。


**


 大井先生は相変わらず脂っぽい顔をして、ぱつんぱつんのワイシャツだった。

 学級委員長のかれんちゃんがみんなの机を回って、宿題のドリルを集めた。かれんちゃんは「世輪木さんのドリルがありませんでした」と、大きな声で言った。その声は、教室中に容赦なく響き渡った。

 

 大井先生は一瞬困った顔をしたけれど、すぐに、「そうかー」と一言で片づけた。だけどクラスのみんなは、ざわざわとした。


 エロマンガだけドリルしないでいいのかー、学校休みまくって宿題免除って、いいなー。

 そんな言葉が聞こえてくる。


 窓際の席のめそ子を見ると、やっぱり泣いていた。

 (ああ、めそ子は二学期からも学校に来ないかもしれない)

 握りしめた拳が震えた。


**


 宿題を提出し、先生の話が一通り終わると、解散になった。


 これからプールに行くらしい成宮かれんと女子たちが、きゃらきゃら笑いながら、楽しそうに教室を出てゆく。

 一方男子たちは猛烈な勢いで、走って出て行った。この暑いのにサッカーをするらしい。めそ子がもたもたしている間に、校庭のほうから元気な声が聞こえて来た。

 

 じゃーっ。

 教室の窓から水音が聞こえる。用務員のおじさんが水まきしているのだ。

 きゃあっと歓声が聞こえた。低学年の子たちが水まきの水にあたって、大はしゃぎしていた。


 「なんで学校ってこんなに面白くないんだろう」


 ぽつんとめそ子は言った。とても悲しそうな声だった。

 やっと支度が終わり、めそ子は手提げを持って机から立ち上がった。とぼとぼと歩いてゆく。ほんの半日の登校で、めそ子はグッタリしている。

 その姿は、あの、老人ホームで活き活きとしていためそ子とは、別人みたいだった。


 わたしはめそ子の隣を歩いた。励ましてあげたかった。それか、よく頑張ったと言って元気づけてやりたかった。なにか言いたかったが、どうしてもうまい言葉が出てこなかった。


 めそ子。めそ子のことが心配なのに。こんなに良い子なのに。

 友達なのに、わたしはなにも言ってあげられない。してあげられない。

 めそ子があんまりにも悲しそうなので、わたしまで悲しくなるじゃないか。


 ああ、それにしても、だ。


 夏休みの前にクラスで話し合いをして、人を傷つけるのはよくないと決定したはずなのに。それなのに、この状態だ。

 一体、あんな話し合いに意味があったのだろうか。

 (ないない。あんなのなら、しないほうがましだった)


 重苦しい空気のまま、わたしたちは玄関から外に出た。

 悪いことに、プールに行こうとしている成宮かれんのグループが、まだ玄関前でたむろっている。きゃっきゃと楽しそうに喋る声が聞こえて来た。

 

 「行こう」

 立ちすくむめそ子を促したのは愛ちゃんだった。

 わたしたちは外履きに履き替え、玄関を出た。猛烈な日差しがたちまち襲い掛かってくる。ウッとわたしは目を閉じた。一瞬、目の前が真っ白になった。 


 その時だった。


 「じゃじゃーん。スパイ参上」


 どこかで聞いたことがある声がしたと思ったら、きゃー、いやーん、と悲鳴が次々にあがる。

 一方わたしは、強い日光のせいで立ちくらみが起きていて、何が起きているのかよく判らない。


 「すけべにんじーん」


 暑さも吹き飛ぶような声で叫ぶ小さい男の子たち。

 同時に、きゃーやめてー、と、泣き叫ぶ四年生の女子の声も響く。


 スケベニンジン?

 一体、なにを言っているんだろう。


 やっと景色が見えて来た。玄関に立ち尽くしたまま、わたしはそれを見た。


 紫の風呂敷を首に巻き、スーパーマンみたいにひるがえした連中が走り回っている。一年生男子たちだ。

 うちの孝太郎も風呂敷マント姿で走り回って、ドヤ顔で、次から次へと四年女子のスカートをめくり続けている。


 (ひえ、孝太郎、なんつーことを)


 この猛暑だから、誰もズボンをはいていない。ひらひらの短いスカートばかりだ。

 女子たちはスカートをめくられて仰天し、悲鳴をあげて逃げ回っている。成宮かれんも真っ青な顔をしていた。だけど、一年男子にしてみたら、相手がクラスの裏ボスかれんちゃんだろうと関係はない。


 青や赤、オレンジの鮮やかなミニスカートがひらひらとめくれ、その中から、人参のプリントが覗いていた。


 「スー、ケー、ベー、ニー、ンー、ジー、ンー」

 「へっ、へーんなのー」


 ご丁寧に、一年男子たちはパンツにプリントされた手書きの文字まで大声で読み上げている。


 きゃーやめてー、いやー。

 せんせー、誰かせんせー呼んできてよーっ。


 スケベニンジンという言葉に反応して、校庭でサッカーをしていた四年男子が振り向いた。何事かと集まってくる。


 「ねー、ねー、恥ずかしいパンツを履いてるんだよー」

 と、一年男子のひとりが叫んだ。

 やめてよー、馬鹿じゃないの、と、成宮かれんが怒鳴っている。


 「真っ白なパンツに、すっげー下手な人参が描いてあって、スケベニンジンって書いてあるの。そいで、名前もマジックでちゃんと書いてあるの」

 大声で、事細かに説明をする一年男子もいる。

 

 四年男子たちは爆笑した。その爆笑を見て、完全に頭にきたらしい女子たちがキーキーと叫び始めた。


 「なによー、ただの人参でしょー。恥ずかしいのはスカートめくりする方じゃないのっ」

 「そーよそーよっ」


 その時、女子たちのプールバッグの中から零れ落ちたものだろう、白い布切れを拾い上げた子がいた。

 それがうちの孝太郎だと気づいて、わたしはあわあわとなった。やめろ孝太郎。それを広げるな、平和的にその場をやり過ごせ。


 ところが孝太郎はびろんと容赦なく、そのスケベニンジンパンツを広げたのだった。

 「お姉ちゃんたちみんな、このパンツはいてるんだよー、へんだよねー」

 無邪気に孝太郎は叫んだ。 


 沈黙が落ちる。この暑いのに、一気に涼しくなった。

 

 「わーっ」

 女子のひとりが声を上げて泣き始めた。

 かれんちゃんも真っ赤な顔をしている。誰に対して怒りをぶつければ良いのか分からないのかもしれない。


 わたしは横目で愛ちゃんを見た。涼しい顔をしている。

 なんのことでしょう、わたしゃ知りませんよ、といった感じだ。


 「フフーン」

 愛ちゃんはわたしの視線に気づき、軽やかに笑った。

 

 「もういやっ、下らないったら。あとで先生に言ってやるわ。みんな行こう」

 かれんちゃんがヒステリックに叫び、女子たちをひきつれて去っていった。これからプールに入るんだろうか。

 まあ、いくらカッコつけても、みんな、着替えのパンツも人参パンツなんだろうな。


 それにしても、男子たちはどうなんだろう。愛ちゃんは確か、四年生の親にパンツを販売していると言っていた。白ブリーフも用意していた。

 

 去ってゆく女子を指さし、げたげたと笑い転げている男子たち。

 その背後に、風呂敷マントがそうっと忍び寄るのが見えた。めそ子が、目をまんまるにして眺めていた。


 ばばばっ、ずばっ。


 目を覆いたくなった。

 一年男子たちは、男子たちの短パンを引きずり降ろしたのだ。夏の日差しの中、次々に露になる、人参ブリーフ。

 ひゃあっとか、うわあとか、情けない悲鳴が上がった。


 「みんなスケベニンジンパンツだー」

 「へーん、へんなのー」

 「かっこわりー」

 「わーい」


 風呂敷マントたちは蜘蛛の子を散らすようにして逃げてゆく。あたふたと男子たちはズボンを引き上げながら、いきなりこちらを振り向いた。


 「なに見てんだよっ」

 「このエロマンガトリオ」


 完璧な八つ当たりだ。けれど、まぬけな人参ブリーフを曝した相手から何を言われても、怒りすら沸かない。

 負け惜しみのように口汚くののしりながら、男子たちはズボンを引き上げ、また校庭に走って行った。

 

 「うっ」

 押し殺したような声がした。

 変な声だったので、はっとして横を見たら、めそ子が顔を覆ってしゃがみこんでいた。


 「めそ子」

 「くっ、くくく、ウウウ、ふ、フヒヒ」


 泣いているのかと思ったら、めそ子は、笑っていた。

 こらえるのに苦労するのがやっとという感じで、全身を震わせて、ククク、ウヒャヒャと笑っていたのである。

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