その2 反逆のスケベニンジン
めそ子が学校に来なくなって、もう一月が経った。
最初のうちは、クラスで話し合いをしたり、先生が毎日のように、めそ子のうちに連絡をしたりしていた。
けれど、今ではもう、めそ子の不在が普通のことになっていた。完全に、「喉元を過ぎて熱さを忘れた」状態だった。
めそ子の不登校が始まった最初の頃、学級会が開かれた。
「人を傷つけることはやめましょう」
と、学級の話し合いで、黒板に書きつけたのは、成宮かれんだった。
お習字を習っているから、すごく綺麗な字だ。たしか、成宮かれん、書初めで金賞をもらっていたはずだ。
その素晴らしい字を見て、みんな、賛成賛成、そうだよね当たり前、人を傷つけちゃいけないよねと、拍手した。
「やーん、かれんちゃん字が上手」
「黒板消すのもったいなーい」
そんな声があちこちから聞こえた。
**
この頃プリントを届けに行っても、めそ子が家にいない。
一体、学校を休んで何をしているのかと思う。
(もともと、そんなに外に出るような奴じゃなかったはずなのに)
本当に、どこで何をしているんだろう、めそ子。まあ、元気でいるなら良いのだ。プリントを届ける毎に郵便受けを見るが、ちゃんと、前に届けたものが消えているので、確かに受け取ってくれているのだろう。
めそ子のうちはシングルファザーだ。漫画家の仕事は部屋の中に籠っているイメージだけど、めそ子のパパは忙しいみたいで、出かけて、家にいないことが多い。
「取材とか打ち合わせとかあるみたい。パパが部屋に籠って漫画を描くのは真夜中だよ。仕事は待っていてくれないから、大変って言ってた」と、いつか、めそ子は言っていたっけ。
エロマンガと囃されたけれど、めそ子はパパの仕事を、決して変な風には思っていないのだ。
今日の夕暮れは、とても鮮やかだ。一人で眺めるのがもったいない位だ。
今週はずっと、めそ子に会えずじまいだった。プリントも郵便受けに突っ込むだけだ。
石ころあぜ道をとぼとぼ歩くと、中学生たちが自転車で通り過ぎた。揺れるスカート、白いソックス。
ああいいな、大人って感じ。
思わず見とれて中学生たちを見送った。わたしもあんなふうになるんだな。
うちは、パパもママの普通の勤め人だ。二人とも、口をそろえて、みゆきは将来は看護師になりなさいと言っている。
「どうして看護師なのよ。どうせなら医者でしょ」と、言い返してみたら、アンタそんな頭ないでしょと呆れられた。
世の中甘くない。早いうちに将来のことを考えておきなさい。
この頃パパもママも、やけに世知辛いことを言う。ああ本当に、面白くない。
その点、まだ小学校に入りたての弟の孝太郎は楽なもんで、「将来は国際スパイになる」とか言っている。
歩いていたら、じゃああっと車輪が転がる音がして、ききっと横で止まった。足を止めて振り向いたら、愛ちゃんが、キックボードに乗って、棒つきキャンデーをくわえていた。
「今日もめそ子いなかったの」
と、愛ちゃんは言った。わたしは頷いた。
「あんたんち行ってもいい。ちょっと見せたいものがあって」
飴をくわえながら愛ちゃんは言った。
うちと愛ちゃんちは、ママ同士も仲良しだ。
ママは、愛ちゃんのママ特製の「黒山田特製美容液」を使っている。黒い瓶に赤文字でおどろおどろしく「黒山田」の文字がプリントされていて、見るからに怪しげなのだ。
愛ちゃんのママ特製の化粧液だの、サプリメント。うちのママは、仲良しのよしみで安く分けてもらっている。
「凄いのよ、効果抜群。あんたも大きくなったら愛ちゃんのママの化粧品買ってあげるから」と、ママはいつも言う。けれど、いかにも怪しい「黒山田」のパッケージを見ると、とても欲しいとは思えなかった。
キックボードを引きながら、ほてほてと、愛ちゃんは歩いた。ほてほて。
愛ちゃんは、クラスでは目立たない。だけど愛ちゃんは、実は敵に回してはいけない子、恐ろしい人なのだ。
(みんなは、愛ちゃんの真の姿を知らない)
「人を傷つけないようにしましょう」とクラスに呼びかけ、黒板に書きつけるかれんちゃんの後姿を、愛ちゃんがどんな目で見ていたか。
思い出すだけでも、ああ恐ろしい。
(ピラニアの目だった、骨まで食い尽くされちまう)
それにしても愛ちゃんがわたしに見せたいものって、何だろう。
ほてほて。
あぜ道を歩き、コンビニの角を曲がれば県道に出た。そしたら、うちは目前だ。